★ 事業団レポート


原価を安くすれば、 必ず儲かる 北海道小澤牧場の挑戦

企画情報部 安 井  護

「急拡大」 の乳オス経営


 2,200頭の乳オス肥育経営、 それも、 ここ3、 4年で倍々と増やしてきた。 今 年になって下げ止まりから、 反発しているというものの、 これまで、 輸入牛肉と 競合し、 価格が低迷しているのが乳オスである。 なぜ、 今、 乳オスを。 その理由 を知りたくて、 函館の近く、 北海道七飯町に小澤牧場 (有限会社大沼肉牛ファー ム) の代表者小澤 嘉徳氏を訪ねた。  小澤家は、 安政年間、 福井県から入植し、 代々、 畜産業を営んできた。 4代目 の父から経営を引き継いだときは、 酪農と家畜の売買が主体の経営であった。 酪 農経営では、 2年連続で町の最高乳量出荷賞を受けるなど優秀な成績であったに もかかわらず、 74年、 肉牛経営への転換を図った。 当時はまだ、 肉と言えば 「豚 肉」、 「鶏肉」 であったが、 「これからは、 食生活が変わり、 牛肉は伸びる」 と将 来を見通したからである。  【逆風を順風に変える経営者 小澤嘉徳氏】 ─────────────────────────────── 安政6年 小澤家初代、福井県から現在地に入植 1894年 小澤牧場創業 1969年 父から経営移譲  74年 酪農から肉牛経営に転換、第1号肥育牛舎(70頭)完成  78年 第2号肥育牛舎(180頭)完成  85年 第3号肥育牛舎(210頭)完成、法人化  88年 牛肉の輸入自由化決定  89年 第4号肥育牛舎(320頭)完成  91年 牛肉の輸入自由化  92年 第5、6号肥育牛舎(520頭)完成、1,300頭体制   95年 第7、8号肥育牛舎(900頭)完成、2,200頭体制 ───────────────────────────────

融資もままならず


 肉牛への転換後、 2号牛舎、 3号牛舎の建設と順調に規模を拡大してきた。 85 年には、 経営を法人化している。 この時点での肥育頭数は、 460頭。 ちょっと大 きな肥育経営という規模である。  大きな転機は、 88年の牛肉の輸入自由化決定である。 この時期、 小澤氏はさら なる経営拡大を計画していた。 周りでは、 自由化後の乳オス肥育について悲観論 が強く、 融資もままならなかった。 しかし、 米国に研修に行き、 「日本人の口に 合うものをつくれば、 輸入牛肉に十分対抗できる」 と実感し、 第4号牛舎 (320 頭) の建設を進める。  このとき、 融資を断られたことが、 その後の経営に大きな影響を与えた。 「今 に見ていろ、 絶対に成功してやる」 との強い決意である。  それが実現するのには長い時間はかからなかった。 4年後の92年には、 前回の 借金を返済、 自宅近くに別途土地を購入し、 第5、 6号牛舎 (計520頭) を建て てしまったのである。 枝肉が下がれば、 素牛も下がる。 その下がった素牛を肥育 すれば、 「ちゃんと儲かった」 のである。  昨年完成した第7、 8号牛舎 (計900頭) はスーパーL資金を利用している。 ス ーパーL資金を利用するには、 認定農業者であることはもちろん、 道、 町からの 利子補給も条件となる。 小澤氏は、 手続きを渋る町に対し、 そんな利子くらい税 金ですぐに返してやると言って、 説得。 町で第1号の適用となった。 これがきっ かけとなって、 2号、 3号の適用が続いている。  【昨年完成の8号牛舎(450頭収容)】 ● 3つの 「秘密」
 91年4月の牛肉自由化前から枝肉価格が低迷してきたのに、 なぜ、 こんなにも 規模を拡大できたのだろうか。  その秘密の一つは、 まず素牛の選定にあるようだ。 素牛は、 道内3カ所の指定 牧場から毎月150頭程度買い付けている。 この秋以降は、 200頭に増える。 指定牧 場では、 粗飼料を多給し、 内臓の丈夫な素牛を生産してもらっている。 買い付け に立ち会い、 1頭1頭吟味して購入している。 背がまっすぐで、 助に張りのある いい素牛には、 市場価格よりも20円〜30円/キログラムのプレミアムを支払って いる。 いい肉をつくるには、 いい素牛が欠かせないからだ。  二つ目の秘密は、 飼料代の違いである。 これが、 一番大きい。 1頭仕上げるの に約5トンのエサを使用するので、 トン当たり1万円違えばそれだけで1頭5万 円の利益の違いとなる。 大規模経営だから安くできると言われるかも知れないが、 努力次第だと小澤氏は言う。 はじめから、 有利にエサを購入できたわけではない。 「色々と工夫し、 苦労している」 のである。  三つ目の秘密は、 豊富な飼料基盤である。 デントコーン40ヘクタール、 牧草25 ヘクタールとしっかりしている。 粗飼料の約8割を自給し、 ふん尿処理にも困ら ない。 はじめから、 土地があったのではない。 父から譲り受けたのは3ヘクター ルだけで、 自分で買い足していったのだ。  出荷は、 全量、 ホクレンである。 定時・定量・定質がモットーで、 小澤牧場の 安定した品質の牛肉にはホクレンも満足しているようだ。 格付けもB3以上が5 割を超えている。  小澤氏は牛飼いを人から習ったことはなく、 「すべて自分で考えてやってきた」。 健康な素牛を導入し、 ストレスがないように導入時に除角している。  北里大学を卒業し、 米国で研修してきたA君を昨年10月に雇うまで、 息子さん と2人で経営に当たってきた。 今年、 2人目の社員を雇ったそうで、 2人とも小 澤氏の下でみっちり勉強し、 将来は独立を計画する、 やる気満々の若者だ。



・いい素牛   ・エサ代を安く ・自給飼料基盤

儲かることをなぜやらないのか


 小澤牧場の 「秘密」 が、 少しはおわかりいただけただろうか。 小澤氏曰く、「特 別なことはやっていない」 のである。 毎年、 各地から農協、 農家の方が研修にく る。 「小澤にできることが、 なぜ皆さんにできないか」 と問う。 すると必ず、 「む ずかしい」、 「きびしい」、 「あんたは特別だ」 と言われるそうである。  小澤氏は、 ひとこと 「厳しさが足りない」 と言う。 農業だからという甘えは捨 てて、 経営者として、 どうすれば儲かるのか、 儲けられるのかを真剣に考えてい ない、 「みんな、 行動よりも文句が先に来る」 と厳しい。 年表を見ると、 さも簡 単に規模を拡大してきたように思えるが、 牛舎を建てるには億単位の金が必要で、 それを計画し、 実行していくのは 「不安で眠れなくなるほど」 大変なことなのだ。  【駒ヶ岳をバックに92年完成の5,6号牛舎(合計520頭収容)】 ● 3,000頭への挑戦
 2,200頭体制にしたばかりで、 3億4千万円の借金を抱える小澤氏の頭の中に は、 もう既に次の計画がある。 それは3,000頭への拡大である。  最近北海道でも増えてきた和牛には取り組むつもりはなく、 あくまで生後21カ 月で出荷でき、 回転のいいホルを中心にやっていく。 今の牛肉の消費が増えれば、 赤身中心の肉の消費が増え、 大衆牛肉の需要はまだまだ伸びる。 国産には国産の 良さがあり、 輸入牛肉には十分対抗できると考えている。 また、 昨年商標登録し た 「はこだて大沼牛」 のブランド展開も進めていく。   「これからも、 消費者に安心して食べてもらえる牛肉作りを目指したい」 と小 澤氏は、 力強く話してくれた。
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