海外駐在員レポート 

豪州の家畜個体識別制度の概要と現状

シドニー駐在員事務所 野村 俊夫、幸田 太




1 はじめに

 豪州では、昨年12月1日から肉牛の全国家畜個体識別制度(National 
Livestock Identification Scheme : NLIS)が開始された。NLISは、輸出相手国であ
るEUから求められた諸条件を満たす手段として導入されたという特殊な背景と、
世界で初めて電子標識を正式採用したという特徴を有している。NLISはいまだ開
発の途上にあるが、将来は輸出相手国への対応手段にとどまらず、国内の肉牛・
牛肉産業に大きく貢献する制度に発展することが期待されている。そこで、今回
は、NLISの概要と現状について紹介する。


2 NLISの目的と導入までの背景

消費者ニーズへの対応と情報フィードバックが目的

 豪州では、早くから、主に疾病予防管理の面(ブルセラ病、牛結核など)から
牛の個体識別の重要性が認識されていたが、全国統一の制度は存在していなかっ
た。

 しかし、日本、米国、EUなどの主要な輸出相手国で食品の安全性への関心が急
速に高まるにつれて、追跡可能性(トレーサビリティ)の保証などの消費者ニー
ズに対応することが、将来のマーケティング戦略に欠かせないとの認識が業界関
係者の間に広まった。また、個体識別は情報フィードバックの手段としても有効
に活用できるため、国内の肉牛・牛肉産業に貢献するとの理解も深まった。昨年、
豪州がNLISの導入に踏み切った一般的な背景としては、業界内にこれらの共通認
識が広く存在していたことが挙げられる。


EU向けは既に類似システムを実施

 全国統一の個体識別制度は存在しなかった一方で、EU向けの牛肉輸出について
は、従前からこれに類するシステムが採用されていた。

 周知のとおり、EUは成長ホルモン剤(HGPs)を投与した肉牛・牛肉の域内への
輸入を全面的に禁止している。この措置は、米国に限らずすべての輸出国に適用
されており、豪州も例外ではない。一方、豪州は、旧イギリス領という歴史的経
緯により、牛肉については現在もEUから毎年7千トンの低率の関税割当てを受け
ている。EU向け輸出は豪州の牛肉輸出全体(年間約90万トン)から見ると決して
多くはないものの、利益の大きい貴重な貿易品目となっている。ただし、これを
実行するにはEUの求める諸条件に従わなければならない。

 このため、豪州は、従前から連邦の輸出規制法(Export Control Act ’82)に
基づき、動物検疫検査局(AQIS)がEUの条件に合致すると証明した肉牛だけを
個体識別し、輸出していた。具体的には、AQISが証明したEU向け肉牛に、ピン
ク色の特別な尾標(テールタグ)を装着することにより、一般の肉牛から識別す
るシステムを採用していた。


EUによる検査体制の見直しがNLISの導入を促進

 しかし、EUは、域内で牛肉の安全性への関心が高まったことを理由に、98年3
月から4月にかけて、豪州に専門家を派遣して検査体制の見直しを行った。その
結果、AQISによる従前の検査体制と個体識別システムでは不十分であるとし、
EU向け肉牛を生産農場まで確実にトレースできる個体識別制度と、流通・と畜段
階を通じて一般の肉牛から完全に隔離する制度の確立を要求した。

 これを受けた豪州政府と肉牛・牛肉業界関係者は、約1年半にわたって検討を
重ねた結果、昨年11月、電子標識を用いたNLISの導入に踏み切り、併せて、流通
・と畜段階でEU向け肉牛を一般の肉牛から完全に隔離する制度(クローズドシス
テム)を法制化する(輸出規制法を改正する)ことを決定した。したがって、N
LISは、現実的にはEUの牛肉検査体制の見直しという外的な要因によってもたら
されたものである。
densi-1.gif (39539 バイト)
【電子耳標を装着した肉牛】

3 現状におけるNLISとEU向け輸出の関係

NLISは任意の制度

 NLISは、肉牛生産者を対象とする肉牛の個体識別を目的とした各州ごとの任意
の制度である。したがって、各農場の固有識別番号(Property Identification 
Code:PIC)は、州政府によって管理されている。生産者は、NLIS認定業者に電
子標識を発注・購入することにより誰でもNLISに参加できる。配布される電子標
識には、認定業者により既に個体識別に必要な初期情報が入力されているので、
生産者はこれを肉牛に装着するだけである。この初期情報は、豪州食肉家畜生産
者事業団(MLA)が管理するNLISホスト・コンピューターにも同時に入力されて
おり、生産者はこれに無料で自由にアクセスすることができる。

 ただし、NLIS電子標識の取り外し、付け替え、ホスト・コンピューターへの虚
偽情報の入力などの行為は、各州の条例によって禁止されている。


EU向け輸出以外のメリットは希薄

 生産者がNLISに参加するメリットとしては、@EUが定めたその他の条件(後述)
を併せて満たすことにより、EU向け肉牛として実際に有利な価格で販売できるこ
と、ANLIS を独自の農場管理システム(血統、増体、飼料、投薬など)やと畜後
の肉質情報システムと相互にリンクさせることにより、効果的な牛群管理に利用
できることが挙げられる。ただし、現状ではAはまだ十分に機能していないため、
実際にEU向け輸出に携わらない限り、NLIS に参加するメリットは少なくなってい
る。


EU向け輸出の規制は法律に基づく措置

 一方、EU向け輸出に係る規制は、輸出規制法に基づく連邦の制度である。昨年
の同法改正により、EU向け輸出に携わろうとする者は、肉牛生産者から、家畜
売買業者、家畜市場、フィードロット、パッカーに至るまで、すべてAQISの審
査に合格して「EU輸出農場・施設」の承認を得なければならないことになった。
その承認条件は、@生産者にあっては農場内のすべての肉牛にHGPsを投与しない
こと、A家畜売買業者、家畜市場、フィードロット、パッカーにあってはEU向け
の肉牛・牛肉をその他のものから完全に隔離することとされ、それぞれに証拠書
類の保存も義務付けられた。この承認は随時更新が求められ、必要に応じてAQ
ISによる実地検査も行われる。


完全なクローズドシステムを確立

 さらに、同じ法律改正により、EU向けの肉牛・牛肉は、生産からと畜までのす
べての段階を通じて、AQISの承認を受けた「EU輸出農場・施設」のみで扱わな
ければならないことになった。つまり、完全な「クローズドシステム」が制度と
して確立されたわけである。

 ただし、本年6月末日までは新システムへの移行期間とされており、それまで
に「EU輸出」の承認を受けた農場は、既に飼養しているピンク尾標の肉牛をEU
向けにできるとされている。逆に、6月末日までに「EU輸出」の承認がなされな
いと、ピンク尾標の肉牛であってもEU向けに認められないことになる。さらに、
7月以降に「EU輸出」承認がなされた場合には、当該農場でEU向けに不適格な肉
牛を飼うことは禁止されることから、これらの肉牛を直ちに農場外に処分しなけ
ればならなくなる。このため、6月末の移行期間終了を前に、「EU輸出」の申請
が大幅に増加している。
densi-2.gif (39879 バイト)
【電子耳標を装着した肉牛】

NLISはクローズドシステムの保証手段

 本稿の主題であるNLISは、このEU向けのクローズドシステムを保証するため
の手段として活用される。したがって、AQISに「EU輸出」の承認を申請する肉
牛生産者、家畜販売業者、家畜市場、フィードロット、パッカーは、すべてNL
ISに参加することが最低の条件とされているのみならず、EU向けのクローズドシ
ステムが完全に機能していることを保証するべく、登録肉牛の売買、移動、と畜
などの付加情報をすべてNLISホスト・コンピューターに入力する義務を負わされ
ることになった。


4 NLISの管理運営

NLIS委員会が管理運営

 NLISは、農漁林業省(AFFA)、AQIS、MLA、家畜生産者協議会(CCA)、AM
PC(パッカー団体)、ALFA(フィードロット団体)など、政府・業界の代表で
構成する「セーフミート」が管理運営の責任を負っているが、実際には、そこか
ら指名されたメンバーからなるNLIS委員会によって運営されている。当該委員会
は、NLIS推進事業計画の作成、事業費財源の確保、NLIS認定業者(電子標識の製
造業者、コンピューター・ソフト業者など)の選定、関連業界の利害調整など、
NLISに関係する多くの課題についての検討とその対応の決定を行っている。また、
MLAは、セーフミートから委託された代理機関として、NLIS委員会の事務局機能
を担当している。


南東部諸州の生産者を中心に参加

 NLISに参加した肉牛生産者の総数は、4月末の段階で約4,000戸、登録肉牛総数
は約125万頭で、全国の肉牛飼養頭数の約5%に達した。そのうち、既に「EU輸出」
承認を受けた生産者は約2,000戸、肉牛頭数は約45万頭となっており、残りの大
部分も「EU輸出」承認を申請中とみられる。NLIS委員会によると、参加戸数・登
録頭数ともに、昨年末の制度発足以来、確実に増加している。  

 また、参加した生産者を地域別に見ると、ビクトリア州、ニューサウスウェー
ルズ州、タスマニア州で全体の85%を占め、もともとEU向け輸出が多かった南東
部諸州に集中している。

 なお、既に「EU輸出」の承認を受けたパッカーは18工場、家畜市場は5ヵ所、
フィードロットは2ヵ所となっており、これらも着実に増加している。


事業費財源は業界負担が基本

 NLISに参加する生産者は、電子標識の購入費用を自己負担することになってい
る。また、必要に応じて電子標識の読み取り機器(リーダー)も購入しなければ
ならない。

 電子標識の販売価格は、現在、耳標が3.1豪ドル(約202円:1豪ドル=65円)
/個、胃内カプセルが5.6豪ドル(約364円)/個、読み取り機器は200〜5,000豪
ドル(約1万3千円〜32万5千円)/個(性能・種類による)とされている。

 また、MLAが管理するホスト・コンピューターの関連費用やNLIS普及事業に係
る費用の財源の調達については、現在、NLIS委員会内で検討がなされている。具
体策としては、生産者や関連企業がMLAに支払う課徴金や分担金から支出する案
や、電子標識の販売価格の中から課徴金方式で徴収する案が出されている。いず
れにせよ、政府からの直接の補助はなく、受益者(肉牛・牛肉業界)自身による
負担が原則とされている。
3tenset.gif (49152 バイト)
【電子標識、ハンディ読み取り器、
コンピュータの3点セット】

5 個体識別の手法

生産者が電子標識を発注・装着

 NLIS委員会は、電子標識として、マイクロチップ内蔵の耳標と胃内カプセルを
認定している(写真参照)。セラミック製の胃内カプセルは、牛に飲み込ませ、
その旨を表す耳標を併せて装着するが、耳標と異なり絶対に離脱しないという利
点がある(耳標の離脱率は3年間で3%未満を想定)。現状では、耳標の採用が圧
倒的であるが、将来的には確実性の高い胃内カプセルの利用も増加するとみられ
ている。

 生産者はNLIS認定業者に電子標識を発注し、初期情報を入力済みの電子標識の
配布を受けて肉牛に装着する。この際、牧場内で生産された肉牛には生産者標識
(ブリーダー・タグ:白色)、他農場から購入した未登録牛には購入者標識(ポ
スト・ブリーダー・タグ:オレンジ色)を使用する。購入者標識はNLISが普及す
るまでの経過的措置であり、将来は白色の生産者標識への統一が目標とされてい
る。

 ちなみに、電子標識には、発信方式の違いにより半二重(HDX)と全二重(FDX)
の2方式があるが、NLISでは両方が認定された。
cupsel.gif (37420 バイト)
【電子耳標と胃内カプセル(白色円筒型)、
胃内カプセル使用を示す耳標】

初期情報と付加情報の入力

 電子標識には、@農場の固有識別番号(PIC)、A電子標識の製造業者識別番
号、B生産者標識または購入者標識いずれかの識別番号、C電子標識の製造年、
D肉牛の個体識別番号、以上5種類の初期情報が入力されている。上記のうち、
@、A、Cについては発注と同時に機械的に決定するが、BとDについては生産
者が発注の際に認定業者に指定することになる。

 NLISでは、登録牛が、売買、移動、と畜された場合には、それらの付加情報を
NLISホスト・コンピューターに入力することが奨励されている。しかし、EU向け
の肉牛以外は、これらの入力が義務化されておらず、どの程度確実に実行される
か確証はない。ただし、先行するビクトリア州では、すべてのパッカーがと畜に
関する付加情報の入力に協力する旨を表明しており、早々にネットワーク化が進
むと期待されている。

 なお、NLIS ホスト・コンピューターに付加情報を入力する場合は、読み取り
機器を使用してインターネット経由でアクセスすることも可能であるし、読み取
り機器やインターネット接続機器がない場合には、専用の用紙に入力情報を手書
きで記入してMLAの担当課にファクスで通知してもよい(小規模生産者などが利
用)。
sampl.gif (44590 バイト)
【最も簡便かつ安価な
読み取り機器のサンプル】


情報読み取り精度の高さが特徴

 NLIS委員会が電子標識を採用した最大の理由は入力情報の読み取り精度が極め
て高いことである。例えば、バーコード式では標識が汚れたりすると読み取りが
困難になるが、電子標識の場合は、胃内カプセルを含めて、読み取り機器から一
定の距離内(機器の性能による)を肉牛が通過すれば、標識の汚れや肉牛の移動
速度に関係なく確実に入力情報を読み取ることができる。電子標識の読み取り機
器は、ハンディタイプの簡易機器から設置式の高性能機器まで、多種類のものが
販売されている。

 生産者は、NLISホスト・コンピューターに付加情報を送ることが少ないため、
本来、読み取り機器を購入する必要性は少ないが、実際は大部分の生産者がハン
ディタイプの簡便な読み取り機器を購入し、独自の農場管理システムとのリンク
などに利用している。
setti.gif (43094 バイト)
【設置式の高性能読み取り機器
(肉牛が通過すると読み取る)】

MLAが情報を集中管理

 NLISに関するすべての情報は、MLA が管理するNLISホスト・コンピューター
において集中管理することとされている。NLIS委員会は、現状のNLISホスト・
コンピューター・システムについて、EUから求められた条件に最低限度対応でき
るように設定した暫定的なものであると説明し、2001年の初めまでに、生産者に
よる農場管理システムや、パッカーによる肉質情報システムなど、多様な外部情
報システムとスムーズにリンクさせることができる本格的な体制に移行させると
表明している。これが実現すれば次に述べる情報フィードバックの基礎が出来上
がる。
tochiku.gif (37245 バイト)
【と畜場で電子耳標を読み取る】

情報フィードバックの成否が今後のカギ

 NLISは、EUの条件に対応する必要から出発したが、EU向け輸出は数量に限り
があり、豪州のすべての肉牛生産者がその恩恵に浴せるわけではない。その様な
中で、生産者がNLISに参加する動機は、パッカーからの肉質情報などのフィード
バックを利用できることにあると言える。したがって、今後、NLISが全国規模で
どこまで普及するかは、情報フィードバック機能の活用の成否にかかっている。

 また、肉質情報のフィードバックは、将来、肉牛の価格決定場面に影響を及ぼ
すことも考えられる。現在、肉牛価格は、生体・枝肉重量による区分ごとに、取
引時点の需給状況に応じて決定されており、きめ細かい肉質評価はあまり反映さ
れていない。しかし、肉質情報が確実にフィードバックされるようになれば、こ
れに基づいて価格交渉を行う素地が形成される。いずれにせよ、最終的に肉質情
報を提供するのはパッカーとなるため、パッカー側の積極的な協力が求められる
ことになろう。
fuka.gif (40813 バイト)
【電子耳標のコードを利用して付加情報を入力】

6 おわりに

 昨年12月から開始されたNLISは、これまでのところ順調に事業規模を拡大し
ており、参加者も月日を追って増加している。しかし、従前からの対EU輸出を
維持するべく導入された経緯を考慮すると、ここまでの成果は予期された範囲で
あり、むしろ課題はこれから先にあると言える。食品の安全性に対する世界の消
費者の関心はますます高まっており、牛肉の場合、トレーサビリティの基礎とな
る個体識別制度が重要性を増している。豪州のNLISが、今後、どのように発展し、
また定着するか、注目していきたい。

元のページに戻る