東洋大学 経済学部
教授 服部 信司
注目の第4回WTO閣僚会合・農業宣言は、以下のような内容になった。 「交渉の結果について予断を持つことなく、 @マーケット・アクセス(市場開放)の実質的改善、 A貿易を歪曲する国内支持の実質的削減、 B段階的に廃止していくという視点のもとで、あらゆる形態の輸出補助金の実質 的削減、 以上を目指す交渉とする。 C加盟国の提案に反映されている『貿易以外の関心事項』が、交渉において考慮 される」。 この農業宣言は、次のような特徴を持っている。 「『貿易以外の関心事項』が、交渉において考慮される」ことを明確にし、そ こには、ケアンズ・グループやアメリカが交渉提案において主張していた「貿易 歪曲にならない方法や目標を絞った方法で行う」といった条件考慮は付けられて いない。これは、日本政府の声明にもあるように、今後の交渉において、わが国 が主張(WTO提案)を展開−追求していく根拠が得られたことを意味する。 また、ケアンズ・グループなどが提起した「生産や貿易を歪曲する国内支持の 撤廃を含む、そのより一層の実質的削減」というような大幅削減(農工一体論) につながる文言も入っていない。 さらに、「交渉の結果を予断することなく」という文言は、交渉結果の先取り を排すものとなっている。 日本政府が交渉結果を評価するゆえんであり、その評価は、共有されていいの である。 ところで、アメリカのベネマン農務長官は、「アメリカの農産物への市場開放 のための交渉に計り知れない弾みをつける」として農業宣言を評価し、「この結 果に極めて満足している」との声明を発表している。閣僚会合宣言は、主要国す べてに、その主張を展開−追求する根拠を与えているとも言える。 農業交渉は、来年3月までにモダリティーについて合意するとした。モダリテ ィーとは、各国に共通に適用されるルールと関税削減などの方式を含む。 この閣僚会合を起点に、アメリカやケアンズ・グループとEU、日本などの輸入 国とが、関税削減方法などの具体的問題でぶつかり合う本格交渉が始まり、今年 がその山場になるのである。
前回ウルグアイ・ラウンド合意において、食肉はどのようになったのか、再確 認してみよう。 牛肉の関税率は、アメリカからの強い要請のもとに、94年の50%から2000年 には38.5%に、6年間で率にして24%の削減(1品目最低15%の削減率を超える 削減)をすることになった。 同じく、豚肉の基準輸入価格(1986−88年平均:1キログラム581円)も、95 年から6年間で29%引き下げ、2000年には410円とすることになった。94年の基 準価格(470円)を基準とすれば、13%の引き下げである。同時に、その定率関 税部分も94年の5%から2000年には4.3%に下げていくとされた。 こうした牛肉の関税や豚肉の基準輸入価格・定率関税の引き下げは、わが国の 国内需給に直接の影響を及ぼす。そこで、「発動基準が設けられ、それを輸入量 が超えれば自動的にセーフガードが発動できる」特別セーフガードが設定された のである。アメリカの受諾のもとである。豚肉についても、同様の特別セーフガ ードが設定された。 わが国は、1995年から、牛肉については2回、豚肉については3回、このセー フガードを発動してきた。それなりに、短期的な輸入抑制効果はあったと見られ る。 しかし、ウルグアイ・ラウンド後の長期の輸入動向を見ると、牛肉の輸入量は、 93年度の57万トンから99年度68万トンへと約20%増え、豚肉の輸入量も、同じ時 期に45万トンから65万トンへと44%増えている。ちなみに、その間、国内生産は、 牛肉が60万トンから55万トンに微減し、豚肉は144万トンから128万トンへと11% 減少している。 こうした輸入増加には、安くて一定品質のものを大量に要求する外食産業や加 工産業に輸入食肉が応えてきたという側面がある。同時に、この間の関税・基準 輸入価格の引き下げもその一因になっている。その結果、90から99年の10年間に 牛肉の自給率は51%から36%に、豚肉は74%から58%に急低下してきた。
減少したのは、自給率だけではない。この10年間、畜産農家が激減した。養豚 農家は、90年の4.3万戸から、2001年の1.1万戸へと実に4分の1になり、肉牛農 家も23.2万戸から11万戸へと半減している。戸数の減少は、規模拡大の結果とし て当然の、やむを得ない面もある。しかし、特に養豚の場合には、頭数の減少 (17%減)を伴っており、限度を超えている。畜産は、単に、食肉・牛乳の安定 供給に必要なだけではない。耕種との複合経営や循環型農業の構築にとっても欠 かせないのである。 わが国への食肉輸出拡大に強い関心を持っているのは、この間輸出を急増させ てきたアメリカである。アメリカの牛肉・豚肉団体が、今次交渉において日本の 関税・国境措置の大幅引き下げを要求してくることは間違いない。 今次交渉において、仮に大幅な関税削減が出現することになれば、上述のプロ セスがさらに進み、わが国畜産の存立が問われる事態、あるいは農業の多面的機 能の維持に重大な問題が生ずる事態を招きかねない。 わが国は、EUとの連携によって急激な自由化に歯止めをかけ、そのもとで、わ が国の主張(ミニマム・アクセスの制度改善によるアクセス数量の削減、関税水 準の維持ないし引き下げをできるだけ小幅にとどめることなど)の実現を追求し ていくことが問われていると言えよう。3月からの本格交渉に向けて、EUとの間 により強固な連携を構築していく必要がある。 同時に、外食・加工産業の業務需要に、国内畜産が応える体制を創り出してい く課題に取り組む必要があると思われる。
はっとり しんじ 昭和37年東京大学経済学部卒。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。 経済学博士。岐阜経済大学助教授、教授を経て、平成5年、東洋大学経済学部教授、 現在に至る。関税・外国為替審議会委員、食料・農業・農村審議会臨時委員、 食料・農林漁業・環境フォーラム幹事長。 「グローバル化を生きる日本農業」(NHK出版、2001年)、 「WTO農業交渉」(農林統計協会、2000年) 「アメリカ農業」(輸入食料協議会、1998年) 「21世紀・日本農政の課題」(共著、農林統計協会、1998年)、 「WTO次期農業交渉への戦略」(共著、農林統計協会、1998年)等著書多数