★専門調査員レポート


周年放牧で底力をつける肥後あか牛

  農業ジャーナリスト 増 井 和 夫


 
1 はじめに
 先般、 公表された食料需給表によると、 平成4年度に5割を割り、 49%になっ
た牛肉の自給率は、 平成5年度には更に44%にまで落ち込んだことが、 明らかに
なった。 安い輸入肉の影響は牛肉のみならず豚肉等にも及んでおり、 この傾向は
今後も強まりこそすれ、 弱まることはない。 新しい貿易体制のもとで、 関税率が
順次引き下げられて行くからである。 
 
 そうした中で、 肉用牛経営、 特に肉専用種繁殖経営はどう発展すれば良いのか。 
土地利用型畜産と呼ばれながら粗飼料まで輸入品に依存し、 輸入原料加工業の性
格となった場合の存在意議は何であるのか。 そのようなタイプの一部の生産者は
地域との結びつきも稀薄となり、 ふん尿処理等環境に対する問題も多く、 地域社
会にとってマイナスの要素にさえなっている例もある。 
 
 これに対して、 本来の土地利用型畜産は、 地域の土地資源を最大限に活用し、 
地域振興の一環として機能する所に重大な意義がある。 むろん、 そのためには、 
畜産経営自体の収益性が確保される事が大前提であり、 飼料基盤の確保と活用が
カギとなる。 電話1本で確保できる輸入粗飼料の給与とは異なる発想も必要であ
る。 
 
 繁殖経営多頭化の1つのキーワードとなっているのが放牧だが、 従来は冬期に
放牧草の減少から放牧の実施が困難であり、 別途粗飼料を準備する必要があった
ため、 この部分がコストアップの要因になっていた。 
 
 そこで今回、 その問題を解決するために周年放牧に挑戦し、 実践段階に入った
事例を阿蘇に訪ねた。 
 
 阿蘇だからできるが、 我々の所は無理だと考えないで欲しい。 周年牧場は北海
道でもできるし、 遊んでいる水田裏作地も身近かにあるはずだから。 
 
 
2 経営メリット示し放牧推進
低コスト肉用牛経営の調査 (阿蘇農業改良普及センター) 

 放牧の効果について、 肥育面も含めて、 広く認識されるようになって来ている。 
それが、 生産費や損益計算などの面で計数的に明らかになれば普及も早い。 
 
 阿蘇農業改良普及センターの那須利八畜産係長は、 管内の低コスト肉用牛経営
の調査を行い、 その中から特色ある5事例について、 分析している。 また、 今回
の調査にも全面的に協力いただいた。 
 
 放牧を重視し低コストを図る経営の事例調査は、 平成4年の1月から12月まで
の丸1年間についての技術内容から損益に関するまでわたっているが、 ここでは
主として放牧の状況とその効果をみることとする。 
 
 表はAからEまでの5つの経営の状況である。 まずA経営の資本抑制型は、 ビ
ニールハウス牛舎、 中古機械の活用などの特色を持つが、 これは放牧でなくても
応用できる。 また放牧期間が長いことから、 成雌1頭当たりの年間労働時間は70
時間と短かく、 褐毛和種 (以下 「あか牛」 という。) の舎飼いの平均とされる124
時間、 (社)中央畜産会調査による黒毛和種の149時間の約半分になっている。 
 
 B経営は後述する井信行氏のもので、 ASP方式 (Autumu Saved Pasture 秋
以降のために夏の利用をセーブした牧野の利用法) 利用のほか、 一部は周年放牧
を実現している。 

 C経営の特色である親子放牧は放牧地での自然分娩のあと、 子牛が4〜5カ月
齢になるまで親と一緒に放牧するものである。 あか牛の泌乳量の多さが役立ち、 
阿蘇地方でもかなり普及しているが、 草生の状況によっては、 子牛にだけでも高
栄養の飼料を補給することが必要である。 
 
 D経営は小野哲也氏でこれも後で詳しく紹介する。 E経営は、 阿蘇地方にごく
一般的に行われているものである。 役牛時代からなじんだ夏山冬里方式で、 年配
者の牛に対する気持ちにも合うものである。 この方法でも成雌1頭当たりの労働
時間は、 約77時間と大幅に節減されている。

放牧利用による収益の向上

 次に子牛1頭当たり生産原価をみると、 B経営では156,946円、 D経営では
141,421円であった。 これは自家労働費以外の生産原価で、 舎飼いあか牛の213,322
円、 黒毛和種の234,316円にくらべ大幅なコストダウンになっている。  

 調査農家5戸平均の156,891円は、 購入と自給の粗飼料費のほか、 減価償却費
も安くなっている。 放牧子牛の生体単価は舎飼いと同水準になったので、 コスト
ダウンの効果は、 そのまま収益向上につながる。 

 平成5年の子牛市況を反映してのことだが、 成雌1頭当たりの損益では、 子牛 
販売収入が調査農家5戸平均で236,866円に対して、 舎飼いのあか牛は238,324 
円、 黒毛和種357, 116円であった。 しかし、 所得は順に80, 042円、 21, 210円、  
148, 797円と差があり、 所得率にすると放牧主体の調査農家の約34%に対し、 舎 
飼いのあか牛では約9%と大きな差がついている。
 

3 組織的に牛群改良し放牧子牛に誇り
  

あか牛の農協 南阿蘇畜産農業協同組合

 「放牧育成の日数を、 子牛市場の出品名簿に書き入れるようにしたのは、 昭和60
年2月市場からです」 こう語るのは阿蘇郡高森町を本拠とする南阿蘇畜産農業協
同組合 (穴見盛雄組合長) の後藤幸男参事だ。 
 
 最近では、 放牧育成子牛が舎飼育成子牛と比較して足腰や内臓等が強健であり、 
繁殖牛としてはもちろん、 肥育素牛としても肥育後期までの飼料の食い込みが良
く、 最終的な肥育成績が良いことが常識となっている。 
 
 それにもかかわらず、 一部の生産者は同じ生体単価なら高く売れると考え、 舎
飼いで早くから濃厚飼料を給与して化粧肉をつけ、 そのために月齢の割に体重が
ある子牛を生産し、 買う側も発育が良く見えるので安心して高値で取引きされて
来た経緯がある。 
 
 しかし、 子牛の価値を正当に評価しての売買においては、 化粧肉なしの方が、 
その後の肥育経営にとって、 プラスになるのである。 
 
 広大な阿蘇の牧野を利用しての、 放牧飼育こそ、 阿蘇畜産の最大の特色であり、 
子牛の育成においても同様である。 
 
 南阿蘇畜協では、 常連的な子牛購買者が、 放牧育成子牛を、 資質にふさわしい
価格で継続的に購買することに着目し、 アンケート調査などを行い、 当時の一般
的市場では考えにくかった放牧歴を名簿に記入するようにした。 これはむろん現
在も同様に実施されており、 放牧育成に自信と誇りを持っているためにほかなら
ない。 
 
 南阿蘇畜協は、 昭和23年に発足し、 阿蘇郡南部の2町4村のほか菊池郡の一
部をも管内に持ち、 有畜農家数は1,358戸、 肉用牛総頭数は6,746頭、 生産頭数
は5,436頭 (平成5年) となっている。 地区総面積は51,000ha、 その70%が山
林原野、 そのうち原野が23%、 草地改良された牧野面積だけで1,699haほどある。 
 
  農協には11の支部があるが、 うち2支部は採草のみで放牧地を保有していない
が、ほかは程度の差こそあれ放牧しており、 昭和62年4月のデータを見ると、 子
牛市場に出荷される牛の35. 5%が放牧育成で、 特に放牧に熱心な野尻支部は78
%の放牧育成率になっている。 
 
 具体的な放牧方法は、 支部内でも各牧野ごとに分かれた牧野組合ごとに決めら
れているが、 広域農業開発事業が行われた南郷区域内の17牧場の状況について、 
県畜産課が平成2年までに行った調査によると、 次のような平均像になる。 
 
 入会権等を持っている牧野組合員の数は、 少ない所は3戸、 最大64戸で、 平均
26戸、 そのうち有畜農家の平均は14戸である。 
 
 草地利用は17組合とも放牧利用で、 放牧料金は年決めは4千円から1万円、 1
日当たりでは50円が3組合、 100円が1組合で差があるものの、 舎飼いより安あ
がりとなっている。 
 
 放牧延頭数の平均は1組合8, 204頭、 放牧日数は235日である。 つまり放牧期
間中平均35頭が放牧されていることになる。 


放牧育成子牛の評価 

 さて、 放牧育成された子牛の家畜市場での評価、 具体的な販売価格だが、 少し      
古いが昭和62年12月市場での非放牧子牛との比較データがある。 
 
  それによると、 雌は生体単価が放牧の方が若干安かったが、 数が多い去勢につ      
いては放牧子牛の方が高かった。 すなわち、 上場された去勢子牛のうち非放牧子      
牛409頭の平均単価は、 1s当たり1, 350円、 それに対し、 110頭の放牧子牛は      
1,359円であった。 その時の放牧子牛の出荷時日齢は298日、 放牧日数は3.6カ月、     
出荷時体重は293s、 DGは0.89s、 販売価格は39万7,500円である。 
     
  この頃は全般に子牛高であったが、 畜協扱いの去勢牛販売平均単価は、 平成元      
年の約43万円から徐々に下降し、 平成5年は25万円台まで下げた。 しかし、 平成      
6年は28万円台に回復、 緩やかだが上昇傾向に入っている。 ほかの明るい面とし      
て、 総飼養頭数の減少傾向はあるものの、 子牛生産数の落ち込みはまだ小さい点      
がある。 総飼養頭数に対する年間子牛生産頭数比率は、 昭和50年代は60%台、 昭      
和60年代に入り70%台、 平成4年から80%台に乗せている。  
肉質向上のための技術とデータを活用

 あか牛は黒毛と比較して、 肉質の斉一性の問題で改良の余地が大きいとされて
いるが、 南阿蘇畜協では、 高資質の改良基礎牛をふやすと共に、 ET技術の活用
でその加速化を図っている。 
 
 日本あか牛登録協会では、 平成5年4月にそれまでの外貌中心から能力中心の
登録制度に改正しているが、 南阿蘇支部が育種高等登録と、 高等登録の70%前後
を保有し、 改良の先頭を走っている。 
 
 これは、 3年ほど前から始めた受精卵移植の成果でもある。 6カ町村で南阿蘇
受精卵移植推進協議会を作り、 800万円の予算で始めたもので、 平成5年88頭、 
平成6年53頭の移植を行っている。 
 
 熊本県農業研究センター畜産研究所には、 昭和60年に受精卵移植によって造成
された種雄牛 「光重ET」 もいるが、 地域として重要な供卵牛については、 採
卵1回当たり15万円で供卵牛の提供者から借りあげ、 優良な遺伝的形質をもつ雌
牛を確保するなど、 雌系も重視した改良を目ざす。 

 受精卵移植に要する受益者の負担は、 15,000円におさえ、 不受胎の場合に人工
授精を行う費用も含ませている。 
 
 地区では、 地域内一貫経営の方向を目指しており、 昭和53年当時は250頭規模
だった肥育が、 現在は1, 500頭となり、 13戸で集中的に管理している。 12年前
から、 枝肉のデータをフィードバックさせ、 次の改良への資料としているが、 子
牛市場の控え室には格付見本のほか、 肥育出荷した枝肉の断面写真等が大きく展
示してあり、 ごく自然に子牛の生産者が最終製品の品質向上への関心を高めるよ
うになっていた。 
   
4 水田裏作利用で周年放牧
周年放牧に取り組む 阿蘇町小野哲也氏 

  夏は山の牧野で放牧し、 冬期は里におろして越冬用貯蔵飼料で舎飼いする 「
夏山冬里」 方式は全国各地で行われている。 
 
 この方式は、 放牧のメリットを活かせる期間が、 おおむね5月から10月の約
半年であるが、 高原野菜地帯等で、 冬期舎飼い期間のふん尿を有機質肥料源と
して期待する場合を除いて、 半年間の舎飼いがコストダウン、 省力効果を相殺
してしまう。 
 
 そこで、 放牧期間を延長する方策が各地で試みられており、 積雪地帯を除く
と、 水田裏作の利用が考えられる。 水田の裏作利用は全国で昭和40年当時は約
23%であったが、 平成4年には約15%と低下している。 裏作としての麦作など
の大幅減少のためだ。 
 
 水田裏作にイタリアンライグラス (以下イタリアン) を導入して飼料自給率
を高めている例は西南暖地を中心に多いが、 熊本県では採草利用でなく、 放牧
によって省力的に利用できないかと、 平成元年から放牧新技術定着化促進事業
として、 水田裏作放牧事業を手がけ、 実証展示農家として選定されたのが小野
哲也氏である。 
 
 小野氏は、 当時水田5. 5ha、 繁殖牛 (あか牛) 25頭のほか、 乳雄肥育60頭も
手がけていた。 
 
 水田へのイタリアンの播種は9月14日で稲刈前、 つまり水稲立毛播種であっ
た。
 
その後、 水稲収穫後に耕起播種も試みたが、 省力的な立毛播種で十分であるこ
とが確認されている。 イタリアンの品種はワセユタカであり、 現在も同じもの
を使用している。 
 
 平成5年の冷夏、 同6年の猛暑など年によって牧野の牧草、 野草の状況は異
なるが、 山から牛を里におろすのは、 12月末、 あるいは年あけでも良いという
ことであれば、 通年放牧に用いる裏作イタリアンの生育にも都合がよい。 
 
 むろん、 秋に播種したイタリアンを、 年内に放牧利用しても、 過放牧になら
なければ、 再生し、 年明からの再利用に支障はない。 
 
 小野氏は、 初年の1haから順次裏作放牧の面積を増やし、 現在は2haの区画
が1カ所、 1haの区画が2カ所の計4haを使用し、 冬期は常時10頭の放牧を行
っている。 現在はあか牛を中心に手がけ、 繁殖牛が27頭、 肥育牛を20頭飼養し
ている。 
水田裏作にかかる生産コスト

 イタリアン栽培までは多くの畜産農家が経験しているが、 そこに放牧するに
はどのような条件整備が必要か。 
 
 まず基本は水田の基盤整備である。 小野氏の水田は、 昭和57年からの基盤整
備で、 乾田化と、 1〜2haの大区画となっていた。 周辺も1〜2haの大区画が
多い。 
 
 大区画化や乾田化は、 水稲栽培にも重要だが、 裏作にとっても重要で、 小区
画で交換分合等が行なわれていない水田では、 裏作放牧に重要な輪換放牧が極
めて困難になる。 
  
 次に、 放牧のための牧柵など直接に必要な施設があり、 給水の準備も必要で
ある。 初年度1ha分にかかった費用は、 全部で約51万円、 うち牧柵の約16万円
や電牧施設など牛を囲う施設全体で約36万円、 飲水施設約6万円で、 これらは
5〜15年の耐用年数である。 ほかに毎年必要な種子、 肥料代などが約8万円で
ある。 

 こうした投資が、 冬里の放牧費用としてどの位になるか、 放牧期間120日の
延放頭数が291頭で、 体重500sの牛1頭の採食量約60sを1カウデーとして、 
1カウデー当たり423円であった。 平成2年の場合1日当たり471円で、 その時
点での舎飼い費用を試算すると飼料と敷料代で484円であった。 しかし、 越冬
放牧ができることで、 牛舎などの施設費、 越冬用飼料の確保や毎日の給与など
の作業は大幅に不要になるので、 総生産コストは格段に軽減できる。 
 
 外囲の牧柵は別として、 輪換放牧のための電牧支柱の移動が放牧管理の作業
の中心となるが、 平均して、 1牧区の滞牧日数は約7日である。 
水田裏作放牧の実際

  小野氏が裏作放牧に踏み切る際に最も心配したのは脱柵である。 牧野での放   
牧経験の長い小野氏でも、 特に子牛とクセのある牛は暴走して飛び出すのを防   
げない。 そこで外柵の三段バラ線のほか、 所によってネット状の電牧用フェン   
スを用いている。  
  
  軟らかい水田での放牧で起きそうな蹄の病気や、 再三の採食でイタリアンの   
再生がどうかの心配も結果的に無用だった。     
  
  それは乾田化されていることに加え、 イタリアンの根系がしっかり張ってい   
ること、 準高冷地であり、 冬は表土が凍結気味になるためであるようだ。 
    
  今回訪問したのは1月下旬だが、 水田裏放牧されている牛は、 1月中旬に下   
山したもの。 1区画2haの水田のうち、 電牧で仕切られた40aを、 更に6牧区   
にわけ、 道路側から順次採食可能面積を広げる方法がとられていた。 
    
  道路側の飲水場は、 40aを使っている間は移動させる必要はない。 採食前の   
イタリアンは、 20p以上の草丈だが、 採食後は素人目には果して再生できるか   
心配な状況だが、 小野氏は大丈夫だという。     
 
  電牧の支柱はごく軽く、 アゼや水田にすぐ刺さるので移動も簡単だが、 電牧   
は夏の間はこの地方でも行われているあいガモ水稲作に役立つ。 それは野犬等   
の侵入防止のためだが、 償却費負担がそれだけ軽減されるわけである。  
  

小野氏の経営哲学

  ここで小野氏の肉用牛経営全般を見ると、 現在、 成牛が27頭で、 放牧はまず   
山の共同牧野で行い、 自然分娩、 親子放牧である。 共同放牧のあとは、 ASP   
方式による個人牧野で1月まで放牧する。  ダニは10年前からの駆除で、 今は
特別な支障ではなくなっている。 
    
  子牛はかつて10カ月齢出荷であったが、 5カ月齢での離乳後の期間が長いた   
め、 離乳してからの濃厚飼料給与期間が短かく、 かつ肥育前の飼い直しも不要   
な8カ月齢程度の出荷にむかっている。 更に子牛での出荷より、 個人あるいは   
地域内の一貫経営によって、 最も合理的な繁殖、 育成、 肥育のつながりを図っ   
ている。     
  
  幸い、 放牧育成や地元肥育の牛肉を積極的に評価する産直運動が阿蘇町を中   
心として堅実に育っており、 小野氏ら11名のグループで、 当面年間100頭程度   
をめざし、 新しい消費ルートに乗せることになった。     
  那須氏によると、 小野氏宅で始まった水田裏作を利用した放牧は、 現在7戸   
ほどに広がっているという。     
  
  生産から販売まで、 新分野に挑戦する小野氏だが、 あか牛全体の飼養戸数、    
頭数が減少していることについて、 副産物である乳雄子牛より、 実質的な子牛   
価格の補てん額が少なく、 繁殖経営に力が入らないためでないかと指摘する。 
    
  現在はあか牛の一貫経営に集中しているが、 かつて回転が早い乳雄肥育を経   
験していただけに実感がこもっていた。  
5 高冷地牧野での周年放牧
改革的仕事の推進役 産山村 井信行氏   

  産山 (うぶやま) 村は、 阿蘇外輪山の山並みにあり、 久住高原につらなる牧   
野は、 標高1, 000b前後、 冬には零下5度の低温にもなる。 九州とはいえ、 寒   
さは厳しいが、 それでも通年放牧されている牛は、 枯草のように見える牧野を   
元気に歩き回る。  産山村の上田尻牧野は、 周年放牧を実際の経営の中で初め   
て実施した牧野であるが、 その背景には新しい放牧技術がそこで試験研究され、    
経営の中で実証された経緯がある。     
  
  また、 とかく入会慣行などにとらわれがちな牧野の利用を、 大胆に近代化し   
、 肉用牛生産の場面でも、 多様な目的機能集団を、 いわば柔構造の姿で活用し   
ているのが特色だ。     
  
  井信行氏は、 現在は引退したが上田尻牧野組合長として、 上記のさまざまな   
改革的な仕事の推進役として活躍してきた。     
  
  広大な自然草地に恵まれていた産山村は、 大規模草地造成の点では、 阿蘇地   
方でも最後である。 産山村で草地造成が始まったのが昭和51年で、 地域のダム   
造成、 農道整備などもからみ115haほどが造成された。     
  
  この事業の導入をめぐり、 無畜農家と、 有畜だが造成草地を利用しないグル   
ープ、 そして草地を活用した肉牛生産に積極的な3つのグループに分かれ、 入   
会地権利調整に大変だったが、 積極派が譲歩する形でおさめた。 最後は上田尻   
牧野組合という目的集団に加わった24戸が、 改良牧野を含む300haという上田   
尻牧野の約半分を20年契約で専用する代わりに、 残りは不参加農家に配分する   
形でおさめられた。     
  
  300haのうち、 造成草地はその後にふえて現在130haほどになっているが、 そ   
れを含めて1haに1頭程度の放牧密度で、 放牧と一部採草に使われている。 
   

越冬放牧のための技術導入  

  周年放牧には、 春先きのまだ草の芽が小さい季節、 逆に春の盛りで牧草が伸  
びすぎて刈取り調整が必要な季節、 更には秋から冬にかけて草の生育が止まっ  
ている季節など、 草の状況に合わせた放牧や、 補給飼料の手当てが重要である。   
また、 従来のカンに頼る方法ではなく、 牧野の土壌診断に基づく施肥も、 牛に  
よるふん尿還元状態とあわせて適正に実施されなければならない。 
   
  上田尻牧野で、 周年放牧を実現させた大きな技術は、 ASP方式である。 こ  
のASP方式を産山村に持ち込んだのは熊本県西合志村にある農水省九州農業  
試験場の研究者である。 昭和50年から肉用牛の大型研究の中での実証研究の対  
象地として、 上田尻牧野を選んだためである。    
  
  井氏によると、 当時の上田尻牧野組合は、 20〜30代の若者が多く、 研究者に  
ついて夜を徹して牛の行動調査に参加するなど、 新技術習得への意欲も盛んで  
あったという。    
  
  秋以降のために、 夏の利用を控える方法は、 経験的に積みあげられた技術と  
して、 ほかでも利用されてきたが、 科学的な裏づけを伴って効果的に行われた  
ことは、 牧野経営にとっても、 また実証試験の成果としても重要で波及効果も  
大きい。 

 さて、 春の利用開始を早めるには、 改良草地を用い、 低温でも発育する草種  
を用いるなど当然だが、 上田尻牧野の場合、 一部舎飼いしている肥育牛などの  
堆肥を重点的に牧野還元している。  

 そのため、 自走式四駆のマニアスプレッダーを、 改良草地の平たんな所に走  
らせているが、 井氏の表現では、 「数百人分の仕事をしてくれる」 という。 5  
〜6月の余剰草など、 ロールベーラーを活用するが、 機械利用できる約100ha  
はもっぱら採草利用にあて、 冬期放牧の際の補足飼料にあてている。 

 周年放牧のためには、 越冬放牧がカギになるが、 そのために周年給餌のため  
の飼養施設、 冬期の補足飼料確保のための機械類への新規の投資が必要である  
ため、 牧野組合員の中でも7名の希望者で始め、 現在も40〜50頭がサイレージ  
等の補足飼料を与えられながら、 氷点下になる牧野で放牧されている。 
   
  角型サイロ、 施設は、 飼槽の上に屋根がある簡素なものだが、 井氏は初めて  
だったので金をかけたが、 もっと簡素に、 補足飼料の食べこぼしがでない程度  
で十分で、 寒さの心配は無用だったという。  

 また、 これらの牧野は集落から2qほどの位置にあるが、 牧野組合不参加の  
入会権者に分割した牧野は集落近くにある。 井氏はそのうち15haほどを借りて、   
32頭ほどの繁殖牛の越冬放牧に使っている。 牛舎は一応あるが出入り自由で、  
 「放しっぱなしにしている」 のだという。
 
  上田尻牧野では、 かつて年間 350万円分ほどの乾草を外部に販売し、 牧野管
理費用などにあてていたが、 現在は組合内の肥育部門で必要となり、 採草部門
との間で1個 300sのロールベールを1万円で決済している。 肥育部門は全員
参加しているわけではなく別会計となるからだ。

 
6 放牧育成がもたらした大きな自信
  ASP方式と共に、 放牧育成素牛の代償成長が、 実証試験で確認されたこと
は、 放牧の普及に大きな自信を与えた。 
 
  昭和50年代には、 放牧育成子牛は、 いじめられっ子であった。 舎飼い育成を
中心とした標準的発育にくらべ、 同じ月齢でも子牛の間は体重が乗らず、 子牛
市場で不当に買いたたかれる傾向が強く、 放牧後退の原因にもなっていた。 
 
  それは、 子牛市場出荷の段階では、 舎飼いによる肥満児的な子牛より、 体重
は軽く、 発育が悪く見えるため、 生体1s当たりの単価まで安値をつけられ、 
体重も小さく1頭当たり単価がでなかったためである。 
 
  しかし、 放牧育成によって、 足腰、 内蔵の強健な素牛は、 舎飼い育成の子牛
より良好な増体があり、 特に後期まで食い込みが良く、 最終的な肥育では舎飼
いに負けることがない。 
 
  放牧時代に、 成長が停滞していても、 肥育期間にその分をとりもどす代償成
長があるので、 放牧育成だからと素牛の資源が劣るものでないことが、 実証さ
れた意味は、 放牧の促進に重要な意味を持っている。 
 
  上田尻牧野組合と、 九州農試の共同研究の成果は、 肥育牛に対する粗飼料の
多給の面でも見られる。 それは、 オーストラリア等のグラスフェッドと異なり、 
重量当たりの栄養価が高いグラスサイレージの不断給餌などを伴うもので、 フ
スマ主体に濃厚飼料も組み合わせるが、 脂肪の色が少しも良くない。 しかし、 
産山の肥育牛が健康であることは事故がなく、 解体してからの内蔵の状態が良
いことでも明らかだ。 脂肪の色は、 逆に産山育ちの素性の証明でもあり、 生産
方法まで追求しての品質本位の消費動向を先取りしている形である。 そうした
特性を理解して、 特定の需要者に継続的に出荷されており、 今後供給増の要望
も来ている。 
 
  昭和50年代に青年だった組合員は、 いまや壮年となった。 井さん自身、 長男
雅信さんが肥育部門拡大へ取り組むのを見守っている形だが、 最近はまた新し
い技術に挑戦し始めている。 産山村でもET仲間9人が結束して、 ET部会を
作り、 産子の肉質が良いことが判明した繁殖牛を地元より貸り上げ、 採卵し、 
受精卵移植に加え放牧による産肉能力の高い牛を作ることに意欲的だ。 また通
常の人工授精に加え、 約1週間後受精卵移植を追いかけて行うことで、 ふた子
の生産も検討している。 「昨春にやったものが成功したので、 それを広げて行
き、 産子数を高め、 あか牛を増やしていくのが目標」 と話す井氏は青年のよう
であった。 
 
  産山からもA5ランクの牛が出ているのを県の情報で知り、 そうした供卵牛
も大いに活用して、 牛の資質レベルを高める、 そんな夢も現実になりつつある。 

7 おわりに
  阿蘇地方を訪ねたあと、 農林水産省九州農業試験場に立ち寄った。 高原草地、 
低標高草地のそれぞれの立地条件に対応した研究を行っているが、 放牧に関し、 
2つの方向が考えられ、 研究も進んでいるとの印象を得た。 
 
  それはシバ、 バヒアグラス、 イタリアン等を使い輪換放牧で土地の集約的な
活用を図るものと、 自然草地を組み合わせ、 その一部に高栄養草種を組み合わ
せることで、 輪換なしに広域利用する方法である。 放牧の省力効果を更に高め
るため、 大胆に牛を牧野に預けてしまう方法も確立されつつある。 
 
  今回の調査は、 文中に出た方々のほか、 特に熊本県畜産課、 阿蘇農業改良普
及センター等の関係者に大変お世話になり感謝する次第である。
 
 

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