◎調査・報告 


需給/価格

アジア経済連携の進展と生乳需給への影響

農林水産政策研究所研究員 木下 順子
九州大学農学研究院教授   鈴木 宣弘


1. はじめに

 牛乳・乳製品はコメに次ぐセンシティブ品目の一つであるが、日本はウルグアイ・ラウンド以前から生乳を自由化しており、現在の実行関税率は 21.3%、牛乳(処理乳)でも関税割当枠内で25%と、すでにほとんどの乳製品の関税率より低く設定されている。さらに、昨今ではアジア諸国間でFTAなどの経済連携が急速に進展しつつある。今後、韓国や中国が生乳輸出余力をどれだけもち得るのか、また、乳質や衛生規準などの非関税面での条件をどの程度のコストでクリアできるのかにもよるが、中長期的には生乳・牛乳の輸入もあり得ることを念頭に、今後の酪農政策などのあり方について議論を掘り下げておくことは重要である。

 そこで、本研究では、もし韓国や中国とのFTAにより生乳・牛乳(以下「生乳」と略)がゼロ関税となり、生乳貿易が始まった場合、日本の生乳市場への影響はどの程度か、各国の生乳需給はどのように変化するのかなどを、経済モデルを使って分析する。

2. 方法

 生乳貿易の可能性を見据えた国内の研究事例はまだ少ないが、日本・韓国間の生乳貿易の影響を生乳1財のシンプルな部分均衡モデルにより分析した事例として中原(2003)があり、同様のモデルを中国を含めた3国モデルに展開した事例として鈴木(2004)がある。しかし、これらの分析結果は「数値例」にとどまり、FTA交渉などでの基礎資料として実践的に活用できるものではなかった。

 そこで、本研究では、日本、韓国および中国における実際の生乳生産費、乳価、生乳需要などに適合した連立方程式体系による実践的な試算結果を提示する。分析モデルは、次の3つのケースについて展開する。
モデル1:日本・韓国の2国間で貿易が生じた場合(日韓貿易)
モデル2:日本・韓国・中国の3国間で貿易が生じた場合(日中韓貿易)
モデル3:「国産プレミアム」がある日中韓貿易の場合
ここで、「国産プレミアム」とは、日本の消費者が輸入された生乳よりも国産の方をより高く評価する傾向を意味する。鈴木(2004)はこの「国産プレミアム」を、「原産国の違い以外の品質は同等の国産品と輸入品との間で、国産品の方が高価格で買われる場合の価格差」として指標化し、モデルに組み込んだ。本研究ではこれと同様の方法をモデル3に適用する。

3. 分析モデル

(1) 前提条件

 論点を明確にするため、生乳1財のシンプルな部分均衡モデルを構築する。また、日本については韓国、中国と最も近い九州地域(沖縄を除く7県)のみを考慮する。つまり、韓国や中国からの生乳輸入の影響は、九州以外の国内の乳価や生乳需給へは波及しないと仮定する。生乳輸出入に係る費用は、九州−韓国間、九州−中国間、韓国−中国間いずれも輸送費のみで6円/キログラムとし、輸入された生乳の日本での販売価格は「輸入乳価プラス6円」になると仮定する。そして、各国の乳価格差が輸送費を上回れば貿易が行われ、両国の乳価格差がちょうど輸送費に等しくなる点で貿易量が決められる完全競争市場を仮定する。日本における用途別乳価システム(生乳の最終用途によって生産者乳価が異なるシステム)については、生乳輸入がないことを前提として成り立つシステムであるため、生乳輸入が行われれば消滅し、いずれの用途も同じ乳価になると仮定する。ただし、モデルの複雑化を避けるため、九州を除く国内の用途別乳価水準は輸入開始前と等しく一定と仮定する。なお、東アジア圏外(オーストラリアやニュージーランドなど)からの乳製品輸入については、簡単化のため考慮しない。

 生乳供給関数は、次のように導出される。まず、両対数線形型の供給関数を仮定し、i国の生乳生産量Siおよび国内乳価Piについて、
 (1)Si = ai Pi bi
が成り立つと仮定する。ただし、aiは定数項、biは生乳生産の価格弾力性を示すパラメターである。ここで、biを生乳生産の長期価格弾力性とし、過去のある期(基準年)の生乳生産量S0iおよび当時の国内乳価P0iについても同様に、
 (2)S0i = ai P0i bi
が成り立つとすれば、(1)/(2)より、
 (3)Si / S0i = (Pi / P0ibi  または
 (4)Si = S0i (Pi / P0ibi
が得られる。この(4)式のS0i、P0iおよびbiの値を外生的に与えれば、i国の生乳供給関数が国内乳価のみの関数として表される。

 以上と同様の手順で、生乳需要関数は次のように導出される。すなわち、(4)式のSi、S0iおよび biを、それぞれ生乳需要量Di、過去のある期(基準年)の生乳需要量D0i、および生乳需要の価格弾力性ciに置き換えれば、
 (5)Di = D0i (Pi / P0ici
が得られる。(5)式のD0i、P0iおよびciの各値を外生的に与えれば、i国の生乳需要関数が国内乳価のみの関数として表される。

表1 モデルの外出パラメターに摘用する数値データ
注1:県別総合乳価の加重平均価格として算出した。
2:飲用乳価と加工向乳価との加重平均価格が総合乳価である関係式により逆算した。
3:10won/yenとして換算した。
4:調査対象農家5件における単純平均価格を、US$ペッグ制8.28yuan/US$および110yen/US$として換算した。

(2) 日韓貿易(モデル1)

 現行(2001年)の韓国乳価は60円/キログラムであり、九州へ輸出された場合の販売価格は、輸送費6円/キログラムを足した66円/キログラムとなる。現行の九州の乳価は、飲用90.1円/キログラム、加工向け61.8円/キログラムであるから、韓国の生乳は飲用乳価より安いが、加工向けよりは高くなる。したがって、九州の飲用需要のうち、九州の生産では足りない部分が韓国から輸入され、加工向け需要については九州以外の国内産地からの移入で賄われると仮定する。すなわち、九州の輸入量IJは、九州の供給量(生乳生産量SJから移出量17.8万トンを差し引いた数量)では九州の飲用需要DFJを満たせない分
 (6)IJ = DFJ -(SJ - 17.8)
となる。ここでSJは、(4)式に表1の数値データを適用し、九州の総合乳価PBJのみの関数
 (7)SJ = 79.8 (PBJ / 86.8)1.979
と表される。DFJは、(5)式に表1の数値データを適用し、九州の実需者支払乳価PDJのみの関数
 (8)DFJ = 49.5 (PDJ / 90.1)-0.852
と表される。PBJは、域外移出分の乳価と九州の飲用乳価の加重平均価格であるから、
 (9)PBJ = [75.8 × 17.8 + PDJ ×(SJ - 17.8)] / SJ
と表される。PDJの水準は、輸入に伴い、韓国の乳価PKに輸送費6円/キログラムを加えた
 (10) PDJ = PK +6
まで低下する。

 一方、韓国の日本向け輸出量XKは、韓国の生乳生産量SKから需要量DKを差し引いた
 (11)XK = SK - DK
となる。ここでSKおよびDKは、それぞれ(4)および(5)式に表1の数値データを適用し、韓国の乳価PKのみの関数
 (12) SK = 233.9 (PK /60.0)0.870
および
 (13) DK = 233.9 (PK /60.0)-1.580
と表される。PKの水準は、日韓の生乳需給が一致する点で決まるため、
 (14) PK = PK (DFJ + DK) / (SJ - 17.8 + SK
という関係式が成り立つ。

(3) 日中韓貿易(モデル2)

 現行(2001年)の中国の乳価は20.3円/キログラムであり、中国産の生乳の九州または韓国での販売価格は、輸送費6円/キログラムを足した26.3円/キログラムである。圧倒的な安さのため、九州へは飲用だけでなく加工向けとしても大量に輸入され、韓国もまた中国からの生乳輸入国となる。モデルの導出は、モデル1と同様の手順である。詳細は平成16年度報告書を参照されたい。

(4) 国産プレミアムの組み込み(モデル3)

 まだ輸入されたことがない生乳について、「国産プレミアム」が発生するとすればどの程度を見込むべきかを議論するのは難しいが、たとえば、飲用牛乳の購買行動に関する図師(2004)の消費者アンケート調査結果はよい検討の材料となる。同調査では、福岡市内の一般消費者41人を対象に、「小売価格180円の標準的な牛乳が、仮に韓国産または中国産だった場合、いくらであれば購入するか」と質問したところ、回答金額を平均すると、韓国産94.5円、中国産72.9円であった。これを、原産国以外は同等の飲用牛乳に対する消費者の支払意思額の格差が、韓国産85.5円、中国産107.1円であると解釈し、これらの金額を「国産プレミアム」と呼ぶことができる。支払意志額の格差率を求めると、韓国産に対して1.90(国産には韓国産の1.9倍支払う意思がある)、中国産に対して2.47(国産には中国産の2.47倍支払う意思がある)となる。

 ただし、これは飲用牛乳の小売段階の調査結果であり、生乳についてそのまま適用するのは本来妥当ではないことを念頭に置く必要があるだろうが、仮に適用してみるならば、九州の飲用乳価が90.1円/キログラムのとき、輸入品に対する支払意志額は、韓国産ならば47.3円/キログラム、中国産ならば36.5円/キログラムとなる。つまり、ちょうどこれらの価格水準で、国産と輸入品とが完全代替関係になると解釈できる。すると、韓国の乳価が60円/キログラム(九州での販売価格66円/キログラム)という現状では、輸入は全く行われない。一方、現行の中国の乳価20.3円/キログラム(九州での販売価格26.3円/キログラム)では、輸入は行われる。つまり、上記の程度の「国産プレミアム」を仮定すれば、日本の生乳輸入先は中国のみとなる。また、九州の加工向け乳価61.8円/キログラムと比較した中国の生乳への支払意志額は25.0円/キログラムであるから、輸入は飲用のみに抑えられる。

 さらに、韓国でも同様に、韓国産の生乳に対して「国産プレミアム」が発生することを仮定しよう。中国産に対する支払意志額格差率を同じく2.47とすれば、韓国の乳価が60円/キログラムのとき、中国からの輸入に対する支払意志額は24.3円/キログラムとなる。したがって、中国産の生乳が輸送費を足して26.3円/キログラムのとき、中国産の生乳は韓国に全く輸入されない。つまり、日中韓の間で「国産プレミアム」の影響を考慮すると、韓国を除いた日本・中国間の2国間貿易モデルとなる。モデルの導出は、モデル1と同様の手順である。詳細は平成16年度報告書を参照されたい。

表2 東アジア生乳貿易による生乳需要、乳価、生乳生産額および
生乳自給率の変化
注:(  )内は現状値を100とする指数。

4. 分析結果

 以上の3つのモデルをそれぞれ連立方程式体系として解き、結果を表2に示している。

 まず、日韓貿易のケース(モデル1)の結果を見てみよう。韓国から日本への生乳輸出量は26.2万トン、これは韓国の生乳生産量の約10%、九州の生乳需要の35%に当たる。九州の飲用乳価は68.9円/キログラム(現状値の76.4%)へと大幅に低下するため、九州の生乳生産量は53.8万トン(67.4%)に減少し、一方で需要量は74.8万トン(120.5%)へと増加する。この結果、九州の生乳自給率は71.9%に低下する。一方、韓国の乳価は63.9円/キログラム(104.1%)へと若干上昇している。乳価上昇のため、韓国の生乳生産は刺激されて243.6万トン(104.1%)に増加し、韓国内の需要量は、217.3万トン(92.95%)に減少する。

 次に、日中韓貿易のケース(モデル2)の結果を見てみよう。中国の生乳は九州の加工向け乳価水準よりもかなり安く輸入されるため、九州が受ける影響は日韓貿易のケース(モデル1)よりはるかに大きく、韓国も大量の生乳を中国から輸入することになる。九州の輸入量は128万トン、韓国の輸入量は388万トン、計516万トンが中国から輸出される。これは、中国の生乳生産量の約35%に当たり、輸出額を計算すると約1,522億円となる。九州の飲用乳価は35.5円/キログラム(39.4%)へと大幅に低下するため、九州の生乳生産量は34.1万トン(42.7%)にまで減少し、片や需要量は144.5万トン(232.8%)へと大幅に増加する結果、九州の生乳自給率はわずか23.6%に低下する。一方、中国の乳価は29.5円/キログラム(145.6%)に上昇し、生乳生産が刺激されて1,492.8万トン(145.6%)に増加する。

 最後に、「国産プレミアム」がある日中韓貿易のケース(モデル3)の結果を見ると、中国の輸出量は約30万トン(輸出額62億4千万円)に抑えられ、九州が受ける影響は日韓貿易のケース(モデル1)とほぼ同程度にまで緩和されている。この結果は、日本酪農が輸入による競争圧力を緩和するためには、消費者の「国産プレミアム」意識がかなり大きな支えになる可能性を示している。

5. おわりに
−「双方向貿易」の可能性−

 以上のように、各国の乳価格差のみに応じて生乳貿易が行われるという大ざっぱな仮定の下では、大量の生乳や牛乳が日本に輸入されることになるが、もし大きな「国産プレミアム」がある場合には、貿易量はかなり大幅に抑制される可能性があることが示された。つまり、この「国産プレミアム」の維持や拡大をどれだけ図れるかが、今後の競争可能性を決める一つの重要なポイントとなるだろう。

 ただし、本研究では、日本については九州のみを考慮したが、もし加工原料乳地帯である北海道を考慮に入れるならば、趙(2005)も指摘しているように、日本は生乳や牛乳を輸入するだけではなく、逆に北海道から韓国への生乳や牛乳の輸出の動きもあり得ると考えられる。

 17年3月に新たに定められた国の政策目標である「食料・農業・農村基本計画」の中でも輸出促進に向けた取り組みの推進が盛り込まれたところであり、日本にとって生乳や牛乳の輸出は、いま重要な選択肢となりつつある。現在、日本では、脱脂粉乳の過剰在庫累積のため、生乳生産の抑制や、チーズ向け用生乳増加のための対策を推進しているが、北海道の生乳生産は抑制傾向になく、かといって、今まではチーズ向けの手取り乳価が30〜40円程度であったため、チーズ向けを増やすと北海道のプール乳価が下がり、都府県との乳価格差が広がってしまう。北海道にとっては、都府県向け生乳移送を増加するか、あるいは産地パックを拡大して製品牛乳の都府県向け移送を増加する方がメリットがあるのだが、それでは新たな「南北戦争」となる問題がある。そこで、第三の選択肢として浮上しているのが、北海道からソウルに生乳や牛乳を輸出することである。韓国の生産者乳価が最近上昇していることを考慮すると、小樽からソウルまで輸送費が約10円かかり、関税36%が上乗せされたとしても、これまでの30〜40円程度の日本のチーズ向け乳価よりも高い手取りを得られる可能性がある。

 さらに、日本の高品質な生乳や牛乳を韓国や中国でブランド化し、積極的に売り込む道も考えられる。生源寺(2003)の指摘のとおり、品質面での中国の生乳の国際競争力はまだ弱く、抗生物質の残留も懸念される。韓国では乳牛への成長ホルモン投与が許可されている。日本の牛乳は、高くても安全な食料品を購入したいと考えている韓国や中国の高所得者層から十分に需要を得られる可能性がある。今後は日本の特産品ブランドを国際的に確立できるような時代を目指す必要がある。

〔参考文献〕
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生源寺眞一(2003)「解題−中国の酪農・乳業をめぐって」『中国の酪農・乳業の現状と課題』中央酪農会議、世界の酪農・農業No.7、pp.9-19.
Wattiaux M.A.、 G.G. Frank、 J.M. Powell、 Z. Wu、 and Y. Guo (2002) Agriculture and Dairy Production Systems in China: An Overview and Case Studies. Babcock Institute Discussion Paper 2002-3、 Collage of Agricultural and Life Sciences、 Wisconsin、 US.
図師直樹 (2004)『牛乳の商品特性に対する消費者評価分析』(九州大学卒業論文)


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