日本列島の日本海側のちょうど真ん中に位置する能登半島を主な生産地とする能登牛の由来は、遠く天照大神の時代にまでさかのぼり、小柄な赤褐色の牛との言い伝えが残っている。また、寛永3年、加賀百万石3代藩主前田利常が、能登外浦一帯に製塩業を推進し、製塩薪炭搬出の役牛として増殖を図ったとの記述も残されている。
現在の能登牛は明治25年に兵庫県但馬地方より3頭の種雄牛を導入したのを始めとし、その後計画的に導入された牛が元祖となっている。
その当時の和牛導入は農耕用を目的とした役牛で、四肢、前躯の強健な牛が導入されており、その後様々な改良が加えられ、現在の肉牛としての能登牛へと至っている。
いわゆる「能登牛」というのは、平成7年11月に発足した石川県内の肉用牛関係団体で構成される「能登牛銘柄化推進協議会」が認定しているもので、以下の条件を全て満たすものを指す。
(1)石川県内で6ヶ月以上飼育されたもの
(2)品種は黒毛和牛
(3)血統が明確なもの
(4)4等級以上
石川県内では年間約500頭の和牛が生産されているが、その内の約35%、170頭前後が能登牛として認定され、好評を得ている。
「能登はやさしや土までも」と言われる美しい自然と風土の中で育てられた能登牛の特長は、体躯は小柄ではあるがその分きめが細かく、おしりの部分に至るまで全身にさしが入っている肉質タイプであるということである。
現在、石川県内には約60戸ほどの肥育農家があり、その内の8割が能登半島の先端に位置する珠洲市など奥能登地方で生産を行っている。
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ダイコンと能登牛ロインのミルフィユを
お好みの塩のみで
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ただし、能登牛の肥育農家も他の例に漏れず高齢化が進み、後継者不足による生産力の減退が深刻な問題となっている。
農家や関係団体の地道な努力によりようやく近年、消費者に喜ばれるおいしい能登牛としての認知度が高まってきたところではあるが、その需要に生産が追いつかない現状で、今後はその生産力をいかに増強させることが出来るかが大きな課題である。
能登地方には能登牛のみならず、ずわいがにや寒ぶり、あわびといった豊富な魚介類、魚醤の「いしる」といった伝統料理に地酒、輪島塗や能登上布のような伝統工芸品など食べどころ、飲みどころ、見どころがいっぱいです。
また、15年7月には最後の地方空港ともいわれる能登空港が開港し、アクセスも格段に良くなりました。どうぞこの機会に能登牛のふるさと奥能登を訪れてみてはいかがでしょうか。
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