★ 機構から


玄界灘に浮ぶ良牛の島「壱岐」
〜長崎・壱岐市〜

調査情報部



 畜産の情報「国内編」の「元気な畜産紹介」2004年9月号に引き続き、全国有名ブランド牛肉の素牛生産地として誉れ高い壱岐の肉牛生産について紹介したい。

 壱岐牛は、遠い昔、宮廷で御所車を曳いた名牛筑紫牛の名で知られ、牛と島民の生活は長い年月とどまることなく培われ、現在でも肉牛生産は島の基幹産業になっている。

1.壱岐の農業

 
図1
 

 長崎県壱岐市(平成16年3月に郷ノ浦町、勝本町、芦辺町、石田町が合併し誕生)は、福岡県と長崎県対馬の中間に位置し、南北17キロメートル、東西15キロメートル、総面積138平方キロメートルで、島としては全国で20番目に大きい島である。福岡博多港までジェットホイルで1時間足らず、飛行機では長崎行き1日2往復の運行と交通の便はすこぶる良く、博多、長崎方面からの人の出入りは盛んである。博多の天神でお買物をし、福岡ドームで野球観戦しても片道1時間で楽々行き来できる、都市に近くて、緑豊かな島である。また、気候は、対馬暖流の影響を受けておおむね温暖な海洋性気候で、夏は比較的涼しく冬は暖かである。季節風が非常に強いものの台風に見舞われることは少ない。

 壱岐市の耕地面積は14年度で3,980ヘクタール、うち水田が2,470ヘクタール(62%)と比較的平坦部が多く水田率が高い。農家戸数は、3,153戸、農家率は29.6%である。販売農家戸数は2,587戸でうち専業農家450戸、第1種兼業農家378戸、第2種専業農家1,759戸である。基幹的農業従事者数は、男性1,406人、女性1,650人の合計3,056人で、うち65歳以上の高齢者は1,764人(58%)となっており年々女性の就業割合が高まるとともに高齢化が進んでいる。

 14年度の農業粗生産額は、57億円でこのうち、耕種34億円、畜産が23億円で、このうち肉用牛が22億円(40%)を占め、続いて米15億円(26%)、葉たばこ7億円(13%)、キャベツ、大根などの野菜類などが続く。近年は野菜、花き類の園芸作物が増加傾向にある。

図2 平成14年 壱岐の農業粗生産出額(57億円)

2.壱岐の畜産

 15年の肉用牛飼養農家は、1,300戸、飼養頭数は12,000頭で、それぞれ長崎県全体の26%、13%を占めている。なお、島には酪農家、養豚農家が3戸ずつある。肉用牛は15年4月現在、繁殖雌牛頭数は6,152頭、肥育牛1,350頭、育成牛4,185頭で、地域一貫生産体制の推進により、規模拡大が進んでいる。(表1―1、1―2、図3)

図3 壱岐市における肉用牛飼養戸数・頭数の推移

 一見して、水田、葉たばこの栽培が目につく壱岐島内であるが、粗生産額に見るとおり肉用牛経営は島の基幹農業といえる。

 壱岐は、長崎県下でも屈指の肉用子牛生産地域で15年の繁殖雌牛頭数が6,152頭で県全体の23%を占め、離島でありながら長崎県の子牛生産の重要な役割を担っている。1戸当たりの飼養頭数は、4.8頭と県平均の5.7頭に比較し小規模であるが、繁殖牛10頭以上の多頭飼育農家は6年には全体の3.3%、15年14.8%と着実に規模拡大が進んでいる。

 子牛は、島のほぼ中心部にある壱岐家畜市場で隔月に開催される子牛市場に出荷される。14年度の取引頭数は、4,520頭でそのうち70%が県外に出荷されており、主な出荷先は佐賀・福岡を主体とする九州(32%)、近畿中部(15%)、関東・東北(13%)などとなっている。 

 壱岐の畜産の特徴は、「壱岐地域農業振興協議会技術者会畜産部会」や「肉用牛振興ビジョン21」の存在であろう。

 平成3年の牛肉の輸入自由化により相場が低迷し、特に肥育経営が少ない壱岐では子牛価格の下落は繁殖経営に大きく影響を及ぼした。そのような中、高齢者の労力軽減のために子牛共同育成施設の設置、肥育育成技術の平準化、飼料増産推進計画、産肉成績を上げるための壱岐牛適正交配マニュアルの策定など県、町、農協などが所有する情報を共有化し多方面から一体的に農家経営を指導支援していく体制を整えた。

3.壱岐のガンバル畜産

図5 壱岐島 調査先農家の位置

(1)藤本博子さん、光義さんの黒毛和牛繁殖経営

 
  我々の質問に丁寧に答えて下すった藤本博子さん(右から2番目)
 
新しい牛舎の様子、飼養管理について説明を聞く
 
牛舎から放牧場につづく誘導電牧


 壱岐島の博多への玄関口芦辺町箱崎の住宅街を抜けると藤本さんの牛舎がある。もともと和牛繁殖経営は繁殖雌牛10頭以下で行っていたが、当機構の補助事業である14年低コスト肉用牛生産特別事業により低コスト牛舎(451平方メートル:実証展示牛舎)およびたい肥舎(99平方メートル)を設置し、これにより繁殖雌牛頭数は、現在23頭(うち育成牛5頭)と順調に拡大してきた。

 牛舎は中も外も整然と整理されており、県の係長も「いつ来てもきれいな牛舎なんですよ」と言っていた。新しい牛舎を建てたことによりボロ出しが10日に1回程度になり、連動スタンチョンを設置したことにより、エサやりなどの管理もしやすくなり労力が軽減されたとのこと。さらに、牛舎に近接する飼料畑をパドックにして、周辺に電気牧柵を巡らし、簡易放牧を実践し、足腰の強い母牛つくりをしている。この牧柵を張り巡らしたのも、槌を振るったのも博子さんである。たくましい実行力である。この日も同行していただいた市の担当係長と電牧の張り具合、電気のかけ方など相談していた。

 自作地は米作45アール、飼料畑57アール、借地は米作地40アール、飼料畑200アールの土地でソルガム、スーダングラス、イタリアンライグラスなどを主に、飼料生産にも取り組んでいる。光義さんは、ほかに勤めをされており、米作、肉牛繁殖経営と多忙な日を送っている。この日、われわれの訪問に対応してくれたのは、奥様の博子さんで、経営内容についてのわれわれの質問に次々と丁寧に対応されて、経営状況の把握と今後の経営に対する明確な方針をお持ちの様子がうかがえた。

 博子さんに現在の成果をお聞きすると「牛舎を新築して、牛の繁殖成績も1年1産達成までもう少しに迫った」とのことで、現在の繁殖供用期間は平均10産程度、分娩間近の牛には寝る前に十分粗飼料を食べさせて分娩を人の目が行き届く昼間へ誘導するなど管理も徹底している。

 また、近隣畜産農家とのかかわりは良好で、法事などの行事で仕事が滞るときは、互いに気安く声を掛け合って仕事を助け合い、子牛のセリ市が終了するとみんなでその結果を持ち寄り、販売価格や系統の勉強などについて夜遅くまで「反省会」が行われる。

 今後の目標は、繁殖牛を30頭まで増頭し経営を安定させたいとしている。心配していた後継者も次男が島に帰ってくることが決り、本人の希望があれば経営を任せたいと控えめであるが期待を語っていた。

(2)杠(ゆずりは)牧場

 藤本さんと同じ町内にある杠牧場は、島根県出身の杠宗(ゆずりは そう)さんただ1人で牧場を運営している。真新しい牛舎の隣に事務所兼住居がある。15年に壱岐で経営を開始し、1年間単身赴任で牧場に寝泊りする生活が続いている。寝ても覚めても牛に心を配る熱血派であるが、事務所の壁にお子さんが描いた「おとうさん(杠さん本人)の絵」が印象的であった。

 
 
飼養技術について語る杠さん
 
真新しい牛舎でゆったりと飼養される雌牛
 
一目で個体の繁殖状況がわかる一工夫


 杠さんは経歴もバリバリの畜産人である。旧島根県経済連、北海道大樹町農協、山口県キャトルファーム種雄牛センターなどを経て、夢の実現のための地を探して日本を5周し、最終的に壱岐にIターンし根を降ろした。認定農業者でもある(注)。

 現在、自作地飼料畑158アールを所有、黒毛和種雌育成牛55頭、繁殖雌牛19頭を飼養している。繁殖素牛は、導入と自家生産を併用した繁殖経営であるが、その内容は、ハラミ(妊娠牛)で出荷するというものである。昨年は、初妊牛36頭、子牛2頭を年4回開催された成牛市場に出荷し、3分の2を島内に、3分の1を県外に販売したとのこと。経営の特色について(1)子牛生産は血統の選定などが価格に反映し価格リスクが大きいこと、(2)繁殖経営は資金回収のスパンが長く単年度で経営収支が把握しにくいことから血統の選定などリスクを半減し資金も単年度で整理できる早期育成としていることが挙げられる。このためなるべく低コストでエサを吟味し、徹底した栄養管理を実施するなどの現在の形態に行き着いたというユニークな理論を披露していただいた。

 また、壱岐を選んだ理由は(1)壱岐の黒毛和牛のレベルが自分の作ろうとする黒毛和牛のレベルに合致していたこと(2)昔からの良い意味での封建的な、他人のことを心配し合う社会が根付いていること(3)営農指導体制が充実していることに加えて身の丈にあった経営をしていけるのが魅力だったとのことであった。

 将来の目標は、早く借金を返済し、多忙を極めている中、何とか時間を作り東京などで行われる経営セミナーなどに積極的に参加し、経営感覚を磨いて行きたいと抱負を語っていた。

 県外から新規参入されて地域と孤立していないかという問いに対し、現在、壱岐農協の紹介で島内の若い後継者の研修生を2人受け入れている。ただし、作業はさせず、徹底的に黒毛和種の種雄牛の特徴を頭にたたき込み、牛の系統や飼養管理、経営上生じる問題や研修生の実家の経営との違いなどをじっくり議論しながらお互いに切磋琢磨しているとのこと。また、前述の藤本さんとはお互いが留守のとき牛の面倒を見合う関係とのことである。われわれが訪問した時も杠さんに雌子牛を販売した生産者の方が「うちの牛の様子はどうだろうか?」と牛の様子を見に訪れており、杠さんは快く対応されていた。

注)認定農業者:経営基盤強化促進法に基づき農業経営の規模拡大、生産方式、経営管理の合理化、農業従事の態様(労働改善など)の改善等農業経営の改善を図るため、計画を市町村が基本構想に照らして、認定した農業者(農業)をいう。

(3)野元畜産

 
 
野元勝博さんと奥様の芳枝さん
 
屋根が高く整然とした牛舎
 
出荷を間近に控えた牛も人なつこい(野元畜産)


 壱岐市役所や公共機関の集中する郷ノ浦町に野元畜産がある。肥育牛204頭の経営規模は圧巻である。野元勝博さんは壱岐農協に勤務しながら畜産の実績を積み、7年に黒毛和牛肥育36頭から経営を開始した。11年には認定農業者となり、12年には低コスト肉用牛生産特別事業による低コスト牛舎(1,212平方メートル)の完成を機に、農協を退職され専業従事者として肥育牛も一挙に168頭へ増頭、順調に規模を拡大した経営であった。

 その肥育牛が出荷を迎える13年9月に国内初の牛海綿状脳症(BSE)が発生、枝肉価格が急落し経営の危機となったが、14年には奥様の芳枝さんが専業従事者として協力し始め、2人で荒波を乗り切り、現在肥育牛204頭、繁殖牛9頭の経営を行っている。

 現在、稲わらなど粗飼料の供給を確保しつつ19〜20カ月肥育を行い出荷している。出荷先は福岡市場を主に、関西では神戸市場、関東では横浜市場へ出荷し、A4比率が出荷全体の80%以上と非常に高い。各市場の買参人からも高い評価を得ており、中身に納得してもらえれば、リピーターとなって必ず買い付けにきてくれるというよい結果を産んでいる。

 好成績の背景には、近年、壱岐の子牛の系統が整備されはじめたことにより、体形的(肉量)にも大型になり肉質的にも均質で非常に良いことが上げられるとのことであった。野元さん自身も「壱州(本州、九州と肩を並べられるほどの存在になるようにと願いを込めて名付けた)枝肉研究会」の代表として島内の肥育農家と連携して日夜研究にいそしんでいる。

 また、飼料畑では、繁殖牛用にスーダングラス、イタリアンライグラスを生産し、自作地にたい肥を還元しているほか、島内の稲作、葉たばこ、野菜農家にたい肥を販売し稲わらと交換するなどして不足している粗飼料を補っている。

 今後の目標は、肥育経営を安定させた上で、最近、壱岐でも高齢化が進む繁殖経営を底上げすべく力をいれ繁殖雌牛100頭規模を目標として、地域の活性化も図って行きたいとのことである。

4.壱岐家畜市場

 隔月に開催される子牛市場の様子を見学することができた。

 セリ場の階段席の後方には、掲示板をにらむ主婦の姿が多く目に付いた。場内には女性たちのセリ値が決まるたびに出る「おおっ」というため息や歓喜の声、出場子牛名簿にメモをとるサラサラという音が良く聞こえた。その日の夕べに行われるであろう反省会のためのメモ取りであろう、大変勉強熱心である。また、待機場、けい留場にも女性の姿が目立った。「私の育て上げた子牛」を丁寧に磨き上げ、おめかしさせて出場させるのである。

 この日の壱岐市場での取引頭数は、夏真っ盛りであったにもかかわらず、めす257頭、去勢352頭であり、平均取引価格はめす442千円、去勢528千円、平均で491千円で、市場開設以来の最高値がついた。

壱岐家畜市場のセリ場
待機場で出番を待つ子牛と出荷者


図6 壱岐市場家畜市場子牛価格の推移
資料:壱岐市場の数値は、壱岐市場速報値、全国平均は「全国の肉用子牛取引情報」


出番を待つ子牛の手入れをする女性

5.壱岐キャトルステーション  (共同育成施設)

 地域一体となり農業の中に畜産(黒毛和牛繁殖経営)を取り込んでいる壱岐でも近年、担い手の減少や繁殖農家の高齢化などで飼養管理や粗飼料生産など労働が過重となっており、子牛の品質が低下する事態が発生していた。

 事態を重く見た、農協、旧壱岐4町および長崎県では、8年より検討を開始し、先進地視察や農家に対しての希望聴取などを重ね、12年度畜産振興総合対策事業(肉用牛生産組織育成対策:国庫事業)により総事業費1億1千万円を投じて、壱岐市農協が事業実施主体となり農家で生まれた子牛を市場出荷まで預かる子牛共同育成施設(キャトルステーション)を県下初の取り組みとして設置した。

キャトルステーション概観
 
図7 壱岐キャトルステーションの概要

おわりに

 島の全景を見渡せる芦辺町の男岳展望所に昇った。山々の間に点々と見え隠れする集落は、強い季節風を避けるように山を背にしてひっそりと落ち着いている。男岳にある男岳神社(おんたけ)は、猿田彦命(さるたひこのみこと)を祭神としていることからか、申にちなんで、境内に所狭しとさまざまな様相の石猿が奉納されており、観光スポットになっている。

 
 
のんびりと横伏する石牛群


 しかし、その昔は、島民が牛の健康や繁殖を祈願して石牛を奉納したことが始まりと言われている。見てみると石猿の中に雨風にさらされて丸くなった石牛があった。家族と同じようにいたわり合い、育てた良牛へ感謝を込めた島の人々の暖かい思いが伝わってくるようであった。

 壱岐は、豊かな水と緑に恵まれ、新たな畜産を志す人々を引きつける玄界灘に浮ぶ夢の島であった。 

 最後に、この度の取材に際し、ご協力いただいた長崎県畜産課、壱岐支庁農林課畜産班、壱岐市芦辺支所、JA壱岐市畜産部家畜市場の関係者をはじめ調査先農家などの多くの方々に厚く御礼申し上げる。

 


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