海外駐在員レポート 

インドネシアの酪農業と牛乳・乳製品輸入政策について

シンガポール駐在員事務所  外山高士、伊藤憲一




1 はじめに

 東南アジア諸国は、97年のタイバーツの下落に端を発した通貨危機以来、大幅
な為替の下落による輸入資材の高騰が発生し、経済的に厳しい状況となっている。
インドネシアにおいても、通貨ルピアの大幅な下落による食料品や燃料をはじめ
とした物価の高騰から、昨年5月には大統領が辞任するなど政治的な問題にまで
発展しており、国際通貨基金(IMF)による財政再建に乗り出す状況となっている。
このような中、これらの国々ではさまざまな国内措置の変更を実施しており、ガ
ット・ウルグアイ・ラウンド(UR)における合意内容についても、その実行の前
倒しによる大幅な市場開放など実施状況の変化が見られ始めている。

 今回は、最近のインドネシアにおける酪農業と、98年2月で中止となった牛乳・
乳製品の輸入政策(ミルク・レシオ政策)の変遷について紹介することとしたい。


2 インドネシアの酪農業の概要

(1)生産状況

 インドネシアにおける酪農業に関する統計数字は、飼養頭数や飼養戸数などが
公表されているだけである。また、小規模経営で乳牛は主にジャワ島の中山間地
で飼養されていることが多いことから、その実数を把握することはかなり困難と
なっている。このため、推計値を多く用いることとなるが、同国畜産総局および
中央統計局から得られたデータは(表1)の通りである。これによると、97年に
おける乳牛頭数は、前年比1.4%減の34万3千頭で76年以来、21年ぶりの減少とな
っている。酪農家戸数は、75年に統計を取り始めて以降、増加傾向で推移してお
り、97年も前年比4.2%増の11万 6 千戸となっている。
 生乳生産量は、頭数の増加に伴ってほぼ増加傾向で推移しているが、頭数が減
少した97年は生乳生産量も減少しており、前年比7.5%減の35万7千トンとなって
いる(表 2 )。なお、乳業メーカーによると国産の平均的な乳成分は、乳脂肪3.
85%、無脂乳固形分7.83%であった。

表1 乳牛頭数と酪農家戸数の推移
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 資料:畜産総局および中央統計局
  注:戸数は、83年および93年に実施された調査を基に推計されたものである。

 乳牛の主な品種は、ホルスタイン・フリージアン種で、19世紀にオランダ植民
地政府により、最初の純粋種が導入された。その後、ニュージーランド、豪州、
米国から導入、交配され、現在の牛群を形成している。最近では、政府の政策に
より人工授精が普及しつつあることから、生体牛での輸入の代わりに凍結精液で
の輸入が中心となっており、国立の家畜人工授精センターが、西ジャワ州のレン
バン(Lembang)と東ジャワ州のシンゴサリ(Singosari)の2カ所に設置されて
いる。

 酪農家の規模は、平均で2.96頭と小規模で、96年に生まれた乳用子牛、約30万
頭のうち94%が、1日の出荷乳量10リットル未満の小規模農家によるものであっ
た。乳牛が飼養されている地域は、西ジャワ州のバンドン(Bandung)やボゴール
(Bogor)、中部ジャワ州、ジョグジャカルタ(Yogyakarta)特別区、および東ジ
ャワ州のバトゥー(Batu)やノンコジャジャール(Nongkojajar)といった山岳地
帯が中心となっており、特に西ジャワ州は、同国で生産される生乳の大半を占め
る主要な生産地となっている。同国の一般的な酪農家は、コンクリートの床に竹
や木で柱を建てた簡易な牛舎で乳牛を飼養している。また、粗飼料については、
畑で栽培することはなく、自宅の周囲に生えている草を刈り取り、給与している
例が多い。このため、十分な給与量となっていない場合が多くなっている。また、
飼料穀物については、栽培する畑を所有していないことから、濃厚飼料をインド
ネシア酪農業協同組合連合会(GKSI)から購入し、生乳売り渡し代金と相殺して
いる。

 また、乳質を向上させるため、乳業メーカー協会(IPS)では生乳の冷却装置を
地域の酪農協の集乳所に導入する支援を行っているが、まだ十分とはいえない状
況である。熱帯の気候条件下にある同国においては、細菌の増殖を減らすために、
搾乳後3時間以内に10℃以下にできる冷却装置の導入が必要となっているが、小
規模農家にとっては価格が高すぎるという問題を抱えている。


(2)需給状況

 牛乳の需給状況は(表2)に示したとおりである。国内生産量は大幅な増加を
示しているものの、急速な経済発展を反映し、栄養水準の向上を図る動物性タン
パク質を供給する食品として、消費量は国内生産量を上回る飛躍的な増加を示し
ている。畜産総局と中央統計局のデータによると、消費量はピークであった95年
において、生乳換算量で、135万 4 千トンとなっており、20年前と比較して5倍
以上の伸びとなっている。なお、1人当たりの消費量で見ると、人口を約2 億人
とすると約5kgとなり、日本の消費量(約41kg:96年度飲用)に比べると大幅に
少ない。一般消費者にとってはまだぜいたく品であり、主に都市部に住む児童向
けや、母乳の不足を補うものとして消費されている。

表2 牛乳の需要と供給
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 資料:畜産総局および中央統計局
  注:値は生乳換算量である。

 国内生産で賄えない分を輸入しているが、輸入量は国内生産量の2倍程度とな
っており、ここ数年拡大傾向で推移している。同国には現在、27の乳業工場があ
り、牛乳・乳製品の輸入を許可されていたが、これらの工場においては、@国内
生産量が工場の処理能力より少なすぎること、A国内生産が継続的に行われない
こと、B国産の生乳の品質に低いものがあることなどから、輸入物を好む傾向が
見られていた。しかしながら、為替相場の下落に伴う輸入価格の上昇などにより、
この状況に変化が現れ始めている。

 なお、乳業メーカーによる生乳の買い取り価格は、GKSIとIPS、同国政府の三者
による話し合いにより、年間の基準となる乳価が決定されている。この価格は、
年6%程度の上昇傾向で推移してきており、輸入品の価格に比べるとかなり高い
ものとなっていたが、通貨危機による為替相場の大幅な下落により、その立場が
逆転している(表 3 )。なお、表に示した価格はIPSにより公表されている買い
取り価格で、実際の農家販売価格は、この価格から輸送費などの諸経費を引くた
め、この価格の 8 割程度となっている。

表3 乳価と為替相場の推移
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 資料:中央統計局


3 ミルク・レシオ政策の導入

 同国における牛乳・乳製品の輸入政策は、国内生産量に決められた係数を乗じ
ることにより求められる数量のみに対して、政府が輸入許可を行う、通称ミルク・
レシオ(Milk Ratio)政策と呼ばれるものにより実施されてきた。畜産総局によ
ると、この政策においては、もし需要が増加した場合、輸入量が国内生産量を基
に決定されることによって、実質的に供給量が固定されていることから価格が上
昇し、その結果、国内生産意欲を刺激することができる。国内生産が増加すれば、
輸入量も増加するので需要を満たすことが可能となる。また、需要が減退すれば、
価格が低下し、国内生産意欲を減退させることから、輸入量も減少し需給が引き
締まることとなる。

 この政策は82年から実施されているが、当時、国内で生産される生乳は品質が
良くなく、安定的に供給することが困難であったことから、多くの牛乳・乳製品
が輸入により賄われていた。ちなみに、この政策が実施される前年の81年におけ
る輸入量は、生乳換算で52万 1 千トンで国内生産量の約 7 倍という状況となっ
ていた。このために、同国の生乳生産の中心的役割を果たしていた小規模酪農家
において経営が困難となる状況となったことから、これらの酪農家を保護する目
的で、ミルク・レシオ政策が始められた。

 この政策においては、まず乳業メーカーは輸入許可を得るために国産生乳を購
入しなければならない。その際、生乳買い取り証明書の提示が義務付けられてい
る。その後、輸入できる牛乳および乳製品の数量が通知されることとなっている
が、この政策がスタートした82年にはその比率は 1 : 7 となっていた。これは、
海外から 7 トンの牛乳・乳製品を輸入するためには 1 トンの国産生乳を買い取
らなければならないことを意味している。つまり、この政策においては、輸入量
と輸入業者に対する輸入割当を、国産生乳買い取り量を基に決定している。また、
国産生乳の買い取りを義務付けることから、国内生産の保護と輸入品による価格
の暴落を防止する効果も持っている。しかしながら、実際の輸入は乳業メーカー
により行われていることから、需要の動向によってはこの比率を超えて輸入され
ることもあり(表4)、その際には翌期の半年の輸入比率が低めに設定されるの
みで、罰則などは存在していない。

 この政策導入後、乳牛頭数の増加に伴い、国産の生乳生産量が順調に増加して
いったことから、その比率は減少し、85年以降、国産品対輸入品の比率はおおむ
ね1: 2 で安定していった。しかし、94年には同国の国民所得の増加により急速
に増大した需要に国内生産が追いつけなかったことから、再びその比率は増加し
始め、最高で96年前期の 1 :2.4にまで増加することとなった。

 なお、ミルク・レシオの比率は、IPS、GKSI、協同組合省および産業貿易省の代
表者で構成されるミルク・コミッションにおいて、 6 ヵ月に 1 度見直しを行う
こととなっており、その推移は(表 4 )に示した通りである。

表4 ミルクレシオの比率の推移
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 資料:畜産総局および中央統計局


4 UR合意による変更点

 このミルク・レシオ政策は、URにおいて関税化の対象となっている。具体的に
は、当時 1 : 2 であったミルク・レシオ比率を、2005年までに 1 :1.6に削減
するか、もしくは廃止することとなっている。

 また、UR合意におけるミニマム・アクセスに関しては、生乳換算で414,700トン
の枠の設定を行うことが認められており、その関税率については、輸入割当枠内
のものについては最高で30%、それ以外のものについては40%となっているが、
実際にはミルク・レシオ以外の関税割当は行わず、関税率も基本的には25%とな
っている。ただし、 加糖粉乳で乳脂肪率1.5%以下のもので、25kg以下のもの
(HS0402.10.100)については 5 %、 乳脂肪率が1.5%以下のその他のクリーム
で加糖されたものと加糖されていないもの(HS0402.91.000と0402.99.000)につ
いては30%、ヨーグルト(HS0403.10.000)については30%、バターミルクで 25
kg以下のもの(HS0403.20.100)については5%、乳脂肪(HS0405.90.100)につ
いては 5 %、チーズ(HS0406)については、フレッシュ・チーズ(HS0406.10.0
00)の 5 %を除いて、15%が適用されている。

 なお、UR合意実施初年である95年における牛乳・乳製品の輸入量は、生乳換算
で前年比44.3%増の100万5千680トンであった。また、HSコード別の97年の牛乳・
乳製品の輸入量および関税率の状況は(表 5 )に示したとおりである。

表5 牛乳・乳製品の輸入量及び関税率
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 資料:畜産総局、中央統計局、産業貿易省
  注:すべて輸入許可証の必要であった物品である

5 通貨危機による経済と政策への影響

(1)通貨危機の影響

 97年7月、同国の国家経済を壊滅状態に陥れる通貨危機が発生した。同国内に
おいては、銀行業の経営失敗により、その多くが業務継続困難な状況となってし
まった。これにより社会的な信用を失った銀行業では、その預金額が大幅に減少
し、十分な資金を確保できなくなった銀行は、財政的な信用をも失うこととなっ
てしまった。政府は、銀行業を救済するべく動いたものの、その救済額があまり
にも膨大であったことから、国家経済を巻き込む通貨危機へ、そしてこのことが
政治状況をも悪化させ、98年5月の争乱へと発展することとなった。

 この間、インドネシアの通貨ルピアの為替相場は、97年7月の1米ドル=2,650
ルピアが、97年9月には14,000ルピアに急落することとなり、この大幅な為替相
場の下落が、多くの輸入品により支えられていた同国の経済状況を、さらに悪化
させることとなった。

 当時、ミルク・レシオの比率は 1 :1.7であったことから、牛乳・乳製品の需
要の約63%を輸入に頼っている状況であった。このため、価格の暴騰は避けられ
ず、全脂粉乳の価格で見ると、97年 7月に450g入りで 9 千ルピア、 1 kg入りで
2万ルピアであったものが、98年2 月にはそれぞれ 1 万 5 千ルピア、3万3千
300ルピアと約1.7倍の上昇となった。一方、1人当たりの国民所得は 10千900米
ドルから610米ドルへと減少したことから、牛乳・乳製品を含む輸入品の購入は非
常に困難な状況となった。

 しかしながら、輸入の停滞で供給量が減少したことにより、国産生乳への需要
の回帰が起こったこと、価格の上昇にもかかわらず牛乳の需要が高水準で推移し
たことにより、国産生乳価格の上昇という結果を生むこととなった(表3)。し
かしながら、一方で輸入飼料価格の上昇などにより、生乳生産量は減少すること
となり、国産より高価格な乳製品を輸入せざるを得ない状況が発生することとな
った。


(2)輸入政策の変更点

 同国は、国家経済の建て直しのため、国際通貨基金(IMF)の支援を受けながら、
経済政策を進めることとしているが、98年 1 月、IMFとの話し合いにより、ミル
ク・レシオ政策の廃止を示唆された。これを受けて政府は大統領令を出し、98年
2月1日より同政策を廃止することを決定した。これにより、ミルク・レシオ政
策に関連する、輸入業者、輸入量の制限撤廃や、国産生乳の買い取りおよびその
価格の統制の中止などが同時に発表されることとなり、82年より同国の酪農産業
を発展させてきた一連の政策が幕を閉じることとなった。また、同時に価格の上
昇により輸入が停滞していた牛乳・乳製品について、その関税率を一律5%に引
き下げることとした。

 なお、今回の経済危機に伴う酪農政策の変更点は(表6)に示した通りである。

表6 酪農政策の変更点
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6 おわりに

 現在、インドネシアは国家経済の建て直しの中、新しい指導者と政策を模索し
ている最中である。このような中、旧スハルト政権との違いを打ち出すことで民
衆の支持を得ようとしている現ハビビ政権は、過去の政策を大きく変更している
状況にある。ここに紹介した牛乳・乳製品の輸入政策においても、大きな政策転
換を行い新しい方向へ向かおうとしている。しかし、今年6 月に行われる総選挙
と、10月に行われる大統領選挙の結果次第では、さらに新しい方向へと転換する
可能性をも含んでおり、今後の方向性は依然として不明である。また、通貨下落
の影響で輸入乳製品の価格は高騰したものの、為替レートの回復とともに徐々に
収まりつつあり、現在の政策をいつまで継続していけるのかも不明である。今回、
廃止されることとなったミルク・レシオ政策とその関連政策ではあるが、輸入品
との間に大幅な価格と品質の格差がありながら、わずか15年で国内生産量を3倍
以上に成長させたという実績には評価すべきものがあると思われる。

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