特別レポート  〔第9回世界ホルスタイン・フリージアン会議報告〕

インドネシアにおける酪農業−牛乳生産から消費まで

ブディマン・フタバラート博士
インドネシア農務省 (MOA)
農業研究開発庁 (AARD)
農業社会経済研究センター (CASER) 研究員
Bogor, INDONESIA
 平成8年9月11日 (火) から3日間にわたり、 札幌市において、 第9回世界ホ
ルスタイン・フリージアン会議が開催され、 世界各国から総勢800名もの参加を
得て、 様々な報告と活発な討議が行われた (国内編今月号参照)。 

 当事業団は、 主催者の協力を得て、 その一部を紹介することとしているが、 今
回は、 インドネシアの酪農乳業事情に関する、 同国農務省研究員からの報告を紹
介する。

はじめに


 インドネシアの牛乳消費量は、 当初は非常に低かった。 1968年以前の国民1人 当たり牛乳消費については不明であるが、 PELITA (5カ年開発) 計画が開始され た1969年の時点では概算で1.49kg (年間) となっている。 同5カ年計画の最終年 次である1973年には2.64kgと、 約77%増加した。 このような増加傾向は近年まで 続いており、 1993年における国民1人当たり牛乳消費量は、 4.39kgを越えている と思われる。 このことは、 経済発展計画の推進に伴って酪農製品への需要も拡大 することを示しており、 この点、 他の発展途上国における例からも明らかである。 これは、 国民1人当たり所得の増加に帰せられよう。  この傾向を認識したインドネシア政府は、 1980年代初期、 乳業メーカーと提携 して、 生乳の国内生産を統合して行う政策を導入した。 これによって、 インドネ シアの乳業メーカーは、 各地の酪農家が生産した生乳を受入れなければならなく なった。 また同時に、 乳牛の貸付によって生乳生産意欲を高める政策が取られた。 この政策は現在も続けられているが、 経済及び世界貿易を取り巻く世界情勢が変 化している中で、 インドネシアの酪農は、 何らかの調整を迫られている。  本稿の目的は、 インドネシアにおける酪農の発展過程を調査検討することであ る。 さらに、 酪農家段階の生乳生産の特質に関する調査結果についてもふれるこ とにする。 また、 酪農部門に関連した政策のいくつかを検討するとともに、 牛乳 の処理加工の特徴について分析する。 最後に、 酪農製品の消費と今後の消費拡大 の可能性に関するいくつかの研究について総説することとする。

酪農家の概況


 インドネシアの酪農業は、 オランダによる植民地支配の時代である19世紀、 オ ランダ人に牛乳を供給する目的で始められた。 エアシャー種、 ジャージー種、 デ ーリーショートホーン種の雄牛と未経産牛をオーストラリアから輸入したほか、 オランダ領インドネシア政府は本国オランダからホルスタイン・フリージアン種 牛種を輸入した (Sudono 1985年、 Siregar 1992年)。 当時は専ら経験のみによ り、 酪農技術を次世代へと伝えていった。  以来、 乳牛の輸入は、 在来種牛を改良、 併せて牛乳の国内生産を拡大すること を目的として継続的に行われていった。 ジャカルタでアジア大会が開催された19 62年、 牛乳の需要を賄うために、 ホルスタイン・フリージアン種牛が若干デンマ ークから輸入されたほか、 1965年にはオランダからも輸入された。 1979年から19 80年にかけて、 オーストラリアからイラワラショートホーン種牛が輸入された (Sudono 1985年)。 しかし、 これによって、 生乳の輸入量を減らすことはできず、 逆に、 輸入量は年々増加していった。  Siregar (1992年) は、 インドネシアで一般に飼養されている乳牛はホルスタ イン・フリージアン (H-F) 種のタイプであると述べている。 純粋なH-Fタイプで はないものであっても、 その交雑種か純粋H-Fから繁殖したものであろう。 H-F種 は、 今世紀初めから、 国により継続的に輸入されてきた。 輸入先はオランダ、 デ ンマーク、 アメリカ、 ニュージーランド、 オーストラリアであったようである。  1980年代に入ると、 国は農家へ乳牛を貸し付けるという形で、 酪農振興事業を 始めた。 この事業で貸し付けられた未経産牛は、 主としてH-Fタイプであって、 アメリカ、 ニュージーランド、 オーストラリアから輸入されたものであった。 こ れらの未経産牛は、 主としてジャワ島内の傘下酪農家に配付された。 酪農家によ る生乳生産の規模は、 所得の喚起、 雇用の創出という観点から、 小規模に保たれ るよう、 国が規制を行った。 傘下酪農家は、 インドネシアにおいて最も人口密度 の高いジャワ島全域に分散している。 牛の飼養方法は、 小型の牛舎に牛を舎飼い し、 濃厚飼料及び茎葉飼料は外部から持ち込んで給餌する方法である。  CBS (中央統計局) の農業センサスによれば、 酪農生産に従事する酪農家は197 3年には31, 438戸で、 これは全農家戸数の0.22%に相当した。 1983年からの10年 間で、 農家戸数は8.44%増加したのに対し、 酪農家総数は1973年の2倍以上に増 加し、 全農家戸数に対する酪農家戸数の比率は0.41%となった。  1983年から1993年にかけて、 総農家戸数は26.47%増加し、 19,713,806戸とな ったが、 酪農家戸数は、 42.28%増えて、 92,000戸となった。 これらの数値から 判るように、 たとえ僅か0.41%に過ぎないにせよ、 全農家戸数に対する酪農家戸 数の比率は増加していることは確かである。 今日、 酪農家戸数は、 95,000から10 0,000戸とみられる。  酪農家戸数の増加により、 乳牛の飼養頭数も増加した。 1973年から1983年にか けて、 乳牛は年間18.29%の割合で増加を続け、 この10年間で約3倍に増加した。 また、 1983年から1993年にかけては、 年率7.72%で増え続けた。 1989年以降につ いて見ると、 乳牛の飼養頭数は年率5.16%で増加し、 これにより牛乳の国内生産 量も年率3.45%で増加した。 しかしながら、 牛乳輸入量も年率11.16%で増え続 けた。  このような高成長ぶりから判断すると、 牛乳の輸入解消を一つの目的としてい た国の酪農政策は一応成功をおさめてきた。 酪農の振興を提唱した基本的考えは、 牛乳の輸入を抑えて、 これを自給しようというところにあった。  現在のところ、 大多数の酪農家の飼養頭数規模は多くの場合3〜4頭に過ぎな いという状況であり、 産乳能力も1日1頭当たり9〜10リットルと低い。 しかも、 1頭当たりの産乳能力は、 従来、 年率1.6%の割合で低下する傾向にあった。 こ のような乳牛の低生産性の理由については、 SmithとRiethmullerが詳しく調査を 行って (1995年)、 その低位生産性は、 乳牛と飼料の管理に問題があること、 ま た (技術の) 普及活動が欠如していることに関係があるとしている。 従って、 こ の問題についての調査研究が必要となっており、 特に、 インドネシアの特殊事情 に適合するような問題解決が迫られている。 例えば、 現在の、 牛を牛舎内で飼育 する現状を考えた場合、 酪農家が活力ある経営を続行できるようにするには、 ど のくらいの頭数規模がよいのか、 また、 酪農家が自ら飼料を調製するにはどうす ればよいか、 といった具合である。  国内の牛乳需要は年間1人当たり約5%の割合で増加を続けており、 国産の牛 乳だけでは常に需要を賄いきれず、 そのため、 牛乳は継続的に輸入されてきた。 インドネシアにおける牛乳の1人当たり消費量はまだ低い水準にあり、 家計に占 める支出シェアも小さいので、 このように需要が伸びているのも当然といえる。  1989年から1993年までの、 国全体の累積牛乳生産量は1,823,640tで、 そのうち の93.5%はジャワ島で生産された。 ジャワ島の西部及び東部地域の国全体の累積 生産量に占めるシェアは、 概ね等しく、 それぞれ33.84%、 33.18%である。 ジャ ワ島の中部地域の生産高シェアは約27%である。 このことから、 国の酪農振興事 業は、 ジャワ島を中心に展開されていることがわかる。 ジャワ島では、 相当以前 から、 酪農が行われてきた。  ジャワ島の西部地域で生産される生乳の約90%は、 直接乳業工場に送られる。 残りの約10%は、 一旦牛乳の処理施設に廻された後、 最終的に乳業工場へ送られ る。 ジャワ島の中部地域においては、 酪農家の生産した牛乳の約77%は、 牛乳の 処理施設に廻され、 残りについてはGKSI (インドネシア酪農協同組合連合) の承 認の下に、 乳業工場へ直接送られる。 一方ジャワ島の東部地域においては、 生産 された牛乳は全てGKSIの処理施設へ廻された後、 最終的に乳業工場に送られる。 総じて、 牛乳の処理施設を通じて出荷されるものより、 直接乳業工場に送られる ものの方が多い。  インドネシアは、 酪農の部門では比較的に有利ではないという議論がかねてか らあった。 しかしながら、 これを裏付ける証拠があるわけではない。 著者は、 イ ンドネシアにおける生乳生産は、 今後、 少なくとも輸送コストという観点から、 比較的有利性があるだろうという確信を持っている。 牛乳需要の所得弾力性も極 めて高い (Somantori 1984年)。 ただ、 加工乳製品に対するそれは、 有利性があ るか否か不確かである。  酪農家レベルの生産段階において若干の非効率性があるだろうが、 筆者は、 む しろ酪農界の非効率性は、 主として、 加工処理過程及びマーケティング段階で生 じると主張したいと思う。 ただ、 生乳生産で現在一番問題となっている点は、 市 場占有率が依然として極めて低い状況にあるということである。 即ち、 ジャワ島 の西部地域において10%足らずであり、 またジャワ島全体としては、 僅か1%足 らずという状況にある、 ということである。 過去の経験を回顧してみると、 国の 酪農政策が未だ整備されていなかった時期:PELITA (1969年〜1973年) において とりわけ、 国内酪農は、 成長を続け、 優位にあった処理加工業界からの要望に応 えることができなかった。 牛乳に対する需要が伸びつつあったにもかかわらず、 加工処理工場側は国内牛乳を買うよりも、 好んで外国から原乳を輸入したという 事情もあり、 国内酪農生産は停滞した。 原乳を輸入するほうが相当割安だったの で、 輸入を増やそうとする傾向にあった。 国内酪農の比較優位性を高める間接的 取り組みは、 生乳の消費を如何にして拡大するか、 或いは、 消費者の好みに合う 乳製品を製造し、 その消費をいかに奨励していくか、 さらに、 酪農家段階の交配 繁殖を通じて、 酪農家が進んでやれるような、 組織的な遺伝子改良事業を如何に して樹立するかであろう。 Kasryno等 (1989年) が指摘したように、 在来種と交 雑種を用いる家族的酪農経営は、 資源利用という点からみると、 輸入純粋種を用 いる企業的酪農経営に比べ、 最も効率のよい形態である。 この種の酪農形態は、 インドネシアにおいては、 従来から極めて普通の形態であったが、 現在の家族的 酪農経営は、 一般的に規模が非常に小さいので、 経営規模の問題は残るであろう。  しかしながら、 国民1人当たり所得が増え、 経済が発展するに伴って、 生乳の 消費が拡大していくだろうことも、 留意しておかなければならない。 大衆向けの 消費キャンペーンや学校での生乳供給事業により、 牛乳の消費を増やすことも期 待できる。 消費の拡大は、 めぐりめぐって、 酪農生産の経済的効率性を一層早く 改善させることになるであろう。

乳製品をめぐる企業投資と貿易の規制


 乳製品処理加工業への参入の条件は、 従来から相当厳重であった。 この規制に ついては、 1980年代以降改正は行われていない。 通商産業省より入手したリスト によると、 これまでに、 乳製品処理加工業の認可を受けている企業は17で、 投資 額は10億ルピアから約600億ルピアにまたがっており、 従業員数は、 22人〜560人、 外国人労働者は、 最大限6人で、 皆無の企業もある。 通商産業省の係官の説明に よると、 最近3年間に、 資本投資調整委員会 (BKPM) を通じ、 新たに3企業の認 可申請があった。 その投資予定額は、 10億ルピアから500億ルピアとのこである が、 承認は得られなかった。 なお、 その申請によれば、 雇用創出予定が650人、外 国人5人とのことである。 なお、 1994年には18の企業が牛乳の処理加工を行い、 12の企業がアイスクリームの製造を行っている。  1995年5月、 政府は大統領令No.311995と称する企業投資の禁止リストに関す る大統領令を再び発布した。 これは、 乳製品処理加工業への投資を目指す企業に 新規参入の道を開くものであった。 この大統領令の内容は、 乳製品処理加工業へ の投資は、 生乳生産との統合という条件を満たさなければ、 直ちにこれを禁止す るというものであった。 さらに、 付則の禁止令において、 酪農経営は、 小規模経 営にのみ認め、 大企業との共同経営は認めない。 但し、 大企業を核として、 これ に、 いくつかの小規模経営が提携するシステム (nuleus-smallscale system) ならば認める、 としている (BKPM1995年)。  しかしながら、 たとえ許可申請の可能性があっても、 新規参入者が、 真に業界 に入ることを望んでいるか否か、 あとになってみないと判らないようだ。 小規模 酪農家から仕入れた生乳を、 大規模な処理加工に組み入れ、 1つの事業として統 合していく、 ということは、 新規参入者にとっては、 リスクが大きいであろう。 この種の試みが、 以前ジャワ島の中部地域で行われたこともあったが、 成功しな かった。 このことからも、 乳製品処理加工企業が、 自らの生乳を生産するために、 自ら乳牛を飼ったらどうかと示唆する仕組みを考察することは魅力的であろう。  貿易については、 大蔵省は、 1995年5月23日、 インドネシアにおける全ての貿 易可能品目の関税水準を規制する2つの行政命令を出した。 即ち、 No.213/KMK. 01/1995とNo.214/KMK.01/1995である。 これにより、 乳製品に関しては、 従 来は全面的に30%から25%の関税がかけられていたものに、 若干の引き下げがあ った。 これは関税分類0401に掲げてある品目であるが、 これには非濃縮、 無糖、 無甘味料の牛乳及びクリームがある。 関税分類0402掲載の品目についても同様で、 濃縮、 加糖、 甘味料添加の牛乳及びクリームがあるが、 これには0402.10.100の 例外 (12.5kg以上包装の粉末型) があり、 5%の輸入関税をかけるとしている。 0402.91.000 (0402の無糖、 無甘味料の品目) の中では、 輸入関税を35%から30 %に引き下げ、 0402:99.000 (0402に続くもの) の中では、 輸入関税を30%ま で引き下げるとしている。  関税分類0403に係わる品目 (バターミルク、 カードで凝固させた牛乳・クリー ム、 ヨーグルト、 ケフィー及びその他の醸酵若しくは酸味を加えたミルククリー ム。 これらについては、 濃縮/非濃縮、 加糖/無糖、 甘味料添加/無甘味料、 果 物・ナッツ・ココア又は香味添加/同不添加を問わず。 ) も5%ほど引き下げら れた。 但し、 これにも適用例外があって、 0403. 10.900掲載の品目で、 果物、 コ コア又はそれらの香味不添加品は10%引き下げられた。 また、 0403.00.100に掲 載の品目で、 バターミルク類正味25kg以上のもの、 0405. 00.100に掲載の乳脂肪 関係品目、 0406. 00.100に掲載の生チーズ、 ホエーチーズ、 カードは、 従来どお り5%としている。 なお、 殆どの乳製品に10%の付加価値税が掛けられている。  関税と付加価値税の課税もさることながら、 国は、 乳製品の輸入については、 また、 別の面でも規制を行っている。 即ち、 乳製品は、 指定企業 (Registered Companies) として登録された企業を通じてのみ輸入することができる。 この規 制は、 国が酪農振興事業に着手した初年の1982年に導入され、 1982年の関係省庁 との共同行政命令に基づいて行われている。 この命令の下、 国は乳製品加工業者 に対する輸入割当量と国内生産部分から受け入れなければならない量とを如何に 均衡させるか、 の計画を作成し、 国内生乳と輸入牛乳との混合割合をみて、 後述 するBUSEPという輸入許可証を交付する。 国は、 さらに大統領訓令 (INPRES) No. 2を1985年に発布して、 全国酪農輸入調整チームを編成し、 BUSEPの履行状況を監 視している。  乳製品の輸入規制に関連して、 通商産業相は1996年1月25日、 日用品に関する 行政命令:No.14/NPP/SK/I/1996を発布した。 その第3条には乳製品の指定 輸入業者のリストを載せている。 なお、 このリストには、 輸入される品目が、 生 乳、 処理加工されたもの、 完成品のいずれかに仕分けされて載せてある。 またユ ーザーが酪農関係者か否かも条件になっている。  1994年の時点で、 生乳の仕入れを要する乳製品加工処理企業18社のうち、 輸入 を許可されたのは僅かに10社だけであった。 また、 乳製品製造以外の目的で、 生 乳の輸入を許可されたのは、 僅か2社だけであった。 しかも、 生乳の輸入は、 既 に周辺の酪農家から、 生乳を受入れ (吸収し) た実績があるという証としてのBU SEP (Bukti Serap;文字通りの意味は吸収証明書) を保有する企業にのみよって、 行われることになる。 これらの輸入は、 国際貿易相がこれを承認した後、 行われ る。 完成乳製品或いは処理加工済みの乳製品を輸入する場合には、 保健省のリス トに記載された銘柄と型を備えているものに限り、 輸入を認められる。 このよう な貿易規制を勘案すると、 一部の牛乳処理加工企業は、 他の企業から生乳を購入 することを余儀なくされる場合もある、 ということが考えられる。 例えば、 ある 企業が、 いくらかの生乳を輸入する必要が生じたが、 BUSEPがない、 という場合 には、 BUSEPそのものは売り買いが出来るので、 これを所有する企業から譲り受 けることになるだろう。

その他の国の政策


 国内酪農生産の育成策の一つは、 関係酪農家に助成的貸付金を交付することで ある。 この信用貸しシステムには、 間接的なメリットもある。 例えば、 低所得者 層の酪農家に対しては、 所得の増大、 また、 規模拡大を望んでいる酪農家に対し ては、 動機付けとなることが想像される。  助成金貸付事業への加入者は、 20戸〜25戸から成る酪農家グループを形成し、 さらに、 経営の経済的側面での活用のために、 いくつかのグループが集まって、 Koperasi Peternak Sapi/KUDと呼ばれる共同組合を結成し、 それによって、牛 乳の処理加工業者に、 団結して自分たちの牛乳を売ることができるようになった。 共同組合 (KUD) の機能は、 牛乳の集乳、 販売の積極的代行人としての役割のみ ならず、 当該酪農家が、 農業経営面或いは非農業経営面で必要とする全てのサー ビス、 物品を用意してくれる。 なお、 GKSIは、 全ての酪農共同組合にとっての、 上部組織としての協同組合連合体である。  生乳の生産は、 多数の小規模酪農家にのみ委ねられ、 一方、 その処理加工につ いては、 限られた少数の企業によってのみ行われているので、 当然ながら、 両者 の間に論争が起こる。 酪農家側は、 生乳の代金として受け取る乳価に納得できな いと主張する。 これに対し処理加工企業側は、 輸入した牛乳に対するよりも高い 乳価を国産牛乳に対して常に支払っていると主張している。

処理加工の現状と製品の範囲


 前項において、 国内で生産された生乳は、 牛乳の処理加工企業により受入れら れなければないないと述べた。 しかし、 牛乳の処理加工企業が、 乳製品の製造の ため、 国内生産量では足らなくなったときは、 輸入により賄わざるをえない。  CBSの 「産業調査」 (1993年) によれば、 乳製品その他の製造に係わる企業は、 コード311の下に、 僅かに2つのサブグループに分類されているに過ぎない。 即 ち、 1つは、 コード:31121の下に、 粉乳、 濃縮乳、 保存乳を、 また他は、 コー ド:31123の下に、 アイスクリームを製造している。 前項において説明したよう に、 19社がコード:31121に属するが、 これは1993年における乳製品製造企業が 19社、 1994年のそれが18社ということである。 また、 サブグループのコード:31 123には12社が含まれ、 これが1993年及び1994年のアイスクリーム製造企業数で ある。 これら2つの製造企業グループは、 1993年において、 生乳を455,042,000 リットル、 粉乳を34,746t 必要とし、 これを、 国内生産と輸入の両方で賄わなけ ればならなかった。 1993年における粉乳の輸入量は32,728tである。 国内生産牛 乳の総額は約2,433億ルピア、 輸入牛乳は1,593億ルピアである。  前述の2つの牛乳処理加工業者グループは、 全ての種類の乳製品を製造してい る。 即ち、 粉乳、 濃縮乳、 飲用牛乳、 ベビー用ミルク、 チョコレート粉乳、 ベビ ーフード、 チーズ、 バター、 低温殺菌牛乳、 ヨーグルト等である。 1993年の関係 乳製品製造企業は19社であった。  前表の各乳製品のルピア換算値からみると、 主要な乳製品は粉乳と濃縮乳であ る。 業界の中で、 それぞれ32%のシェアを持ち、 ほぼ拮抗している。 第3番目が 飲用牛乳で、 12.7%のシェアを持っている。  各種乳製品の中で最も経済価値の高いものは、 1kg当たり10,294ルピアのベビ ー用ミルクで、 これに次ぐのが、 1kg当たり7,711ルピアの粉乳である。  前述の乳製品を製造するためには、 乳製品製造企業は生乳と輸入乳製品を、 と りわけ、 生乳を確保しなければならない。 飲用牛乳及び無糖練乳は、 全て国内産 の牛乳をもってし、 その他のものは輸入乳製品から製造する。 バターミルク、 粉 ミルクがそれである。  若干の無水乳脂肪は、 国内産牛乳から得ている。 この場合、 原料としての牛乳 の価格が、 輸入したものよりかなり高いということで、 興味深い。 この点、 粉乳 の場合と対照的である。 アイスクリームの製造の場合には、 殆ど国内産の生乳を 使っている。  1994年に、 インドネシアで製造された濃縮乳は156,191tであった。 乳業4社で これを生産した。 最大手の企業が生産量で43%のシェア、 これに次ぐ2社が各21 %のシェアで、 ほぼ同じシェアを持ち、 上位3社で全生産量の80%以上を占めた。  粉乳の生産は、 僅かに5社によって行われ、 50%を越すシェアを持つ企業はな い。 最大手の企業で約34%のシェアを持ち、 上位2社で約60%のシェアを持って いる。  飲用牛乳は、 合計10社によって供給されており、 各社のシェアは、 0.02%から 29.11%にまたがっている。 50%を越すシェアを持っている企業はない。 しかし、 上位3社は25%を越すシェアを持ち、 合わせて80%を越すシェアを占めている。 飲用牛乳を供給する乳業メーカーの中で、 4社は1%以下のシェアしかない。  低温殺菌牛乳業界には、 5社が参入しているだけである。 そのうち最大手の企 業が生産量で50%を越すシェアを占め、 これに次ぐ第2位の企業と共に、 80%を 越すシェアを占めている。 残り3社は、 いずれも4%前後のシェアを占めている に過ぎない。  1994年におけるチョコレート粉乳の総生産量は1, 679tであった。 このうち1 社が90%以上を生産した。 バターは、 総生産量は1, 149tで、 生産しているのは 僅かに2社だけであった。 それぞれ73%、 27%のシェアである。 チーズを生産し ているのは1社のみで、 1994年の生産量は3, 046tであった。  個々の企業別に見ていくと、 多くの乳製品製造企業は複数の生産ラインを持っ ている。 濃縮乳と粉乳とを同時に生産している企業が3社あるし、 濃縮乳と飲用 牛乳とを生産しているのが2社ある。 また、 別の2社は、 濃縮乳と低温殺菌牛乳 を販売している。 濃縮乳とアイスクリームを出している企業も2社ある。  濃縮乳、 粉乳、 飲用牛乳、 アイスクリーム、 バター等の組み合わせにより、 4 種以上の製品を出している企業も3社みられる。 7種の製品 (濃縮乳、 粉乳、 低 温殺菌牛乳、 アイスクリーム、 ベビーフード、 チョコレート粉乳) を製造してい る企業さえ1社ある。 この企業では、 一つの工場が濃縮乳とバターミルクのマー ケティングを管理している。

乳製品の消費


 家庭内の全消費中に占める乳製品消費の重要性を計るために、 3種の指標が用 いられてきた。 第1は、 乳製品の購入 (使用) を報告した抽出家庭の割合を示す、 支出調査参加率である。 第2は、 総家計支出中に占める乳製品の購入による支出 割合である。 これら2つの指標は、 同じ傾向を示すと仮定される。 即ち、 その値 が高いほど家庭内の全消費中に占める乳製品消費の重要性は高い。 第3の指標は、 牛乳及び乳製品の価格弾性値と所得弾性値である。 これらの係数は、 価格或いは 所得の変動に応じて、 その消費が如何に反応して変動するかを示すものである。  CARD (1987年) は、 インドネシアの都市地域家庭の30%が乳製品を消費したと 回答し、 これに対し、 農村地域では13%が同様の報告をしている。 なお、 ジャワ 島以外の調査では、 これらの数値が都市部も農村部も、 これより高かったという ことで興味深い。  CARD (1987年) はまた、 家庭内総支出に占める動物性食品に対する推定平均支 出割合について、 0.055から0.079であったと報告している。 このことは、 家計内 支出の中で、 動物性食品に対する支出割合が極めて低位にあることを意味してい る。 家計内総支出中の割合が、 僅か1%にも満たないほどである。 RachmanとErw idodo (1995年) が1990年に調査推定したところによると、 これよりさらに低く、 鶏卵及び牛乳・乳製品に対する支出割合が0.032から0.060であったと報告してい る。 それら二つの調査結果から、 家計内総支出中に占める乳製品に対する支出割 合は、 実際に低いと判断できよう。  インドネシアにおいては、 牛乳・乳製品の価格と一般所得の変動に対する牛乳 ・乳製品の需要の弾性値がどの程度かについては、 確かには判っていない。 ある 種の乳製品の需要の推定弾性値については、 殆どないといった状況である。 その 推定値を報告した幾つかの調査があるが、 結果はまちまちである。 さらに、 今後 の調査が求められる。 ただ、 CBSの1980年の多目的家計調査のデータを利用した 調査例が1つあって、 それによると、 動物性食品 (食肉、 家禽関係品及び乳製品) の価格弾性値は、 −0.9から−1.05、 また同じく所得弾性値は1.54から2.53であ ったという (CARD1987年)。  一方、 AARD (1992年) はCBSの1990年のSUSENASデータを使用し、 ジャワ島に おける牛乳需要の価格弾性値と所得弾性値を推定して、 それぞれ−0.08、 1.54と いう値を得ている。 ジャワ島以外の地域を対象にした調査では、 AARD (1993年) は価格弾性値は−0.03から−0.95、 所得弾性値は0.84から0.79という推定値を得 ている。 これらの調査結果から平均値を出せば、 牛乳の価格弾性値は約−0.66、 同じく所得弾性値は約1.32となろう。 ジャワ島とジャワ島以外の地域の平均をと れば、 価格弾性値と所得弾性値はそれぞれ−0.60、 1.34となろう。  上と同じデータを使って行った研究は少なくとも2件ある。 一つはRachmanと Erwidodo (1994年) のもので、 インドネシアの総家計支出中に占める鶏卵及び牛 乳類に対する支出割合の価格弾性値並びに所得弾性値の推定値は、 それぞれ0.57、 0.39であった。 他はHermanto等 (1995年) のもので、 牛乳類のみを対象として行 った。 当然、 前者とは異なる結果が得られ、 価格弾性値は−0.63、 所得弾性値は 1.66という値を得ている。  これまで述べた方法とは異なるやり方で、 Trewin等 (1995年) は、 既に行われ た研究の幾つかの推定値を合わせることによって推定値を出し、 乳製品の需要に 対する価格弾性値は−1.03、 所得弾性値は0.59という値を得ている。  このように調査者により、 推定値はまちまちであるが、 他の発展途上国におい て通常みられるように、 インドネシアにおける牛乳需要の価格弾性値及び所得弾 性値は、 共に高いと考えてよい。 飲用牛乳に関する調査では、 Somantori (1984 年) により興味深い結果が出されている。 バンドウン市地域での飲用牛乳に対す る需要の価格弾性値は−0.088と低かったが、 所得弾性値は1.18と高かった。  一定の人口増加率の下で、 乳製品の国民1人当たり消費量が、 年率5%で伸び ていくと仮定すると、 これらの乳製品に対する総消費量を見直すことができよう。 これを試みた結果は、 表1に掲げたとおりである。 表1:インドネシアにおける牛乳・乳製品需給(生乳換算数量)  この表から明らかなように、 乳製品への需要は今後伸び続けていくだろうが、 その成長率そのものは、 ますます鈍化するであろう。 というのは、 国民1人当た り消費量が、 一定の割合で増加するであろうが、 人口の増加率は、 これからは鈍 化すると考えられるからである。  1990年の消費量を基準として、 1995年の全国消費量の増加率は、 40%を越える であろう。 同じく、 2000年には、 基準年次に比し90%の増加率、 1995年に比しほ ぼ40%の増加率となろう。 2005年には、 牛乳の全国消費量は、 160万t 近くにな ると予想され、 これは2000年に比べても37%の増加で、 現在のおよそ2倍になる だろう。  今後の国内酪農生産の成長率が、 1989年〜1993年の平均成長率と同じ3. 45% で推移していくものと仮定すると、 国内酪農生産量と全国消費量との間のギャッ プは、 拡大するのは明らかである (表1参照)。 2005年には、 そのギャップは199 0年のそれの約4倍に達するだろう。 それ故、 近い将来、 国の酪農政策を大転換 しない限り、 需要を満たすために、 牛乳の輸入量が増えていくのは避けられない。 世界の貿易事情は、 この増加傾向を助長するだろう。

まとめ


 インドネシアの酪農業は、 酪農経営が農村地域で急速に増える労働力を吸収で きるだろうという見通しの下に、 国が指導した小規模経営が一般的である。 全国 の酪農家が抱える総人口は増加傾向にあるものの、 全国の農家が抱える人口の1 %にも満たない。 これらの小規模農家は、 KUDと称する単位農協としての共同組 合を組織すると共に、 その上部組織としてのGKSI (インドネシア酪農協同組合連 合) を持っている。 共同組合は、 会員である酪農家の生産した牛乳を集乳し、 牛 乳処理工場に出荷する役目を担っている。 また、 このほかに共同組合は、 酪農家 の生産活動と消費生活の両面で、 積極的にサービスを提供しなければならない機 関でもある。  酪農家段階及び共同組合段階における非効率性をもたらすことになる問題点が、 一般に見られる。 例えば、 牛と飼料の管理の不適合、 普及活動の欠如等である。 しかし、 この方面の調査研究は、 未だ殆ど行われておらず、 特に、 インドネシア のような、 小規模経営の場合のやり方の研究が少ない。  国の政策としては、 酪農家への資金貸付事業、 資本投資関係、 牛乳・乳製品の 貿易、 マーケティング等がある。 牛乳の処理加工業への新規参入は、 当該企業が 酪農家の生乳を買い入れる等、 密接につながっていない限り、 認められない。 乳 業会社が乳製品輸入許可を受けるためには、 BUSEP (吸収証明書) という許可証 の交付を受けて、 周辺酪農家の生産した生乳を受け入れることが条件、 とされて いる。  乳製品の需要の価格弾性値及び所得弾性値は、 高いように思われる。 一般的な 経済成長に伴って、 国民1人当たりの所得が増えるに従い、 乳製品に対する需要 は増えることが期待される。 国の酪農政策に大転換がない限り、 乳製品輸入の一 層の増加は避けられないであろう。 (付表)表1:1982年〜1996年*の混合比率 参考文献 農業調査開発局 (AARD) (1992年)、 「ジャワにおける家畜と畜産物の需要に関す る統計値の推定について」 全国農業研究開発プロジェクトと家畜研究開発センタ ー (ボゴール) との共同研究   農業調査開発局 (AARD) (1993年)、 「スマトラ島とカリマンタン島における家畜 と畜産物の需要に関する統計値の推定について」 家畜調査開発センター (ボゴー ル) の調査報告BKPM (資本投下調整委員会) (1995年)、 「資本投資の見通しに関 する情報」、 BKPM、 ジャカルタ CARD (農業・山村部開発センター) (1987年)、 「Full Demand Systemsの手法に よる、 インドネシアにおける食糧政策の評価 (最終報告) 」 CARD、 アイオワ州立 大学、 アイオワ、 アメス、 謄写印刷物CBS (中央統計局) (1995年)、 「大規模・中 規模産業統計」 インドネシア、 IIIB版CBS、 ジャカルタ Hermanto. T. Sudaryanto, A.Purwoto (1995年)、 「Pola Konsumsi dan Pendugaan elastisitas Produk Peternakan」、 Makalah disampaikan Pada SeminarNasional Peternakakan dan Veteriner,Cisarua, 1995年11月7−8日、 ボゴール Kasryno, F., P.Simatupang, I.W.Rusastra,A.Djatiharti,and B.Irawan.(1989 年) 「家畜商品システムの政府政策と経済的分析」 Jurnal. Agro Ekonomi 8 (1) 31〜36ページ Rachman, H.P.S.dan Erwidodo (1994年)、 「Kajian Sistem Permintaan Perminta an pangan diindonesia」 Jurnal. Agro Ekonomi 13 (2) 10月号72〜89ページ Siregar, S (1992年)、 「Sapi Perah: Jenis, Teknik Pemeliharaan, dan Analisa Usaha」 Penebar Swadaya, ジャカルタ Smith, D,and P.Riethmuller (1995年) 「農家レベル及び協同組合レベルの経済 効率の改善 (討論集 第4巻)、 インドネシアにおける酪農政策」、 クイーンズラ ンド大学、 ブリスベーン Somantri, R.A. (1984年)、 「ElastisitasPermintaan Susu Segar di Kotamadya Bandung」、 Jurnal. Agro Ekonomi 3 (2) 1〜10ページ Sudono, A. (1985年) 「Produksi Sapi Perah. Jurusan Ilmu Produksi Ternak」、 Fekultas Peternakan」 IPB, ボゴール、 手書き Trewin,R, M.Rosegrant,Erwidodo (1995年)、 「インドネシアにおける畜産部門の、 成長と安定政策の分析;Linked Modelingによるアプローチ」 謄写印刷物 (第39回 オーストラリア農業経済学年年次総会で発表された論文) 西オーストラリア大学 1995年2月14日〜16日、 パース
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