海外駐在員レポート 

米国・カナダのリスク管理対策

デンバー駐在員事務所 本郷秀毅、樋口英俊




1 はじめに

 米国は、「94年連邦作物保険改革法」により、作物保険制度と災害対策を一本
化し、農家の作物保険への加入促進を図った。また、「96年農業法」に基づき、
伝統的な農業政策である穀物生産に対する不足払い制度などを廃止し、市場志向
型の農業政策への転換を図るとともに、このようにして生じる価格変動を含めた
収入変動リスクに対処するため、パイロット事業として収入保険制度を導入した。

 98年には、農産物価格の低迷や自然災害による農家収入の減少に対処し、総額
約60億ドル(7千2百億円:1ドル=120円)にのぼる農家緊急支援対策が成立した。
このうち4億ドル(480億円)は、農家の農業保険制度への加入促進を図るため、
保険料の追加補助金として活用することとされた。

 さらに、2000年度予算案の発表と併せて、米農務省(USDA)は、畜産を農業
保険制度の対象として取り込むという案を含む、農業保険制度の改革案を発表し
ている。

 他方、カナダは、農業収入の変動に対するリスク管理対策として、純所得安定
口座(Net Income Stabilization Account
:NISA)を中心に据え、作物保険、付帯制度とともに農業経営全体の総合的な安
定を図っている。

 しかしながら、米国と同様カナダも、98年には農産物価格の低迷や自然災害に
よる農家収入の減少に対処し、2年度にわたる事業として総額15億カナダドル
(1,230億円:1カナダドル=82円)に上る農業所得災害支援対策(Agricultural 
Income Disaster Assistance:AIDA)を講じることとなった。米国の農家緊急支
援対策との違いは、補償額を過去3年間のグロス・マージンの70%までとするな
ど、世界貿易機関(WTO)協定の「緑」の政策に適合するよう設計されているこ
とである。

 WTO協定の下で、今後、世界各国の農業政策が市場志向型に向かわざるを得な
い中で、同協定上、国内補助金として削減の必要のない「緑」ないしそれに近似
した政策の観点からも、米国の農業保険制度改革やカナダの農業経営安定制度へ
の関心は高まっている。今月号では、次期WTO交渉を目前に控え、世界的に関心
の高まっている米国およびカナダのリスク管理対策の概要を報告する。


2 農業生産に内在するリスクとその管理対策

 農業生産に内在するリスクには、収量(生産量)や価格の変動リスクに加え、
制度の変更、生産者の健康や判断に起因するリスク、資金面でのリスクなどがあ
る。中でも、農業生産に特有なリスクは、収量の変動リスクであろう。生産者に
管理することのできない天候要因に加え、病虫害による収量の変動も無視できな
い要因である。また、価格の観点からは、生産物そのものの価格変動リスクばか
りでなく、生産資材である家畜飼料などの投入資材の価格変動リスクも無視する
ことはできない。

 このように、農業は、他の産業以上に、さまざまなリスクにさらされやすい産
業であると言える。このため、これらのリスクを回避するため、日本を含め主要
な農業国においては、以下のように農業生産に係るさまざまなリスク管理対策が
開発・実施されてきた。


(1)複合経営

 最も伝統的なリスク管理対策であり、生産部門の多角化により危険を分散し、
農業経営全体での収入の変動リスクを最小化しようとするものである。米国のコ
ーンベルト地帯における養豚経営と穀物生産の複合経営が典型的な例である。し
かしながら、効率的な生産によるコストの低減の観点から、世界中で農業生産の
専作化が進展してきた結果、最近では、他のリスク管理対策に主流が置き換わり
つつある。


(2)作物保険(農業共済)

 さまざまなリスク管理対策の中でも、最も基本的なリスク管理対策は、干ばつ
や冷害などの被害による農産物の収量減少を補償する作物保険であろう。日本で
言う農業共済がそれである。家畜については、死亡や疾病などのリスクに対して、
家畜保険が開発・販売されている。これは日本で言う家畜共済に相当するもので
ある。カナダでは、ケベック州など特定の州でのみ、所得補償制度を通じて行政
が関与しており、他のほとんどの州においては、行政は関与していない。米国に
至っては、行政の関与は全くなく、民間の保険会社が家畜保険を販売しているに
すぎない。


(3)収入保険・経営安定対策

 作物保険が収量の減少を補償する保険であるのに対し、収入保険は、生産物価
格または収量の変動に伴う収入の減少を補償する保険である。この収入保険と
(2)の作物保険とを合わせ、ここでは農業保険と総称することとする(注:米
国においては、このような用語の使い分けがなされていないが、読者の理解を早
めるため、便宜上、本稿では、特に個別の保険に言及しない限り、このような使
い分けをすることとする)。米国において、家畜が農業保険の対象とされてこな
かった理由は、耕種作物に比べ、価格の変動が相対的に小さかったことがその背
景にあるものとみられる。

 このような保険制度に対し、生産者からの積立金や政府からの助成金を基に基
金を造成し、収入の減少時にこれを取り崩して収入の安定化を図る制度が「経営
安定対策」である。経営安定対策は、収入保険が生産者の判断により保証水準、
保険料およびその補助率などが異なるのに対して、保険料に相当する積立金の生
産者負担割合・補助率が原則として固定的である点などが特徴である。

◇図1:農畜産物の年間平均価格変動◇


(4)契約生産・契約販売

 契約生産および契約販売(書面ばかりでなく口頭契約も含む)は、対象となる
産品の生産量、品質および価格などの生産・販売条件について、あらかじめ契約
を行うものであり、生産者側にとっては、価格変動のリスクの減少、生産コスト
の共有、所得の安定化などが図れるというメリットがある。USDAが実施した97
年の調査によれば、農畜産物生産・販売の約3分の1は契約に基づくものとされて
おり、市場志向型の農業政策への転換に伴い農畜産物価格の変動幅が拡大する中
で、今後とも増加傾向を継続するものとみられている。畜産経営体の場合、家畜
の購入者側が生産資材の一部を提供する契約生産方式が主に活用されており、イ
ンテグレーションの進展しつつある養豚経営体で特に増加傾向にある。


(5)商品取引

 生産物価格の変動に対して、あらかじめ取引価格を設定できれば、将来生じる
であろう価格変動のリスクを回避することが可能となる。そこで利用されている
のが、農畜産物の先物取引とオプション取引である。

 先物取引は、ある商品の現物市場における価格変動のリスクを、先物契約を売
買することによって相殺するものであるが、その後の先物取引価格の変動リスク
はすべてその契約者が負うことになるため、投機的な取引であると言える。

・保険的なオプション取引

 一方、オプション取引には、プット・オプション(先物市場で売る権利)とコ
ール・オプション(先物市場で買う権利)がある。例えば、プット・オプション
であれば、オプションを一定の権利行使価格で購入し(購入価格=プレミアム)、
先物取引価格が権利行使価格より低落した場合は、オプションの行使により権利
行使価格より低落した価格分を相殺することができる(注:差額−プレミアム分
が利益となる)。逆に、先物取引価格が権利行使価格より上昇した場合は、売る
権利を放棄すれば、先物価格が上昇した分だけ利益を享受することができる(注
:プレミアムを支払った分だけ損失が生じる)。したがって、わずかなプレミア
ムさえ支払えば、将来の販売価格を権利行使価格(−プレミアム)以上で確保す
ることが可能となる。このため、オプションの購入価格(プレミアム)は保険料
に相当するとされており、保険的な取引であるとされている(英語では保険料も
同じ「プレミアム」という語を用いる。)。

・米酪農家はオプション取引を試行中

 カナダでは、リスク管理対策として肉牛・オプション・パイロット・プログラ
ムが実施された経緯がある(97年10月で終了)。農家が肉牛価格および米ドルと
の為替レートに関する2本のプット・オプションをセットで購入することを通じ
て、市場価格の低落に対するオプション取引を利用したリスク管理対策が試行さ
れた。

 一方、米国では、昨年末より酪農オプション・パイロット・プログラム(DO
PP)が実施に移され、加工原料乳価格支持制度の段階的廃止に伴う乳価の低落に
対して、農家がBFP(基礎公式価格)のプット・オプションを購入することによ
り、オプション取引を利用したリスク管理対策が試行されている(注:USDAが
取引手数料の30ドルおよびプレミアムの80%を助成)。


3 カナダのリスク管理対策

 通常であれば、このようなレポートにおいては、米国のリスク管理対策から解
説するのが一般的であろうが、本稿ではカナダのリスク管理対策から解説する。
その理由は、カナダにはNISAという農業経営安定対策として根幹となる制度が存
在するのに対し、米国においては、96年農業法に基づき、今まさに、さまざまな
パイロット事業が開発・実施に移されている段階にあり、次第にカナダのNISAに
類似したパイロット事業が導入されつつあるからである。さらに、カナダのNISA
は、後述するように、日本の農業経営安定対策に類似していることから、市場志
向型農政への転換期に当たり、今後の経営安定対策を検討する上で参考になると
考えられることも、その理由の1つである。


(1)カナダのリスク管理対策の略史

 カナダのリスク管理対策は、現在、NISAを中心に据え、日本の農業共済に相当
する作物保険、これらを補完する各州ごとに異なる付帯制度の3本柱からなって
いる。

・58年に農業安定化法、59年に作物保険導入

 カナダでは、58年に「農業安定化法」が導入され、農産物価格を過去10年間の
平均の80%の水準で支持することとされた。しかしながら、支持水準が低すぎる
とされたことから、75年に改正がなされ、過去5年間の平均(物価修正)の90%
の水準で支持することとされた。さらに86年には、これが全国3者安定事業に取
って代わられ、連邦政府、州政府、生産者の3者同額出資による不足払い事業が
実施されることとなった(注:本誌99年5月号参照)。

 他方、59年に収量の減少を保証する作物保険が導入され、73年に改正がなされ
ている。これは、保険料を連邦政府と生産者がそれぞれ50%ずつ負担し、管理運
営コストは連邦政府と州政府が負担する仕組みとなっている。

・91年にNISA導入

 「農家所得保護法」に基づき、91年に粗収入保険制度(Gross Revenue Insuran
ce Plan:GRIP)とNISAが導入された。しかしながら、GRIPについては、産品特定
的な収入補償制度であるため、WTO協定との整合性の観点から廃止されることと
なり、現在の3本柱体制ができ上がった。

 連邦政府は、現在、3本の事業それぞれに年間2億カナダドル(約164億円)ずつ、
総額6億カナダドル(492億円)を拠出し、州政府は、総額4億カナダドル(約328
億円)を拠出している。


(2)NISA

@仕組みおよび積立

・農家3:連邦政府2:州政府1の積立

 NISAの基本的な仕組みは、連邦政府、州政府および農家が、農家の個人口座に
農産物販売額の一定割合を積み立て、所得が一定の基準を下回った場合に、農家
が所得補てんのため、その口座から積立金を引き出すことができるという制度で
ある。

 積立金の拠出額は、参加農家の対象農産物純販売額(Eligible Net Sales:ENS)
の3%が基本となり、これに対して連邦政府が2%、州政府が1%拠出する仕組み
となっている。農家はENSの20%まで追加で口座に預け入れできるが、これに対
しては政府の拠出はない。ENSの上限は25万カナダドル(2,050万円)に制限され
ており、かつ、農家の口座への預入額は、過去5年間の平均ENSの1.5倍が上限と
されていることから、農家1戸当たりの積立残高は37万5千カナダドル(3,075万
円)となる。農家の積立金に対しては、全預入額に対して、金融機関からの市中
金利に加え3%のボーナス金利が付加・助成される。

◇図2:引き出しがなかった場合のNISA積立残高の例◇

・酪農品等供給管理制度対象農産物は対象外

 ENSとは、対象農産物の販売額から生産資材等の購入額を差し引いたものであ
り、所得に相当するものである。このため、NISAの加入様式は農業所得税申告書
との統合様式になっている。加入者はNISA事務所に対して、年間の事務経費とし
て55カナダドル(4,510円)を預け入れる必要がある。対象農産物は州ごとに定め
られ、ほとんどすべての農畜産物が対象となっているが、供給管理制度に基づく
所得安定措置の対象となっている酪農品、家きんおよび卵はいずれの州において
も対象外となっている。なお、アルバータ州およびブリティッシュ・コロンビア
州は、米国からの相殺関税等の政治的脅威を未然に防ぐため、基幹作目である肉
用牛を対象外としている。(注:このためもあり、先般、米肉用牛生産者団体の
提訴に基づく相殺関税の賦課はとりあえず逃れることができたものの、現在、商
務省の仮決定に基づくアンチダンピング関税が課されている実態にある。)

・穀物部門で高く、畜産部門で低い加入率

 作目別にNISAへの加入実績(戸数ベース)をみると、制度発足当初から対象農
産物となっていた穀物・油糧種子部門で約75%と高く、制度拡充により後から対
象となった畜産部門では、肉用牛で23%、養豚で37%と低くなっている。肉用牛
については、カナダ全体の40%を占めるアルバータ州などで対象外とされている
ことが、加入率を低くしているもう1つの要因であろう。なお、販売額ベースで
みると、NISAへの加入率は約80%となり、かなりの高水準となっている。 

A積立金の管理および引き出し

・安定化基準と最低所得基準の2つの発動基準

 積立金は、農家の預入分を口座1(課税後資金)、政府拠出分およびすべての
金利を口座2(課税前資金)に分けて管理されている。

 口座からの引き出しには、安定化基準と最低所得基準の2つの発動基準があり、
両方の基準を満たすときは、大きい方が優先される。

 安定化基準は、当該年のグロス・マージンが過去5年間の平均グロス・マージ
ンを下回るときに発動されるものであり、その差額を引き出すことができる。グ
ロス・マージンとは、農畜産物の純販売額に請負作業収入および機械の賃貸料収
入を加え、購入資材費などの対象経費を差し引いて求められる。

 最低所得基準は、農外所得を含めた全所得が最低基準〔単身者で1万カナダド
ル(82万円)、家族で2万カナダドル(164万円)〕に当該年のENSの3%を加えた
額を下回るときに発動されるものであり、その下回る額を引き出すことができる。

・引き出しは口座2を優先

 引き出しは、農家の判断により、規定の範囲内で自由に引き出すことができる。
また、その引き出しに当たっては、補助金に相当する口座2が優先され、口座2が
枯渇した場合に、農家の積み立てた口座1から引き出しができる仕組みとなって
いる。
 
BWTO協定「緑」の政策との関係

 WTO協定上の「緑」の政策全般に共通する要件は、公的負担によるものである
こと、および生産者に対し価格支持効果を持つものでないことである。さらに、
収入保険および収入保証事業に関する要件は、第1に、直近の3年または5年(最
高と最低を除く3年)の平均収入または所得の70%以下の保証であること、第2に、
生産量または生産のタイプに関連するものであってはならないこと、第3に、自
然災害に基づく補償額との合計額が収入減の100%を超えるものであってはなら
ないこととなっている。

 NISAは、ほとんどの点で「緑」の政策規定に適合するものの、過去5年間の平
均グロス・マージン(所得)の100%まで保証が可能であることから、「緑」の
政策には位置付けられない。しかしながら、NISAは非産品特定的な国内支持で
あり、農業総生産額の5%を超えないので、最小限(デミニミス)条項(注)に
より総合計量手段(AMS)の計算に含めることおよび削減の義務は課されていな
い。

(注)デミニミス(ラテン語の‘de minimis’)条項とは、WTOの「農業に関する
協定」第6条第4項を指す。ここでは、産品が指定されない国内助成であって、そ
の総額が国内農業総生産額の5%を超えない場合は、AMSの算定に含めることお
よび削減することを要求されないことなどが規定されている。


(3)NISAと子牛不足払い・地域肉豚の比較

 先にも触れたとおり、NISAは日本の農業経営安定制度とよく似た制度である。
そこで、ここでは、NISAを日本の畜産経営安定制度の根幹である「肉用子牛生産
者補給金制度(子牛不足払い)」および「地域肉豚生産安定基金造成事業(地域
肉豚)」と簡単に比較してみることとする(注:子牛不足払いおよび地域肉豚の
仕組み等については、法律・事業実施要領・要綱等参照)。

@発動基準

 NISAの発動基準が過去5年間の所得水準(および最低所得基準)を基準とした
ものであるのに対して、子牛不足払いは肉用子牛の生産条件および需給事情その
他の経済事情を考慮し、肉用子牛の再生産を確保することを旨として定めた保証
基準価格を基準としている。他方、地域肉豚では、地域保証価格については県ご
とに発動基準は異なるものの、国(農畜産業振興事業団)の造成基金による安定
基金発動基準価格については、当該年度の安定基準価格相当水準を基準としてい
る。発動基準の観点から言えば、NISAは、むしろ推定所得水準を基準とした肉用
牛肥育経営安定緊急特別対策事業、いわゆるマル緊事業に類似した事業であると
言える。

 NISAの課題は、過去数年間にわたって農産物価格の低迷や災害などが継続した
場合に、発動基準が低下することから、十分な保証が得られない可能性があるこ
とである。これに対し、子牛不足払いおよび地域肉豚の場合、再生産の確保を図
るため、実質的に発動基準がほぼ固定化されていることから、数年間にわたり価
格が低迷したとしても一定の収入の確保が可能な仕組みとなっている。しかしな
がら、長期的に見れば、将来の物価水準の上昇などに対して十分な所得確保が可
能かどうかが課題となろう。したがって、いずれの制度も、それぞれに経営安定
対策上の利害得失を有していると言えよう。
 
A積立金

 NISAの場合、生産者負担割合が50%(このほか、利子助成あり)であるのに対
し、子牛不足払いは、保証基準価格・合理化目標価格間は100%政府(事業団)
助成、合理化目標価格を下回った際の補てん財源である生産者積立金は25%の生
産者負担割合となっており、政府補助の観点からは相当手厚い制度となっている。
また、地域肉豚の場合、県段階での生産者積立金の生産者負担は33〜50%程度が
中心であるが、このほか、国(事業団)の全額助成による安定基金があることを
考慮すれば、積立金についてみれば、NISAよりもやや手厚い制度となっていると
言える(注:農協連等による負担のない商系の場合、一般に生産者負担割合はも
っと高い)。

B基金管理および引出可能額・交付額

 NISAの場合、基金は個人単位での管理となっており、引出額も発動基準さえク
リアしていれば、その範囲内で、個人の判断で自由に引き出すことができる。他
方、子牛不足払いおよび地域肉豚の場合、基金は県単位の一括基金となっており、
交付単価は生産者一律となっている。

 このため、子牛不足払いおよび地域肉豚では、制度の発動が見込まれないとき
には制度への加入頭数を抑制し、発動が見込まれるときにだけ全頭加入するとい
うモラル・ハザードが生じやすいのに対して、NISAの場合、個人で積み立てた額
の範囲内でしか引き出しができない仕組みとなっているため、このような問題は
生じない。

表1 NISAと子牛不足払い・地域肉豚の比較
re-ust01.gif (40081 バイト)


4 米国のリスク管理対策

(1)米国のリスク管理対策の歴史:揺れ動く60年

・1938年に導入

 米国ではじめて連邦政府による作物保険制度が導入されたのは、1938年に小麦
を対象としてのことであり、42年には綿花が対象に加えられた。しかしながら、
保証額が保険料を大幅に上回ったことから43年にいったん中止され、44年に新規
拡充された制度として再開された。46年の綿花の不作により、48年には事業規模
(実施対象地域)が制限されることとなり、小麦については200郡に、綿花につ
いては56郡に制限されることとなった。

 こうして80年まで、作物保険制度は実験的な規模で実施されながらも、対象面
積は48年の1千万エーカー(4百万ヘクタール)弱から、80年には約2千万エーカ
ー(8百万ヘクタール)へと着実に拡大していった。この間、自然災害の発生時
には、臨時の災害援助事業の実施によりその損失がカバーされたことが、作物保
険の加入率が伸び悩む一因となっていた。

・80年に連邦作物保険法成立:保険料30%補助

 80年には「連邦作物保険法」が成立し、作物保険を災害援助事業の柱に据える
こととし、災害支援対策の権限を作物保険が利用可能な郡から同法に置き換える
こととした。新しい制度により、十分な農業生産があるすべての郡において作物
保険が実施可能となった。また、事業への参加を奨励するため、保険料の30%が
連邦政府によって補助されることとなった。この結果、農家の事業参加率は着実
に増加したものの、88年に至ってもなお、有資格面積の25%が加入しているにす
ぎなかった。

 88、89両年の干ばつなどの災害に対して、新しい災害支援対策が講じられるこ
ととなったが、その資格を得るためには、翌年、作物保険を購入することが義務
付けられた。この結果、89年の作物保険加入率は一気に2倍近くに跳ね上がるこ
ととなった。

◇図3:連邦作物保険制度加入面積の推移◇

・94年連邦作物保険改革法:CAT保険料全額補助

 「94年連邦作物保険改革法」により、農家はわずか50ドル(6千円)の手数料
で大災害作物保険(Catastrophic Crop Insurance:CAT)に加入することが可能と
なった(注:99年より60ドルに値上げ)。農家の保険料は、全額連邦政府が負担
するというものである。これに伴い、臨時の災害援助対策が再び廃止され、CAT
に取って代わられることとなった。また、他の農業対策による助成を受ける資格
を得るためには、農家は少なくともCATに加入していることが条件とされた。こ
の結果、97年には事業参加率が急上昇し、有資格面積の70%以上がカバーされる
こととなった。

・96年農業法:収入保険制度の導入

 「96年農業法」により、他の農業対策による助成を受けるためのCATへの参加
義務が廃止され、伝統的な価格関連対策が段階的に削減・廃止されることとなっ
た。これに伴い、新たなリスク管理対策として、収入保険制度がパイロット事業
として実施されることとなった。ただし、作物保険に加入していない農家は、臨
時の災害援助対策の受給資格を失うこととされた。しかしながら、「99年度包括
歳出法」に基づき実施された災害援助対策においては、穀物等生産に係る生産柔
軟化契約対象農家に対して補助金が交付される(注)こととなるなど、早くも当
該規定が有名無実化していることは周知のこととなっている。

(注)生産柔軟化契約(Production Flexibility Contract)制度は、不足払い制度の
 廃止に伴い導入された制度であり、過去5年間(91〜95作物年度)に1年以上減
 反計画に参加した農家が、作付作物の収穫および作付面積の実績に基づき、政
 府と契約(生産柔軟化契約)を締結する場合、その面積の85%を対象として、
 一定の直接支払いを7年間受給できるというものである。

・農業保険加入面積率は57%

 この結果、99作物年度(98/99)の農業保険に対するUSDAの補助総額は17億
ドル(2,040億円)となっており、98年の農業保険加入面積は1億8千2百万エーカ
ー(7千4百ヘクタール)、全農地面積の57%がカバーされている。

(2)農業保険の概要

 農業保険は、耕種作物を対象としたものであり、「連邦作物保険法」により家
畜は制度の対象外とされている。そこで、詳細は類書に譲ることとして、ここで
は、ごく簡単にその概要だけに触れることとする。

@作物保険

 米国の作物保険は、大災害作物保険(CAT)と複合危害作物保険(Multiple-Pe
ril Crop Insurance: MPCI)による2段階プログラムおよび非保険作物支援事業
(Noninsured Crop Assistance Program:NAP)の3つから構成されている。

・CAT:生産量の50%、価格の55%を補償

 CATは、個別農家ごとの収穫単収が過去4〜10年間の平均単収の50%を下回ると
き、下回る分の予想市場価格の55%(98年までは60%)の水準で保証する。予想
市場価格は、連邦作物保険公社(Federal Crop Insurance Corporation:FCIC)に
よりごと年設定される。したがって、農家がCATに加入すれば、収穫皆無であっ
ても、平年の農業収入の27.5%(50%×55%)まで補償される仕組みとなってい
る。

・MPCI:保険料補助率は約4割

 農家がより高い保証を望む場合、追加保証としてMPCIを購入することができる。
MPCIでは、平均単収については50〜85%(98年までは75%が上限)まで、予想市
場価格については55〜100%(98年までは60〜100%)までの水準を選択できる。
ただし、MPCIはあくまで収量の減少を補償することを目的とした保険であり、仮
に価格が保証水準を下回ったとしても、収量が保証水準を下回らなければ、補償
金は支払われない。保険料に対する補助は、最大41.7%(最も一般的な単収65%、
価格100%保証の場合)となっている。このほか、連邦政府は、民間の保険会社
に対して、運営費の一部を補助するとともに、再保険をかけている。

・NAP:連邦作物保険対象外作物をカバー

 NAPは、連邦作物保険の対象外作物である花き、観賞用植物、クリスマスツリ
ーや芝生などの自然災害による損失を補償する。個別農家ごとの収穫単収が過去
4〜10年間の平均単収の50%を下回るとき、下回る分の予想市場価格の55%の水
準で保証する点はCATと同様である。ただし、農家の加入費用が無料である点な
どがCATとは異なる。

表2 日米作物保険制度の比較
re-ust02.gif (21416 バイト)
 資料:吉井邦恒「アメリカの収入保険制度」(農業総合研究、平成10年1月)
    より抜粋
  注:一部データを更新。

A収入保険:カナダの経験を参考に開発

 「94年作物保険改革法」および「96年農業法」に基づき、パイロット事業とし
て既に実施されている収入保険には、所得保護保険(Income Protection:IP)、
作物収入保証保険(Crop Revenue Coverage:CRC)および収入保証保険(Revenue 
Assurance:RA)がある。それぞれに対象作物および対象地域が特定されている
ものの、加入者が圧倒的に多いのはCRCであり、いずれの作物においても90%以
上のシェアを占めている。これらはパイロット事業とはいえ、年々対象作物およ
び対象地域などが拡大しつつある。このほか、99年から開始されている調整粗収
入保険(Adjusted Gross Revenue:AGR)および集団危害所得保護保険(Group 
Risk Income Protection:GRIP)があるが、AGRについては次の(3)で触れること
とする。

 これら収入保険に共通しているのは、民間保険会社を通じてのみ販売されてい
ることに加え、MPCIの場合と同様、連邦政府が保険料を補助するとともに再保険
をかけていることである。保険料に対する補助率は、保証水準により13〜55%
(平均的には約30%)とかなりの幅がある。また、保証の基礎として先物取引価
格を用いていることも共通点である。これら収入保険を開発するに当たり、90年
代初期に実施されたカナダの粗収入保険プログラム(GRIP:米国の収入保険と略
称が偶然同じ)の経験が参考とされている。

 なお、WTO協定の観点から米国の収入保険制度を見れば、これらがパイロット
事業であることもあり対象農作物が限定されていることから、「緑」の政策の規
定には当てはまらない。

・IP:トウモロコシと大豆などが対象

 IPはFCICにより開発され、96年に導入された。収入保証額は、農家ごと、作物
ごとに次式により求められる。

 収入保証額=
    平均単収×予測価格×保証割合

 平均単収は過去4〜10年間の平均単収、予測価格は作付け前の収穫時先物価格
(シカゴ商品取引所)、保証割合は50〜75%、対象作物は当初、トウモロコシと
大豆のみであったが、現在はこれに小麦、ソルガム、綿花および大麦が加えられ
ている。

・CRC:主要生産州のほとんどで利用可能

 CRCは民間保険会社により開発され、96年に導入された。IPと異なる点は、予
測価格部分が作付け前の収穫時先物価格と収穫時点での収穫時先物価格のいずれ
か高い方の95%が適用される点などである。このため、CRCはIPなどに比べ保証
割合が高くなる傾向があることから、農家に極めて人気の高い商品となっている
。対象作物はトウモロコシ、大豆、小麦、ソルガム、綿花および米である。
・RA:アイオワ州の農業団体が開発

 RAはアイオワ州の農業団体により開発され、97年に導入された。IPと異なる点
は、予測価格部分が作付け前の収穫時先物価格(郡ごとに調整)と収穫時点での
収穫時先物価格(郡ごとに調整)のいずれか高い方が適用されること、保証割合
が65〜75%(一部80%)となっている点などである。導入時は、アイオワ州のト
ウモロコシと大豆が対象であったが、現在では、対象地域、対象作物とも拡充さ
れている。

・GRIP:郡単位の収入を保証

 GRIPは、99年からインディアナ州、イリノイ州およびアイオワ州の特定の郡を
対象に導入された。特徴は、ある作物の郡の収入が当該郡の目標収入の一定割合
以下に低下した場合に、参加農家に対して保証がなされることであり、保険は作
物ごとに設定される。また、GRIPは、郡全体の収量が低下した場合に発動される
ものであり、個別農家の特定の事情による減収は保証の対象とされない。


(3)米国の収入保険とカナダのNISAの比較

@調整粗収入保険(AGR)との比較

・農家全体の所得を保証

 AGRは、フロリダ、メイン、マサチューセッツ、ミシガンおよびニューハンプ
シャーの5州の特定の郡を対象に、99年〜2001年まで実施されるパイロット事業
である。これまでの収入保険との違いは、カナダのNISAのように、個別の作物ご
とではなく農家全体の所得を保証の対象としたことである。このため、加入要件
として、過去5年間の納税申告書の提出が義務付けられるなど、税務と一体化し
た事業である点もNISAと類似している。

・畜産に係る収入割合を35%まで保証

 上記の諸州が対象となった背景は、生産者団体による強い要請があったことも
さることながら、これらの地域は、従来から農業保険の対象となっている穀物の
主要生産地域ではなく、主に野菜や果樹の生産を行っている複合作物生産地域で
あることが挙げられる。このため、農家全体の所得を保証の対象とする方が合理
的と考えられ、このような保険が開発されることとなった。農家全体の所得を保
証の対象とする関係上、「連邦作物保険法」の対象とされていない畜産に係る所
得についても、パイロット事業として、全体の35%までは対象とされることとな
った。言い換えれば、畜産からの所得割合が35%を超える農家は、本事業の対象
とはならないということである。

・保険料補助は50%

 AGRは、他の収入保険と同様に、連邦政府による保険料補助、再保険などがな
される。保険料補助については、NISAの積立金に対する政府の補助に相当すると
言える。この場合、生産される作物種類が多いほど危険分散がなされることから、
保険料が安くなる仕組みとなっている。保険料に対する補助は、保証割合の水準
いかんにかかわらず50%となっており、NISAの積立金に対する政府の補助割合と
等しくなっている。

・AGRは機械的支払い、NISAは任意引き出し

 保険金あるいは基金の引き出しの観点から両者を比較すると、AGRはあらかじ
め定められた水準以下に所得が減少した場合に機械的に支払いがなされるのに対
して、NISAでは、収入が発動基準を下回った場合にその差額の範囲内で引き出し
が可能となるが、引き出すかどうかは農家の自由意志に任されている点が異なる。

 なお、AGRの保証割合は、認可された所得の65%、75%および80%の3段階とな
っており、選択された保証水準と実際の所得の差額に、支払率である75%を乗じ
た額が支給される。例えば、認可所得が10万ドルで保証割合75%、支払率75%の
場合、実際の所得が5万ドルであったとすれば、保証額は以下の式により求めら
れる。

 (10万ドル×75%−5万ドル)×75%
             =18,750ドル

 このため、保証水準の観点から見れば、保証水準との差額全額が保証されるNI
SAと比べ、AGRはやや劣ると言えよう。
 
AFARRM法案との比較

・課税繰り延べ口座の創設

 農場および牧場リスク管理(Farm and Ranch Risk Management:FARRM)口座
を創設しようとする法案が、99年議会に提出されている。これは、農業所得が高
い年に所得の一部をFARRM口座に積み立て、農業所得の低い年にこれを引き出す
ことにより、農業所得の変動リスクを管理しようとするものであるFARRM口座へ
の積立金については課税が繰り延べられ、引き出したときに課税される仕組みと
なっている。本法案は農家全体の所得の安定化を目的としていること、税務と一
体化したものであることなど、多くの点でカナダのNISAに類似している。

・積立金は農業所得の20%を上限

 農家の積立金について、NISAでは政府拠出の対象となる農業所得の3%(基本)
に加え、20%まで積み増し可能とされているのに対して、FARRMでは20%を上限
としている。積立金には通常の金利が付くが、NISAと異なり、政府による金利の
上乗せはないばかりでなく、政府からの積立金の助成もない。言い換えれば、本
法案の特徴は、政府からの助成は全くなく、単に最大20%分の所得税が繰り延べ
られることだけがメリットになっているということである。

・引き出しは農家の自由

 口座からの引き出しには、価格や所得水準などの基準はなく、全く農家の自由
意志に任されている。ただし、積み立ててから5年以内に引き出さなければ、10
%のペナルティが課される。これは、FARRMが追加的な年金制度になってしまう
ことを防ぐためである。

 このように、現段階では、本法案は課税の繰り延べに重点が置かれており、リ
スク管理対策としての比重は小さいものとなっている。USDA経済研究局(ERS)
による94年の所得税を用いた分析によれば、資格のある227万人の農業経営者の
うち約7割は、農業所得がマイナス(63%)であるか連邦所得税の対象外(10%)
となっているため事業対象外となること、事業の利益は大規模生産者に偏ること
などの問題点を指摘し、現行の案のままでは議会通過が難しいことを示唆してい
る。

 議会通過のためには、よりNISAに類似した仕組みとすることが必要であろう。
まだ十分な気運が高まっているわけではないが、米国最大の農業ロビイスト団体
であるファーム・ビューローなどは、新たなリスク管理対策として、カナダのNI
SAかと思われるような、政府による助成付き口座の創設によるリスク管理対策を
要請し始めている。


(4)今後創設が見込まれる畜産収入保険制度

 先にも触れたとおり、現在、畜産は「連邦作物保険法」の対象外となっている。
しかしながら、98年における肉豚など家畜・畜産物価格の急落により、畜産業界
においても価格の変動にいかにして対処するかが大きな関心事項として浮上して
きている。

 USDAは99年2月、2000年度予算案の発表と併せて、農業保険制度の改革案を発
表し、その中で、生産額の観点から見れば最大の農業部門である畜産を農業保険
制度の対象に取り込むという提案を行っている。このような提案を踏まえ、民間
の保険会社が家畜収入保険を提案するなど、次第に期待が膨らみつつある。他方、
肉用牛生産者団体である全国肉牛生産者・牛肉協会(NCBA)は、畜産部門に収
入保険制度を導入することに対して反対の立場を表明している。


5 おわりに

 米国は現在、「連邦作物保険法案」を審議している段階にあり、2001年〜2004
年までの間に、総額60億ドルを上限として農業保険制度の拡充が図られようとし
ている。8月3日に下院農業委員会を通過した段階の法案の中には、家畜を対象と
したパイロット事業の創設が含まれているほか、保険料に対する補助率を、最低
の保証水準でこれまでの55%から67%に、最高の保証水準で13%から30.6%にそ
れぞれ引き上げる案などが含まれている。

 また、カナダは、これまでの全国的な農業経営安定制度(セーフティネット・
システム)の実績などを踏まえ、NISAを含めたリスク管理対策の改善策を99年11
月の各州農業大臣会合で議論・分析し、2000年2月の同会合において、その後5年
間のフレームワークを決定することとしている。

 他方、日本においても、「食料・農業・農村基本法」の成立により市場志向型
の農業政策への転換が図られることとなっており、結果的に生じるであろう農産
物価格の変動に対する経営安定対策が必要となるとみられている。

 3でみたように、カナダのNISAと日本の子牛不足払い・地域肉豚などの経営安
定制度は全く異なる制度のように見えて、実は多くの共通点を有する。今後、W
TO交渉を通して、国際的な政策の統一化や「緑」の政策の規範が議論され、他方、
米国の収入保険パイロット事業が改正を重ねて、NISAにより類似した事業として
結実する可能性などを踏まえれば、将来的な制度改正の参考指標として、これら
の制度運営や改正の方向を、今後とも注意深く見守っていく必要があろう。

(参考文献)

1.「Net Income Stabilization Account, Producer Handbook 1997」
 (Policy Branch, Agriculture and Agri-Food Canada(AAFC))

2.「Net Income Stabilization Account, Co-operative Forms & Guide 1997」

3.「Net Income Stabilization Account 1998 Stabilization(Tax) Year」(AAFC)

4.「Canada’s Agricultural Safety Nets」(AAFC)

5.「Farm Income and NISA, Joint Forms & Guide 1997」(Revenue Canada)

6.吉井邦恒「カナダのNISAとは−収入安定制度と酪農政策改革を切り結ぶ−」
 (日刊酪農経済通信・号外、新年特集号、1999.1.1)

7.「Agricultural Outlook」USDA(99年2月号〜5月号)

8.「Adjusted Gross Revenue Insurance」(USDA, Risk Management Agency)

9.「1998 Revenue Crop Insurance Plans」(USDA, Risk Management Agency)

10.吉井邦恒「アメリカの収入保険制度」(農業総合研究、平成10年1月)

11.各種業界紙、新聞報道、USDAおよびAAFCの各種プレスリリース

12.以上の各参考文献のほか、本レポートは、上記の農業総合研究所吉井氏ら
 に同行して訪問・インタビューしたAAFC・NISA事務局、USDAリスク管理局
 からの情報によるところが大きい。

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