海外駐在員レポート 

豪州酪農乳業制度改革とその影響について

シドニー駐在員事務所 野村 俊夫、幸田 太




1.はじめに

 豪州では、本年7月1日から、生乳の取引きを完全に自由化し、すべての乳価形成
を自由市場に委ねるという大胆な改革が実施された。これにより、飲用向け乳価
が大幅に下落する中で、生産者に対する補償措置が進められているが、長期的に
は酪農産業全体の構造に影響を及ぼすとみられている。改革に至った背景につい
ては、前回(本誌99年8月号海外駐在員レポート)報告したので、今回は実施さ
れた具体的な内容と、これを前後して業界内で起きた注目すべき動きについて報
告するとともに、現時点における今後の見通しについて述べることとしたい。


2.改革の骨子

 今回の改革の骨子は、@加工原料乳に支払われていた価格補てん金(連邦政府
制度)の撤廃、A飲用向け生乳に設定されていた生産者最低価格(各州政府制度)
の撤廃、の2点が基本となっている。両制度の撤廃により、用途を問わず生乳の
取引きが完全に自由化され、すべての乳価形成が自由市場に委ねられることにな
った。このうち、加工原料乳制度の撤廃については、既に補てん金単価が大幅に
削減されていたこともあって大きな影響はなかったものの、飲用乳制度の撤廃は、
この制度により各州の飲用向け乳価が加工原料乳価の約2倍もの水準に維持され
てきただけに、生産者に深刻な影響を及ぼすことになった。
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【乳牛の放牧(VIC州)】

3.改革が及ぼした当面の影響

(1)飲用向け乳価が大幅に低下

 改革によって、飲用向け最低乳価設定という規制が撤廃されたことから、飲用
向け乳価が必然的に低下する結果となった。飲用乳メーカーは、事前に生産者に
値下げを通告し、自由化と同時にそれを実行に移した。自由化後の飲用向け乳価
に関するデータは公表されていないものの、関係者からの聴き取り等によると、
ビクトリア(VIC)州で約27豪セント(16円:1豪ドル=60円)/リットル、ニュ
ーサウスウェールズ(NSW)州で30〜36豪セント(18〜22円)/リットル、クィ
ンズランド(QLD)州の南部で約40豪セント(24円)/リットルになったとされ
ている(NSW州内の価格差は地域による)。この価格低下がいかに大幅なもので
あったか、表1に示したので参照されたい。

表1 飲用向け乳価の推移
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 資料:ADC「Dairy Compendium」、関係団体からの聴取


(2)飲用乳供給州で深刻な影響

 これにより、NSW州、QLD州、西オーストラリア(WA)州など、飲用への仕向
け割合が45%以上を占めていた飲用乳供給州の生産者は、経営に深刻な影響を被
ることになった。これらの州は、飲用向けに生産割当て(クウォータ)制度を採
用していたため、各経営によって飲用向け割合が異なっていたが、おしなべて深
刻な影響を受けたことに変わりはない。QLD州では、飲用向け乳価の低下によっ
て、自由化前は39豪セント(23円)/リットルを確保していた生産者手取り乳価
が、25〜33豪セント(15〜20円)/リットルに低下したとのことである。高温乾
燥の気象条件で牧草資源に恵まれないQLD州は生乳生産コストが高いため、既に
コスト割れに至っているとみられている。


(3)廃業検討者が増加

 これらの州では、こうした状況に直面して、酪農の廃業を検討する生産者が増
加している。各州の酪農生産者団体に照会したところによると、QLD州では、既
に「酪農大脱出(Dairy Exodus)」という言葉がしばしば使われるほど廃業者が
続出しており、州内約1千6百戸の中から毎月30戸前後が廃業しているとのことで
あった。NSW州では、まだ大規模な動きはないものの、長期的には州内約1千8百
戸の3割程度は廃業するのではないかと言われている。豪州の酪農は毎年9月(春)
から翌年4月(秋)にかけて搾乳を行う季節生産であり、今年のシーズンは既
に始まっているため、搾乳がピークを超える来年2月以降、廃業や農場売買など
の動きが一段と激しくなるとみられている。
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【乳牛群を見まわる酪農生産者
(QLD州)】
(4)VIC州の乳価は上昇

 一方、豪州最大の酪農州で、加工原料乳供給州でもあるVIC州では、飲用乳供
給州とは逆に平均乳価が前年比で17%も上昇して生産者を喜ばせている(同州は
生産者一律のプール乳価制度を採用)。これは、昨今の国際乳製品市況の高騰と、
記録的な豪ドル安(対米ドル)の追い風によって、輸出乳製品の加工原料乳の価
格が大幅に上昇したためである。同州でも飲用向け乳価は大幅に低下したものの、
その数量割合は全体の7%に満たず、生乳の大部分は輸出乳製品の製造に向けら
れている。加工原料乳の価格補てん金は撤廃されたが、既にその単価がかなり削
減されていたため、その影響はほとんど見られなかった。

表2 各州の酪農乳業の概要
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 資料:ADC「Dairy Compendium」
 注1:酪農経営のデータは97/98年度、他は98/99年度。
  2:生乳生産コストは、現金総支出額を生乳生産量で除して試算した。


(5)牛乳販売競争が価格低下に拍車

 自由化と同時に始まった飲用向け乳価の低下は、大手スーパー・チェーンによ
る圧倒的な牛乳小売り市場支配と、大手飲用乳メーカー間のし烈なシェア争いに
よって、さらなる加速が懸念されている。

 7月に入ると、豪州最大のスーパー・チェーンが、プライベート・ブランド
(PB)牛乳の供給契約の更新を入札によって行い、飲用乳メーカー間の値下げ競
争に火をつけた。この入札の結果、飲用乳メーカーの勢力図が大きく変わったが、
契約を獲得した飲用乳メーカーは、当のスーパーが「驚くべき」と表現したほど
の低価格で応札したのである。飲用乳メーカーは、この値下げ競争に勝ち残るた
め、飲用向け乳価をさらに引き下げることが確実視されており、生産者を不安に
陥れている(豪州の生乳供給は通常3ヵ月契約であり、7月からの契約は10月から
更新される)。
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【ミルキング・パーラーに向かう乳牛
(NSW州)】

4.生産者補償措置を決定

(1)連邦政府が補償措置を提供

 改革による飲用向け乳価の低下を予測した連邦政府は、昨年9月、生産者への
補償措置の実施について定めた法案を公表し、本年3月、これを「酪農産業調整
法(Dairy Industry Adjustment Act 2000)」として連邦議会で成立させた。
その中身は、@すべての生産者に対する酪農構造調整金の支払い、A廃業生産者
に対する廃業補償金の支払い、B特別影響地域に対する総合支援計画、の3つの
柱から構成されている。補償措置の予算総額は約18億豪ドル(1,080億円)で、
財源は飲用乳の小売段階において新たに徴収される11豪セント(6.6円)/リッ
トルの課徴金で賄うとされた。ただし、連邦政府は、これを施行する条件として、
すべての州政府が(州法を改訂して)飲用向け生乳取引を自由化することを掲げ
たのである。


(2)すべての州政府が自由化に合意

 連邦政府の提案に対し、飲用乳供給州(NSW、QLD、WAの各州)では、生産者
団体と州政府が一体となって、飲用向け生乳取引の自由化に最後まで激しく抵抗
した。しかし、豪州最大の酪農・加工原料乳供給州で、自由化推進派のVIC州が、
同州単独でも(つまり連邦政府の補償措置を廃案にしても)自由化に踏み切ると
揺さぶりをかけたため、結局、5月初旬には、これらの州も足並みを揃えて自由
化に合意することを余儀なくされた。これを受けて連邦政府は、5月中旬、業界・
政府代表による酪農乳業調整委員会(DAA)を設置し、法律に基づく生産者補償
措置の実行に着手したのである。
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【ミルキング・パーラーにおける搾乳。
近所の住民がパートで働いている
(NSW州)】


5.補償措置の内容

(1)酪農構造調整金

ア.調整金の交付

 補償措置の第1は、酪農構造調整金の交付である。当該調整金の交付額は、98/
99年度(7〜6月)の出荷実績に基づき、飲用向け生乳に46.23豪セント(27.7円)
/リットル、加工原料乳に8.96豪セント(5.4円)/リットルを乗じて加算した額
とされた。、また、交付総額が35万豪ドル(2,100万円)を超える場合は、対象
年度の総収入の70%以上を酪農から得た者であることが条件とされた。

 DAAは、5月18日、全国の約1万3千戸の生産者に対し、8月17日までの3ヵ月間
に当該調整金の交付申請を提出するよう正式に通知した。申請資格者は、98/99
年度(7〜6月)に生乳の出荷実績を有し、かつ、99年9月30日(補償案公表日)
に酪農経営に携わっていた者とされた。

 DAAには、本年8月17日までに、酪農共同経営者を含む有資格者のほぼ全員か
ら、約1万5千件の交付申請が提出された。DAAは、既にこれらの書類審査を行い、
認定者に対し、交付総額を記した通知書の発送を開始している。当該調整金の第
1回目の交付は、10月末に行われる予定である。

表3 酪農構造調整金の交付額(試算)
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 資料:ADC「Dairy Compendium」, Dairy Industry Adjustment Act 2000

イ.8年間にわたる四半期ごとの分割交付が基本

 酪農構造調整金の交付は、8年間にわたる四半期ごとの分割(32回分割)交付
が基本とされている。これは、生産者の単年度所得税負担を軽減させるとともに、
世界貿易機関(WTO)に関連して、豪州酪農の助成合計量(AMS)の急増を回避
するための措置である。ただし、実際には、大部分の生産者が、大手銀行が提供
する特別ローンを利用して、金利控除された交付総額の一括交付(書類上は銀行
からの借り受け)を受けるとみられている。また、当該調整金は、生産者に当面
の収入低下分を補償する措置なので、これを受領した後でも酪農廃業の道を選択
できるとされている。
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【酪農生産者。後方のパイプラインは
かんがい用装置(NSW州)】
ウ.農場経営収支見積書の提出が条件

 また、DAAは、酪農構造調整金の交付条件として、生産者が今後2年間の農場
経営収支見積書(FBA)を作成し、公認会計士の署名を付して提出することを定
めた。FBAは、自由化後の新たな環境の下で自らの経営がどのような状況に置か
れるか、生産者自身に適確に認識してもらうための措置とされており、乳価の見
通しと併せて、農場評価額の試算が重要なポイントとなっている。これは、飲用
向けの生産割当て(クォータ)制度を採用していた飲用乳供給州では、自由化に
伴い、クォータの資産価値が事実上消滅し、農場評価額に大きな影響を及ぼすた
めである。

 これについて、連邦国税局は、生産者が85年9月20日以降にクォータを購入し
た場合には、その購入額相当を資産減として税控除すると表明したが、実際に購
入されたクォータは少なく、それ以前に割り当てられていたものが大半である。


(2)酪農廃業補償金

 補償措置の第2は、最低5年間、酪農に復帰しないことを条件とする、酪農廃業
補償金の交付である。当該補償金は、1戸当たり交付限度額が4万5千豪ドル(270
万円)で、全面的に税控除の対象とされている。ただし、当該補償金の満額交付
を受けられるのは、借入れ金を控除した農場評価額が10万豪ドル(6百万円)未
満の者であり、これを超えるとその額に応じて交付額が減額される。

 しかし、豪州の酪農経営の大部分は、農場評価額が10万豪ドルを超えている。
また、酪農構造調整金の一戸当たり平均交付額は、最大のNSWでは19万3千豪ドル
(1,160万円)、最も少ないVIC州でも9万3千豪ドル(560万円)であり(表3)、
廃業補償金の交付限度額を大きく上回る。したがって、当該補償金は、極めて零
細な規模の生産者を対象とした特例措置であると言えよう。

 なお、生産者は、とりあえず酪農構造調整金を申請し、これを受領しつつ後か
ら廃業補償金に切り替えることもできるが(2年以内)、重複交付は認められず、
酪農構造調整金の既受領額を差し引いた額しか受け取れないとされている。


(3)特別影響地域に対する総合支援計画を実施

 補償措置の第3は、この酪農乳業改革によって多大な経済的、社会的影響を被
るとみられる地域に対する総合支援計画である。この計画は、予算総額4千5百万
豪ドル(27億円)で、連邦政府の雇用・労使関係・中小企業省が管轄し、特別影
響地域を指定したうえで、職業訓練や他産業誘致などを奨励するとしている。こ
れには大部分の酪農地域が申請するとみられており、各地に設置されている地域
諮問協議会(ACC)が具体的な計画を作成することになっている。ちなみに、こ
れらのACCの一部に照会したところ、酪農を廃業する生産者に対する職業訓練、
特に乳製品製造加工業や、酪農情報サービス業務関係の雇用拡大に期待している
とのことであった。
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【飲用乳工場に到着したミルク・
タンカー(NSW州)】


6.改革の影響予測と事前対応

(1)影響予測は事実上困難

 次に、今回の改革で多大な影響を被った飲用乳供給州の生産者が、事前にどの
程度その影響を予測し得たか考えてみたい。結論から言うと、これらの者は実際
に自由化が実施されるまで、その影響を的確に予測することができなかったので
はないかと思われる。飲用乳メーカーが乳価の引下げを具体的に提示したのは5
月であり、スーパーとの契約更改で値下げ競争を始めたのは7月以降であった。
生産者は、それまでの間、昨年9月に公表された連邦政府の補償措置が妥当か否
か、的確に判断する材料を得られなかったのである。

 飲用乳メーカーの一連の動きは、生産者に補償措置が充分でないという認識を
広め、特に、飲用乳生産クォータの資産価値の評価が正当でないとの認識を高め
た。しかし、結局、当該資産価値の消滅分の一部を税控除させることはできたも
のの、補償措置の骨子を変えることはできなかった。

 飲用乳供給州の生産者は、連邦政府が改革を求めていることを承知しており、
VIC州が飲用乳制度を撤廃すれば他州も従わざるを得ない事情を理解していた。
このため、5月初旬に改革実施が最終決定された時、その反応は比較的冷静にみ
えた。しかし、これはその影響や補償措置の妥当性を的確に認識していたからで
はなく、むしろその反対であったと言えるのではなかろうか。


(2)飲用乳供給州の対応は疑問

 飲用向け乳価は、改革の直前まで、加工原料向け乳価のほぼ2倍の水準に維持
された。しかし、仮に、両者の価格差が事前に縮められていたら、この改革がこ
れほど大きな影響を及ぼすことはなかったはずだ。連邦政府は、長年にわたって
加工原料乳の補てん金単価を徐々に引き下げることにより、改革の影響を緩和し
た。飲用向けについては、本当に自由化されるのか最後まで予断を許さなかった
とはいえ、自由化前に飲用向け乳価を規制していたのが各州の公的機関(Dairy 
Authority)であったことを考えると、急激な環境変化を避け、自州内の酪農産業
をソフト・ランディングさせるような、何らかの政策的対応が事前に模索されて
も良かったのではないかと思われてならない。
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【搾乳の順番を待つ牛】


7.改革後の長期的展望

(1)酪農乳業界の構造変化を促進

 豪州酪農乳業界は、生乳取引の自由化という新たな環境に移行した。この改革
が及ぼす長期的な影響が明らかになるには、少なくとも2年以上はかかると言わ

れているが、現時点で見通せることは次のとおりである。
 第1に、全国規模で酪農経営の廃業が加速され、平均経営規模が拡大すると思
われる。全国の約1万3千戸のうち、どの程度が実際に廃業するか正確に予測する
ことはできないものの、零細・小規模を中心に廃業が増加し、平均経営規模が拡
大するとみられる。

 第2に、地域別には、VIC州への酪農生産の集中がさらに進むと思われる。同州
は、豊かな牧草に恵まれた酪農適地で、生乳生産コストが極めて低い。加えて、
現在は、国際乳製品市況の影響で輸出乳製品の加工原料乳価上昇の追い風が吹い
ている。さらに、従前は飲用向け乳価の高値維持によって「隠れた恩恵(いわゆ
る迂回保護)」を受けていたNSW州やQLD州の加工原料乳生産が、必然的に縮小
に向かう。したがって、中長期的には酪農生産(特に加工原料乳生産)がますま
す同州に集中するとみられる。

 第3に、全国規模で、乳業の再編が進むと思われる。飲用乳メーカー大手3社
は、遠からず2社に統合されると目されており、また、乳製品メーカー大手2社
も自由化を機に事業組織の大幅な再編合理化に乗り出している。これに海外企業
との業務提携や合併計画などが絡み、乳業界は目の離せない状況が続くとみられ
る。
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【乳牛の放牧(VIC州)】
(2)国際競争力を一層強化

 今回の改革がもたらした最大の成果は、豪州酪農乳業の国際競争力をさらに強
化する条件が整ったということである。飲用向け乳価の大幅な低下は、一時的に
は国内に混乱を生じると思われるが、これに伴う産業構造の改編を大過なく行う
ことができれば、豪州酪農乳業は従来以上に強力な輸出産業に発展することは間
違いない。

 もう1つ、重要なことは、両制度を撤廃したことにより、酪農乳業に関する国
内保護を完全に取り払ったことである。このことは、次期WTO交渉を前にした現
在、豪州にとって大きな意味を持つと思われる。


8.おわりに

 豪州酪農乳業界は、単独の産業に対する施策としては史上最大規模とされる補
償措置と引き換えに、過去に経験のない自由化への道を踏み出した。しかし、こ
れが15年に及ぶ長期政策の総決算であることを忘れるべきではない。自由化への
基本政策は15年も前に決定されており、それ以降、歴代の政府が確実にその基本
政策を引き継いできたからこそ、到達できた地点なのである。こうした重要な基
本政策への慎重かつ断固たる取り組み方をみると、この国で酪農乳業がいかに重
要な産業として位置付けられているか、改めて認識させられる思いがする。

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