石田正昭(三重大学生物資源学部助教授)
1 はじめに 牛肉の輸入自由化によって、牛肉のみならず豚・鶏肉も含めた食肉価格の低下が 見込まれている。高関税率が適用されている現在はともかく、今後、関税率が段階 的に引き下げられるにつれてその効果はより大きくなるものと予想される。 しかし、かりに卸売価格ではそうであっても、最終の小売価格ではそのとおりに なるのであろうか。言い換えれば、関税率の低下に見合う分が小売価格の低下に反 映されるのであろうか。おそらく、それについてはよく分からないというのが現状 であろう。小売業者の価格・販売政策の検討や経営分析が十分になされていないか らである。 そこで、ここではその端緒を切り開くという意味で、食肉部門における品目別マ ークアップ率(値入率)、マージン率(粗利益率)、並びに食品スーパー(SM) における食肉部門の地代家賃負担力を推計し、小売業者の価格・販売政策の検討と 若干の経営分析を行うこととした。もとよりその実態を完全に描くものではないが、 この問題に関する基本的な考え方を提供できればと思っている。 なお、小稿では紙数の制約からその要点だけを述べていくので、推計方法や論点 の詳細については拙稿「食肉家計消費拡大の経済学的シナリオの検討」(畜産振興 事業団『平成3年度・畜産物需要開発調査研究報告書』)を参照されたい。 2 小売価格の固定性 総理府『小売物価統計調査年報』によれば、調査対象の牛ロース、牛カタ(いず れも国産乳用牛)、豚ロース、豚カタ、鶏モモのいずれについても、その小売価格 は固定的もしくは下方硬直的となっている(期間は1981年10月〜91年12月の月次デ ータ)。枝肉・部分肉の卸売価格は変動していても、その変動が小売価格に反映さ れることはない。 これは、食肉小売店がある限られた商圏において独占的競争の地位に置かれてい るからである。ここで独占的とは、小売店自身が、どの価格をつければどれだけ売 れるかを日常の商行為のなかで熟知していることを指す。また競争的とは、そうし た情報を持っている小売店同士が、価格を媒介として激しいシェア獲得競争を展開 していることを指す。 もし、ある小売店が価格を引き下げれば、別の小売店は自分の顧客を奪われるた め、価格引下げに追随していくであろう。その結果、その両店のシェアは不変にと どまり、価格だけが下がることになる。価格が下がってもそれ以上に需要量(販売 量)が伸びれば問題はないが、一般に食肉需要にはそうした要素がないので(非弾 力的な需要なので)、価格引き下げは売上高・粗利益の減少だけをもたらすのであ る。したがって、小売業者は価格を引下げる誘因を持たない。 一方、もし、ある小売店が価格を引き上げれば、別の小売店はこれをチャンスに 自分の市場シェアを伸ばそうとするため、価格引上げには追随しないであろう。こ のため、価格を引き上げた小売店では売上高・粗利益の減少に見舞われる。したが って、小売業者は価格を引き上げる誘因を持たない。 以上の両ケースを総合すると、独占的競争の地位に置かれている小売店同士は、 価格を引き下げることも、価格を引き上げることも有利な政策とはならない。この ため小売価格は現状維持的(固定的)となる。この説明はスウィージーの「屈折需 要曲線」の理論を援用したものである。 3 品目別マークアップ率 屈折需要曲線の理論は小売価格の固定性に対して適切な説明を与えるが、しかし なぜ価格が現行水準になるかを説明するものではない。歴史的なものという解釈も 成り立つ。このような場合、マークアップ率(値入率)の推計は現行価格の形成過 程を解明する上で有力な手がかりを与えるだろう。そこで、前節で述べた5品目と 輸入牛肉(冷凍カタ)についてマークアップ率を推計し、それにより小売価格の設 定方法を検討したいと思う。実際はマークアップ(値入額)そのものの推計も行っ たので、それについても検討を加える。 その結果が図1である。ここでマークアップ率とは、精肉1s当たりの値入額を 求め、それを小売価格で除したものである。これらは基本的に小売業者がスペシャ ルカットの精肉(小割の牛・豚肉)ないし正肉(鶏肉)を仕入れた場合(運賃込み) のマークアップ率を表している。算出に当たって利用された資料は、卸売価格につ いては牛豚肉は日本食肉流通センター発表の部分肉加重平均価格(川崎)、鶏肉は 日経発表の正肉モモ加重平均価格(東京)であり、小売価格は前記『小売物価統計 調査年報』発表の東京価格である。 この図から指摘できる点は次の4つである。その第1は、小売価格の固定性と卸 売価格の変動性のもとで、マークアップ率の変動は大きく、またその変動幅が拡大 していることである。牛肉は夏場が高く冬場が低い。豚肉は夏場が低く冬場が高い。 その第2は、そうした循環変動を示すなかで、すう勢的に見るとマークアップ率が 上昇していることである。豚肉はロース・カタともにすう勢的に上昇し、また牛肉 はカタを中心に近年上昇傾向が見られる。一方、鶏モモはいったん上昇したものの、 最近はやや下降している。 その第3は、そうした循環・すう勢変動を示すなかで、品目別のマークアップ率 に格差が見られることである。例えば90年のマークアップ率(12ヶ月単純平均)は、 牛ロース38%、牛カタ44%、豚ロース32%、豚カタ54%、鶏モモ49%となっており、 牛・豚・鶏肉の比較ではおおむね豚・鶏肉で高く、ロース・カタの比較ではカタが 高い。しかし、同年の日本セルフサービス協会『協会会員経営実態調査』によれば、 マージン率(粗利益率)は牛肉20%、豚肉32%、鶏肉33%と報告されており、これ らのギャップをどう理解するかが重要である。これは次節で詳しく検討される。 その第4は、マークアップ率のみならずマークアップそのものの推計も含めて検 討すると、牛ロースと牛カタはマークアップ率でほぼ等しく(定率マークアップ)、 豚ロースと豚カタはマークアップそのものでほぼ等しい(定額マークアップ)こと である。これは牛肉では枝肉ないしフルセット流通が主流を占めるため、部位別の 値入れが定率マークアップで把握されるのに対し、豚肉ではパーツ流通が進んでい るため、部位別の値入れが定額マークアップで把握されるためと思われる。牛肉に おいても豚肉と同様にパーツ流通が進展すれば、定額マークアップによる値入れが 進むものと思われる。 4 SMの値入率と粗利益率 図1によれば、小売店はきわめて高いマージン率(粗利益率)を確保しているよ うにみえるが、実際はそれほどでもないとの見解が小売店調査の過程で関係者から 提起された。その主たる理由は2つあって、一つは調査品目が限られていること (例えば和牛肉やロース・カタ以外の部位の欠如)、もう一つは小売価格が平常時 の定価を表しており、特売や売価変更等が考慮されていないことである。 そこで、小売店ではどのような値入れ(マークアップ)が行われ、そしてどのよ うな粗利益(マージン)が確保されているかを聞き取り調査から検討してみよう。 専門店、SM(ビッグを含む)、生協などで聞き取り調査を行ったが、ここではそ の典型として東京のSMについて報告する。 表1がその結果である。それによれば平日の値入率と営業日全体の粗利益率には 大きな格差があり、全体では、値入率(相乗積)が45%であるのに対し、粗利益率 (相乗積)が26%となっている。この差がロス率を表すが、そのロス率は牛肉で大 きく、豚・鶏肉で小さい。このことから、小売店ではロスを見込んだ値入れが行わ れているものと推測される。 ここでロス率とは、レジの打ち間違い、盗難、廃棄、格下げ・見切販売による売 価変更、特売による値下げなどを指すが、このうち主たるものは売価変更と特売で ある。とくに特売による値下げが重要であり、平日の荷動きの鈍さを特売でカバー している面が強い。この小売店では月6回程度の特売を打ち、平日売価550円の和 牛肉について2割引きで約2.6倍、4割引で約6.4倍の物量を売り捌いている。もっ とも4割引きでは原価スレスレであるから、粗利益は確保できない。 2割引で約2.6倍を売り捌くのであるから、特売ではなく平日売価そのものを引 き下げたほうが望ましいように思われるが、実際はそうではない。かりに平日売価 を引き下げれば、その他の小売店もこれに追随し、特売効果が消失してしまうから である。 5 SMの食肉部門の地代家賃負担力 仕入担当者のレベルでは、以上の特売による値引き(マークダウン)などのロス 率を前もって見込みながら平日売価を設定している。では、それによって実現され た粗利益率は経営に必要な販売費・管理費をどの程度償っているのであろうか。そ こでSMにおける部門別売場面積1坪当たりの地代家賃負担力を推計し、食肉(精 肉・加工肉)部門の収益性を検討してみた。その結果が図2である。 それによれば、食肉部門は決して収益性の低い部門ではないことが分かる。地代 家賃負担力が最も高いのは惣菜と日配品であるが、鮮魚とともにそれにつづく負担 力を持っている。しかし、この惣菜部門に負けていることが食肉部門にとっては痛 手である。SMがいま盛んに売場を拡張しているのはこの惣菜部門とベーカリー部 門である。 一方、1坪当たり69万円という食肉部門の負担力は、実際の地代家賃額と比べて 必ずしも高いものとは言えないようである。例えば売場家賃制を採用しているSM (ビッグ)では、1坪1月当たり地代家賃額を地下1.3万円、1階1.6万円としてい るが、新店舗の場合は1階が3.0万円となるからである。ワンストップ・ショッピ ングという利便性を消費者に提供し、それによって市場占有率を高めようとするS M経営にあっては、低収益部門をそう簡単に切り捨てることはできないから、高収 益部門である食肉部門の粗利益率を引き下げることは容易ではないように思われる。 6 むすび この間の食肉小売業の推移を見ると、家族経営を中心とする零細専門小売店が減 少し、その商圏はSMが占有するところとなっている。そのSMであるが、かつて のような低価格訴求は影を潜め、競争上必要なコストアップをカバーするための生 活提案型小売業へと変身している。低価格訴求よりも、立地・取扱商品・広告・物 流・店舗イメージなどのその他のマーチャンダイジング・ツールが重視されるよう になっている。こうしたコストアップは今後もなお一層増嵩すると予想されるので、 マークアップおよびマージンは増大こそすれ、減少することはないとみられる。し たがって、平日の食肉価格が(名目的に)低下することはなく、あったとすれば特 売などを通じてのものであろうと推測される。 そうしたなかで、小売価格引下げのためには見切販売や廃棄などのロス率を引き 下げることがきわめて重要である。とくに単価の高い牛肉のロス率を引き下げるこ とが重要である。また、今後の食肉別小売価格設定方式を予測すると、国産牛肉 (乳用牛)と輸入牛肉の豚・鶏肉化(マークアップは小さいがマークアップ率は大 きい)が進むものと思われる。