高品質牛肉の低コスト生産経営を訪ねて

宮崎 昭(京都大学農学部教授)
林 義隆(畜産振興事業団企画情報部)


1 はじめに

 牛肉輸入自由化を実施してまもなく、輸入チルドと品質面で差別化しにくい国産
の乳用種牛肉の卸売価格が低下しました。しかし、肉質面で輸入牛肉より優位に立
つ和牛肉の規格上位のもの(4、5等級)の卸売価格は、平成3年の終わりまでは
比較的堅調に推移し、そのため、この規格の和牛肉は対外競争力の強い商品とみな
されていました。しかし、平成4年1月以降これが値下がり気味となり、特にA−
4においてそれが顕著になりました。これは、輸入牛肉の影響のほか、景気の後退
によるものといわれ、高品質牛肉の生産にあたっても、低コスト化が必要となって
います。このようななか、低コスト生産に向けた努力を続けてきた群馬県下の肥育
経営・角田牧場をルポしてみました。


2 知る人ぞ知る上州牛

 群馬県は、古くから大麦の産地で、それを和牛に給与していました。その肥育牛
の牛肉は肉のきめも細かく、調理すると独特の風味があり、首都圏でも高い評価を
得ていました。しかし、肥育牛の多くは前橋市場で生体取引されていましたので、
上州の名を冠した牛肉が出回ることはほとんどありませんでした。そのため、昭和
51年から、群馬県経済農協連傘下の県肉牛肥育農家協議会の会員を中心として、銘
柄牛肉としての上州牛の生産が始められました。

 上州牛とは、県内の生産農家において1年以上飼養管理され、褐Q馬県食肉卸売
市場で処理されたものをいいます。このうち、黒毛和種で特に肉質等級が4以上に
ランクされる極上の霜降肉については特選上州和牛と呼んでいます。

 この卸売市場の施設は、対米牛肉輸出処理施設として厚生省による厳しい検査を
受けて認定された全国3施設のうちの1つです。現在、年間約1,100頭が特選上州
和牛として出荷され、主に首都圏で販売されています。


3 経営確立に役立った補助金

 角田氏の住む群馬県利根郡利根村は赤城山の北裏より北東部に連なる高原・寒冷
の農山村で、村の94%は山林原野です。村の農業粗生産額の内訳は生乳、こんにゃ
くいも、アスパラガスが各10%強を占める主要な作物で、ついで枝豆、肉用牛がそ
れに続いています。家畜飼養農家数は近年減少気味ですが、牛の頭数は横ばいもし
くは微増となっています。

 同氏(44才)は妻(43才)と2人で、年間それぞれ300日の労働で和牛肥育を行
っています。現在の飼養頭数は黒毛和種が去勢73頭、雌40頭です。耕地面積は210
aで、そのうち80aでデントコーン、110aで牧草を栽培しています。デントコー
ンはサイレージに調製し、牧草は乾草として肥育牛に給与しています。畜舎等の面
積は30aで、そこに大小6つの牛舎、オガクズ倉庫、堆肥盤、機械庫があります。

 角田氏は昭和43年高校卒業後、県畜産試験場に研究生として入り、肥育技術を勉
強し、その翌年、後継者育成資金を受け和牛4頭を導入して肥育を開始しました。
当時、両親は養蚕、こんにゃくいもの生産にあたっており、そこに新しい作目とし
て肉用牛が導入されたことになります。48年、結婚を機会に近代化資金を活用して
規模を拡大し20頭に増やしました。その後、52年には総合資金を借りて牛舎を整備
し50頭に増頭しました。54年に両親は後継者の肥育部門が充実したので養蚕を止め、
57年には近代化資金により牛舎を建設し70頭規模にしました。また59年に、補助事
業により飼料生産機械を3名共同利用の形で導入し、粗飼料生産の低コスト化を実
現しました。

 やがて、61年には自己資金で牛舎を建て、90頭に増頭するとともに、こんにゃく
いもの生産を止めて、肉用牛専業となりました。その頃から堆肥処理が課題となっ
たので、補助事業で堆肥盤を整備しました。その結果、今日では肥育牛113頭の飼
養が可能となり、さらにもう少しなら増頭の余地もできました。

 このような経営の推移をみると、一人の若者が新しい農業経営者として、新しい
作目を柱立てて一人前になる過程で、公的な資金援助が大きく役立っていることが
わかります。また、経営がある程度拡大し体質が強化されると、自己資金を活用し、
自分の経験を十分に生かした経営の拡大ができることもわかります。こうしたこと
は、わが国で肉用牛経営が一人立ちするまでに、様々な支援が必要であることを意
味していますし、長い牧畜の歴史のある国々とわが国の大家畜畜産の経営確立条件
の差異を明確に示す事例といえるでしょう。


4 随所にみられる低コスト化

 低コスト生産への努力はまず、肥育もと牛導入時から始められます。この経営で
は15年前からもと牛を秋田県の大曲家畜市場から導入していますが、そこは近隣の
市場よりもと牛が安いそうです。それに加えて、初めに大曲家畜市場から導入した
牛の枝肉成績が特に良かったこともあります。角田氏は、今でももと牛を血統、体
型、資質、挙動、活力などの点で検討し、自らの判断で生後約9カ月のものを購入
しています。輸入自由化に対抗するため、もと牛をもっと安く購入しようと、5年
前にF1去勢を、2年前に黒毛和種雌を求めましたが、この経営の立地条件下では
黒毛和種去勢がもっとも良いとの結論がでたので、将来は黒毛和種去勢のみで120
頭規模にしたいとのことです。 

 つぎに飼料費節減については、自給粗飼料の活用に努めていることが注目できま
す。すなわち、肥育開始時から粗飼料を給与し、サイレージ換算で肥育前期(6カ
月間)に全飼料給与量の45%、肥育中期(6カ月間)に30%を与えています。ただ
夏にはサイレージの変敗で養分給与量が不足する心配があるので、11月から翌年5
月までがサイレージ給与期間となります。なお、稲ワラは肥育全期間中コンスタン
トに給与しています。このように、粗飼料を多給した肥育であるため、肥育後期
(10カ月間)は乾草の給与量を減らしても、飼料全体の食い込みは良く、尿石症、
鼓脹症などの発生はほとんどみられません。濃厚飼料としては、配合飼料とフスマ
を全期間給与し、さらに肥育中期以降、ばん砕大麦、圧ぺん大麦を加えてカロリー
を高くしています。こうして、9カ月齢、体重約270sのもと牛は、約22カ月間の
肥育で出荷時に約31カ月齢、体重約670sの肉牛となります。この肥育牛を出荷し
た後、角田氏は食肉市場で枝肉をみて、肥育仲間と情報を交換し肥育技術の向上に
努めています。その結果、出荷牛の90%以上がAー4規格以上という好成績です。

 また、施設、機械への投資も抑制し、牛舎、その他を手造りして低コスト化を図
っています。最近では、鉄骨牛舎をすべて手造りで完成させたので、坪単価が2万
円と安上がりになったそうです。施設内にも工夫がこらされていて、手造りの自走
式飼料配給車には大麦、配合飼料、フスマが別々の枠に入れられ、肥育牛の状態に
あわせた給与量の加減ができるようになっています。


5 後継者問題を考える

 角田氏の長男が20才になった今日、この経営では後継者問題を考えることになり
ました。しかし、まだ角田氏夫婦は若いので、今すぐに長男に仕事を手伝ってもら
うことはせず、自宅から通える範囲で別の仕事に従事してもらうことを考えていま
す。別の仕事をすることで、いわゆる他人の飯を食うことになり、さまざまな苦労
と経験を積むため、しっかりした後継者に育ってくれることを期待しているとのこ
とです。別の仕事に従事してから、両親の肥育経営に加わったほうが、社会性も身
につき、人間としての幅も大きくなり、大人の選択として後継者になるほうが望ま
しいと考えるのです。また、外で仕事をすることで、配偶者に恵まれ易くなること
も間違いないものです。その間に角田夫妻は、バトンタッチに良い環境をつくる努
力をしたいと考えています。

 まず、角田牧場を訪れて感心することは、美しい生活環境がある点です。住居の
周囲にはさまざまな花や観葉植物が植えられ、とても美しく、また、その横には自
家利用できるキウイフルーツ、梅、リンゴ、柿などの果樹が植えられています。こ
れは、ヨーロッパの農村でみられる農家空間と似ています。これに隣接して、牛舎、
飼料畑が配置され、牛を監視しやすくなっているのも合理的です。また、堆肥盤が
住居から遠く離れているので、臭気に困ることがないの好ましい点です。同氏は現
在、利根沼田肉用牛連絡協議会の会長を努め、180名の会員のリーダーとして、地
域全体の肉用牛生産の指導者の一人となっています。また、県肉牛肥育農家協議会
の役員として、450名の会員の経営活動の発展にも努めており、この活動は、県及
び県経済農協連からも評価されています。その点、後継者に近い将来、全面的に経
営をまかせられ、自らの創意工夫で経営を発展させる面白味が生じる可能性が高い
のです。

 今日までの角田牧場の肥育経営を振り返ると、もと牛導入後、肉牛が仕上げられ
て出荷されるまでの20カ月余りの期間に、肉牛の相場が変化する点が経営に計画性
をもたせられない欠点と認識されています。これは、わが国のすべての肥育牛経営
に共通的な問題です。そこで、もと牛導入時から将来の肉牛出荷時の売値を保証で
きる先物取引のようなものの実現を希望しています。

 さらに、生活にゆとりを持たせることに関しては、今日まで粗飼料の生産と調製
に共同作業を行ってきた実績をさらに発展させるとともに、平成5年度に県及び関
係農業団体の出資により設立される褐Q馬県畜産ヘルパー協会の行うヘルパー制度
を有効に活用し、生活に時間的ゆとりをつくることが大切と認識しています。そし
て、これらはいずれも後継者が経営を行う時代には、解決されているべき問題と考
えています。

 この点、農林水産省と畜産振興事業団の応援で、中央畜産会が毎年開催している
先進的な肉用牛経営者中央協議会で、後継者問題について、

(1)経営者自身が立派な経営を実現し、牛飼いが収益性の高いことを身をもって
  示すことが若い世代にとって何よりの魅力であること

(2)経営者は、若い世代が親と同じ価値観、人生観をもつ筈がないと知っていて、
  決して自分のそれらを押しつけないように努力すること

(3)将来の牛飼いはサラリーマン並みの生活を、経済的にも時間的にもできるよ
  うにしなければならないこと

が、重要との結論を出された点と符合するものでした。その意味で、この経営は示
唆に富むものと言えるでしょう。


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