海外駐在員レポート  
 

温室効果ガス排出削減問題に主体的に取り組む英国の畜産関係団体
〜畜産部門から環境への影響緩和をめざして〜

ブリュッセル駐在員事務所 前間聡、小林 奈穂美


  


1.はじめに

 昨年は、12月にデンマークのコペンハーゲンで開催された第15回気候変動枠組条約締約国会議(COP15)の模様が頻繁に報道されたこともあり、気候変動の緩和を目的とした温室効果ガス排出削減対策の関心が高まったことは記憶に新しい。欧州委員会は、2007年時点においてEU27の温室効果ガス総排出量の約9%が農業部門に由来するとの前提に立ち、既存の共通農業政策(CAP)の枠組みの下で温室効果ガス排出削減にも寄与する施策を推進しているものの、これらの施策をどのように農場レベルに適用するかについては、各加盟国の裁量に委ねられるところが大きい。この意味では、農業部門由来の温室効果ガス排出削減を一義的な目標としてEUであまねく導入されている支援制度または規制は現時点では該当がないと見ることもできる。

 そこで本稿では、温室効果ガス排出削減を通じた持続可能な畜産について消費者の支持を拡大するため、英国の政府および酪農乳業団体が一丸となって進めている「Milk Roadmap」に関する活動の紹介を通じ、英国の畜産関係団体が温室効果ガス排出削減を含む環境問題についてどのような問題意識を持ち、具体的にどのような行動を起こしているかについて報告することとする。


2.畜産と温室効果ガスの関係

 温室効果ガス総排出量に占める農業部門の割合は少なくないと言われる。図1は欧州環境庁(EEA)が発表した2007年時点におけるEU27の部門別温室効果ガス排出量割合を示したものであるが、約9%が農業部門由来と推計されていることが分かる。京都議定書の対象とされた6種類の温室効果ガスのうち、農業部門に特に関連が深いものは、二酸化炭素、メタンおよび一酸化窒素であり、二酸化炭素は生産資材の生産・加工・流通、メタンは家畜の消化内発酵や排せつ、一酸化窒素は有機/化学肥料の投入などに起因してそれぞれ大気中に放出される。
図1 EU27における温室効果ガスの部門別排出割合(2007年)

 表1は、世界の家畜が1年間に排出する温室効果ガスの量を畜種別に推計したものの一例である。メタンの地球温暖化係数(GWP: Global Warming Potential)は二酸化炭素の約20倍に相当するとされていることを考慮すれば、反すう動物である牛および緬山羊由来の温室効果ガス排出量が大きなウェイトを占めていることが分かる。地球温暖化問題が顕在化する以前は、反すう動物の粗放的な飼養は、人類が直接消化することのできない食物繊維(セルロース)を反すう動物が消化・吸収すると同時に、排せつされるふん尿が草地に直接還元されることとなるため、環境への負荷が比較的少ないと考えられてきたが、温室効果ガスの排出という観点ではこのような飼養形態においても課題が残ることとなる。これまで畜産環境の面では優等生とされていたオセアニアの国々が、畜産部門において必ずしも近年の地球温暖化防止に関する議論をリードする立場にないのはこのような事情が影響しているためであろう。
表1 世界の家畜が1年間に排出する温室効果ガスの推計値


3.温室効果ガス排出削減に関連するEUの現行施策

(1)欧州連合域内排出権取引制度(EU-ETS)

 EUの温室効果ガス排出削減において中核となる措置は、欧州連合域内排出量取引制度(EU-ETS: European Union Emission Trading System)である。加盟国別、事業者別に割り当てられた温室効果ガス排出許容量の取引を可能とするこの仕組みは、2005年よりEU15において導入されている。しかしながら、農業部門については、

・中小規模の農場数が膨大であること

・ 農場ごとの排出量を立証することが困難であること

・ EUレベルで最適化・標準化された土壌中の炭素のモニタリング手法および基準値が整備されていないこと

といった農業特有の事情を克服する必要があるため、2010年現在までのところEU-ETSの対象には含まれていない。


(2)農業部門由来の温室効果ガス排出削減にも寄与する規制または支援措置


 前述のように、EU ETSという温室効果ガス排出削減に直接作用する措置は農業部門に適用されていないものの、EU全域で導入されている一般的な環境保全のための規制や支援措置の中には、農業部門由来の温室効果ガス排出削減にも寄与しているものも少なくない。ここでは、それらの概要を紹介することとする。

(1) 硝酸塩指令(91/676/EEC)

 わが国の畜産関係者にもよく知られているEUの硝酸塩指令は、農業活動から生じる硝酸塩による水質汚染を抑制することを目的とした規制であり、加盟国には国内法制定を通じ、硝酸塩脆弱(ぜいじゃく)地域(NVZ)の指定、硝酸塩による汚染防止のための農作業基準の導入などの措置が義務付けられている。この規制により、化学肥料投入量の削減、たい肥の適正管理・使用の普及、飼料中のたんぱく含有量の制限1などが実践されることとなり、結果として、農地や家畜から放出される温室効果ガス(一酸化窒素)の削減にもつながっていると考えられる。


(2) 統合的汚染防止管理指令(96/61/EC)

 統合的汚染防止管理指令は、事業の操業許可制度を通じ、域内の事業者からの汚染を最小限とすることを目的とした規制であり、畜産においては、集約的な養豚・養鶏経営2に係る登録と汚染の測定が義務付けられている。なお、規制の対象となった畜産経営においては、アンモニア排出削減に関する技術の導入が義務付けられている。

(3) 環境影響評価指令(97/11/EC)

 環境影響評価指令は、事業用建築物の許可を得るに当たって環境影響評価を義務付けるもので、その評価対象には、ヒト、動植物、土壌、水質、大気、気候のほか、景観、文化遺産などへの影響も含まれる。

(4) 加盟国の温室効果ガス排出削減努力に関する欧州議会・理事会決定(No 406/2009/EC)

 本決定は、EU-ETSにおいて対象とされていない部門についても温室効果ガス排出削減に係る努力を加盟国に促すことを目的としたものであり、農業部門もこの対象に含まれている。本決定の適用期間は2013年から2020年までとされているが、2020年における加盟国の温室効果ガス排出限度は2005年比で▲20%(デンマーク、アイルランド)から+20%(ブルガリア)まで多岐にわたっている(図2)。この温室効果ガス排出限度は、本決定の対象となる部門全体で達成すべきものとされ、農業部門単独の排出限度や措置は特段規定されていないが、達成のためには農業部門の貢献は不可欠と考えられ、各加盟国の努力が期待されている。

図2 欧州議会・理事会決定(406/2009/EC)で規定されている
2020年における加盟国別の温室効果ガス2005年比排出限度

(5) 共通農業政策第2の柱(CAP Pillar U)

 共通農業政策第2の柱は、域内農業に係る(1)競争力の向上、(2)環境および農地管理の改善、(3)農村経済の多様化と生活の質の向上、という3つの基準のいずれかに関係する広範な農村開発政策を提供している。この第2の柱は、農業由来の温室効果ガス排出削減を一義的な目的として措置されているものではないが、この枠組みの下で実施されるエネルギー削減活動、たい肥処理の改善、飼養密度の制限などに関する活動を通じて農業由来の温室効果ガス排出削減への貢献が可能となっている。



4.英国のMilk Roadmapを中心とした活動

 次に、畜産部門由来の温室効果ガス排出削減に向け、政府と関係団体が一丸となって取り組みを進めている先進事例として英国の「Milk Roadmap」を紹介することとする。

(1) Milk Roadmapの位置づけ

 Milk Roadmapは、飲用乳が環境、社会および経済に与える影響とそれらの影響を緩和するための措置について英国民の理解を深めることを目的として、行政(defra:環境・食料・農村地域省)、生産者団体(Dairy Co、NFU:全国農業者連盟など)、乳業団体(Dairy UKなど)および流通団体(TESCO, Sainsbury’s, ASDAなど)から構成される組織であるDSCF(Dairy Supply Chain Forum)により策定された行動計画であり、2008年5月に公表された。Milk Roadmapには、短期(目標年:2010年)、中期(同2015年)および長期(同2020年)ごとの具体的な行動目標が、生産、加工、流通の各段階で設定されており、飲用乳産業全体の不断の努力を促す構成となっている。

 なお、Milk Roadmapの対象として飲用乳が選定されたのは、英国の飲用乳市場において、要冷蔵のパスチャライズド牛乳が流通の主体(飲用乳におけるシェア:約87%)となっていること、その流通が英国のグレートブリテン島内でほぼ完結しているため、状況の把握などが比較的容易であり、Roadmapの「出発点」として適当であったことに加え、飲用乳業界全体もこの活動に積極的であったことが理由とされている。
図3  2008年5月に公表されたMilk Roadmap(中央)と
その基礎とされたライフサイクルアセスメント3報告書(左)および
Milk Roadmapの1年間の成果を取りまとめた暫定報告書(右)
(2)Milk Roadmapの概要

 Milk Roadmapは、前述のとおり飲用乳における生産、加工、流通の3部門において、2010年までの「短期目標」、2015年までの「中期目標」および2020年までの「長期目標」をそれぞれ設定することとなっている。このうち、短期目標については、Milk Roadmap公表から1年後の時点における達成度が暫定報告書という形で2009年8月に公表されている。表2は、Milk Roadmapにおける短期目標の概要と2009年時点の達成度を示したものである。

 表2のとおり、生産部門および加工部門では具体的な数値目標を設定し、2009年時点においてはおおむね軌道に乗っていることが読み取れる。しかし、取材を進める中で、Milk Roadmapがこのように順調に推移しているのは、Milk Roadmapの策定プロセスによるところが大きいということが明らかとなった。そこで、次項では、ユニークなMilk Roadmapの策定プロセスについて紹介する。
表2 Milk Roadmapにおける短期目標の概要
図4 英国(イングランド)の環境スチュワードシップ事業について

(3)Milk Roadmapの策定プロセス


 1)我々の手で(by ourselves) 

  Milk Roadmapの策定は、defraからの提案が契機となり開始されたものであるが、活動の初期においては、規制の強化につながりかねないという観点から、飲用乳産業全体が参画に消極的であったといわれる。しかし、Milk Roadmap策定に関する作業部会(Taskforce)で議長を務めたDairy UKのKomorowski博士によれば、行政主導による野心的な目標設定により飲用乳産業側が目標達成に行き詰まるというリスクを回避する観点から、飲用乳産業側の発想の転換が行われたという。つまり、飲用乳産業側が自ら目標を設定し、その達成度を積極的にアピールしていく戦略を選択した方がみやすいと判断したということであろう。この我々の手で(by ourselves)という考え方が現在の成功の鍵と言えるかもしれない。、消費者の支持を得やすく、また、自分たちにとっても取り組みやすいと判断したということであろう。この我々の手で(by ourselves)という考え方が現在の成功の鍵と言えるかもしれない。
図5 Milk Roadmap に参画している団体一覧
2)生きている文書(living document)

 前述のKomorowski博士は、Milk Roadmapを「生きている文書(living document)」と表現しているが、これは、Milk Roadmapが2020年を見据えた目標であるものの、明日をも知れない現状の中で2020年を予測することなど不可能に等しく、内容の見直しは、必然という認識であることを示している。したがって、現在設けられている目標の変更や現在設定されていない目標の追加についても機動的に対応する用意があるということであろう。現在、Milk Roadmapは飲用乳のみを対象としているが、ほかの乳製品への拡大についてもこの文脈で検討されるとみられる。


3)実践的アプローチ(pragmatic approach)

 また、defraのMilk Roadmap担当者は、学問の世界では往々にして現場とかい離した単純化された結論が導き出されることがあるとして、Milk Roadmapでは現場での適用を意識した実践的なアプローチを採用していることを強調した。この担当者が例示したのは、英国の飲用乳消費動向である。すなわち、英国では牛乳の風味が重視されることもあり、要冷蔵のパスチャライズド牛乳のシェアが約9割を占めているが、環境への影響緩和という視点のみで捉えれば、輸送・保管の際に冷却エネルギーを要しない常温保存可能なロングライフ牛乳の方がより望ましいということになりかねないものの、現在の消費のパターンを無視してこのような結論を導き出すことは無意味と語った。ここでは、飲用乳に係る現在の生産・消費のパターンに影響を与えることなく、環境への影響緩和を目指すというdefraの明確なスタンスが読み取れる。
図6 The English Beef and Sheep Production Roadmap -Phase 1 change in the air(2009年11月公表)

(4)ほかの畜種における Roadmap策定状況


 Milk Roadmapは英国の持続可能な畜産に関する行動計画の先駆けとなるものであるが、ほかの畜種においてもdefraの指導の下で同様の取り組みが進みつつある。図7は畜種別の進捗状況を図示したものであるが、酪農に続き、肉牛・緬羊部門においても2009年11月に「The English Beef and Sheep Production Roadmap - Phase 1」が公表された(図6)。ただし、これは、あくまで第一弾(Phase 1)としての位置づけであり、現時点で対象に含まれていない景観保護、施肥管理、水質保全などの事項については、2010年に公表予定の第二弾(Phase 2)で追加的に対象とされる予定となっている。また、養豚部門については、Roadmap策定の前提となるライフサイクルアセスメント(LCA)が終了した状態であり、豚版Roadmap策定段階へと移りつつある。なお、家きん部門については、現時点ではLCAを含めRoadmapに関する作業が具体化していない。
図7 英国の持続可能な畜産に関するROADMAPの畜種別進捗状況


5.おわりに

 本レポートの取材を通じて最も印象に残ったことは、一見コンパクト(約40頁)に見えるMilk Roadmapは、defraによるライフサイクルアセスメント(LCA)の実施、飲用乳産業側の積極的な貢献、流通・消費動向に大きな影響力を有する大手流通チェーンとの緊密な連携など関係者の大変な努力に裏打ちされている点である。わが国においても研究者によりLCA手法による畜産の環境影響評価が試みられているが、現時点では英国の例にあるような産業を巻き込んだ活動には至っていない。このような中で、畜産の環境への影響を総合的に評価するために、単純化された結論を排除し、LCAを基礎として飲用乳産業を垂直統合する行動計画(Milk Roadmap)を取りまとめた英国のモデルは、わが国を含む世界の畜産のさらなる発展に参考になると思われる。

 最後に、本レポートの取材に当たり貴重なお時間を割いていただいたdefra、Daily UK、Dairy Co、NFU、AHDBの関係各位および、御指導いただいた在英国日本国大使館高橋仁志参事官、農林水産省生産局畜産部畜産企画課大竹匡巳専門官、赤松大暢技官に御礼申し上げる。



  (参考文献)

  ・ Greenhouse gas emission trends and projections in Europe 2009
   (European Environment Agency, 2009)

  ・ The environmental, social and economic impacts associated with
   liquid milk consumption in the UK and its production -A review of
   literature and evidence(defra, 2007)

  ・ The Milk Roadmap(Dairy Supply Chain Forum’s Sustainable
   Consumption & Production Taskforce, 2008)

  ・ The Milk Roadmap: One Year Down the Road(Dairy Supply Chain
   Forum’s Sustainable Consumption & Production Taskforce, 2009)

  ・ Change in the air The English Beef and Sheep Production Roadmap
   - Phase 1(EBLEX, 2009)

 
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