★ 巻頭言


新ラウンド後の畜産

日本経済新聞社論説委員 岸 康彦


分かれる農業合意の評価

 初めにマスコミで働く者の一人として反省を含めて言えば、昨年12月に終結し
た関税貿易一般協定(ガット)の多角的貿易交渉(ウルグアイ・ラウンド=新ラ
ウンド)について、日本の報道には二重の意味で偏りがあったと思う。一つはい
つものことながらニュース・ソースが米国偏重だったことであり、いま一つは報
道対象が著しくコメ偏重だったことである。その結果、新ラウンドはまるで日米
二国間のコメ交渉であるかのごとき印象を国民に与えた。実際には、新ラウンド
には118もの国が参加し、文字通り多角的な貿易交渉を行ったことは言うまでも
ない。

 さて新ラウンド農業交渉の評価は、「コメは関税化を免れた」と読むか、「コ
メ以外は全て関税化を免れなかった」と読むかで変わってこよう。どちらに重点
を置くかは立場によって違うだろうが、忘れてならないのは、交渉全体の流れは
あくまでも関税化にあり、コメの関税化6年先送りという決着は「特例措置」に
すぎないということである。

 コメの場合、日本は関税化反対を貫いたことになるが、実際には、関税化した
方が不利かどうか(裏返せば特例措置が日本にとって得になるかどうか)は、正
直のところ今後の推移を見なくては分からない。関税化される各品目の輸入価格
は、高率関税の採用により2000年になってもほとんどが現在の国内価格を上回る、
という推計もある。 

 畜産物で言えば、関税化とはいえ脱脂粉乳やバターの国家貿易は維持されるし、
マークアップ(輸入差益)も徴収できる。豚肉でも実質的に差額関税は残ること
になった。新ラウンド終結時点の農水省の説明でも、これに特別セーフガードを
加えれば関税化への対応は万全と言いたげな口ぶりだった(当然ながら生産者側
の見方はまた別だが)。もしそうだとすれば、ひと足先にもっと不利な条件で関
税化された牛肉は不運というほかない。
「経営展望」の裏付けは

 しかし問題はむしろその先にある。差し当たり関税化対応が十分だとしても、
国内の畜産の体力が落ちてしまえばそれまでである。農業団体は畜産農家を安心
させるために自給目標を設定するよう求めており、それはそれとして意味のある
ことだと思うが、関税化(つまり輸入制限なし)の下で目標を守り通せる保証は
あるのかどうか。やはり基本的には経営の強化が将来を左右することになる。

 畜産農家の減り方は驚くほど速い。1988年と93年の対比でみると、飼養農家数
は乳用牛で28%、肉用牛で24%、豚は57%、採卵鶏も37%の減少である。その間、
飼養頭羽数は豚の8%減以外は多かれ少なかれ増えており、1戸当たり飼養規模
は豚を含む全ての家畜で拡大した。飼養農家の急減を畜産の衰退ととらえるか、
それとも規模拡大が進んでいることを重視するか、これまた見方は分かれようが、
市場開放時代を生き抜くために規模拡大が要求されることだけは間違いない。要
は規模拡大に実力が伴っていくかどうかである。

 農政審議会は「新政策」(新しい食料・農業・農村政策の方向)の具体的目標
として、昨年秋に畜産、青果、畑作部門のおよそ10年後の経営展望をまとめた。
畜産の場合、酪農は北海道で経産牛80頭、都府県で40頭、乳用種肥育では肥育牛
200頭、肉専用種肥育では100頭、肉用牛繁殖(水稲6ヘクタールとの複合)では
成雌牛20頭という規模を示した。生産性向上によりコストは2〜4割下がるとし
ている。(養豚、養鶏についての展望は示されていない。)

 私にはこの数字の妥当性を吟味する能力はないが、先に見たような規模拡大の
進行具合からすれば、この目標は手の届かない数字ではあるまい。とすれば、せ
っかくの規模拡大目標を絵に描いたモチに終わらせないことが肝要だが、例えば
肉牛経営者の中には、この程度の規模では安い輸入牛肉に太刀打ちできない、と
いう声があることも事実である。だとすれば目標はさらに大きくなる。

 規模拡大にはむろん投資が伴う。食肉も牛乳も価格低迷傾向が続く中で、コス
トダウンのための規模拡大 → 設備投資 → 借金の増加 → 経営内容の悪化とい
う図式を逃れるために、農家と政府は何をすべきなのか、何ができるのか。経営
展望をどう裏付けして行くかが次の課題になる。


農業理解へ働き掛けを

 規模拡大の阻害要因として、これからは環境問題がますます大きくなる。規模
拡大の上限は地域ごとに環境問題を起こさない範囲で決まるようになるだろう
(すでになっている?)。どの産業でも悩みのタネだが、環境保全投資は経営収
支にプラスするわけではない。しかし今日では、それを当初から経営に必要な出
費として予定しなくてはならない。いわゆる外部不経済の内部化である。

 経営効率の低い農業の場合、安い輸入品の攻勢を受け止めながら、どこまで内
部化に耐えられるのか。欧米でも早くからそれが社会問題化し、糞尿処理施設に
対する助成などの政策的支援が行われていると聞く。その前提としては、畜産に
「不経済な」政策的支援をするだけの意味があることを国民全体が認識しなくて
はならない。

 そのために農業の側からの積極的な働き掛けが不可欠である。畜産だけでなく
農業全体について言えることだが、もっともっと消費者、とりわけ地域住民との
接点を拡大しなくてはいけない。難しく考えすぎることはないのである。例えば
朝市でもレストランでもいいから、地元でとれたものやその加工品を、まず地元
の人に提供して味わってもらう。意欲的な農業者はすでに個人やグループでそう
した試みをしているが、もっと組織的に、農協のAコープ店を活用するなどの方
法を工夫できないか。その方が品ぞろえ一つとっても有利なことは自明である。
農業理解の原点はそういう「近所付き合い」にある。

 交流といえば消費者とのそれだけでなく、地域の農業者のネットワーク化を考
えなくてはならない。近ごろ畜産農家の「孤立化」現象をよく耳にする。集落に
酪農家は一戸だけ、などというケースが珍しくなくなりつつある。先にあげた経
営展望では、例えば酪農の場合、飼料生産部門については機械の共同利用、収穫
時の共同作業を前提にしているが、孤立化した酪農家はどうしたらいいのか。

 このことは畜産農家同士の関係にとどまらない。酪農家や肉牛農家が稲作農家
と契約してワラをもらい、敷料に使ったあと堆肥として稲作農家に還元するとい
う関係は、今や広範に普及している。しかし生源寺真一・東大助教授は酪農の全
国調査結果から、そういう結合が困難になりつつあると報告している。稲作農家
が高齢化するにつれて、堆肥の運搬はもちろん、水田に撒く作業までの一切を畜
産農家が引き受けさせられるケースが出てきた、というのである。地域の農業を
部門ごとにではなく、全体として支える体制が必要になる。そういう意味で自治
体の役割は一層重要さを増していると私は思う。


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