◎今月の話題


食品の品質管理システムと個人の責任

財団法人 食生活情報サービスセンター 理事長 谷野 陽






 マスコミで食品の事故が報道されることが多くなっている。その内容は人体に
有害な細菌や毒素のほか、異物混入、品質劣化などさまざまであるが、食品事故
としては古典的なタイプのものが多い。

 食品にとって安全性は何よりも重要な品質要素であるから、食品企業が細心の
注意を払うことは当然である。しかし、大企業では経営者が現場を掌握すること
は難しい。また、かつてのように各現場に名人がいるということが期待できなく
なった。一方、生産のロットが大きくなり、問題が起きると影響する範囲も大き
い。抜き取り検査には限界がある。これをカバーするものとして、システムによ
る管理が取り入れらるようになった。第3者機関の認証を取り入れることも多く、
その代表的なものがHACCPやISOである。

 それにもかかわらず事故が多発するのは、品質管理のシステムが有効に働いて
いないことを意味する。HACCPの承認を受けていた雪印乳業大阪工場で細菌毒素
の汚染が生じ、食品衛生の監督を担当する埼玉県の保健所でO157の検査ミスが起
きた。各企業での異物混入も品質管理システムが機能しなかったためだろう。食
品業界ばかりではない。神奈川県では環境ISOといわれるISO14000シリーズを取
得した工場が長期にわたり汚染物質を放出していた。

 これらの事実はシステムと品質との間で人間の要素を無視できないことを示し
ている。人間は紙に書いたシステムがないときは自分の判断と責任で事故を起こ
さないように万全の努力をする。ただ、その能力や努力には個人差がある。個人
差をなくするのがシステムの目的だが、副作用も多い。工場での改善運動は日本
の活力の源として「カイゼン」の名で世界に知られている。カイゼンは今までの
ルールが完全なものではないことが前提である。これに対して、外部の認証を受
けたシステムは、完全無欠なものであるという誤解を招き、担当者の注意力を働
かなくし、また多少は手抜きをしても大丈夫と考えさせるマイナスの効果がある。
HACCPはアメリカの航空宇宙局のシステムを取り入れたものだというが、アメ
リカの人工衛星も時々事故を起こすのである。

 もう1つの問題は企業における事故情報の取り扱いである。企業には苦情への
対応窓口があるが、その主たる機能は企業の負担を最小にすることにあり、でき
るだけ責任を認めない方法、安上がりの方法が採られる。このため、トラブルに
ついての苦情を「上に迷惑をかけないでおさめてしまう」腕が高く評価されるよ
うな企業風土ができやすい。雪印乳業の記者会見の席で担当者の口から経営者が
知らない事実が明らかになったのも、このような企業風土の反映だろう。

 この問題は個品トラブルの可能性をゼロにできるかということとも関係してい
る。身体、生命に及ぶ事故はゼロにするのが目標でなければならない。しかし、
それ以外の品質基準については、個品トラブル発生率の許容範囲を考えて良いだ
ろう。スリーナインは99.9%、すなわち1,000件に1件のトラブルを意味する。99
.9999%だと100万件に1件である。日本の企業は、9の数を増やすことに重点を
置きすぎて、トラブルを認めて円滑に処理するシステムを軽視しているのではな
いだろうか。当社の製品には万が一にも間違いはございませんというが、万が一
というのはフォーナインの精度であるというにすぎない。9の数を1つ増やすため
に必要なコストとトラブル1件について補償措置を含む処理費用を比較するとい
う考え方であれば、個品トラブルに対する対応も変わってくるだろう。

 最近、トラブル対応のシステムが売れているという。システムの失敗をシステ
ムでカバーするというのも不思議なことではあるが、最近の企業の対応を見ると、
それなりに意味があるのかもしれない。しかし、最も重要なことは、社会の中で
企業の責任が問われるとともに、企業内で個人の責任が問われるようにすること
であろう。日本には、会社全体、組織全員の責任という、個人の責任を問わない
「仲間にやさしい」風土がある。しかし、連帯責任の範囲が広がると無責任にな
る。日本でも個人の責任を重視する風土がなかったわけではない。幸田露伴の
「五重塔」には、大工の棟梁、のっそり十兵衛が、大嵐の夜に自分の建てた五重
塔が倒れたらノミを口に含んで飛び降りる覚悟で塔の最上階にとどまる情景がク
ライマックスとして描かれている。

 日本の社会システムは、「会社主義」、「護送船団方式」などと呼ばれている。
企業内部の給与、昇進も学歴や就業年数を基準とする年功序列型である。この方
式は世の中が平和で順調なときには安定した機能を果たしてきたが、トラブルへ
の対応には弱い。最近の食品事故の多発報道は、工場における生産管理システム
を超えて、日本の企業における全般的なシステムの再検討を促しているように思
われる。

たにの あきら  昭和32年東京大学法学部卒、農林省入省。食品流通局長などを経て、平成元年 農林水産省退職。野菜供給安定基金理事長などを経て、現在、(財)食生活情報 サービスセンター理事長、東京農業大学客員教授など。

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