★ 専門調査員レポート


牛肉直売に活路を求める肉用牛経営

―― バーベキューハウスの建設など ――

京都大学農学部 教授 宮 崎  昭


はじめに
   
  肉用牛の肥育を行っている経営で、 もっとも大きな悩みは、 丹精こめて仕上げ
た肥育牛が満足のいく価格で販売されるとは限らないことである。 子牛ならば持
ち帰って、 肥育していくこともできるが、 枝肉になってから評価が低いとなれば、 
泣き泣き売るしか方法がない。 肥育経営の規模が大きくなるにつれ、 経営者は販
売戦略を工夫し、 ときには 「すそもの」 に付加価値をつけていく工夫をしている。 
それを組合などが受け持って、 直売したり、 加工したり、 さらにはバーベキュー
ハウスをつくり、 客に直接食べてもらう試みをしているところもある。 今回訪れ
た2つの牧場は、 それをうまく運営しているところである。

1 鳥取県の美歎 (みたに) 牧場
東部畜産農協の牧場づくり 

 鳥取県東部にある東部畜産農業協同組合は、 大山 (だいせん) 乳業農業協同組
合を通して、 生産した牛乳の一部を京阪神に出荷していた。 しかし市場の拡大を
図ることは容易でなかった。 そのようなとき、 この組合がセールスポイントとし
ている「しぼったままの天然牛乳」 に共感した京都生協が、 昭和45年に大山乳業と
の間で、 牛乳の産直を始めることを決定した。 

  「もの」 の交流だけでなく「ひと」 の交流も大切と考える生協組合員は、 やが
てどんなところで牛が飼われているか見たいと考えはじめた。 都会の消費者の多
くは、 大山では広大な草原に乳牛が放牧され、 ヨーロッパあるいは北海道のよう
な酪農が行われているものと夢をふくらませるのであった。 しかし、 鳥取県東部
は大山の裾野にウシを放牧する中・西部とはちがって、 乳牛は舎飼いが中心であ
った。 そこだけを見学させれば、 都会の人は失望するに違いない。 何とか牧場ら
しいものをつくりたいとの願いで、 昭和45年に美歎牧場がつくられることになっ
た。
 
 組合員は農作業の合間をみて 「総事」 (そうごと、 全員総出で行う共同作業の
こと) を行い、 各々の能力を生かして、 金をかけずに美歎牧場の施設を整備する
ことに心がけた。 古い枕木、 古い電柱、 道路改修ではずされたガードレールを集
め、 さらに県下の建設会社が引きとってきた廃材を牧場敷地内に捨てさせ、 その
中から使えそうな古材をみつけ、 手づくりの牛舎やパドックを建設していった。 


       美歎牧場を望む。右の建物はバーベキューハウス


バーベキューハウスで牛肉を直売

 その後オイルショックに見舞われたこともあって、 厳しい生産環境が生じたが
、 酪農経営の内容を分析したところ、 牛乳で利益をあげているのに、 ウシの売買
では損をしていることが明らかとなった。 そこで従来、 家畜商まかせで売買して
いたウシ (乳用雄肥育牛と廃用の経産牛)を肉用に有利に販売するため、 農協が
積極的にその分野を担当することになった。 一方、 京都生協は魚貝と食肉の生産
・加工部門を独立させ、 京都協同食品プロダクト (株) を設立し、 その職員に家
畜商免許を取得させ、 みずからウシや枝肉の購買ができる態勢を整え、 東部畜産
農協との連携を強化した。 

 京都生協は牛肉消費拡大運動を推進し、 一方、 東部畜産農協は美歎牧場に哺育
施設、 試験肥育施設を設置し、 乳用種子ウシの哺育から肥育までの一貫体系を完
成させ、 食肉加工販売事業を開始した。 こうして新しい産直商品COOP美歎牛が誕
生した。 しかし、 この組合の食肉加工センターで生産される牛肉は、 必ずしもす
べてが同じ規格というわけでない。 「すそもの」 は思いどおりに販売できなかった
。 そこで一般の販売ルートに乗らない牛肉を地元の人々に直接食べてもらおうと
いうことになった。 そこで昭和56年に約50人が収容できるバーベキューハウスを
建設することにした。
 
 バーベキューハウスは中村昭一組合長のアイディアで、 古い電柱を活用し、 組
合員の 「総事」 で、 すべてが手づくりされた。 建築にあたっては、 安く仕上げる
こと、 お客が自分で牛肉を焼きやすいこと、 そして、 清掃が簡単にできることを
皆で相談しながら作業が進められた。 

 バーベキューハウスはその後、 来訪者が増加する中で、 つぎつぎと建て増しが
行われ、 現在四棟、 約500名近い収容規模にまで拡大した。 平成2年以降、 COOP
美歎牧場ふれあい事業が開始され、 企業や団体のイベント用、 消費者との交流用
といったさまざまな催しが行われ、 年間5万人がここを訪れるようになった。 


完全なセルフサービス

 このバーベキューハウスは一風変わっている。 来訪者はまず、 入口の売店に立
寄り、 利用についての 「お願い」 を読む、 その看板にはつぎのことが書かれてい
る。 

『1.受付で代金をお支払い下さい。 
 2.係員がお席に案内します。 
 3.ガスの点火は係員におまかせ下さい。 
 4.食事後のかたづけをお願い致します。 
 5.当施設はセルフサービスです。 後のお客様のためにきれいに利用して下さ
     い。
 
                         東部畜産農業協同組合』
  
 来訪者は受付で牛肉と野菜、 そして飲みものは自動販売機で好みにあわせて買
い、 さらにコップ、 ナイフ、 フォークを借りてハウス内に入る。 この野菜は組合
員が自分で生産したものを調理できる大きさに切って、 売店に持ち込んだもので
ある。
 
 席についた客は、 目の前の鉄板の上でセルフサービスで焼肉を調理して食べる。 
仲間同士、 歓談しながら、 食欲にあわせて、 肉、 野菜を食べ、 そして飲む。 もし
大勢の客が集まるイベントならば、 希望すれば野外で牛枝肉の丸焼きができる。 
ここはおおらかにも、 肉以外の持ち込みは自由である。 そこで魚貝類、 おむすび、 
果物、 飲みものなど持参で客が来る。 

 このようなバーベキューハウススタイルでは、 客が調理材料を持ち込んで自ら
が料理することになり、 牧場は場所の提供だけで、 食品衛生上のむずかしい問題
は生じない。 またすべて事前に予約を受けることにしているので、 毎日の牛肉と
野菜の準備量は必ず消費される。 牛肉は日を置かず利用されるので、 品質が低下
することはなく、 ロスにならなくて合理的である。 客は予約した以上、 雨の日に
も来るし、 時刻も指定されているので、 午後2時や3時でも納得のうえ来ること
になる。 それに加えて、 後の片付けもして席を立つことになっているので、 人件
費がほとんどかからない。 


      バーベキューハウスの受付              バーベキューハウスの内部


 経営努力で事業拡大 
 バーベキューハウスの客の回転をさらに早めるとともに、 客に喜んで遊んでも
らおうと、 近くにミニゴルフコースがつくられている。 ボールは近くのゴルフ場
から古いものをバケツ単位で買っているから実に安価である。 過日、 この牧場の
奥にある本当のゴルフ場からの帰路、 プロゴルファーの岡本綾子さんたちがバー
ベキューハウスで食事をしていた。 それに気付いた組合員の1人が、 ここのミニ
ゴルフをされませんかとさそったがコースには出られなかったそうである。
 
 子供たちに対しては、 ミニ動物園がつくられている。 ポニー、 シカなどととも
に、 さまざまな珍しいニワトリやアヒルがいる。 それが産んだ有精卵は、 1個30
円で飛ぶように売れる。 このような工夫をした甲斐があって、 昼間の客は食事も
そこそこに1時間以内にバーベキューハウスを出るので、 多くの客の予約をとる
ことができる。
 
 なお、 バーベキューハウスの近くにはアイスクリーム、 バター、 ヨーグルトを
製造できる乳製品体験学習工場があり、 消費者および各地の婦人組織も実習にや
ってくる。
 
 こうして、 東部畜産農協は年間2,500頭の肥育牛を牛肉として販売することに
なり、 これによって県下でも有数の食肉販売業者となった。 現在その約50%が京
都生協と鳥取生協に買い取られ、 残りの約50%は県内で販売されている。 後者に
はバーベキューハウスでの消費と農協直販店での直売部分が含まれる。 直販店は
農協の食肉加工センターの一隅の道路に面した場所にある。 そこには山のバーベ
キューハウスで食べた 「あの牛肉がおいしかったので欲しい」 という客が多くく
る。 そのため、 単位面積当たりの牛肉の売上げは、 県下の代表的なデパートの食
肉売場よりはるかに多いという。 客をみると、 大抵は1kg以上の牛肉を買ってい
る。 それは、 人が多く集まったときに使うからである。 店は土、 日も開け、 新鮮
な牛肉を加工センターからピストン輸送で運んでいる。 こうして、 毎日、 50万円
もの売上げがあるからものすごいことである。 



新しい展開を期待 

 この牧場が盛況を呈している背景には、 組合長を中心とした働くことが好きで、 
骨惜しみしない昔気質の人々が多いことがあげられる。 これは長年、 酪農を続け
た人々にみられる一年365日、 牛の顔を見ないことには落着けない体質の現れで
あろう。 しかし、 時代は刻々と変化している。 若い世代はどうしても、 ある程度
、 自由な時間を欲しがり、 また、 たまには家族連れで旅行もしたいと考えつつあ
る。 そういう若い人々を満足させる職場として、 この牧場を発展させるには、 今
後は新しい工夫も必要になるように思われる。 そのあたりについても、 この牧場
が良い見本を示してくれることを、 読者の多くは期待しているものと考えられる。 
「美歎だからこそ、 出来た」 と思わせないような、 新しい時代にふさわしい牧場
へと発展させて欲しいと願っている。
 
2 北海道の箱根牧場
酪肉経営で食肉加工も

 北海道千歳市にある (有) 箱根牧場は昭和39年に設立された。 当初は神奈川県
箱根町で酪農を営んでいたが、 借地していた飼料畑の更新にともない、 昭和45年
に北海道に移転してきた当牧場のオーナーは3代目である。 初代は明治時代に渡
米して、 酪農先進地で勉強してこられたという。 2代目は中国東北部 (当時の満
州)で酪農場を経営していたが、 戦後引揚げた。 そして3代目になって前述のよう
な事情で、 酪農を続ける新しい土地を取得したのであった。 最近まで、 この牧場
は、 搾乳に重点をおくだけでなくブリーダーとしても活躍してきた。 ところが、 
乳価の低迷や乳製品の輸入などで、 将来の経営を考えて、 生きのびるための多角
化を4年前から実施することにした。 

 この牧場は丘陵地帯に広がる約130haの農地を活用し、 搾乳牛80頭、 その他育
成牛や肥育中の牛120頭、 合計200頭を飼養している。 農地のうち半分は採草地と
放牧地に利用し、 残り半分は畑地として、 マメを主体とし、 大根なども栽培して
いる。 農作物の出荷先は、 コープ札幌が中心となるが、 青森県、 宮城県、 福島県
、 東京都、 愛知県などにも出荷している。 生協との取引量が多い理由は、 この牧
場で生産される堆肥を十分畑地に入れ、 有機栽培を心がけているからである。 

 近年、 乳牛個体の販売価格が低下しているため、 自社で生産した牛を原料とし
た牛肉の加工部門に着手し、 平成5年にはレストラン (ステーキハウス)とハム・
ソーセージ加工場を牧場内に建設した。 その翌年には公庫資金を活用して、 加工
場を拡張し、 あわせて体験加工工場を分離させた。 また、 豆類の加工も手がけて
いる。 

 ハム・ソーセージやローストビーフ、 ビーフジャーキーなどの加工によって、
ロース、 ヒレ、 サーロインのように精肉として消費者に販売する牛肉以外の部分
肉を付加価値をつけて有効活用することが可能になった。 



 渠根牧場ステーキハウスのテラスから牧場施設を望む
基本は土地の生産力

 牧場は3つの部門から成立している。 酪農、 畑作、 そしてステーキハウスと加
工である。 これを経営するためのスタッフは、 常勤の従業員が8名、 臨時が12名
の合計20名である。 冬季には秋に収穫したじゃがいもの袋詰めやマメの缶詰作り
を行って、 従業員の通年の雇用を実現している。 酪農部門も、 8年前から廃材利
用のフリーストール牛舎やミルキング・パーラーを利用し、 作業は省力化されて
いる。 こうした、 各部門の間で労働の省力化と融通によって、 週1回の休日を実
現している。 

  この休日と、 労働時間を決めていることから、 若い従業員を集めやすくなり、 
職場には活気がみられる。 
 
 箱根牧場は、 3代にわたる酪農の経験をもとに、 時代の変化にも経営形態を対
応させ、 あくまでも生産農場としての発展を求めている。 百姓がもっとも大切に
しなければいけないものは土地である。 その土地に力をつけておくと、 育つ植物
は丈夫になり、 農薬散布が少なくても栽培できる。 これを経験的に知っているか
ら、 ウシと土地の結びつきを重視している。 開拓から始め、 堆肥を土地に還元し、 
やがて牧草が多く生産できるようになっても堆肥の投入を続ける。 それによって
土地がさらに肥沃になれば、 牧草よりも生産性の高い畑作へと進めていく。 しか
し、 連作障害などが起こらないように、 この牧場では8年間の輪作を行っている。 
畑地は、 牧草3年で残りはデントコーン、 小麦、 マメ類、 野菜類とまわしていく
のである。 

 土地が肥えているところで栽培した秋ダイコンを牧場経営者の夫人の実家のホ
テルへ提供したとき、 とても良い大根だと言われて、 本格的にダイコンを売るこ
とになったという。 しかし、 ダイコン栽培に人手がかかりすぎてはよくないので
、 手抜きをするといって、 葉つき、 泥つきを協同購入にまわしている。 これも好
評という。
 
 そのほか、 8種類のマメも栽培し、 その一部は加工して、 缶詰で販売している。 
これも生協を通した流通が多くなっている。 これらの作物を栽培して感じること
は、 肥沃な土地で育てたとき、 湿害、 干ばつに強いことである。 他の農場で凶作
である年でも、 ここでは大きな被害がないという。



生協と強い結びつき

 肥育牛は札幌畜産公社の苫小牧工場でと畜・解体、 部分肉にしてから、 すべて
を牧場へ持ち帰る。 それを仕向け先別に整形して、 その一部を生協へ販売する。 
一方、 牧場内に残した肉は、 主としてロース、 バラ、 モモの部位を精肉として、 
ステーキハウス内で客に食べさせる。 古くから野菜販売を通した生協とのつきあ
いの中で、 組合員が牧場を訪ねてきたとき、 自宅の横の草の上で、 ステーキなど
を焼いていたが、 雨の日には困るので、 ステーキハウスの建設を考えたという。 
その後、 生協組合員を中心とした知人の口コミと、 旅行会社とのタイアップで客
数が増加した。 研修旅行、 修学旅行などでこのステーキハウスは観光コースとな
っている。 しかし、 この牧場は観光牧場ではなく、 あくまで生産農場である。 そ
こでじゃがいも掘りやバターづくり、 さらにはソーセージ類の加工の体験学習の
ための設備も完備している。 

 牧場へ持ち帰った牛肉の1/3程度はステーキハウスで消費され、 2/3程度は加
工して、 主として生協で販売されている。 主なものはソーセージ類で、 ウィンナ
ー、 フランクフルトが多い。 また、 ローストビーフ、 ビーフジャーキー、 スモー
クタンを、 消費者の好みにあわせて製造している。 東北地方の生協にはうす味の
加工品を送るという。 空港の売店では、 やはりみばの良い製品を並べたいとの注
文が来るので、 それにあわせている。 しかし、 現在のところハムは、 ポークのよ
うに消費者になじみがなく、 製造をしても、 その量はごく少ない。 

ステーキハウスの建築

  箱根牧場のステーキハウスは、 モダーンなレストランを思わせる造りになって
いる。 メインのステーキハウスには屋内に大2、 小3の計5つのテーブルがあり、 
ステーキハウスの中央に大きな調理のための鉄板が置かれたグリルが設置されて
いる。 室内はすべて木製で木のあたたかさを感じさせる工夫をしている。 外には
テラスもあり、 またそれ以外に山小舎風のステーキハウスが2棟、 そして、 天候
の良い日には周囲の草地の上でどこでもバーナー付きの鉄板を出して、 料理がで
きることになっている。 客は注文した牛肉と野菜をセルフサービスで焼いて食べ
るのが原則である。 

  しかし、 自分で焼けない人には、 牧場のレストランの担当者が焼いてあげるこ
とにしている。 この人員配置は、 パートの人を含め、 多いときは7、8名である。
 
 
  箱根牧場のステーキハウス              セルフサービスでステーキを焼く
 
夏季には訪れる客は多く、 旅行者が利用できる日を確認するほどである。 しか
し、 冬は雪の中だから、 客は減る。 そこで魅力ある遊びを考えつつある。 雪は圧
雪で1mとなる。 そこでツアー客だけでなくスキー客、 雪あそびに来る人々にも
ソーセージの加工やバターの製造を体験させる試みも考えている。 スノーモービ
ルや、 歩くクロスカントリースキーに人気が集まりつつある世相に対応した計画
も考えられている。 
 
  この牧場はもともと開拓からスタートしただけに、 市場を拡大するための営業
に不慣れであった。 しかし、 自分の生産物を自分で売りたいとの強い希望に支え
られ、 今日の発展をみたのである。 ただ、 加工体験のため、 牧場内に建てられた
ハム・ソーセージ加工場の中には、 日本にないため、 ドイツからとり寄せた小型
の加工機械のセットが数多くあり、 今後、 もっと多くの人々がここに集まらなく
ては、 もとがとれないのではと心配にもなった。 しかし、 誇り高き開拓牧場主が
本格的営業マンになりきって、 市場開拓に努力しておられるので、 これは取越苦
労となるに違いない。  


   ソーセージ加工体験のための施設

  

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