海外駐在員レポート
ブラッセル駐在員事務所 井田俊二、池田一樹
オランダは、EUの中で主要な豚肉輸出国として、1980年代から急激な飼養頭数 の増加および集約化が図られその地位を築いた。しかしながら、反面、こういっ た輸出志向の豚生産は、一部地域で過度に集約的な生産形態を助長する結果とな った。このため、近年このような生産形態が、家畜に起因する環境汚染を誘発す る要因であるとともに、家畜衛生面および動物愛護面における問題との関連性も 指摘されている。特に、97年2月に発生し最近ようやく終息をみた豚コレラは、 その対策として、9百万頭以上にも及ぶ豚のとう汰が実施され、オランダの養豚 産業に多大な損害を及ぼした。 このような状況の下、オランダでは、今年4月に環境汚染の要因とされる家畜 ふん尿に含まれるリン酸塩の排出量を2000年までに25%削減することを目的とし た豚生産の再編法が成立した。この法律の背景、成立までの過程、およびその概 要について記述することとする。
( 1 )自家農地への適正な還元量を超える家畜ふん尿の排出 オランダの家畜ふん尿の総排出量は、96年には7,990万トン(リン酸塩19万1,0 00トン)で近年減少傾向にある。このうち、自家農地への適正な還元量を超える ふん尿排出量(以下「余剰排出量」という。)は、1,850万トン(リン酸塩 70万 8,900トン)で、数量は近年減少傾向にあるものの、依然として総排出量の23%(リ ン酸塩41%)を占めている。 このうち豚についてみると、96年の総飼養頭数は1,440万頭、ふん尿の総排出量 は1,590万トン(リン酸塩5万6,900トン)で飼養頭数およびふん尿の排出量はと もに減少傾向にある。このうち、余剰排出量は1,230万トン(リン酸塩4万4,600 トン)で、総排出量の約8割にものぼる量を外部への販売等により処理する必要 がある。これは、豚生産が、特に酪農で見られる土地利用型の生産と異なり、そ の多くが施設利用型の生産であるため、他の畜種と比較して、自家農地への家畜 ふん尿の還元が限定されることが要因の一つとなっている。この結果、家畜ふん 尿総排出量に占める豚ふん尿は全体の20%であるのに対して、余剰排出量では66 %と大きな比率を占めており、家畜ふん尿問題の大きな原因となっている。 こういった状況に対して、オランダでは、自家農地以外の農地への豚ふん尿の 還元およびそのたい肥などの輸出を促進し処理の拡大を図っているものの、輸送 および処理コストの問題などから、十分な成果が得られていない。この他豚ふん 尿の総量規制や飼料中の成分を調整することにより、リン酸塩等の環境汚染物質 排出量の削減を図るなど豚ふん尿余剰対策を実施しているものの、この問題はオ ランダにとって依然大きな課題となっている。 一方、他の畜種をみると、牛については、基本的に自家農地への還元で対応が 可能である。また、鶏については、豚と比較してふん尿の品質が高いため販売先 の確保は、それほど困難ではないとみられている。 表 1 オランダにおける家畜飼養頭数資料:オランダ農業・自然管理・水産省「FACTS AND FIGURES 1997/98」 ◇図:オランダの家畜飼養頭数◇ 表 2 家畜ふん尿排出量
資料:オランダ農業・自然管理・水産省「FACTS AND FIGURES 1997/98」 ◇図:家畜ふん尿排出量バランス(96年)◇ ◇図:畜種別家畜ふん尿排出量(96年)◇ ◇図:畜種別家畜ふん尿余剰量(96年)◇ 表 3 家畜ふん尿余剰排出量
資料:オランダ農業・自然管理・水産省「FACTS AND FIGURES 1997/98」 ◇図:家畜ふん尿排出量バランス(リン酸塩:96年)◇ ◇図:畜種別家畜ふん尿排出量(リン酸塩:96年)◇ ◇図:畜種別家畜ふん尿余剰排出量(リン酸塩:96年)◇ ( 2 )集約化が進む養豚経営 オランダにおける豚生産は、総生産量の6割以上が輸出されており、豚肉の自 給率270%の輸出国である。このような輸出志向型の生産により、近年飼養頭数の 大規模化、集約化がより進展した。オランダの豚生産を地域別に見ると、南部お よび東部地域に生産地域が集中している。全12州のうち北ブラバント州、ヘルデ ルラント州、リンブルク州およびオーフェルエイセル州といった南部および東部 の 4 州で全体の約 9 割に当たる豚の生産を行っている。特に北ブラバント州で は、生産量が全体の約4割を超えており、最大の生産地となっている。ここでは、 1生産者当たりの飼養規模も大規模化しており、飼養頭数を面積で除した1平方 キロメートル当たりの豚飼養頭数は1,200頭を超えている。なお、これらの地域で は従前から豚生産の過密飼養が指摘され、その改善が望まれていた。 表 4 オランダにおける地域別豚生産
資料:Centraal Bureau Voor de Statistiek(中央統計局)
( 3 )FAOとEU委員会でも豚生産における過密飼養を指摘 98年 2 月には、国連食糧農業機関(FAO)の家畜衛生専門官が、ヨーロッパに おける家畜の移動や飼養の現状が家畜伝染病をまん延させる危険性があるとし、 その対策の必要性を指摘した。この中で、豚の過密飼養地域として、ベルギー、 オランダおよびドイツ北部が挙げられている。これによると、豚の過密飼養が著 しい地域では、 1 平方キロメートル当たり 9 千頭に及ぶ過密飼養がみられ、こ のことが豚コレラをまん延させる大きな要因であるとともに、家畜ふん尿等の畜 産廃棄物による家畜伝染病のまん延や、環境汚染を誘発する可能性があり、今後 無視することのできない課題であると指摘している。 また、EU委員会が98年7月に行った養豚生産構造に関する報告でも、生産構造 面での問題として、豚生産の集約化の進展が環境問題や家畜伝染病の急速な伝播 を助長していると報告している。この対策として、生産地域の集約化の解消が最 も有効な手段と位置付けるとともに、輸出志向に傾斜した豚の増産に対してもそ の危険性を警告している。 このように、オランダの豚生産は、家畜ふん尿に起因する環境への負荷および 集約的な生産に伴う家畜衛生面の問題が指摘されていた。さらに、97年2月から 大規模な豚コレラが発生した結果、豚の飼養頭数を大幅に削減し、生産構造を改 善することが急務であるとの認識が高まったものとみられる。 ( 4 )法律制定までの過程 97年7月、オランダ政府が豚の飼養頭数を2000年までに、25%削減すると発表 した。これが実施されると、約 1 千 5 百万頭の豚飼養頭数が4百万頭削減され ることとなる。この対策は、硝酸塩やリン酸塩といった豚のふん尿に含まれる環 境汚染物質を削減することにより、環境問題を解消することを目的としている一 方で、同時にオランダ国内で大量に発生している豚コレラの防疫対策としても位 置付けられた。また、オランダ政府は、この対策により農家、と畜業者および輸 送業者などへの補償として 4 億7,500万ギルダー(約333億円、 1 ギルダー=70 円)を支出するとしている。豚コレラ発生により生じた経済的な損失額は既に24 億ギルダー(約1,680億円)に達しており、将来同様の事態が発生した場合の損失 は計り知れないとしている。 一方、この政府の提案に対して、生産者団体等の厳しい反発がみられた。 協同組合金融機関であるラボバンクが公表した試算によると、今回の提案が実 施されることにより、 1 万 3 千戸ある養豚農家は 5 年以内に 8 千戸まで減少 するであろうとしている。特に、 2 百頭以内の繁殖雌豚農家または 1 千頭以下 の肥育農家への影響が大きく、こういった農家では他部門農業への移行または離 農が加速するであろうと予想している。 また、オランダの養豚農家団体(LTO)および家畜食肉団体(PVE)からは、政 府の提案が急激過ぎるとし、政府の提案に対して次のような代替案を提示した。 これによると、市場競争力を維持するため、豚飼養頭数の削減率を96年頭数比 の15%に緩和し、達成期限を2010年まで延長するとしている。また、削減の方策 として、それまでのふん尿生産権に代わって豚生産権を導入することとし、肥育 豚と繁殖雌豚でそれぞれ別に権利を設定するとしている。 当初提出された政府法案は、議会での審議の過程において、@25%の頭数削減 を 2 段階(第1段階:98年に10%、第2段階:2000年に15%)に分離して実施す ることA第 2 段階の削減のうち、5%はリン酸塩の削減につながる低ミネラル飼 料での飼養を実践している生産者は免除されることB動物愛護やオーガニック生 産などを実施している生産者に対する頭数削減率の緩和措置を導入することなど の修正が加えられた。その結果、97年12月に下院議会を通過し、98年 4 月8日よ うやく上院議会で承認され法律が成立した。
( 1 )目的 オランダの豚生産の再編は、現在、豚生産分野で直面している複数の大きな問 題、すなわち未解決のままである環境問題ばかりでなく、特に豚過密飼養地域に おける家畜衛生面や動物愛護面からも問題解決に向けて、動き出さざるを得ない 状況にある。豚生産の再編法は、豚ふん尿(リン酸塩)排出量の削減、具体的に は豚生産頭数の削減等を実施することによりこうした問題を解消することを目的 としている。 ( 2 )リン酸塩削減のスケジュール この法律は98年 9 月 1 日から施行される。ふん尿中のリン酸塩の削減は2段 階で実施される。第1段階は、98年中に10%、2000年中にさらに15%の削減を実 施し、最終的に最高25%のリン酸塩を削減する。 ( 3 )リン酸塩削減の方法 ア 豚生産権の導入 リン酸塩削減の方法として豚生産権を導入する。豚生産権(生産割当)は、生 産者が生産を許可された年間生産頭数であり、生産者はこの豚生産権を年間飼養 頭数の上限として飼養することとなる。第 1 回目の98年の豚生産権は98年 9 月 10日から割り当てられ、生産者はこれに基づき、98年12月までの平均飼養頭数を この範囲内にしなければならない。この豚生産権の算定、生産権の割当等は、国 の機関である賦課局(オランダ農業・自然管理・水産省の一部局)が行う。また、 同賦課局では、個々の生産者の豚生産権管理を行うこととなっており、生産者は これを遵守する義務を負っている。 イ 豚生産権の取り引き 豚生産権は、生産者間で取り引きができる。ただし、飼養集中地域とそれ以外 の地域の間での取り引き、および飼養集中地域である東部と南部の間での取り引 きは認められない。なお、飼養集中地域は、オランダ東部地域と南部地域でそれ ぞれ約90地域が指定されている。例外として、飼養集中地域以外の地域であって、 農地を利用した経営を行っている生産者は、1ヘクタール当たり15豚単位(用途 (繁殖・肥育)別、体重別の係数に比例したふん尿の排出量を規定した単位)を 限度として飼養集中地域から豚生産権を購入することができる。 表 5 生産者間の豚生産権の取引制限ウ 豚生産権の割当数量の削減 豚生産権の削減による豚飼養頭数の削減は 2 段階で実施される。 (第 1 段階) 第1段階として、98年に割り当てられる豚生産権は、95年または96年の豚生産 者の年間平均飼養頭数(豚コレラが発生する以前の頭数)を基準とし、その90% が生産者ごとに割り当てられる。生産者は、この割当を受けるための条件として、 賦課局に対して、たい肥排出規制に関する法律の規定に基づき所定の登録をして いなければならない。 なお、豚生産権は、繁殖雌豚とそれ以外の豚で区別して割り当てられる。豚生 産権のうち、繁殖雌豚生産権はそれ以外の豚生産権として利用できるが、その逆 は許可されていない。 また、次の要件を満たしている生産者に対し優遇措置として豚生産権の追加交 付が認められている。 ・家畜による環境汚染を削減するための設備を整備した畜舎で飼養を行っている 生産者に対して最高 5 %の追加 ・オーガニック方式による生産者に対して最高10%の追加 ・フリーレンジ方式による生産者に対して最高 5 %の追加 ・動物愛護に配慮して繁殖雌豚をグループごとに畜舎で飼養している生産者に対 して最高 5 %の追加 (第 2 段階) 第2段階として、98年に生産者に割り当てられた豚生産権は、2000年1月1日 からさらに15%削減される。この豚生産権の削減は次のような3つの方法によっ て実施される。 (ア)5%については、生産者一律に削減が実施される(政府補償なし)。ただ し、低ミネラル飼料の導入によるリン酸塩の削減を実現できる生産者におい て、この削減は免除される。 (イ)10%については、次の政府による 2つの措置が実施される。 @ 農家間における豚生産権の取り引きに対する政府による豚生産権の回収 (creaming off)(期間限定の政府補償あり) ・98年取引量の40%の回収 (政府補償あり) ・99年取引量の60%の回収 (政府補償あり) ・2000年以降取引量の25%の回収 (政府補償なし) A 政府による豚生産権の買い上げ(buying up)(政府補償あり) 離農または他の農産物への経営転換を行う生産者から政府が生産権を買い上げ る。ただし、この買い上げ価格は@の政府補償価格より高く設定されている。 (ウ)(イ)の実施状況により2000年 1 月 1 日に目標の削減率との差(15%− 5%−政府回収および買い上げの実績)を実現するための豚生産権の削減が 行われる。ただし、2000年1月1日には、目標の削減が実施されると見通さ れている。 なお、政府による豚生産権の回収および買い上げに伴う補償は、豚生産権販売 者に対して行われ、豚1頭当たりの補償額は、96年7月〜97年7月におけるリン 酸塩の市場取引価格を基準に算定される。また、豚頭数削減のために政府が財政 支援として予算措置した額は、475百万ギルダーであるが、政府補償として豚生産 権の回収および買い上げには、それぞれ60百万ギルダーが当てられることとなっ ている。 (注)「リン酸塩の市場価格」とは 従来の「ふん尿排出権」に係る豚1 頭当たりの評価額。従来の「ふん尿排出権」 における農家間取り引きは、豚1頭当たり1年間で排出するふん尿中のリン酸塩 の評価額を取引基準としていた。 例えば、豚 1 頭当たりの「ふん尿排出権」を340ギルダーと評価した場合の根 拠は、46ギルダー/kg(リン酸塩の市場取引価格の単位)×7.4kg(豚 1 頭が1 年間に排出するリン酸塩量)となる。 (4)賦課金の徴収 98年から、すべての豚生産者より年間1頭当たり11.5ギルダー(約805円)の賦 課金を徴する。この賦課金は、家畜疾病の対策費として充当される。 ただし、次に該当する場合には賦課金の一部が免除される。 ・豚飼養集中地域以外の地域において、賦課金の15%の免除。 ・肥育養豚経営生産者において賦課金の最高40%の免除。ただし、豚を複数の出 荷先に販売している場合には、免除率は10%削減。 表6 豚飼養頭数の試算値
(参考) このことに基づき、豚飼養頭数およびリン酸塩を試算すると次の通りになる。 なお、リン酸塩の削減見込量(1万4,200トン)は、96年の家畜全体ふん尿余剰 量(7万8,900トン)の18%に相当する。
この法律は、畜産に起因する環境汚染の問題を解消することを目的に2000年ま でのリン酸塩を25%(飼養頭数20%〜25%)削減するといった大胆な内容となっ た。 この法律は本年9月1日に試行されたが、今後オランダの豚生産は大幅に縮小 するため、豚生産者所得は減少し、豚生産者の減少が加速することが予想される。 しかしながら、オランダ農相はこの法律が成立した効果として、2010年における 豚生産者戸数の減少見込みを現在の48%から40%に圧縮し、さらに養豚産業に係 る労働者の減少見込みを60%から24%に圧縮することが期待できるとしている。 換言すれば、現在の環境汚染をはじめとする豚生産の諸問題が、将来、オランダ の豚生産にどれだけ深刻な悪影響を及ぼすと認識されているかを計り知ることが できる。 この法律は、豚生産権を導入することにより、豚飼養頭数を削減することとし ているが、その一方で、環境保全型畜産、オーガニック畜産および動物愛護に基 づく畜産等を実践する生産者に対する優遇措置に見られるように、今後の豚生産 を推進していく方向性が明確に示されている。 オランダにおける豚生産が、この法律の実施により2000年時点でどのように変 化していくか注目したい。
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