◎地域便り


人間と環境にやさしい酪農を目指して

島根県/企画情報部


 2月中旬、大原郡木次町にある木次乳業有限会社の玄関には色とりどりの運動
靴がいっぱいに並んでいる。2階の会議室では学年末の実地見学に訪れた地元小
学生が「人間と環境にやさしい農業」「低温殺菌牛乳の効用」等について真剣に
聞き入り、メモの鉛筆を走らせている。

 同社には奥出雲一帯の5町1村に及ぶ酪農家から毎日生乳が集まってくる。そ
の数は全部で40戸。「自然のものをできるだけ自然に近い状態で供給する」とい
う同社創立以来の理念に賛同する農家だ。

 養蚕や木炭生産等の山間地特有の農業が主体だった木次町で酪農が本格的に始
まったのは1953(昭和28)年。2年後には6戸の酪農家が「木次牛乳」の販売を
開始するが、60年代に入ると化学肥料を投与した牧草から山野草主体に切り替え
を余儀なくされる。乳牛に硝酸塩中毒が原因と見られる疾病発症が確認されたか
らだ。

 こうしたことを契機として、町内の酪農家は農薬等の購入を中止し、同町は
「健康の町」を宣言。70年代初めまでには有機農業研究会、緑と健康を育てる会
等が結成され、地域ぐるみでの運動に発展して行くが、その中心になったのは現
在同社相談役の佐藤忠吉さん(81)である。長男・貞之さん(53)に5年前、代
表取締役の職を譲り「もう若い者に任せています」とはいうものの、「健康こそ
がキーワード」とする信条に揺るぎはなく、「それは他人のためばかりではなく
自身のためでもある」と付け加えることを忘れない。

 胃にやさしく、カルシウムも吸収されやすい…と今日でこそ広く普及した低温
殺菌牛乳だが、これをわが国で最初に販売したのは忠吉さん。細菌学者パスツー
ルにちなみ、「パスチャライズ牛乳」と命名し、78(昭和53)年世に送り出した。

 また、ブラウンスイス種乳牛を輸入し、これによって山地酪農が始められ、障
害者や高齢者にも就農の機会をもたらした。国内初のエメンタール・チーズ製造
も忠吉さんの手による。ナチュラル・チーズは既に軌道に載っていたが、「ホー
ル(穴)をきれいに出すのに10年の歳月を要した」。

 こうした足跡に光が当たるかのように、2000(平成12)年3月朝日新聞社主催
の第1回「明日への環境賞」で農業特別賞を受賞。

 忠吉さんがいま意欲を燃やすのはワインの製造。「欧州ではブドウの樹は50年
で一人前…といわれる。他人に左右されない自主独立農民を目指すならばこれく
らいはやらないと…」とますます意気軒昂だ。
honsha.gif (44396 バイト) 【木次乳業(有)の本社屋】
jidou.gif (43272 バイト) 【酪農、牛乳について学ぶ児童たち】

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