◎今月の話題


肉こそ健康と長寿の秘けつ

東京都老人総合研究所 副所長 柴田 博








肉なき時代の短命

 日本人にとって食肉の歴史は世界に例をみない特異なものである。仏教の伝来
以来、天皇から幾度となく「食肉禁止令」が出され、次第に一般庶民の食卓から
肉が消えていった。朝鮮半島も似たような歴史を一度経験したが、13世紀に蒙
古に支配を受けている間に食肉禁止の思想は一掃されてしまった。

 日本人の肉を欠いた栄養状態は平均寿命に関して著しいマイナス要因となった。
20世紀の初頭、欧米諸国の平均寿命は軒並み50歳を超えた。しかし、日本人のそ
れは30歳台に低迷していた。この頃の日本人の平均寿命は世界で60番目以下であ
ったとする寿命研究家もいる。日本人の平均寿命が男女とも50歳を超えたのは昭
和22年のことであり、欧米に約50年の遅れをとったのである。


戦後20年間の栄養と寿命

 戦後の5年間はほとんど飢餓状態であり、死亡率も昭和25年までは結核が第1
位を占めていた。戦後、魚介類の摂取は早く伸び、昭和25年には60gのレベルに
達している。現在100g弱であるから、いかに早く高レベルに達したかが分かる。

 昭和30年代の栄養状態が良かったとする学者もいる。しかし、昭和30年代の食
パターンの変化の特徴は、いも類が減って米が増えたことであり、動物性食品摂
取はまだまだ貧しかった。肉に関していえば、昭和35年の国民の平均摂取量は18
.5gであり、現在の4分の1にも達していなかった。肉の塊が食卓にのぼる家庭は
きわめて珍しかった。

 この昭和30年代は、昭和26年から国民死因の首位となった脳卒中死亡率が増え
続けていたのである。


昭和40年以後の栄養と寿命

 高度経済成長が食卓に反映しはじめたのが昭和40年といえる。肉と乳製品の摂
取が急上昇しはじめた。日本人はこの100年間、総熱量の摂取を変えていないの
で、増える食品があれば減る食品がある。30年代に増えはじめていた米の摂取が
急減しはじめた。

 このような食品摂取のトレンドと軌を一にして国民病である脳卒中死亡が減り
始めたのである。昭和30年代は「血管にコレステロールがたまると血圧が上がり、
そして脳卒中になる」という誤ったコンセプトが横行した。しかし、さまざまな
疫学研究とともに、日本の歴史そのものがこのコンセプトの誤りを証明したので
ある。

 欧米諸国では低栄養の病気である脳卒中死亡が減少すると過剰栄養の病気であ
る心筋梗塞がばっこしてきて、平均寿命の伸びに頭打ちがきた。しかし、日本は
欧米の轍を踏まなかった。脳卒中死亡は減少し、かつ、心筋梗塞による死亡は増
えなかった。その結果が日本に世界一の平均寿命をもたらした。昭和45年以後、
スウェーデンを抑えて、実質的に世界一の平均寿命を続けている。

 昭和40年代のドラスティックな食品摂取の変化は昭和50年代の前半にほぼ終わ
りをとげた。その結果、日本人の栄養状態は欧米人とアジア人(古い日本人もこ
こに入る)の中間に位置するようになり、平均寿命に好影響を与えている。


なぜ肉は必須か

 日本人のバランスのよい食生活にとって肉はどうしても不足しがちになる。
「年をとったら肉をやめて魚中心にした方がよい」といったミスコンセプション
がまだ一部に根強いのである。ここで魚や卵のみでは補い得ない肉の特異な働き
について整理してみよう。

 @鉄の供給源として肉がベストである。肉の赤い色を成しているミオグロビン
 のヘム鉄が人間にもっとも利用されやすい。

 Aアミノ酸の構成に関しては魚と大差はないがやや優れている。

 B肉の中の生理活性物質の1つであるセロトニン、これはトリプトファンとい
 う必須アミノ酸からつくられるが、神経伝達物質として大切である。これが不
 足するとうつ状態になりやすく自殺の原因ともなる。うつ状態が長く続くとぼ
 けにもなりやすい。同じく生理活性物質であるアナンダマイドも肉に圧倒的に
 多い。これは至福物質といわれ人間を幸福な気分にさせる。

 C人間に必須な脂肪酸である一価の不飽和脂肪酸と飽和脂肪酸の供給源となっ
 ている。人間にとって理想的な脂肪酸摂取の割合は、上の2つの脂肪酸に多価
 不飽和脂肪酸が1対1対1の割合で摂られることである。現在の日本人はほぼこ
 の理想の割合であるが、それは80gの肉を摂っているからである。

 日本人は魚介類と植物性の油を良く摂っており、多価不飽和脂肪酸は十分であ
る。しかし、一価の不飽和脂肪酸はオリーブ油に多いが、日本人の場合は肉の脂
より摂っている。肉の脂の50%以上は一価の不飽和脂肪酸である。飽和脂肪酸は、
牛乳・乳製品に多いがこれを1日100g少々しか食べない日本人は、やはり肉の脂
の30〜40%を占めている飽和脂肪酸に依存しているのである。したがって平均80
gの肉の脂肪を全部落として食べるなどというやり方は愚の骨頂なのである。

しばた ひろし  昭和40年北海道大学医学部卒業。東京大学医学部第4内科、東京都養育院付属 病院(現 東京都老人医療センター)等を経て、82年(昭和57年)より東京都老 人総合研究所勤務。現在同研究所副所長。

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