カンボジアの畜産事情





ひとくちMemo

  9 世紀初頭にはアンコール朝によりインドシナ半島南部全域を支配したクメール民族であるが、15世紀以降はシャムのアユタヤ朝による侵攻、ベトナムの南下など、以後周辺各国からの領土蚕食が続き、70年代に極端な共産主義を強行したポル・ポト勢力の台頭により国土は荒廃し、知識階級が大量に虐殺されるなど、90年代まで続いた内乱による混乱の影響が未だに尾を引いている。現在もベトナム国境周辺では流入するベトナム系住民による不法入植が多くみられ、混沌とした状況が発生している。93年にシアヌーク国王を掲げ新制カンボジア王国が設立された後、99年のアセアン加盟などを経て現在国内情勢は比較的安定している。しかし一方で予算・人材の不足による行政の機能不全や諸外国からの乱立する経済・技術援助を政府が独力で整理・統合出来ないなど多くの課題を抱えている。

 同国の畜産は主要農産品である米の栽培のための役畜として供される牛・水牛の飼養が盛んで、水牛(スワンプ種)は主に国土の中心に位置するトンレサップ湖周辺(雨期の増水期に面積が大幅に拡大し、周辺地域は冠水する)で多く飼養されている。基本的に住民の多くは仏教徒であるため牛のと畜は許されていないが、その他の住民によると畜に特に制限は設けられていない。
 

   荷車を引く役牛。体毛は多くが白色でアジア在来種である黄牛をベースに、インド原産のゼブウ系ショートホーングループ(ハリアナ種、オンゴール種)を主に掛け合わせた交雑種が主体。

   向かって左側の個体は体毛が黄色で、黄牛の原種に近いものと思われる。このタイプも多数見られる。

 民家の軒先や街道沿いなど、至る所に乾草を集積し乾期のための粗飼料を確保している。
 

 プノンペン郊外の通称「フン・セン道路」沿道の水田で放牧監視する少年。ここでは10人程度の子供達が共同で近隣の牛を100頭前後集めて放牧している。放牧監視は子供の仕事。訪問時カンボジアは乾期で、乾期の休耕田での放牧は一般的。

   生草の運搬は牛車のほか、バイクや自転車による。聞き取りによると生草は1束当たり500リエル(約13円:1,000リエル=26.5円)。

 プノンペン郊外養鶏団地内の、鳥インフルエンザ発生が確認された農場。現在は閉鎖され、操業は停止している。看板には「立ち入り禁止」と書かれている。
 

   同閉鎖養鶏場周辺。近隣一帯は下草が焼却され、周辺農場もすべて鶏舎内はもぬけの空となっている。

 プノンペン郊外の豚専用と畜場へ生体豚を搬入する農家。彼らはプノンペン北方90キロメートルのカンポンチャン市近郊から豚を搬入してきた。長時間の暑熱下での搬送のため、3頭のうち1頭は既に死亡。搬入時に死亡していると、安く買い叩かれてしまうため畜主は冷却のため水に浸した雑草を豚の上にのせるなどの工夫を凝らす。
 

   と場には一時係留所が併設され、搬入後一時係留され、翌朝午前1〜2時頃と畜され、その日の朝の市場に出荷される。

 市内中心部セントラル・マーケットにおける販売風景。分割され部分肉で販売されるほか、このように丸焼きでも販売される。
 

シンガポール駐在員事務所 木田秀一郎 斎藤孝宏 


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