東京農工大学 農学部 教授 高橋 幸資
羽毛・豚毛・牛毛、卵殻膜、肉靭帯は、多量に生産され、たんぱく資源であり ながら利用度が低く、環境に高い負荷を与えている。特に、卵殻膜や毛ケラチン は、卵殻から回収する習慣がなかったり、有効な可溶化や形態形成が不十分で有 効利用されていない。そこで、本調査研究では、卵殻膜を可溶化してコラーゲン と製膜してコラーゲンの特性を改変し、毛ケラチンはS−スルホン化(S−S結合 をS−スルホン酸化(S−S03H))してその特性を明らかにすることで、これらの 有効利用の道を広げ環境負荷の低減を図ることを目的とした。
試料の調製 卵殻膜を細切し、可溶性たんぱく質および脂質を抽出除去した後、過ギ酸処理 した。ろ別して水洗後0.5M(モル/)酢酸を加えて1/100量のペプシンで25℃ で48時間処理した。遠心分離して上清を集め、蒸留水で透析・凍結乾燥して可溶 性卵殻膜タンパク質(SEP)(Soluble egg shell menbrane protein)を調製し た。 ペプシン可溶化コラーゲン(PSC)(pepsin-solubilized collagen)は、不溶 性コラーゲンをペプシンで可溶化して調製した。 豚白毛を良く脱脂して凍結粉砕した。0.05M Tris(綬衡液を作る試薬)、0.05 Mジチオスレイトール(還元剤、S−S結合を還元して−SH+HS−とする)を含む 8M尿素で4℃で24時間処理し、次いで0.2Mとなるよう亜硫酸ナトリウム、四チ オシアン酸ナトリウムを加えて4℃で24時間処理してS−スルホケラテイン(Bun te salt,ブンテ塩)とした。蒸留水に対して透析し、−20℃で15時間凍結した 後解凍し、遠心分離した上清(Bs)(soluble Bunte salt,可溶性ブンテ塩)と 沈澱(Bp)(precipitated Bunte salt,沈澱したブンテ塩)から2種類のS−ス ルホケラテインを調製した。 コラーゲンの線維形成測定 0.03%PSC溶液(pH7)にSEPをPSCの1/40〜1/10量加え、温度を30℃に上げて 310nm(ナノメートル)の吸光度を測定して線維形成を追跡した。 SEP-PSC複合膜の調製 0.3%PSC溶液(pH7)にSEPをPSCの1/10量〜等量加え、37℃で24時保った後風 乾した。10mg/mlの水溶性カルボジイミド溶液(SEPとPSCを化学結合させるため に用いた架橋剤)5ml加えて37℃で12時間架橋後、膜を裏返して再度架橋処理し た。エタノールで脱塩、脱水し、風乾して複合膜を調製した。 溶解度の測定 複合膜を蒸留水、0.5M酢酸中でそれぞれ100℃で1時間、65℃で15時間加熱し て溶解度を測定した。1/100量のコラゲナーゼを加えて37℃で24時間分解して測 定した。 S−スルホケラテインでは、試料をpH4.5〜10.5のリン酸緩衝液に0.3mg/mlとな るよう加えて37℃で15時間溶解処理して測定した。 物性測定 複合膜の水中における動的粘弾性、熱変性挙動を測定した。透湿性は、70μl (マイクロリットル)容の銀製容器に約40μlの蒸留水を加え、瞬間接着剤を用 いて複合膜で封じ、37℃で保持して減少する重量を計測して評価した。 線維芽細胞および表皮細胞の接着および増殖の評価 96穴プレートウエル上にSEP−PSCをコートし、培地とともに線維芽細胞または 表皮細胞を播種して接着細胞数を、また、1週間培養して細胞増殖数をカウント した。 分析 アミノ酸分析は、試料を塩酸加水分解して高速自動アミノ酸分析計で測定した。 毛ケラチン試料では、あらかじめ過ギ酸酸化してから測定した。架橋アミノ酸は、 逆相イオン対クロマトグラフィーで測定した。 糖、ウロン酸、ヘキソサミンは、それぞれフェノール−硫酸法、カルバゾール 硫酸法、Blixの変法(ヘキソサミンの定量方法)で測定し、タンパク質の定量は ミクロビュレット法(タンパク質の定量法)によった。 分子量の評価は、HPLC(高性能液体クロマトグラフィー)で行い、等電点はイ オン交換法によった。
SEPの化学的特徴 卵殻膜から得られたSEPは、分子量14,900で、システイン酸、アスパラギン酸、 グルタミン酸等の酸性アミノ酸が30%以上を占め、塩基性アミノ酸が約10%と少 なく、等電点が3.3であるので、明らかな酸性タンパク質で、少量の糖、ウロン 酸、ヘキソサミンを含んでいた。若干のデスモシン、イソデシモシン等の架橋ア ミノ酸を含むので、ペプチド鎖内鎖間で架橋された構造を持つと考えられた。 SEPによるPSCの線維形成 PSC溶液にSEPを加えると直ちに吸光度が上昇し、PSCの線維形成が著しく促進 されることが確認された。添加量を増やすと、促進する程度は直線的に高まった。 線維形成は、コラーゲン分子の集合から始まり、SEPは、この最初の段階から強 く促進し、添加量を増すと、その促進程度はほぼ直線的に高まった。この解析の 結果、SEPはコラーゲンの線維形成を約3倍促進することが分かった。 SEP-PSC複合膜の物理化学的特徴 SEP含量の異なる複合膜の溶解度を調べた結果を表1に示す。複合膜(1:10お よび1:1)は、コラーゲンの良溶媒である酢酸にもほとんど溶解しなかった。 特にSEPが存在する膜の溶解度が低かった。また、コラゲナーゼ消化しても溶解 量は10%以下となり、非常に安定した膜となっていると考えられた。 表1 SEP−PSC複合膜の溶解度(%) このことは、複合膜の熱変性温度にも現れていた。SEPを含まない膜の熱変性 開始温度は、約61℃であるが、SEPを1/10量含む膜は約62℃、等量含む膜は約66 ℃を示した(表2)。これは、SEPによって、コラーゲンの線維径が太くなり、 線維の生成量も増すためと考えられる。 表2 SEP−PSC複合膜の熱変性挙動 複合膜の透湿性を測定した結果、コラーゲン膜の6時間後の水分の減量割合は、 膜で封じていない開放系の場合の85%に押さえられることが分かった。PSE−PSC 複合膜ではこれよりさらに低くなり、SEP:PSC=1:10の複合膜では、69%を示 し、適度の水分の発散を抑制すると考えられた。SEPを等量含む膜ではコラーゲ ン膜に近い83%を示した。これは、多量のSEPの存在でコラーゲン線維径が太く なり、線維間空隙が増して透湿性が高まったものと考えられる。 複合膜の湿潤した状態での力学物性を動的粘弾性(周期的に力や歪みを加えて その応答を測定する測定法)で測定した。コラーゲン膜の貯蔵弾性率(動的粘弾 性測定で得られる測定値、単位はパスカル(Pa))は、1.85 × 108Paであったが、 複合膜ではSEPの添加量が増えるにつれて低下し、1:1膜では、コラーゲン膜 の約70%の値を示した。従って、SEPの存在でコラーゲンの線維径が増加して線 維間空隙が増して、しなやかな膜になったと考えられた。 SEP-PSC上での線維芽細胞の接着・増殖性 96穴プレートウエル上にコ−トし、架橋したSEP−PSC膜(SEP:PSC、1:10お よび1:1の2種)上に線維芽細胞を播種してその接着挙動を検討した。接着細 胞数は、複合膜>コントロール(プラスチックウエルそのもの)となり、SEPを 含む膜上での線維芽細胞の接着が優位であった。複合膜間の接着細胞数は、1: 10>1:1なる関係が認められ、多量のSEPを添加することは得策ではないと考 えられた。これは、多量のSEPによって、PSCの線維形成率および線維径が増加し、 ウエル表面が完全に覆われずにプラスチック表面が露出されやすくなったために、 1:1膜での接着細胞数が少なくなったものと考えられる。この低下は、ウエル をコートする量を増やすことで防ぐことができると考えられるが、さらに検討す る必要がある。 線維芽細胞の増殖挙動を調べた結果、細胞を播種後5日および7日後において コントロールよりも複合膜上での細胞増殖が促進され、特に5日後でコラーゲン 膜よりも増殖が促進された。従って、複合膜は、コラーゲン膜と同等以上の線維 芽細胞増殖を示すと考えられる。 SEP-PSC上での表皮細胞の接着・増殖性 線維芽細胞と同様の方法で表皮細胞の接着挙動を検討した。その結果、コント ロールより複合膜上での細胞接着数が多かった。細胞播種後30分までは、コラー ゲン膜より複合膜の方が接着を促進した。しかし、播種後の時間がそれ異常長い 場合は明確な差異は認められなかった。 細胞増殖挙動を調べた結果、コントロールより高い増殖を示したが、培養5日 以降はこの傾向が不安定となり、SEP添加量の高い1:1膜ではコントロールよ り低い増殖を示す場合も認められた。従って、SEPを一定量以上添加することは、 表皮細胞の増殖を促進することについては適当ではないと考えられる。これはコ ラーゲンの正荷電をSEPが相殺することが原因として考えられるが、表皮細胞は しだいに分化・角質化し剥離しやすくなるので、さらなる検討が必要と考えられ る。 以上のことから、卵殻膜から過ギ酸およびペプシン処理して可溶化して調製し たSEPは、コラーゲンと製膜して架橋複合化することで、コラーゲン膜の安定性 を高めて適度な透湿性と柔軟性を与え、ヒト皮膚細胞の良好な接着・増殖性を示 すことから、モデル皮膚素材として有効と考えられる。すなわち、卵殻膜から機 能材料が開発でき、環境への負荷軽減に寄与できると考えられた。 毛からのS-スルホケラテイン 豚毛ケラチン試料をS−スルホン化して可溶化して2種のS−スルホケラテイン 標品を得た。凍結融解しても水溶性であったS−スルホケラテイン(Bs)の凍結 乾燥物は、柔らかい綿状であったが、もともと可溶性であったが凍結融解で沈澱 したもの(Bp)は、硬い繊維状であった。牛毛および羊毛からも同様にS−スル ホケラテインを得たが、収率は豚毛が最も高く、約70%で、牛毛や羊毛はそれよ り約10〜15%低かったので、豚毛は可溶化原料として優れていると考えられる。 2種のS−スルホケラテインについて見ると、凍結融解で沈澱するもの(Bp)は 約70%を占め、分子凝集しやすいものと考えられる。 S−スルホケラテインのアミノ酸組成は、もとのケラチンの特徴を示すものの、 BsとBpの組成は大きく異なり、Bsは、システイン酸、スレオニン、セリン、プロ リン含量が高く、アスパラギン酸、グルタミン酸、ロイシン、リシンが少ないこ とから、毛ケラチンたんぱく質のうち、Bsはマトリックスたんぱく質の特徴を示 し、Bpはミクロフィブリルたんぱく質の特徴を反映していると考えられた。 BsおよびBpのpH4.5〜10.5のリン酸緩衝液に対する溶解性を調べた結果、Bsは いずれのpHでも加えた量のほとんど(約89〜100%)が溶解し、不溶物は残らなか った。これに対してBpは、pH5.5以下では溶解性が急激に減少し、pH4.5では8.4 %しか溶解しなかった。Bsではシステイン酸が全アミノ酸の20%以上を占めるが、 Bpにはその半量しか含まれないので、pHが低下するとグルタミン酸やアスパラギ ン酸のカルボキシル基の解離が押さえられて溶解性が低下すると考えられる。し かし、pH6.5以上ではBpはほぼ完全に溶解する。 以上のことを総合すると、毛ケラチンは、S−スルホン化することで大部分を 可溶化することができ、約70%の収率でS−スルホケラテインが調製できること が明らかとなった。S−スルホケラテインは、チオール化合物(−SH基をもつ化 合物)を加えることで-SH基に容易に戻すことができる。-SH基が再生されれば再 び-S-S-結合を形成させることができるので、分子間・分子内架橋を形成させて ケラチンの特性を保持した膜や繊維成型物素材として有効に利用できると考えら れる。