外食産業の経営戦略

         株式会社 すかいらーく  取締役社長室長     渡 邊   鴻



 農林水産省畜産局中央畜産研修施設では、 毎年、 約20の研修会を開催し、 都道府
県、 市町村の畜産関係者等が受講し、 好評を得ております。  今月は、 平成6年2
月1日に開催された 「畜産経済」 の研修会の中から、 株式会社すかいらーく取締役
社長室長渡邊鴻氏の 「外食産業の経営戦略」 の講義内容をご本人にとりまとめてい
ただいたものをご紹介します。 
  
 
外食産業元年は昭和45年
  今や外食産業は約28兆円の規模となっています。 私どもの 「すかいらーく」 をはじ
め外食産業が、 過去どのような考え方で事業をやってきたか、 これからどのようにや
っていくのか、 あるいは、 外食産業からみたお客さまの変化をどのように読み、 仮説
を立てて来たか等をお話しして、 何かの参考になれば幸いに思います。 
 
  それでは、 まず、 外食産業と畜産とが、 どのような関わりあいを持っているかにつ
いてお話します。 外食産業の畜産品の取り扱い量は、 平成3年では牛肉の全出荷量の
30%、 豚肉の24%、 鶏肉の18%とかなりの量を占めており我が国の畜産と密接な関係
にあることがお分かりと思います。 また、 お米についても 約200万トン、 全国の消費
量の20%強を扱っています。 
 
  飲食業が産業としてスタートしましたのが、 今から四半世紀ほど前の昭和45年とい
われています。 それまでは 「個々の飲食業」 の時代でしたが、 資本の自由化が行われ
た44年を機に現在の大手といわれている各社が飲食業の産業化を目指して事業を起こ
したわけです。 
 
  45年には、 私どもの 「すかいらーく」 と 「ケンタッキーフライドチキン」 がそれぞ
れ1号店をオープンし、 「ロイヤル」 は大阪での万博で成功したのを機にファミリー
レストランの出店を決意されたようです。 続いて、 46年には 「マクドナルド」 が、 49
年 「デニーズ」 が開店しております。 

創造と破壊から生まれた 「すかいらーく」
  すかいらーくの前身は、 「ことぶき食品」 という乾物を中心とした小さな食料品店で
す。 昭和37年4月、 創業者である横川4兄弟によって保谷市ひばりが丘団地に7坪ば
かりの小さな店を開いたことから始まりました。 店は小さくても、 いろいろな新しい
サービスを採り入れました。 例えば、 清潔さを表現するためユニフォームを着用し、 
鮮度を重視するため、 その日に仕入れた商品はその日の内に売り切る。 また、 当時1
ダースなら安くなるといった考えから大きい単位で販売するのが当たり前だったので
すが、 ひばりが丘団地には核家族化した若いカップルが多く、 1回当たりそんなに沢
山の量を必要としないことから、 その日に使う量だけ買って頂けるよう10グラム単位
で販売するなど、 お客さまのニーズを先取りして大変繁盛しました。 
 
  今でいうコンビニエンスストア的と言いますか、 コンシューマー・オリエンテッド
な経営を行ったわけです。 その後6店舗まで店を広げました。 しかし、 この多店舗化
は決して今流のチェーンストア理論に基づくものではなく、 いわば 「のれん分け」 的
な発想からのものでした。 

  ところが、 昭和42年頃、 現在の大手スーパーは着々と準備を進め、 ひばりが丘をは
じめ、 「ことぶき食品」 の店の近くにセルフサービスのスーパーマーケットを開店して
来たのです。 その波に押されて1店、 2店と閉店せざるを得ませんでした。 43年後半
になると、 座して死を待つか、 一からチェーンストア理論を学んで出直すか、 それと
も全く違う業種に乗り換えるかの決断を迫られたのです。 
 
  そうした頃、 創業者の横川兄弟がアメリカの外食事情を視察するツアーに参加した
ところ、 郊外に店を構え、 車で来られるお客さまで大繁盛しているレストランを目の
当たりにし、 「やがて日本も車社会がやって来て、 こうしたレストランが必要になる」 
と考えました。 
 
  44年当時、 既に乾物店は2店しか残っていない状態ですから、 お金もなければ、 人
も、 信用もない有様でしたが、 45年7月、 アメリカでみた郊外型コーヒーショップ・レ
ストランを見様見真似で、 国道20号線沿いの畑の真ん中にオープンしたのです。 これが、 
レストラン・すかいらーく1号店です。 お陰様で大繁盛し、 その後着々と店を増やすこ
とができ、 平成5年12月末現在771店舗、 グループ合わせて1, 129店舗となっています。 



ホテルの味を半額で!        
スケールメリットとセントラルキッチン
  
  昭和45年にファミリーレストラン (FR) が産声を上げたとき、 外食はまだまだ贅沢
だという位置付けでした。 お客さまに外食を楽しんで頂く為に、 値段を安くし、 美味
しいものを味わってもらおうと、 「ホテルの味を半額で」というキャッチフレーズでス
タートしました。 外食の大衆化を志す以上、 安く提供するということは当然ですが、 
それでは幾らの価格にすればお客さまの納得をいただけるのかが問題でした。 
 
  当時価格設定は、 コストに利益を乗せて売価を決めるやり方が常識とされていまし
たが、 それでは従来のレストランに太刀打ちできませんでした。 そこでお客さまの所
得を基に、 価格を幾らに設定すれば月何回来てもらえるだろうかということを計算し、 
当時の相場の半額に設定したのです。 つまり、 売価をお客さまの懐具合に合わせて決
めさせていただいたわけです。 
 
 この価格でどうやって利益を出すかの前に、 この立地、 この価格がその時代のお客
さまに受け入れられるかどうか、 の確認がまず大切だと考えたのです。 お客さまから
イエスと言っていただき、 そこにマーケットが存在することが確認できれば、 その後
は社内でコストを吸収する努力をすれば良いという考えです。 当社が採ったコスト吸
収策は、 セオリー通り”数は力なり”を忠実に実行に移し、 徹底した規模拡大作戦に
出ました。 この”数は力なり”が効を奏し、 今日の 「すかいらーく」 があるわけです。 
 
 それでは当時どのような規模拡大策を図ったかについて、 お話を申し上げます。 ま
ず、 当時 「すかいらーく方式」 と言われた投資を控えながら店舗を増やす”店舗リー
ス方式”を挙げることができます。 まだ土地は安かったとはいえ、 450坪の土地に100
坪の建物を建てれば2億円前後の投資が必要だったと思います。 これでは急速な規模
拡大は不可能です。 そこで金がなければ借りれば良い、 といったコロンブスの卵的発
想を採用したのです。 もし、 このリース方式を導入していなければ、 現在でも、 せい
ぜい100店舗程度の店を出すのが精一杯だったと思います。 
 
 二つ目は 「セントラルキッチン」 です。 もともと飲食業は、 1店、 1店シェフや板
前さんを置き、 その人達が店の全てを仕切っていました。 100店規模になれば100人の
シェフが必要となりますが、 これだけのシェフを短期間に育てることは至難の技です。

 また、 チェーンストアーを目指す以上、 均一な同一食材を大量に必要とする一方、 
料理の味も、 サービスも全店同じでなければなりません。 それらを解決するためにセ
ントラルキッチン・システムを採用したのです。 これは 「クックレス」 と呼ばれ、 個
々のレストランから職人芸と言われた調理の仕事を無くすという、 飲食業にとって革
命的な出来事でした。 
 
 そして、 三つ目が 「価格凍結宣言」 です。 昭和48年終わりのオイルショックで物価
はどんどん高騰する中、 当社は49年春に価格を凍結すると宣言し、 5年間価格を凍結
したのです。 凍結することにより相対的に価格は半額となり、 これが更に割安感をお
客さまに与えました。 当初 「ホテルの味を半額で」 とスタートしたものの、 やはりま
だまだ割高感はありました。 昭和45年の大卒初任給が3万5千円から4万円位のとき、 
「すかいらーく」 の平均客単価は700円でした。 現在は初任給が20万円前後で平均客単
価が1, 000円そこそこです。 当時、 初任給からみた外食の価格はまだまだ高かったの
です。 しかし、 価格凍結宣言によって”外食は贅沢”というレッテルを返上すること
ができたのです。 
 
 こうした施策によりオイルショックで各社が投資を控える中、 当社は毎年、 店舗、 
社員数、 売上、 利益共々に倍々と規模を拡大することができたのです。 

 
   
 
安く、 美味しく、 便利で、 だれもが
安心してご利用できるレストラン 
  では、 FRとはどういうお店でしょうか。 ファミリーでのご利用が多いためファミリー
レストランと考えられがちですが、 語源はまったく違うのです。 当時のレストランはハ
レの場であり、 ある意味では慇懃無礼な場でもありました。 まして、 子供が騒いだり、
走り回ったりすると追い出されんばかりの雰囲気でした。 
 
 そこで当社は、 「ホテルの味を半額で」 というメインタイトルと共に 「ファミリーも
安心してご利用頂けるレストラン」 をサブタイトルで唱ったわけです。 このサブタイ
トルは、 外食を多くの方々に気軽にご利用頂きたいという意味です。 安い価格で提供
することは勿論、 メニューも幅広く揃え、 お子さん連れでも、 ファミリーが安心して
お食事をして頂ける場、 そんなレストランを標榜してFRが誕生したのです。 
 
 FRは49年頃からその体制を整え、 産業としての飲食業が軌道に乗り始め、 マスコ
ミの注目を集めるようになったのです。 この新しい産業を紹介するために業種・業態
を何と表現するかに困ったある記者が、 「ファミリーも安心してご利用頂けるレストラ
ン」 のサブタイトルを語源として名付けたのが 「ファミリーレストラン」 であり、 こ
れが市民権を得たのです。 


 
 
 
ハレの場から日常の場へ お客様の変化
 この20年間にお客さまの求めるものが様変わりしています。 色々なことが変化してい
ます。 サービスについては全て店依存型であったものが、 今ではむしろ煩わしく感じら
れ、 お客さまが自分で好きに、 自由にしたいというようになって来ました。 来店動機も、
最初の頃は家族の誕生日、 記念日など 「ハレの場」 として位置付けられていましたが、 
今では、 忙しくて晩ご飯の用意ができなかったからFRで、 というように 「日常の場」 
へと大きく変わってきました。 これに合わせて、 メニューもハレの料理から日常の料理
へと変わってきています。 
 
 このことは、 ハレの日を大切にしてきた日本人が、 豊かな生活を経験するにつれ、 「
ハレ」 と 「日常」 の境目が薄れて来たことを指しています。 晴れ着と普段着に殆ど差が
なくなってきたように、 食事も同じ傾向を示し始めています。 
 
 こうした変化で何が起きたかといえば 「ハレの場だから少々価格が高くても美味しい
もの」 から、 「何時も安くて美味しいもの」 へと価格コンシャス (価格に対する意識) 
が大きく芽生えてきたことだと思っています。 
 
企業と顧客のギャップ
  慶應大学の井関教授が、 昭和35年から50年頃まで10人1色、 皆んな右にならえという
 時代、 高度成長がさらに進み個性化、 多様化して10人10色を通り過ぎ、 60年以降は1人
 10色の時代に入ったと言われています。 これは一人の人が、 その時々の状況により、 好
 みや価値観が変わることを言っています。 
 
   高度成長が始まった昭和 35年以降、 日本中の全ての物づくり、 サービスのあり方は 
 「より楽しく」 「より快適に」 といった一つのコンセプトで貫かれ、 企業と顧客の関係は、 
 「豊かさを求める」 という双方共通の合言葉によって概ね良好であったと言って良いと
 思います。 
 
   しかし、 バブルが弾けた今では、 企業サイドの考える良い商品と、 お客さまが求める
 良い商品とには大きなギャップが顕在化し始めてきたと思います。 企業が考える良い商
 品とは、 良い材料、 良いデザイン、 良い技術を使っているから良い商品だと今も考えて
 いる。 ところがお客さまは、 その時々の動機を満たしてくれる商品が良い商品だと思う
 ようになってきています。 
 
   例えばビデオカメラやビデオデッキの本来の機能は、 収録して再生できることですが、 
 付加価値と称してその機能を大きく超えて、 いろいろな機能を付加し、 一生に一度も使
 わないスイッチが幾つも付いている。 その結果、 そのコストはお客さまが負担させられ
 る。 マニアは別として多くの人にとっては無用の長物であり無駄な支出でしかありませ
 ん。 別の例を上げますと、 「駅そば」 と 「老舗のそば」、 この二つを並べて食べ比べると
 確かに 「老舗のそば」 に軍配が上がります。 しかし、 時間の無いときに急いで食べる 「
 駅そば」 は結構おいしいものです。 決してチープ (安っぽい) とは思いません。 
 
   この様に、 その状況、 動機によって求める商品、 品質は異なり、 その動機を満たすこ
 とが出来る物が、 良い商品でありサービスであるという認識に立つことが大切だと思い
 ます。 
 
   ついこの間まで、 真の意味で消費者が自分に必要な商品、 品質を選べるということが
 出来なかった時代を経て、 バブル崩壊後に、 自分にあったものしか買わないというはっ
 きりとした価値観が芽生えてきたと言えます。 
 
   これからの豊かな消費生活とは、 選べることができることだと思います。 

 
 
 
食の外部依存率の高まりと食のホビー化
   主婦の社会参加が年々増えています。 働くということは、 昔のような家計の足し
  というより、 むしろ、 やりがい論、 社会に役立ちたいという気持ちから働く人が多
  くなってきていると思います。 
 
    これまで、 主婦の社会参加を妨げたものに家事があります。 家事と称される掃除、 
  洗濯、 裁縫、 炊事、 育児の5つの仕事は、 今や、 主婦の手から一つ一つ解放されつ
  つあります。 
 
    高度成長が始まってからこの方、 家事労働は急速に省力化の方向に進んでおり、 
  掃除、 洗濯がその代表的なものといえるでしょう。 また、 現在では死語となってし
  まったのが裁縫です。 裁縫が主婦の手から完全に解放された要因として考えられる
  ことの一つには、 核家族化により、 うるさく言う姑さんが居なくなったこと。 一つ
  には、 夜なべをして家庭で作るより既製品を買った方が安いという 「価格逆転現象」 
  が起きたことです。 その結果、 裁縫はホビーとして辛うじて残っているといっても
  過言ではありません。 
 
    食もこれと同じ道を歩むものと予測しています。 レストランではいま土・日・祝
  日の売上は平日をはるかに上回っていますが、 21世紀には、 これが逆転すると私達
  は予測しています。 どこの家族でも、 ウィークデーには、 それぞれに何等かのかた
  ちで食事を済ませて帰宅する。 逆に週末、 休日には家族揃って材料を買い揃え、 料
  理づくりに励み、 自宅で食事を楽しむようになるのではないでしょうか。 つまり、 
  食のホビー化が進むものと考えられます。 
 
    既に食べ方によっては、 外で食事をした方が安いものや、 楽なものがあります。 
  現に、 まな板を使う人が減少しており、 逆転は時間の問題ともいえると思います。 
  そして、 家事として最後に残るのが 「育児」 ではないでしょうか。 
 
 
外食既存業態のコンセプト疲労
   お客さまの変化は突如としてくるものではありません。 しかし、 毎日少しずつ
  確実に変化しているのではないでしょうか。 先程お客さまの変化について少し触
  れさせていただきましたが、 豊かさを体験し、 非日常から日常へと変化してきた
  今、 我が外食産業に当てはめて考えますと、 豊かさを実現しようと生まれたファ
  ミリーレストランのコンセプトも20数年が経ち、 既に金属疲労にならぬコンセプ
  ト疲労を起こしていることを謙虚に受け止めなければなりません。 
 
    つまり、 豊かさを求めた時代のマーケティングから、 豊かさの中のマーケティ
  ングへと大きく転換する必要に迫られているのです。 



 
(株)すかいらーく第2の革命
  すかいらーくは23年前FRという外食革命を起こしました。 しかし、 自ら造った
 FRのコンセプトを、 今、 自ら破壊し、 第2の革命を目指そうとしています。 
  
  この20年間外食を、 より楽しく、 快適にと考え、 ああもしたい、 こうもしたい
 と、 いろいろなことをやって来ましたが、 結果的に価格に跳ね返ってしまいまし
  た。 一方で、 「 今日は外食にしましょう、 でも、 食べるだけでいいのよ」 とおっ
  しゃるお客さまが増えてきています。 コンビニエンスストアでお弁当が多く売れ
  るのも、 「今日は時間がないからお弁当にしよう」 ということだと思います。  こ
  の人達の受け入れが外食産業には出来ていなかった、 ニーズがあっても対応しき
  れていなかったと反省しています。 
 
    そこで、 当社では、 新しいコンセプト 「ダイニング・ハウス"ガスト"」 を92年
  の3月に誕生させました。 ガストが目指したのは、 お客さまにとって、 もはや外
  食の多くはハレの場ではなくなり、 日常の場として位置付けられているのではな
  いかという仮説に基づいているのです。 
 
    今までの発想を百八十度変えて、 我が家の食卓・お茶の間代わりに気軽にご利
  用いただけるレストランがあっても良いのでは。 これがダイニングハウス"ガスト"
  の出発点なのです。 そのためには価格を更に引き下げ、 半額となる位に設定し、 
  お客様の来店頻度を高めていただく。 また、 サービスも日常の場として求められ
  る新しい提案をしなければなりません。 
 
    レストランをお茶の間がわりにご利用になろうとしているお客さまにとって、
  席に案内されるまで入口で待たされるのにイライラされる方もあるのでは……。 
  そんなふうにサービスのあり方を見直して再構築しようと試みたのです。 そこで
  来店されたお客様は、 自分のお好きな席に自由に座っていただく。 ドリンクも自
  分の好きな飲みもの (13種類) を飲みたい時に自由に何杯でもお飲みいただける
  よう、 ホットドリンクバーを設置しました。 オーダーは、 メニューが決まればお
  客様の卓上のベルを押していただく等々、 従来のレストランから見ると、 大胆過
  ぎるくらいにシステムの変更を行いました。 
 
    余談になりますが、 昔、 出張で飛行機に乗れるのはエリートビジネスマンであ
  り、 一部の人達のハレの乗物でした。 国内線でもスチュワーデスの至れり尽くせ
  りのサービスが売り物でした。 ところが今のビジネスマンは、 飛行機を利用する
  ことは日常となり極めて機能的に選択しています。 つまり飛行機本来の機能であ
  る、 遠距離を早く・安全に目的地に行くことを優先しているからです。 スチュワ
  ーデスの至れり尽くせりのサービスは必ずしもビジネスマンにとって必要とされ
  ず、 仕事で疲れている人にとっては、 むしろ煩わしい場合もあります。 
 
    ところが休暇をとって奥さん同伴で旅行をする時は、 スチュワーデスのサービ
  スを受けた方が楽しく旅ができる。 つまり一つの商品でもその利用動機によって、
  別のサービスを求める時代に入っていると思われます。 
 
    この例から言いましても、 私達は"ガスト"のように外食全てが低価格であるべ
  きだとは考えておりません。 それぞれの外食動機によって店を使い分けることが
  出来ることが、 豊かな食生活ではないかと思っているからです。 外食市場を三角
  錐に例えるならば、 頂点には高級料亭やレストランが位置し、 ガストはその土台
  に近いところで、 我が家の食卓がわりに使いたいとおっしゃる方々の動機に応え
  ていけるのではないかと考えています。 

    
    以上 「すかいラーク」 の生い立ちから 「ガスト」 の誕生まで、 当社を中心に、 
  20数年間の外食の歴史から見たお客さまの変化等をお話しいたしました。 私ども
  も、 絶えず自分なりの仮説をもって、 お客さまの変化に対応しなければならない
  と考えています。 
   この20年間にやって来たことは、 まさに豊かさを求めたマーケティングでした。
  バブル崩壊を機に豊かさの中のマーケティングとはどうあるべきか、 21世紀には
  お客さまがどのような変化をされているのか、 そして、 当社はこの変化に素早く
  対応して、 第3、 第4の革命を起こさねばならない時期が早晩来るものと真剣に
  考えています。 




 

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