周年放牧による子牛生産
−春を迎えた沖縄県黒島の牧草地−

京都大学農学部教授 宮崎 昭


冬でも草が伸びる亜熱帯

 沖縄県を初めて訪れた昭和48年の夏、自生するネピアグラスの10a当たり生草収
量が、年間40tとか60tという話をきいて驚いた。当時、西日本の温暖な地域で集約
的に牧草を栽培しても、20tもとれる事例はまれであったためである。とても信じ
られないといった私の表情をみて、県の技術者は、「ここは、亜熱帯に位置するの
で、冬でも草が伸びるのです」とこともなげに話した。このように草資源に恵まれ
ていれば、沖縄県は日本一の肉用牛生産地になっていてしかるべきだと思った。

 しかし、現実は決してそうではなかった。その理由を、上坂章次先生は、「沖縄
県では放牧による肉用牛飼養を行いたくても、牧野にダニが多く、牛はピロプラズ
マ病にかかり、生産能力が発揮できない。この問題の解決なしに、当地での肉用牛
増産はありえない。しかし、ダニの根絶には今のところ有効な方策がない」「また、
一見、青々としたネピアグラスも、発育とともに急速に木質化が進み、リグニン含
量が多くなるので消化率が低下し、牛に対する養分供給が不十分になりがちだ」な
どと話された。

 今回、久しぶりに訪れた沖縄県の八重山群島で、亜熱帯の立地条件を生かした肉
用牛飼養が、多くの畜産関係者の努力で、ようやく実現しはじめていることを知り、
たいへんうれしく思った。その様相を黒島について紹介しよう。 


人一人に牛十頭の黒島

 黒島は石垣島の南西約18.5qに位置する隆起珊瑚礁からできた島である。周囲が
12q、海抜8mの平坦なこの島は面積が約1,000haである。平成3年12月末の人口は
221人、黒毛和種は2,136頭である。人1人に牛10頭という割合は、黒島が日本で珍
しく大家畜畜産の盛んな地域であることを示している。それもその筈、島の面積の
7割以上が牧野である。

 道路の両側には有刺鉄線が長々続き、その左右、至る所、緑が豊かで、牛が放牧
されている。ときどき、熱心な農家が、自分の牛の栄養状態を良く保とうと、乾草
や濃厚飼料を放牧場内に持ち込んで増し飼いしている(写真1)。牛は自分の飼い
主を識別していて、姿をみては近づいてくる。この島では周年放牧が行われている
ので、低コストによる子牛生産が成立している。中央畜産会主催の昭和63年度全国
優良畜産経営技術発表会で、黒島の販売子牛1頭当たりの生産コストが7万円とい
う経営事例が紹介され、参加者を驚かせたものであった。今日でも、この島の子牛
生産費は10万円以下である。平成3年12月末の成雌牛の頭数は1,167頭であるが、
将来は800haの草地に成雌牛3,000頭を放牧するという明るい夢が語られている。

 しかし、ここに到るまでの道程は遠く、険しかった。この島は石灰質の岩盤に覆
われ、草生は少なく、露出した岩石のためトラクターを効率よく利用することは不
可能であった(写真2)。岩盤が固すぎて、ダニ駆除のための薬浴槽を地下に設置
することもできなかった(写真1参照)。


官民あげての生産基盤づくり

 この様な地形的、風土的困難が肉用牛飼養の前に立ちふさがっていたこの島に、
昭和47年以降、さまざまな生産振興対策と防疫衛生対策が講ぜられた。とりわけ、
スタビライザー工法は、岩盤を細かく砕いて、平らな草地をつくりあげるのに役立
ち、草地の牧養力は、従来の1haあたり母牛1頭という状態から、子連れ母牛2.5〜
3.0頭という段階まで高まった。この工法は、従来、舗装道路の再開発用に作られ
たスタビライザーという機械を利用した工法で、岩盤は表面30pの深さまで砂のよ
うに細かく砕かれる(写真3)。整地された後に播種されたローズグラス、ジャイ
アントスターグラス、パンゴラグラス、ギニアグラス、グリーンパニックグラスな
ど暖地型牧草は大変よく生育した。なかでも、ほ伏茎を伸ばす草種は地表面を網の
目のように覆いながら、一面に根を張るので、牛が蹄で草を切っても、植物にダメ
ージはなく都合がよかった。

 スタビライザーによる草地造成は、岩石が少ないときでも、1b進むのに2分間、
岩石が多いときは4分間かかるので容易な作業ではない。その造成費は1ha当たり
300万円から700万円にも及んだので、個人や地域団体で造成することは不可能に近
かった。この点、公的な援助がこの過程で強く与えられたのは、黒島の開発にとっ
て大きな意義のあることであった。すなわち、昭和59年からこの島で始まった畜産
基地建設事業における草地造成は、国が75%、県が15%補助するので、農家の自己
負担は10%と少なかった。この自己負担分も3年間の負債の据え置きが認められ、
その後17年間で償還することになっている。現在までにこの新しい工法で放牧地800
haのうち、約3分の1が改良造成された。

 また、昭和60年から黒島で開始された本格的なダニ駆除についても、当初、薬
剤としては低毒性有機リン剤(アズントール)1,000倍液が用いられていたが、薬
剤耐性ダニの出現によって、作戦達成が困難視された。そこで平成元年度にピレス
ロイド系製剤(バイチコール)の3週間隔10回のプアオン法(牛体の背線部に薬剤
を塗布すると、次第に体表をこの薬がコーテイングしていき、ダニ駆除を行う)に
よって、全頭、子牛をも含めて、1頭ももらさない作戦でダニの清浄化が実現した。
今では黒島にピロプラズマ病を発生させるオウシマダニは根絶された(写真4)。

 この過程で、黒島では、肉用牛振興意欲が強くなり、昭和40年代の終わりに、1,
104頭であった肉用牛は、平成元年には、1,959頭、そして、平成2年には2,136頭
となった。増頭の過程で、人工授精が普及し、肉用牛の改良も進んだ。牛の流通に
ついても改善が図られ、従来の庭先取引は姿を消し、常設の家畜市場がこの島で年
6回開設されることになった。この様な動きは、島に活気を与え、草地改良がこの
調子で進めば、やがてここに3,000頭の繁殖雌牛が周年放牧できると見込まれてい
る。黒島には「肝一チ持チワアリ、色一チ合ワショウリ(心を一つに持って、考え
を合わせて、どんな困難にも立ち向かって行こう)」という古い諺がある。この20
年間、官民が一体となって努力し、科学技術の発展に支えられ、黒島を肉用牛生産
に適した環境につくり変えたことは、まさにこの諺どおりの行動が効を奏したもの
であった。


周年放牧によるコストダウン

 黒島の近年の変貌ぶりをみると、そこに新しい日本農業の将来像の一つが浮かん
でくる。それは、アメリカなどで実施されている暖地における肉用牛の子牛生産を
思い出させるものである。そこでは超省力的な飼養による低コストの子牛生産が実
現している。

 アメリカのフロリダ州は暖地で、冬でも草が生育するので、肉用牛の繁殖雌牛は、
大きくフェンスで囲った草地に粗放的に周年放牧され、子牛生産を行っている。所
有する面積があまり広くないところでは、他産業に従事しながら、週末に自分の牛
群を見に行く程度の作業で、50頭以上の繁殖雌牛を飼養している。彼らは、草とフ
ェンスさえあれば、たまに牛を見に行くだけで、日常の世話をほとんどする必要が
なく、肉用牛の子牛を生産できることを知っている。

 テキサス州では、さらに極端に省力的な繁殖牛飼養がみられる。そこでは周年放
牧しながら、定期的な牛集めが年間わずか2回である。1回目の牛集めは晩春に行
われ、母牛と新生子牛に対する伝染病の予防接種、子牛への焼き印と除角、雄子牛
の去勢などを行うとともに、南部の放牧地帯にいる外部寄生虫のノサシバエが寄り
つかないように、特別の薬品をしみ込ませたイヤータッグを耳につける。

 5月に入ると、雌牛群の大きさによって、種雄牛を何頭かマキ牛のために放牧場
へ誘導し、2ヶ月ほど後にそれを取り除く。この時、種雄牛は、馬に乗ったカウボ
ーイによって捕獲されるので、手間はほとんどかからない。

 秋になって、すべての子牛が離乳時期を迎える頃、2回目の牛集めが行われる。
この時期には、自家更新用に僅かな頭数を残す以外、すべての子牛を販売する。子
牛と共に集められた母牛は妊娠鑑定されるが、不妊の牛はハンバーガー用に出荷さ
れる。これは、冬の草の無駄食いを避けるためである。 

 この様に、一年中草が生育する暖地での肉用牛の飼養は、冬が長い北部とは違い
相対的にコストダウンが可能となるので、アメリカでは子牛生産の立地が南部へと
移動していった。もっとも、その場合、暑さとダニ熱に対する抵抗力の強いブラー
マンの血を入れた交雑種の普及が不可欠であったという。一方、暖地型牧草の特徴
である生育に伴う急速な消化率の低下に対しては、混播する草種を工夫したり、あ
る時期のみ放牧場に糖みつを置いて、エネルギー補給をするなど技術的対応に意を
注いでいる。この様な飼養は、今まで、日本では考えられないように思われていた
が、黒島をはじめとする沖縄県で将来実現する可能性がある。


通勤による肉用牛経営

 黒島の肉用牛経営者の多くは60才を越えていて、高齢化が目立つ。島全体をみて
も、若い人の数は少ない。以前からあった小学校の分校も今では廃校となり、教育
環境を考える若い人々は、石垣島へ移住し、この島の過疎化は今後も続く見通しで
ある。この様な状況の中で、黒島は石垣島から船で20分余りの立地にあるため、通
勤農業が実現する可能性が強い。その場合、年に数えるほどの回数、牛の世話をす
るだけで経営を成立させる可能性のある周年放牧による肉用牛繁殖経営は有利なも
のとなろう。

 今日、通勤農業が注目されている。先日宮崎県のえびの市で、市内で生活しなが
ら、毎日車で40分ほど林道を走って、山間高冷地で花つくりをしている農事組合法
人を訪ねた。そこはもともと山の中にしては水に恵まれていたので、農業が行われ、
集落が形成されていた。しかし、小学校の分校が廃校となってからは、学齢期を迎
えた子供のいる家庭では、えびの市内の親戚に子供を預け、親子別居生活をしなけ
ればならなかった。それは子供にとっても、親にとっても好ましくないと考えた人
々が、集落全員で市内に移り住み、通勤農業を思いたった。昭和63年から、山でデ
ルフィニウムなどを育苗するため、軽トラクックで6組の若い夫婦が通っている。
通勤途中には美しい山なみを眺め、四季折々の景観を楽しみながら山へ来ると、同
じ世代の夫婦たちがいるので仕事場は楽しい職場となっている。冬に雪が降っても、
その日のうちに林道の除雪を公共機関が行ってくれるので安心という。この様な明
るい通勤農業はこれから我が国でも数多く生まれるに違いない。すでに肉用牛経営
でも肥育牛舎が自宅から何キロも離れたところにあって、車で通っている例もある。


農家生活の変革

 日本の農家の主婦はとても忙しい。農作業を手伝わなければならないし、家族の
食事の用意、子供やお年寄りの世話など、手抜きのできない仕事が山積みしている。
肉用牛の繁殖経営でも、主婦が牛の世話をもっぱら行っている事例も多い。その様
な生活では、仕事と家事が境もなく入り乱れ、とてもゆとりのある生活とはいえな
い。今日、ゆとりある生活を求めることが大切となっている時代を迎えて、農家の
生活はもっとスマートなものに変わらなければならない。黒島で通勤による肉用牛
経営が成立することは、こういった意味からも好ましいことであろう。

 ヨーロッパの伝統的な農家では、家族のうち経営主とその息子たちが外で農業を
行い、その間主婦が家事を行っている。主婦は家の中を美しく保ち、庭の花の世話
をし、毎日パンを焼き、ケーキを作っている。それらの材料は、季節ごとに家庭菜
園で生産された果実、木の実、果菜などである。いちごが実るとそれを保存性の良
いものに加工して、一年中それを使ってケーキを作っている。トマトが実ると、そ
れも保存食とし、日常生活に使う。地下室にはそれらがビン詰めされて並んでいる。
これらは主婦の仕事である。

 朝、家族と一緒に朝食を済ませて仕事のために外へ出た男たちは、昼には家で手
造りの料理を食べる。そして、午後の休みにケーキを食べ、また夜に一家で夕食を
食べる。土曜日、日曜日には車で外出し、映画、ダンスなどを楽しむこともある。

 黒島で通勤による肉用牛経営が成立したとき、人々はゆとりある生活を実現する
ことになろう。これは、肉用牛飼養の基礎になる基盤整備が行われた結果であり、
今日でもなお、生産基盤づくりが重要なことを意味するのである。


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