★ 巻頭言


農業ほど人材を必要とする産業はない

日本女子大学教授
東京大学名誉教授   今 村 奈良臣


なぜ村づくり塾か

  私はこれまで11年余にわたり、 全国各地で活動している農民塾、 村づくり塾の
塾長をしてきている。 その最大の理由は、 「農業ほど人材を必要とする産業はない
」 という信念を持っているからである。 他の近代産業はすべて分業体制 (企画・
設計、 生産・製造、 販売・市場開拓、 経営・財務の4部門等への分割) がとられ
、 それぞれの専門分野に精通していればよいが、 農業経営者はこれら4部門すべ
てに精通し、 自らリスクを背負いながら意志決定をしなければならない。 すぐれ
て総合的能力を必要とするのである。 
 
  農民塾をはじめたのは、 単に人材を増やすことだけではなく、 十数年前から次
のことを痛感していたからである。 

(1) いまのままで推移すれば、 「日本農業は21世紀には外圧によってつぶれるより
    先に日本農業の内部からつぶれる」。 その理由は、 次代を背負うべき若者がサ
    ラリーマンになろうとしても、 農業をやろうとしなくなったからである。 そ
    うあってはならない。 21世紀の日本農業を担う青年をいかに増やすかを考え
    た。 
     
(2) 農村を回り、 一杯やりながら農村青年と突っ込んで話してみると、「心の過疎」
    に悩んでいることを痛感した。 人口の減る過疎を私はあまり恐れない。しかし、 
    「心の過疎」 は何としても無くさなければならないと考えた。 
     
(3) さらに、 今の農村では 「連帯の場」 がほとんど無いことを痛感した。 目先の
    利害に関係なく、 自らの経営をどうするか、 地域農業をどうするか、 日本は、
    世界はどう変わるかというようなことを真剣に議論し、 実践に活かす場をど
    う作るか考えた。 
     
 そこへ、 福島県三春町の青年が大学に訪ねてきて三春農民塾を始めたいと言う。 
昭和59年のことで、 私が塾長になり、 農民塾運動が始まった。 これを伝え聞き、 
全国各地に農民塾活動が拡がった。 しかし個人の力の限界を痛感した。 人材を増
やすことこそが農政の基本であると農水省を説き、 農業構造改善事業の一環とし
て村づくり塾運動が進められることになった。 ナショナル・センターとして、(財
) 21世紀村づくり塾も設立され、 全国900市町村にわたり、 形だけのものも多い
が村づくり塾ができることになった。 こうした村づくり塾を通じ、 全国に15万人
の一騎当千の士を作り、 平成農業維新を興すのが私の願いである。 1県平均3千
人、 1市町村平均50人、 少なくともこれだけの青年がいなければ、 21世紀の日本
農業の展望は得られないと考えている。 

 「農業を取り巻く内外の環境は厳しい」、 「農業はいまや危機である」 と演説する
市町村長や農協組合長が多い。 そういうことを説くひまがあるならば、 次代を背
負う人材を育てるための 「村づくり塾」 「農民塾」 にすぐ取り組んでもらいたい。
 「人づくりは国家百年の大計」 を忘れないことである。 

 

農業はライフワークを誇れる

 それとあわせて、 農業はライフワークを誇れる職業である、 ということを強調
したい。 ライフワークという言葉がこの世に現れたのは、 僅か124年前の1871年の
ことにすぎない。 イギリス資本主義の絶頂期に生まれた言葉である。 何故か。 当
時のサラリーマンが退職するに当たって、 「俺の一生は何だったのか」 と反問する
中から生まれた。 
  
  サラリーマンには、 ライフワークと言えるようなものが、 現在でもほとんどな
い。 それに引き較べ、 農業はライフワークを誇れる。 

 第1に、 農業は人間の生存にとって一日として欠くことのできない、 もっとも
重要な食料を生産し供給する産業であり、 その担い手であること自体が、 他に対
して誇れる仕事であり、 その生産活動はライフワークと呼ぶにふさわしい。

 第2に、 自らの農業生産活動の成果は、 一般的な表現によるならば、 「土地に刻
まれた歴史」 と表現しうるかたちで、 ライフワークとして誇るにふさわしいもので
あるということである。 耕種農業はもちろん、 酪農でも、 畜産でも、 果樹でも、 そ
のことは言える。 例えば、 父から受け継いだ時には乳牛10頭で1頭当たり4,000kg
しか出さなかったが、 30年たった今、 50頭の乳牛で、 1頭当たり8,000kg出すこの
牛群がその人のライフワークだと言えよう。 

 第3に、 農村文化を創造し、 継承し、 農村景観をデザインし、 国土・環境の維持、 
保全や、 その創造も行ってきた。 地域を基盤におきつつ、 集団的にかつ目的意識的
に、 そうした活動を推進するなかで、 それらは個々の構成員にとってもライフワー
クとして誇れるものを創ってきたのである。 

 全国各地に、 無数としていまにある石碑はその一端を示している。 ついでながら、 
アメリカの穀倉地帯を随分歩き回ったが、 日本にあるような、 石碑は一つも見出せ
なかった。 日本の農業・農村の特質を石碑に見ることができるのである。 サラリー
マンは 「時間を所得に変える職業」ではあるが、 ライフワークと呼べるものはほと
んどない。 ライフワークを誇れる農業、 という視点からも、 農業のあるべき方向を
考えてみるべき時代になったと言えよう。 農業は21世紀の花形産業になりうると思
っている。 




新人革命の時代

 いま、 日本農業は新人革命の時代を迎えつつあると思う。 戦後の日本農業の展開
過程を主体的側面、 つまり農業の担い手の側面からとらえて大胆に時期区分を試み
ると、 農地改革を契機とした分家革命、 ついで青年革命、 婦人 (女性) 革命が興り
、 いま老人革命が進みつつある。 こうした歴史的展開のうえで今こそ必要不可欠な
課題が新人革命である。 新人とは新規参入者だけではない。 Uターン組も既農業就
業者も新人という視点で地域農業改革を進めてもらいたい。 ここでいう新人とは何
か。 農業経営者という職業に誇りをもち、 親子代々農業の慣習的枠組みの殻を破り
、 自らの意志で農業を選択しようという青年、 そして、 リスク・マネージメント能
力を身につけている青年である。 こうした新人革命が21世紀の日本農業の将来展望
を切り拓くものと考える。 

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