1 はじめに
2006年10月19〜23日、中国上海において国際酪農連盟(IDF)総会および第27回世界酪農サミットが開催された。現在、IDF加盟国の生乳生産量は、世界の75%を占めるに至っており、牛乳乳製品貿易のグローバル化が進展する中で、IDFが酪農関係者を代表する国際的な組織として果たす役割に対し、大きな期待が寄せられている。今回の総会では、韓国が新たに加盟国として承認され、IDFの加盟国は50カ国となり、アジア諸国の加盟は、日本、中国、インド、インドネシアに加えて5カ国となった。
世界酪農サミットに先立ち行われたオープニングセッションでは、国際酪農連盟賞の授賞式が行われ、上野川修一氏(日本大学生物資源科学部教授)が受賞した。賞が98年に創設されて以来、11人目となる上野川氏の受賞はアジア初となる快挙で、牛乳アレルギー問題から腸内免疫とアレルギーの関係を解明した研究が評価された。
世界酪農サミットでは、動物福祉、乳製品の衛生と安全性や食品表示、生産から消費、そして貿易に至る分野について、さまざまなワークショップや分科会が設けられ、各国の取り組みや研究事例の講演が行われた。日本からも、(財)日本食肉生産技術開発センター理事長塩飽二郎氏(「日本の酪農状況及び政策の方向」)をはじめ多くの酪農乳業関係者が講演を行った。
本稿では、インド、中国など膨大な人口を抱え、今後乳製品需要の増加が見込まれるアジア地域の概況を中心に、世界の牛乳乳製品貿易の動向に関する講演の概要を報告する。
会場の正面玄関。正面の赤い垂れ幕には、地元乳業メーカーの「良い牛乳は、13億人の夢に光を与える」とのコピーが大きく記されている。巨大市場中国に関する講演には、多くの参加者が注目していた。
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2 世界の酪農生産と貿易
経済的に、世界は地域統合と国際化の過程にあり、この革新の流れの中に、食品産業全般、特に乳製品産業が大きくかかわっている実証例は枚挙にいとまがない。乳製品貿易はさまざまな要因から影響を受けるが、世界中の多くの地域において、牛乳乳製品が文化的・歴史的に人々の暮らしの中で重要な位置を占めている。IDF加盟国から報告された資料によると、生乳消費量は96年の9,330万トンから2005年には1億380万トンに、ヨーグルトなど乳飲料の消費量は96年の950万トンから2004年には1,500万トンにそれぞれ増加している。このような消費量の増大は、著しい経済発展やそれに伴う牛乳乳製品への需要の増加が世界の複数の地域で生じていることに起因しており、同時に乳製品の国際貿易量も拡大している。
(1)生乳生産量の動向 −中国が世界の生乳生産量をけん引−
2006年の世界の生乳生産量は、前年を900万トン上回る約5億4千万トンとなる見込みで、著しい成長を遂げた2005年同様の傾向が続いている。特に中国、インド、米国の成長が目立つ一方で、欧州では減少、オセアニアでは豪州における干ばつの影響を受け、微増にとどまるとみられる。最近数年間の生乳生産の動向を概観すると、中国における生産量の増加が際立っている。世界の生乳生産量を2000年(4億8,900万トン)と2006年で比較すると、約5,100万トン増加しているが、そのうち2,400万トンを中国の増加量が占めると予測される(2006年の数字は予測)。
(2)乳製品輸出国の動向 −生産コストの低い酪農新興国の可能性−
過去10年間、世界の乳製品貿易量は、生乳生産量の増加を上回る速さで成長し、2006年の貿易量は前年を200トン上回る約4,100万トン、生乳生産量に占める比率は8%(生乳換算)となった。この間、EUは主要な取引市場をオセアニア地域に明け渡した結果、主要な乳製品輸出国はオセアニア地域に代わっている。2005年の世界の乳製品取引量のうち、EUの占有率28%に対し、ニュージーランドと豪州が合わせて35%を占めた。
EUとオセアニア地域を合わせた乳製品取引の占有率は63%となっており、両地域が乳製品貿易をけん引している状況は変わらないが、この占有率の高さは、今後次第に低下していくだろう。現在も、脱脂粉乳の輸出量が増加を続けるなど存在感を示す米国を除いては、従来主要な輸出国であった国々の乳製品輸出における優位性は、酪農新興国の台頭によって、今までのようには発揮されないであろう。特に南米諸国は、コスト面での優位性により、乳製品の国際市場においてその存在感を急速に高めている。
IFCN(International Farm Comparison Network)による酪農部門の年次報告では、世界の生乳生産の現状、見通しのほか、33カ国98の酪農場について、詳細な分析を実施し、各地域の生産コストを比較した。
世界各国の生乳生産者価格(100キログラム当たり脱脂粉乳4%、たんぱく質3.3%)は、キログラム当たり0.13〜0.58米ドル(15〜69円:1ドル=119円)の間に分布し、最も高いのはスイス、イタリア、ノルウェー、フィンランド、カナダで同0.4米ドル(48円)以上である。一方、パキスタン、ウクライナ、アルゼンチンの生産者は同20ドル(29円)以下しか手にすることができない。アメリカやEUの生産者価格は国際価格を上回るが、これは関税などの貿易政策の結果である。
分析によると、国際的な競争力を持つ地域として、南アジア、オセアニア、南米と東欧諸国の一部が挙げられている。調査の結果、最も低コストで生産を行っていたのは、アルゼンチンの1,400頭規模農家(キログラム当たり0.10米ドル=約12円)、パキスタンの10頭規模農家(同0.11米ドル=約13円)、ポーランドの50頭規模農家(同0.12米ドル=14円)であった。今後、世界の乳製品市場において、南米のような生産コストの低い地域で、なおかつ為替レートの優位性を持つ新興酪農地域が、輸出シェアを伸長させると見込まれる。
3 アジアにおける主要酪農国の生産状況
国際貿易政策の変化と加速する経済の国際化によって、国際貿易の潮流は大きく変化しようとしている。伝統的な乳製品輸出国であるEUはその量を減少させつつあるが、経済開発機構(OECD)によれば今後10年間で世界の乳製品貿易量は14%も増加するとされている。オセアニア地域や米国は生乳生産量を増やしているものの、国際的な需要の増加に対応し供給を均衡させるためには、インド、アルゼンチン、ブラジルなど新興国の台頭が必要とされ、消費が増大している経済新興国にあっては、国内需給の動向に注目が集まっている。特に本章では、経済成長によって市場が拡大している中国、インド、そして乳製品を食す文化が根付いているモンゴルの概況についての講演をまとめた。
(1)中国 −乳製品輸出国としての可能性−
2004年の中国における生乳生産量は前年比29.5%増の2,260万トンとなっており、1998年と比較すると、約1,600万トンの増産に成功している。これは同期間における世界の生乳生産量増加分の41%に相当する。生乳生産量の増加の背景には、主に乳用牛飼養頭数の急速な増加と1頭当たりの泌乳量の安定した増量がある。2005年末には、乳用牛飼養頭数が1,200万頭(2000年比246%増)、1頭当たりの年平均泌乳量は3,791キログラム(同134%増)に達しており、生乳増産への寄与度は、それぞれ63.3%、36.7%となっている。
生乳生産量は、近年増加率が若干鈍化しているものの、酪農が今後発展する可能性を持つ地域がいくつかあり、生産量拡大はまだ限界に達していない。中国では、草地など自然資源の面において、酪農業の発展に優位であると考えられ、酪農の適地として北部と雲南省がある。乳牛飼養頭数の70%以上が中国北部で飼養されており、また50%以上が家族経営者によって飼養されている。酪農戸数は減少しているが、小規模生産者間の協同組織の発達により、農場規模は拡大傾向にある。2002年の牛群規模について、5頭以下の牛群に属する乳牛は、総飼養頭数のうち約45%を占めていたが、2005年の同比率は30%以下にまで下落しており、500頭以上の牛群に属する比率は10%になった。しかしながら、依然として5頭以下の小規模農家が、生乳供給の主力であることには変わりがなく、また、生産コストの面で国際的な競争力を保持しているが、今後技術革新によって10〜15%のさらなるコスト削減が可能であると見込まれている。多くの小規模農家は、乳業メーカーによって組織化されており、地域ごとの共同農場における計画的な飼養形態に参加している。乳業メーカーは、参加する農家に対し、技術や飼料、経営のノウハウを提供しているが、今後、小規模農家がより利益を追求するためには、生産性向上のためのサイレージ利用の拡大をはじめとする安全で高品質なえさの確保や、効率的な給餌方法の普及が必要とされている。
消費量の増加率が鈍化していることなど消費構造が最初の調整段階に入っている。Rabobankの報告によると、2010年には中国の生乳消費量の成長率は6%前後に落ち着くとされている。現在、中国における生乳供給量の増加率は国内需要のそれを上回っているとみられており、今後、国内需要に応えることができるだけでなく、加工品輸出向けの余剰分をも持つことも可能であるとの見方も示されている。粉乳生産量の伸び率は加速しており、特に全脂粉乳の生産量は、96年〜2005年にかけて32万2千トンから91万8千トンへ85.1%増の成長を遂げている(数字は米国農務省(USDA)発表)。加工品輸出向けの余剰生乳が発生するとの予測に従えば、国際的には、中長期的にホエイ製品の取引量が増大しており、その流れの中で、中国も付加価値の低い乳製品に関しては、輸出国となり得る。しかし、先述したとおり、飼養技術の近代化や、新たな酪農適地の開発など増産に向けて解決すべき問題は、政府やトップメーカによる取り組みが始まったところであり、今後、どのような成果がなされるか注目される。
(2)インド −生産、消費とも大幅増加の見通し−
インドは、90年代後半以降、世界最大の生乳産出国(国別、牛以外を含む)となっており、十分に国内需要を満たしている。生乳は、インドにおける最も主要な農業生産物であるとともに、2005年の生乳生産量約8,800万トン、畜産物生産額の約7割(約250億ドル:2兆9750億円)を占める。
インドにおける酪農の発展には、地方の小規模家族経営を支える政策と農家支援の組織網が大きな貢献をしており、ほかの新興国のように飼養規模の拡大など抜本的な生産構造の変化を経ていない。インドには、7千万人の生産者が存在し、依然として2ヘクタール以下の土地で1〜2頭を飼養する零細農家が多数であるが、インド政府は、年間生乳生産量を4%ずつ増加させることによって、2020年には1億7,500万トンを生産することを目標としている。
飼料は、農作物の副産物もしくは穀物の残さであり、穀物が給餌されている家畜は全体の3%に満たない。国内の飼料資源が不足している状況で、飼料を効率的に給与する必要がある。インドでは、穀物残さは容易に入手することができるものであり、反すう動物に与えられる主要な粗飼料とされるが、地域差があり、また栄養価が低い。特に、地域の気候によって、家畜のミネラル不足の状態が異なるので、それぞれの地域において、家畜の改良や効率的な生乳生産のために補助飼料へのミネラルの配合を工夫する計画がなされている。基本的な粗飼料の利用状況と生乳生産の水準から見ると、濃厚飼料の量は限られており、目的に応じて、特に効率的なたんぱく質摂取のために科学的な処理がされている。すなわち増体の促進と泌乳量の向上のため、たんぱく質がアミノ酸に分解される第一胃を迂回して送られるよう飼料に化学処理を施す技術(Bypass
Protein Technology)が、大規模な商業用に利用されている。
土地利用面積が限られる状況で、インドを含む多くの発展途上国がまぐさを利用している。インドでは、改良されたまぐさの種子を生産し、認定された種子が生産者に供給されるよう努力がなされており、まぐさの単収は今後増加するであろう。このような技術革新に全国規模で取り組むことにより、インドが目指す生乳増産の実現が可能になる。
生乳生産量のうち約2割は、加工原料乳として協同組合によって集荷される。協同組合は、今や1,200万戸の零細な酪農家と都市部の市場を結ぶ役割を担っており、酪農家に安定した収入源をもたらしている。協同組合の組織網の拡大は、インド酪農が発展した要因の鍵として知られており、生産基盤の充実とともに、国民の収入と人口の増加が予測通りであれば、今後15年間で牛乳に対する需要は2倍になると予測されている。
(3)モンゴル −生産拡大による自給率向上、輸出を目指す−
【Brian Dugdill,Tsetsgee Ser、モンゴル】
モンゴルにおいて、生乳は神聖なものであり、生乳と乳製品は3億の家畜(牛、ヤク、ラクダ、馬、ヤギ、羊)から大量に産出される主要な食品である。伝統的な乳製品の種類は500種にも及ぶ。最近まで遊牧文化が支配的であったため、畜産業はGDPの約2割を占め、全就業者数の約5割を抱える。人々は乳製品から必要な栄養分の多くを補い、酪農によって仕事と定収入を得ている。年間1人当たりの生乳消費量は134キログラムで、発展途上国の平均45キログラム、アジアの平均41キログラムをはるかに凌いでいる。政府によって重要な産業と位置づけられる酪農は、2015年までに飢餓と貧困を半減させるという国家目標の達成に向けて重要な役割を担っている。
かつてモンゴルは、42カ所の国営酪農場と1カ所の加工場を保有し、乳製品を完全自給していたが、90年代の計画経済から市場経済への急速な転換の過程で、国営農場が機能しなくなったため、酪農乳業は一度衰退を余儀なくされた。この当時、モンゴルの酪農乳業界の特徴として、技術的に立ち後れた産業基盤と育成された人材の慢性的な不足に対し、急速に進展する都市化の中で、消費者が伝統的な乳製品とは異なる新しい味わいを乳製品に求めるようになったことが挙げられる。90年代半ばには、都市部における液乳消費量のうち約7割を輸入に頼らざるを得ない状況に陥った。
90年代後半以降、酪農全体の振興を図るため、公営部門・私企業問わず、生産から消費まで包括的な取り組みを行う「白い革命」プログラムが実施されている。2004年からは、都市部に改良された安全な牛乳・乳製品を供給するため、国連食糧農業機関(FAO)の援助による食品安全特別プログラム(Special
Programme for Food Security)が開始されている。これらは主に、搾乳牛の生産性や衛生管理の向上など生産体制の強化、消費者が求める品質と購入しやすい販売価格を実現するためのマーケティングの強化、生産から加工まで全工程にわたる生産技術の向上を目的としており、2000年以降6,500万リットル(生乳換算)で推移する牛乳乳製品市場規模を2010年には1.2倍の8,000万リットルに拡大させることを目指す。同時に、約8割強を輸入で賄う状態を改善し、自給率の向上を目指すとともに、モンゴル政府は、2006年以降、200万米ドル(2億3,800万円)を投じてスクールミルクの普及を実施、国産の良質な飲用乳の学生への提供を目指すとしている。
4 おわりに
好調な経済成長をおう歌するBRICsの一員である中国、インドの乳製品市場規模はおおむね今後も拡大するとの見方で一致している。モンゴルは、市場規模は小さいものの、中国がごく短期間で生乳生産量を著しく増大させたことを強く意識しており、またその中国の一大生産地となった内モンゴル自治区が国境を接するだけでなく、文化を共有する民族であることから、自国でも乳製品の自給率向上にとどまらず、今後は外貨獲得の輸出主力産業に成長させることを目指しているとのことであった。
乳製品市場の国際化が加速する主要因は、既存市場における取引量そのものが増加傾向にあることに加えて、80年代の南米諸国、90年代の中東欧諸国、90年代後半の北西アフリカ諸国(モロッコ、アルジェリア、チュニジア)と市場開放がなされた地域が拡大したことである。2010年までに、南アジア諸国(インド、パキスタン、バングラディシュ)、南米諸国における市場規模はかなり拡大するとみられており、乳製品の需要は、量的な増加だけではなく、地理的な拡大を一層続けている。これらの新しい需要に対応するためには、先進国の酪農経営システムや技術を利用した酪農新興国における増産が必要とされるが、その一方で先進国側からは環境や動物福祉などの問題意識を共有することが望まれている。これは、アジアの酪農新興国が生乳増産の対策を講じる上で、一層高いハードルを設定することとなる。その点で、今後、環境に適合する飼養技術や酪農経営モデルの構築に国際的な努力と協力が必要とされており、IDFには先進国と新興国を結ぶ国際機関としての役割が大いに期待されている。
【参考講演】
「World Dairy Trade : analysis 1995-2000」(Jurgen Jansen:オランダ)
「World Dairy Situation Report 2006」(Erhard Richarts:ZMP、ドイツ)
「Dairy farming in the world」(Torsten Hemme:ドイツ)
「The feature of the value chain of the global dairy industry and its impact
and opportunities for the emerging markets in the past few years」(P Jachnik:フランス)
「China, the potential supplier of dairy ingredients in global trade」(Zhang
Liebing:Beijing Pasteur R&D Co. Ltd、中国)
「Current production methods and problems of feeds and feeding of cattle
in China」(Wang Jiaqi:Institute of Animal Science、中国)
「Indiaユs dairy situation and prospects」(D.Tikku:National Dairy Development
Board、インド)
「Dairy Nutrition: a developing country approach」(Manget Ram Garg:Animal
Nutrition & Feed Technology Laboratory:インド)
「Mongolia, production, processing, consumption and outlook 2010」(Brian
Dugdill,Tsetsgee Ser:国連食糧農業機関、モンゴル) |