★ 巻頭言


畜産時事2題

(社)中央畜産会副会長 白根 亨


(そ の 1)

 本年5月9日の日経朝刊に「円高が問う日本経済」の見出しで、「この連休中に
外国を旅行して、円の強さにびっくりした人も多いだろう。ワシントン支局と協力
して7日現在の米国の物価を調べ、1ドル=110円で換算して東京と比べてみた。
コメは東京の1/3。牛乳や散髪料はほぼ半値。ガソリンは1/4だ。店による違
いもあるので厳密な比較ではないが、日米の価格差は広がっている」という書出し
の解説記事が報道された。経団連の提言を引用しながら、麦・生糸・砂糖・乳製品
などを例に挙げての規制緩和(輸入し易い体制作り)と複雑な流通機構の改善とが
記事の主な論点だが、論点とは別に、私は記事の中の次の部分に関心を持った。

* OECD の推計では、平成4年の購買力平価は1ドル=190円
* 日本総合研究所によると、日本の住宅の建築費は同じ床面積の米国の住宅に比
 べ3倍高。
* 日米の物価比較(5月7日現在)
   東 京 ワシントン
コメ
(10kg当たり)
特選標準価格米
3845円
カリフォルニア米
普通品1165円
上質品1845円
コシヒカリ
5960円程度
牛乳
(1リットル当たり)
188円 82円
理髪料金 3800円程度
(シャンプー、
顔そり代込み)
1900円程度
(シャンプー代、
チップ込み)
ワイシャツの
クリーニング代
230円 165円
ガソリン
(1リットル当たり)
レギュラー 123円
プレミアム 141円
レギュラー 32円
プレミアム 39円
 これを整理すると、米は約3.2倍高。牛乳は2.3倍。原材料の殆どを輸入に依存し
ているガソリン(レギュラー)は2.2倍(日本の揮発油税等53.8円を差引いて比較)、
理髪料金は2倍、クリーニング代は1.4倍、住宅建築費は3倍である。それぞれご
とに固有の事情があるのであろうが、それは置いて達観すると、彼我の価格差は、
輸入・自給の態様差、あるいは食品・物・サービスの別に拘らず、各分野に広く共
通してみられる。

 ここで私は次のような疑問を抱いたのである。つまり広く全般的にみられる内外
格差現象の中で、

@ 農畜産物については、内外価格差を論拠に自由化すべしという主張が活発であ
 るが、これに比べると、他の分野ではこの種の議論が少ないように見受けるが、
 これは何故だろうか。

A このような使われ方をしている国際比価を拠り所とする自由化促進論には、果
 してどの程度の論理としての合理性があるのだろうか。

 最初の疑問については、議論の仕方として公正か、公平かという点で誰しも判断
のつき易い問題だと思うのでここでは省略しよう。

 2番目の疑問は、欧米の紳士から、兎小屋に住むエコノミック・アニマル、働き
蜂と軽蔑されて、穏やかならざる感情を抱きつつも、真正面からの反論を躊躇する
我々の素朴な生活実感とも無関係ではないように思う。現に日経記事によると、平
成4年の購買力平価は1ドル=190円とあるが、今年に入ってからの急激な円の値
上がりを考えると、今やそれが200円を超えていることは間違いあるまい。そうだ
とすると、内外価格差が2倍前後あることは、さほど不思議なことでもないように
思われる。

 問題は、むしろ各分野にわたって共通的にみられる内外価格差現象の事実そのも
のを見据えた議論、検討が不足しているということではないだろうか。

 国際化した社会・経済の中で起っている問題解消のためにも、国内の安定した秩
序作りのためにも、この際、1ドル=110円台でも国際競争力を持つに至った自動
車産業やハイテク産業等々の発展の軌跡と、その裏で生じた歪み現象(地方、僻地、
農山村、1次産業に著しい)との係わり具合の検討、さらに社会・経済全体として
の調整の在り方について、農畜産物の自由化促進に賭けると同様の情熱を持って総
合的な検討を加え、あるべき経済関係、望ましい社会体制を追及することこそが先
ず必要ではないかと思うのだが……。

(そ の 2)

 極度に乱高下を繰返す卵価、一方で物価の優等生として褒めそやされ、しかも世
界有数の高い卵の消費水準を支えてきた人々が、その苦く、長い社会経験を基に、
自主的に資金を持ち寄り、卵価の激変緩和と需給関係の安定化を目的に生産調整を
試みようとした。ところがこの試みが、独禁法に触れる恐れがあるとして公正取引
委員会の指導を受け、これをやむなく断念せざるを得ない事態となった。

 経済発展の基本に係わる極めて重要な事項として独禁法が制定されていること、
さらにその事柄の重要性は十分弁えているつもりではあるが、今回の公正取引委員
会の措置には何とも釈然としないものを感ずる。

 鶏卵が物価の優等生と言われる事情そのものは、まさに独禁法の主旨に沿った完
全な自由競争の結果であり、かつ成果であると言えるのかも知れない。

 しかし鶏の飼養者が数百万戸から8500戸にまでに激減する中で、生産者の行うべ
き生産の合理化は局限状態にまで進んでいること、卵の供給変動が、他の産品に較
べて極端に価格を卵高下させる産品であること等々重々承知されているであろうの
に、そのような事態を温存放置し、しかもその下に消費者までをも置くこと、加う
るに価格の乱高下を通じて、不況に耐え得る資本力、資金調達力に優れた者のみに
生産を集中させていくことが、果たして独禁法の意図する自由な競争であり、また
独禁法の目的に沿うものであろうか、と私には不審に思われてならない。

 もちろん以上のような私の考え方についても、当然のことながら反論もあろうし、
なお慎重な検討が必要だとの見解もあるであろう。

 字義通りの完全自由競争下にあり、成長したとは言え他の産業・業種に比べて零
細性の濃い農業生産面への法の適用は、あるいは今回の事案が初めてではないかと
も思われるのであって、この際充分な検討を加えて欲しいものである。


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