◎専門調査レポート
オーガニック酪農への挑戦
東京大学大学院経済学研究科 助教授 矢坂 雅充
はじめに
欧米ではすでに市民権を得ているオーガニックミルクが、近年、日本でも少し
ずつ話題に上るようになってきた。非遺伝子組み換え牛乳にいち早く取り組んで
きた熊本の酪農マザーズもオーガニックミルクの商品化生産に本格的に取り組も
うとしている。日本での有機畜産物の認証に関するJAS法改正の方向性について
も、近く結論が出されるという。オーガニックミルクは抽象的な検討課題の域か
ら、ようやく具体的な商品として検討されようとしている。
オーガニックミルクは平成12年11月にタカナシ乳業によって初めて販売される
こととなった*1。オーガニックミルクの原料乳は、日本では唯一国際的な有機認
証を受けた千葉県御宿町の大地(おおち)牧場(代表者:大地洋夫氏)が生産し
ている。乳牛飼養頭数190頭(育成牛80頭、搾乳牛100頭、乾乳牛10頭)、日量生
乳生産2トン、転作田を含めた33ヘクタールの自給飼料草地、家族4人と1〜2人の
常勤雇用者の労働力。大地牧場は都府県でも有数の土地利用型酪農経営である。
大地氏はオーガニック酪農に転換する以前、2年から有機飼料生産を手がけて
きた。その数年後には乳牛への抗生物質、ホルモン剤の投与を中止している。ト
ウモロコシ畑に除草剤を散布したときのタンクを水洗いして土に流したところ、
ミミズがみんな死んでしまった。そこで収量の減少を覚悟して、牧草の有機栽培
に切り替えた。「食べるものだから体にとって安全なものを作り、消費者に食べ
てもらいたい」という思いが安全な飼料と生乳の生産へと踏み切らせたという*2。
タカナシ乳業との連携によって初めてオーガニックミルクが商品化されること
となった。以下では、大地牧場とタカナシ乳業のオーガニックミルクへの取り組
み事例から、オーガニックミルクが商品化されるための酪農経営の課題を、乳業
との連携のあり方に焦点を当てながら検討してみたい。潜在的な需要が見込まれ
るオーガニックミルクが牛乳市場で一定の安定的シェアを占めていくには、まず
酪農経営と乳業メーカーがその生産・流通条件に対応した連携関係を整えなけれ
ばならない。
大地牧場とタカナシ乳業の事例は、以下のような特徴を持っている。すなわち、
@将来設定されることが見込まれるJASの有機畜産物認証基準を先取りして、アメ
リカのオーガニックミルク認証基準を導入している、A濃厚飼料は輸入に依存し
ているものの、可能な限り自給有機飼料による飼養管理を目指している、B指定
生乳生産者団体のインサイダーとしての生乳取引を維持している、C食品スーパ
ーや牛乳販売店を販売チャネルとした小売流通となっている、D乳業メーカーが
オーガニックミルク市場開拓のコーディネーターとしての役割を果たしている。
それは日本で広くオーガニックミルクが定着していく1つの型を示している。乳
業が牛乳市場で生き残っていくためには、オーガニックミルクを牛乳の高付加価
値化、企業イメージの向上のための有力な商品として位置付け、安全性や環境へ
の関心を高めつつある消費者ニーズに積極的に対応していかざるを得ないからで
ある。
*1 タカナシ乳業は有機食品市場の将来性を見越して、アメリカの有機認証機関である
QAI(Quality Assurance International)の認証を受け、平成8年から輸入果汁を原料と
するオーガニックジュースの販売を開始した。その後、輸入有機乳製品を原料とする
オーガニックヨーグルトの商品化も手掛けており、オーガニックミルクを製品ラインアップ
に加えることは、兼ねてからの懸案であった。
*2 大地氏の農業経営やオーガニックへの取り組み姿勢は、大地牧場のホームペ
ージ
で詳しく紹介されている。
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【オーガニックへの
こだわりを語る大地氏】 |
オーガニック酪農への取り組み
有機認証システム
大地牧場はアメリカの認証機関QAIの有機認証を受けてオーガニック酪農
を開始した*3。アメリカの有機酪農に対する認証システムの特徴は以下のように
まとめられよう。
@有機認証基準:基本的にはコーデックスガイドラインに比べて大きな差はな
いといえよう。成長を促すためのホルモンや治療・予防接種以外のための動物用
医薬品を使用せずに、有機飼料と快適な生活環境の基での健康な家畜飼養が求め
られる。飼料は安全で100%有機栽培飼料でなければならない。予防接種以外の
薬剤使用が禁止され、草地へのアクセスなど乳牛が自由に運動・移動し得る生活
環境が重視される。
A移行期間:乳牛の育成期間を考慮して、オーガニック酪農への移行期間は1
年間とされる。最初の9ヵ月間は有機栽培飼料が80%以上、その後の3ヵ月は100
%としなければならない。野菜と異なり、牛の生理の適用能力や健康への配慮が
こうした措置をとらせている。ほ場に対しては3年間にわたって無農薬無化学肥
料などの有機栽培基準を満たしていることが求められる。
B認証検査:QAIは年に1回検査官を派遣して、台帳等の記録やインタビューに
よって有機認定基準が順守されているかどうかを検査する。
大地牧場はオーガニック酪農に取り組む前から有機飼料栽培、フリーストール
牛舎を導入していた。有機栽培に対する意識は高く、施設の手直しなども最小限
にとどめられ、有機認証を受けるためのハードルはかなりの程度クリアされてい
た*4。むしろ有機認証の課題は記帳によるほ場管理や乳牛の飼養管理、徹底した
牛の健康管理・疾病予防であったというべきであろう。それは勘に頼りがちな管
理を、客観的に見つめ直す契機となったという。常に作業の記録を残す習慣を身
につけることさえできれば、経営管理の改善に結びつく情報として活用し得る。
この記帳に基づく管理手法は、後にやや詳しくみることにする。
有機認証の対象は生乳生産に限定されない。酪農における有機認証システムは
野菜のそれよりもかなり複雑になる。畜産は飼料、生乳の生産および保管・輸送、
乳業プラントでの加工処理・配送に至るまでフードチェーンが長く、しかもそれ
ぞれの事業主体が異なるからである。輸入有機飼料が利用されることになれば、
認証対象は海外での飼料生産・流通に及ぶ。実際に国内でも@倉庫業者、A酪農
経営、B乳業プラントがオーガニックの認証を受けており、輸送業者などにも適
切な管理が要請される。
これらの有機認証に基づくオーガニックミルクチェーンを整える役割はタカナ
シ乳業が担ってきた。有機飼料の輸入、QAI有機認証取得支援、オーガニック乳
業のホライズンオーガニックデーリー社との技術提携などによって、自前のオー
ガニックミルクチェーンが築かれてきた。生乳生産と牛乳の小売りをつなぐ位置
にある乳業は、酪農経営の有機への自主的な取り組みを、具体的に有機認証基準
をクリアしたオーガニックミルクとして商品化するための調整機能を果たす上で、
もっとも欠かせない原動力となってきたのである。
*3 2002年4月からは、QAIが同年10月から施行される全米オーガニック統一基準
であるNational Orgamic Programに準拠するようになり、大地牧場もアメリ
カの有機認証基準の適用を受けることとなった。
*4 実際には、認証手続きや登録などに時間を要したために、オーガニックミル
クに着手してから出荷するまでの移行期間は1年半となった。
飼料
有機栽培飼料の調達方法はオーガニックミルク生産に当たる酪農経営の安定性
を大きく左右する。大地牧場の1頭当たり飼料栽培面積は30アールを下回っており、
すべての飼料を自給することはできない。栽培しているのは牧草だけであり、ト
ウモロコシなどの飼料穀物は輸入に依存している*5。
*5 大地牧場ではトウモロコシは栽培していない。輪作体系を組むことができる
ほどの農地の余裕がない上に、除草剤を使用しないと発芽時に雑草が繁茂し
てしまい、ほとんど収量が期待できないからである。葛巻町畜産開発公社が
実施したモデル事業でも、有機たい肥・無除草のトウモロコシの収量は慣行
栽培の0.49(13年度)という結果が出ている(中央畜産会資料参照)。
自給粗飼料
有機牧草栽培への転換によって、飼料作の考え方にも修正が求められた。
第1に、作付面積の拡大と多品種栽培である。牧草の収量減少をカバーするた
めに、林地の草地造成や転作田の借入などによる積極的なほ場面積の拡大だけで
なく、多種類の牧草を栽培するようになった。現在、オーチャード、ケンタッキ
ー、イタリアン、赤クローバーなど7種類の牧草が周年的に栽培されている。暖
かな気候を利用して、飼料作付けのバランスをとりながら単位面積当たり収量を
引き上げる試みなのである。
第2に、隣接するほ場との緩衝地帯の設定である。転作田などを利用した草地
では、他の水田との間に適当な緩衝地帯を設けなければ、有機飼料の認証を受け
ることができない。そこでこのような農地は自家用野菜畑や育成牛の牧草地・運
動場として利用することとなった。
第3に、たい肥舎の管理やたい肥散布の時期などへのきめ細かな気遣いが必要
になった。ふん尿の固形部分はたい肥化され、戻したい肥として利用した後、再
度完熟たい肥化されてからほ場に散布される。液体部分は10倍以上に希釈してほ
場に散布されている。ふん尿はすべて農地に還元されている。しかしながら有機
農業の基本といえるたい肥還元も、牛舎の脇を流れる川の水質汚濁や臭気に無頓
着であることは許されない。たい肥や尿のほ場への散布時期を選ばなければなら
ないし、水質検査の結果にも注意を払う環境への敏感な姿勢が問われることにな
る。
有機牧草栽培への転換は適切な栽培管理のもとで行われるのであれば、それほ
ど急激な収量減をもたらすわけではない。むしろオーガニック酪農への転換によ
って、一層地域の農地や環境との接点が広がり、近隣農業経営者や住民とのトラ
ブルが増える可能性があることに留意しなければならない。オーガニック酪農へ
の転換はまず土地利用型酪農としての経営環境を整えることから始まるといって
よい。
輸入有機飼料
大地牧場では有機認証を受けたアメリカ産の乾草、トウモロコシ、大豆かすで
自家配合飼料を調製している。オーガニックミルク市場が誕生したばかりで全国
の有機穀物飼料の需要量もきわめて少量であるにもかかわらず、それらの飼料を
アメリカから輸入せざるを得ない点に、パイオニアとして位置付けられるオーガ
ニック酪農経営の基盤の弱さが集中的に現れていると言えよう。
アメリカで有機認証を受けた飼料はコンテナーバックに詰められて輸入される
*6。最大の課題は価格水準である。大地牧場で使用するだけの数量に限定されて
おり、しかも小口パックであり、食用農産物の基準で管理されているので、流通
コストは一般輸入飼料に比べてはるかにかさむ。有機飼料を輸入しているタカナ
シ乳業の飼料輸入コストは明らかではないが、通常の配合飼料の3倍以上の価格
水準になることは間違いない。
価格水準の高さだけではなく、為替レートの変化による価格変動や安定供給の
ためのストック保有も見逃せないコスト要因である。割高な飼料であるだけに円
安による輸入価格の上昇の影響も大きい。輸入時に植物防疫所の検査で燻蒸措置
がとられた有機飼料は返品扱いとなる。これまでそのようなケースは発生してい
ないということであるが、このため無事輸入されない場合に備えて一定のストッ
クをもつ必要がある。小回りの利かない輸入は有機飼料調達の不安定性を増幅し
ている。
もっとも大地牧場がこの飼料コストの割増分を負担しているわけではない。タ
カナシ乳業が一般配合飼料とほぼ同じ価格水準で有機飼料を販売しているからで
ある。輸入有機飼料の小売価格差に加え、固定価格販売に基づく為替レートの変
動リスクや安定的調達のための備蓄コストもタカナシ乳業が負担していることに
なる。
*6 乾草はフィルムでラップされ、パレットに積まれてコンテナで輸送される。
トウモロコシと大豆かすは1トンのビニール製のフレコンパックが使用され
ている。いずれも有機認証を受け、分別管理流通されている。
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【ロフト番号がつけられた
有機認証済み
アメリカ産トウモロコシ】 |
飼養管理
オーガニックミルクの酪農経営では動物への薬剤の投与は厳しく制限される。
それゆえ疾病にかかり易い育成牛の飼養管理には特に神経を使う。生後60日齢ご
ろまで代用乳を利用せずに母乳であるオーガニックミルクを与え、人との接触も
できるだけ避けている。
成牛に対しても疾病の予防が重要である。発情誘発のためのホルモン投与を必
要としないような健康な牛を飼養することが基本原則となる。適度の運動を確保
し、過度な飼料摂取、搾乳を控えることが、健康状態の維持に欠かせないという。
1頭当たりの乳量も慣行農法のときの1万キログラムから8千キログラムへと減少
した。搾乳量増大・所得拡大に気を取られると、乳牛の疾病を引き起こすという。
薬剤治療を行えば、実質的には搾乳頭数の減少をもたらすことになり、経営に大
きなダメージを与えることになる。健康維持・疾病予防は飼養管理の基本である
ことが重ねて強調されよう。
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【ブレンドされた有機飼料】 |
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【衛生的な搾乳施設】 |
記帳
作業をきめ細かく記帳することは、製品のトレーサビリティを確保するために
欠かせない。記帳は遺伝子組み換え飼料不使用牛乳(Non-GMO牛乳)の生産でも
実施されているが、オーガニックミルクではいっそう徹底した記帳が求められる。
大別して・飼養管理作業の記帳(乳牛の疾病、薬品の投与、飼料の給与、乳牛個
体能力、ミルカー洗浄状況など)、・ほ場管理作業の記帳(土壌検査、は種、た
い肥散布、牧草収量など)が必須となる。飼料生産から生乳出荷に至るまで、ほ
場・乳牛・飼料ロットの番号との照合ができるようにして、各作業の記録が残さ
れる。大地牧場の中では生乳生産をトレースする仕組みが整えられることとなっ
た。
いま1つ、大地牧場の記帳は認証機関とのコミュニケーション材料として位置
付けられているところに特徴がある。作業の記帳方式は記帳者が自ら試行錯誤の
中で考案し、改善していくことが求められる。記帳内容の改ざんや虚偽の記帳は、
記帳様式が定まっていない方が難しく、認証機関による検査も記帳データに基づ
く生産者とのコミュニケーションに主眼が置かれているからである。記帳によっ
て経営管理の仕方を自主的に発展させていくという認証姿勢は、記帳自体が目的
化して経営理念が失われてしまうことへの警鐘として評価されよう。「記帳を通
じてさまざまな発見が楽しみにつながり、乳房炎や繁殖障害などの事故・疾病を
防ぐノウハウが身に付いてくる」と言う大地氏にとって、認証基準をクリアする
ことは経営改善のバロメータなのかもしれない。
オーガニックミルク生産へのプレミアム
欧米でもオーガニックミルクの生産者プレミアムは一様ではないが、少なくと
も20%程度は確保されているといえよう。大地牧場の場合、オーガニックミルク
へのプレミアムはどのような基準や水準で支払われたのであろうか。
第1に、移行期における価格保証である。認証機関が定めるオーガニックミル
ク出荷までの移行期、あるいは認証手続きなどのためにオーガニックミルクとし
て出荷しえない期間の所得が保証された。オーガニックミルクとしての製品が販
売されなくとも、原料乳にプレミアムを付加することでオーガニックミルク生産
への転換リスクを乳業が負担し、参入を促してきたのである。
第2は、前述した飼料代増嵩分の負担である。慣行農法に比べてきわめて高い
購入飼料を使用しなければならない大地牧場に対して、飼料の割増費は乳業が負
担することとされた。言い換えれば、有機飼料調達方法の改善や合理化はタカナ
シ乳業の役割となっていることになる。大地牧場へ供給される輸入有機飼料の価
格は一般飼料価格の水準ですでに決まっている。大地牧場は牛のし好性や乳量な
どへの影響をモニターしながら、飼料の質的評価をフィードバックすることが期
待されているものの、自ら調達ルートを探し、選択していく必要はない。
第3に、有機認証を取得するための検査料など、認証手続きに伴うコストはタ
カナシ乳業が負担している。まだ有機畜産物の認証がない日本市場で、アメリカ
の有機認証を取得したオーガニックミルクとして商品化するための付加的なコス
トは、それを提唱した乳業が負担するものと考えられたのであろう。
第4に、乳業プラントへの生乳輸送費増嵩分の負担である。工場着価格取引を
原則とする日本では生乳輸送費は生産者負担となる。大地牧場のオーガニックミ
ルクは隔日集乳であるが、当日は千葉県の太平洋岸と神奈川県の山間部を往復す
ることになり、集乳車をほぼ1日中占有することになる。その結果、集送乳の効
率性が低下して、生産者団体でプールされる集送乳費が上昇することになれば、
他のメンバーから不満が表明されるに違いない。インサイダーでの取引を認めな
いという反発も生じかねない。間接的ではあるが、生乳輸送のためのローリーを
1日占有するための割増料金はタカナシ乳業が負担している。
第5は、オーガニックミルクの季節的あるいは日々の需給調整コスト負担であ
る。大地牧場の生乳出荷量は夏季には1.6トン程度であるが、冬季には2.4トンあ
まりまで増大する。暖かな房総は西南暖地と同様に、夏は暑さのために乳量が落
ちる。一方、オーガニックミルクの需要は、後に見るように販売チャネルがやや
特殊であるので、一般牛乳とは異なり、年間を通じてそれほど大きく変化しない。
従って夏季と冬季の生乳生産量の格差0.8トンは通常の牛乳原料として利用され
ることになる*7。
さらにスーパーマーケットからの受注に対して欠品が生じないようにするため
に、平均受注量の約2割に相当する0.2トン程度は、日々の集乳量に余裕が必要と
なる。ごく単純化するならば、夏季にも欠品が生じないような年間販売量は1.4
トンとなる。冬季には大地牧場が出荷した全生乳の半分近い1トンもの生乳が非
オーガニックの牛乳として販売されていることが分かる。
需給ミスマッチに基づくオーガニックミルクの原価増嵩分を消費者に転嫁して
販売することは難しい。そこでこの需給調整コストはタカナシ乳業が製品の安定
供給のための経費として負担しているのである。
さて以上から分かるように、オーガニックミルクへのプレミアムは直接的な乳
代プレミアムではない。乳代は指定生乳生産者団体のプール乳価で支払われてお
り、乳代へのプレミアムは記帳などの事務経費負担を配慮した程度の少額にとど
まっている。むろんそれは飼料費増嵩分負担などの間接的なプレミアムが相当の
額になっているからであり、プレミアム額が小幅にとどまっているというわけで
はない。オーガニックミルク生産に伴う経費増分をカバーするプレミアムが多額
であり、純粋な乳代プレミアムを負担する余力が乳業の側にないというべきであ
る。それはオーガニックミルク生産への転換後、生乳出荷量が減少して収益は減
少したという大地牧場の経営評価とも重なる。乳業の積極的な支援を受けても、
酪農経営はオーガニック酪農への転換リスクや減収から免れることはできない。
*7 乳牛の受胎調整によって需給ギャップを図ることは、育成牛に対するきめ細
かな飼養管理が必要なオーガニック酪農では一層の困難を伴うことになる。
むしろ一般牛乳と異なって冬場に多く売れる傾向が見受けられるオーガニッ
クミルクの拡販が期待されている。
オーガニックミルク販売
オーガニックミルクの川下部分についてもごく簡単に触れておこう。大地牧場
の生乳はタカナシ乳業の協力会社である神奈川県のあしがら乳業で加工処理され
る。後に見るように、宅配用の瓶牛乳製造ラインを保有し、分別処理のための小
回りの利くプラントであることが求められ、生乳は東京湾を横切って搬入されて
いる。輸送費や製造コストを引き下げる余地はそれだけ制約されているといえよ
う。
こうして商品化された「タカナシ牛乳(有機飼料・飼育)」は、原料乳だけで
なく製造・流通コストもかさむので、小売価格は当然ながら高くなる。デパート
や高級食品スーパーマーケットなどの店頭販売価格は1リットル380円、200ミリ
リットル140円で、売れ残りのリスクを考慮して一般牛乳価格の2倍までに抑えら
れた。宅配価格は200ミリリットル120円で、神奈川県や西東京地域を中心とした
牛乳販売店「タカナシミルクショップ」が販売している。
ジャージー牛乳やNon-GMO牛乳などに比べてかなり高価格牛乳であるにもかか
わらず、オーガニックミルクは順調に販売を延ばしてきた。むしろ需要が製造量
の上限にほぼ張り付くようになり、販売拡大を意識的に抑制するようになってい
る。高級食品スーパーマーケットでは流通業としてのブランド形成のための商材
としてオーガニックミルクが評価されている。健康や環境に配慮した希少性のあ
る食品の品揃えによって、高級食品スーパーマーケット自身の差別化が図られて
いるのである。
またオーガニックミルクは宅配用の差別化牛乳としての評価も高い。オーガニ
ックミルクの販売量のおよそ半分は宅配用牛乳であり、その安定的な販売を支え
てきた。店舗販売価格よりも割安で、他社の宅配牛乳にはない商品性が消費者に
評価されているのであろう。
このようにオーガニックミルクはタカナシ乳業の企業イメージ、企業ブランド
を形成する有力な商品として位置付けられつつある。短期的にはオーガニックミ
ルクチェーンへの投資に見合う収益が確保できなくとも、オーガニックミルク市
場のパイオニアとしての市場評価は大きな資産になる可能性がある。
こうした小売市場でのオーガニックミルクの評価は、次のような課題を乳業に
投げかけることになる。1つは、オーガニックミルクの市場認知度を高めうるよ
うなボリュームの確保である。そのためには大地牧場に続くオーガニックミルク
生産者を開拓しなければならない。乳業プラントのある神奈川に直送し得る関東
地域で、オーガニック酪農への転換を図ろうとする酪農経営を発見し、大地牧場
と同様にQAIの認証を受けることができるように大地牧場の取り組みから得られ
たノウハウを伝えていくことが期待されている。いま1つは、オーガニックミル
ク生産・流通コストの削減である。欧米のオーガニックミルク市場を参照するな
らば、多くの消費者にとって受け入れ可能なオーガニックミルクは一般牛乳の1.
5倍程度であると言えよう。こうした小売価格を実現するためには、原料乳生産
コストの大幅な削減が不可欠となる。
これまでみてきたことから推察されるように、個々の酪農経営や乳業メーカー
の取り組みによって、オーガニックミルクの生産・流通コストをさらに引き下げ
ていくことは可能であろう。有機認証も経営の改善を促す契機として活用されて
いくに違いない。オーガニックミルク生産の拡大に伴って規模の経済性が発揮さ
れる余地も大きい。例えば、生産コストの多くを占める輸入有機飼料も、輸入量
の増大に伴って流通コストが削減され、供給の安定性も高まることになろう。し
かし、個別事業者の取り組みを越えて、オーガニック酪農を社会的にどのように
位置付けていくかが問われることにもなろう。「オーガニックミルク」は酪農経
営や乳業メーカーの差別化の取り組みにはとどまらないからである。
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【きれいに整備されている牛舎内】 |
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【牛舎の風景】 |
オーガニック酪農の課題
限定された小売市場での評価とはいえ、オーガニックミルクは日本でも欧米並
みの高付加価値牛乳市場として成長する期待を抱かせつつある。このような潜在
的な需要の高まりを指摘するのとは裏腹に、オーガニックミルクの供給制約によ
って市場規模は限定されてしまうという見方も根強い。日本の有機畜産物認証基
準が、コーデックスガイドラインに準拠した場合、基準をクリアし得る酪農経営
の数は限られてしまうのではないかと危ぐが表明される。例えば、運動場・放牧
場への自由な移動が確保されなければならないという指針は酪農経営のつなぎ飼
いの制限に直接結びつく可能性を否定できない。他方で、コーデックスガイドラ
インにおいても、つなぎ飼いは日本の自然環境を踏まえた伝統的な経営方式とし
て容認される可能性が高いという指摘もある。まがい物を許さない有機認証基準
の明確さとオーガニック酪農の地域性とのバランスを欠いては、オーガニックミ
ルク市場の発展を見通すことができなくなってしまうからである。
もっとも有機認証基準のみが日本のオーガニックミルク市場を規定するわけで
はない。オーガニック酪農が成立する実態的な条件について、検討すべき課題が
山積している。以下では、大地牧場の事例を踏まえて、いま少し実質的なオーガ
ニック酪農の課題を整理し、オーガニックミルク市場の意義を検討してみたい。
適正規模と経営形態
オーガニック酪農にさしあたり求められる客観的な条件は、まず記帳に基づく
きめ細かな管理手法の導入ということになろう。その限りでは地域や経営規模に
は限定されず、広くオーガニック酪農が成立し得ることになる。有機認証基準を
クリアする徹底したほ場と乳牛飼養管理の導入に踏み切るうえで、多頭飼養経営
ほど抵抗感は少ないかもしれない。1つの経営システムとして有機農業を捉えて、
農作業の隅々にまでその仕組みを徹底させるという経営手法は、作業のマニュア
ル化などを積極的に取り入れている大規模経営になじみやすいからである*8。
とりわけオーガニックミルクの草創期にあっては、多頭飼養酪農経営のオーガ
ニック酪農への転換が期待されることになろう。オーガニック原料乳生産の拡大
スピードを速めるためには、乳業は比較的規模の大きな酪農経営に対して重点的
に支援することになるからである。
オーガニック酪農と慣行農法酪農の複合化を可能にする経営組織のあり方にも
関心が寄せられることになろう。オーガニック専門酪農経営では、疾病治療のた
めに薬品を投与した乳牛から搾乳される生乳は、一定期間にわたって出荷するこ
とができない。オーガニック酪農部門と慣行農法酪農部門の双方をもつ経営であ
れば、その生乳を慣行農法の酪農部門から一般原料乳として出荷し得る。慣行農
法酪農部門を合わせもつことで、オーガニック酪農の認証基準の弾力的な運用を
図ることが可能になる。乳牛の疾病リスクを軽減することが可能になれば、オー
ガニック酪農への転換に伴うハードルはかなり引き下げられることになる。
*8 大規模酪農経営でフリーバーン、フリーストールの普及率が高いことも、オ
ーガニック酪農転換に際して、大規模酪農経営が優位性を持つ要因になるだ
ろう。
土地利用型酪農
オーガニック酪農を支えるいまひとつの客観的な条件は、土地利用に立脚した
酪農生産基盤であろう。土地利用型酪農を志向している経営ほどオーガニック酪
農への転換を進めやすいことは容易に推察される。適当な草地・運動場の確保、
牧草の有機栽培化それ自体は、自給飼料生産を重視してきた土地利用型酪農経営
にとってそれほど大きなハードルではないだろう。有機配合飼料の調達を別とす
れば、転作田を含めた地域での土地利用調整が進み、酪農経営への土地利用の集
積が図られているかどうかが、オーガニック酪農への転換を左右するに違いない。
オーガニック酪農はこれまで精神論が先行していた土地利用型酪農を確実に定着
させていく原動力になる可能性を持っている。
有機栽培飼料の流通
土地との結びつきが希薄で、購入飼料に依存している大規模酪農経営はオーガ
ニック酪農には転換し得ないのであろうか。それは有機飼料生産の外部化がどの
程度実現し得るかに関わっている。団地化された転作田や耕作放棄された農地、
さらには遊休牧草地を抱えている育成牧場などを利用した飼料栽培は、オーガニ
ック酪農の登場によって現実的な選択肢として検討されることになろう。牧草の
有機栽培だけでなく、輪作体系の導入によって雑草の繁茂を防ぎ、トウモロコシ
の有機栽培が可能になれば、有機飼料生産を主体とする農業経営の展望も開ける
と言えよう。国産の有機栽培飼料は植物防疫検査に基づく燻蒸のリスクもなく、
流通経費がかさむ輸入有機飼料に対して価格面での優位性も持ち得る。購入有機
栽培飼料に基づく日本型オーガニック酪農というのは、やや奇をてらった言い方
かもしれないが、日本農業の行方にほのかな灯りを照らす新機軸になるかもしれ
ない。
地域農業や住民との接点
オーガニック酪農経営の地域での孤立化への対応も見逃せない課題である。小
売価格が高いオーガニックミルクの原料乳を生産しているので、高収益を上げて
いるというイメージがつきまとい、地域の酪農経営者や農業経営者から疎まれる
ことも少なくない。オーガニック酪農では、乳牛の疾病予防のために外部との接
触を避ける傾向にあり、オーガニックミルクが都市部で販売され、地元では入手
できないことも、さまざまな憶測を生む原因になっているといえよう。
これまでみてきたように、オーガニック酪農の発展は地域農業の土地利用や自
然環境に支えられている。畜産公害へのきめ細かな配慮が必要であることは言う
までもないが、酪農経営や乳業メーカーが積極的に地域の農業生産者や住民との
交流を図ることが求められよう。地域の農地管理機能、飼料栽培による景観形成、
適切な有機栽培による環境負荷の軽減、オーガニック牛乳・乳製品のミニプラン
ト設置などを通して、オーガニック酪農の地域社会との接点を広げながら、地域
住民の共感を得る努力を惜しんではならないだろう。それは酪農の多面的機能の
社会的評価を伝える役割でもある。
オーガニックミルクの信頼性
オーガニックミルク市場の拡大は製品に対する社会的な信頼度に関わっている
といえよう。Non-GMO牛乳にも当てはまるが、消費者がオーガニックミルクに期
待するのは、成分や味だけでなく、安全性や安心である。有機認証制度に基づく
オーガニック表示の客観的な監査は、こうした消費者の期待を裏切らない質の高
いものでなければならない。野菜に比べて畜産の有機認証検査は難しい。検査官
は土壌、飼料、乳牛に対する専門的な知識や施設の衛生管理にも通じていなけれ
ばならない。海外でも通常は専門分野を異にする数人の検査官がチームを組んで、
有機畜産経営の検査に当たっている。有機畜産物認証基準ばかりでなく、その認
証機関の体制づくりに精力を注いでいかなければ、消費者の信頼を維持していく
ことは難しい。
オーガニックミルク市場へのトレーサビリティシステムの導入も消費者の信頼
を維持していくひとつの手法である。インターネット上で安全性や環境の持続性
を重視した生産・流通情報を消費者に提供し、万が一の事故に際して迅速に原因
を究明し、製品を回収し得るトレースバック機能を保持することができる。まが
いもののオーガニックミルクが市場流通することになれば、一挙にその信頼性は
失墜しかねない。オーガニックミルクの信頼性を維持するための手法の開発や情
報提供が求められている。
オーガニックミルクの理念
以上みてきたように、オーガニックミルクへの需要の高まりを受けて、大地牧
場に続くオーガニック酪農に転換する酪農経営が各地でみられるようになるだろ
う。市場規模が大きくなればなるほど、生き残るための手法としてオーガニック
酪農への転換を図る酪農経営も増えてくるに違いない。
しかし大地牧場のオーガニック酪農のパイオニアとしての取り組みから、最後
に強調しておかなければならないのは、有機農業への主体的な意欲と客観的な経
営感覚が欠かせないという点であろう。形式的に有機認証基準をクリアすること
が重要なのではない。それではオーガニックミルクの意義を消費者に伝えていく
活力は生まれない。また理念的な運動の実践の場ではなく、消費者のニーズに積
極的に応えていく経営者としての意識がなければ、オーガニックミルク市場の裾
野は広がらない。
大地牧場のオーガニックミルク生産は、まだ完成された仕組みとして定着して
いるわけではない。それはオーガニックミルク生産に着手してから日が浅いから
というだけではない。オーガニックミルク市場を形成する飼料生産から消費に至
る事業者・消費者をつなぎ、応分のコストとリスクを負担する仕組みを模索して
いるさなかであり、しかもその仕組みは一様ではなく、時間の経過と経験の蓄積
とともに変化していくからである。
酪農生産者、乳業、小売業、消費者のいずれがリーダーシップを発揮して相互
連携を図っていくことになるのかによって、今後さまざまなタイプのオーガニッ
クミルクチェーンが開発されていくだろう。その中で大地牧場とタカナシ乳業が
切り開き、進化させていくオーガニックミルクチェーンは、オーガニックミルク
が日本で定着していくための里程標としての役割を果たしていくに違いない。
【参照文献】
池田一樹、井田俊二「EUにおけるオーガニック畜産
物の生産基準」『畜産の情報海外編』No.98 1997年12月
石村泰宏「盛り上がり待つ有機畜産」『日経地域情報』No.381、2001年12月
The National Organic Program ホームページ http://www.ams.usda.gov/nop/
矢坂雅充「北海道における非遺伝子組み換え牛乳の現状と課題」『食品流通研究
』2、2002年2月
大地牧場ホームページhttp://www.geocities.co.jp/HeartLand-Apricot/1273/wa
tasitatinokoto.htm
タカナシ乳業ホームページhttp://www.takanashi-milk.co.jp/org/bokujo.html
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