★ 巻頭言


高齢者の食生活と畜産物の役割

 

 財団法人 東京都老人総合研究所  副所長 柴 田 博


高齢者の食生活

  人間が長生きになったことは間違いなく生命の量が拡大したことを意味する。 しか
し、 いくら長生きしても人間は100歳ちょっとしか生きられない。 この与えられた天
寿をいかに生き抜くかが問題となる。 つまり生命の質である。 これは 「Quality of 
Life」、 または、 略して 「QOL」 と呼ばれている。  「QOL」の大きな要素は健康である。 
ただ、 高齢者では外来に通うくらいの病気があっても一向にかまわない。  「一病息災
」 という言葉もある。 要は生活機能や広い意味での生産的能力がいかに維持され、 そ
れを増進する手立てが勘要である。 生活機能に関しては、 ミニマムは寝たきりやボケ
にならないこと、 マキシマルには社会的な自立が理想である。 

 生産的能力は、 有償労働の能力のみでなく、 相互扶助 (互助)、 ボランティア活動
の能力、 さらに家政 (調理) などの能力を意味している。 
 
  このような高齢者の健康の立場から食や栄養の問題を考える必要がある。 成人病や
老人病を予防するという消極的な発想でなく、 高齢者のバイタリティ、 生き甲斐を高
めるための食や栄養のあり方が問われる。 
 
  栄養に関しても、 生体の機能を高め恒常性を維持する栄養素が探索されている。 美
味しさを味わうことが、 知・情・意に大きな刺激を与えることもわかってきた。 そし
て、 食は家族のみならず、 地域の人々とのコミュニケーションの媒体ともなっている。 
ものをよく噛む人は老人が遅くボケにくいといった知見も出されている。 筆者の研究
所でも、 ものを噛むと脳の血流がふえることを実証している。 従来の食や栄養の研究
は、 主として中年期において生命の量を減らすような病気の予防に中心をおいてきた。 
高齢者の生命の質を高めるような食と栄養のあり方に関する研究はまだ緒についたば
かりである。 

高齢者の生活の質と畜産物
  わが国の平均余命は今世紀のはじめ、 世界の60余カ国の先進国の中でもっとも低か
った。 第2次大戦の終わりまで、 平均寿命は40歳台で低迷していた。 
 しかし、 戦後の平均寿命の伸長は目覚ましく、 それは栄養面の改善に呼応している。
とくに、 高度経済成長を反映して、 1965年から10年間の食生活の変化はドラスティッ
クである。 この間に、 日本の平均寿命はスウェーデンを抜き、 さらに1980年代にはア
イスランドを抜いて世界一となった。 
 
  日本の平均寿命の伸びに大きく貢献した食生活の変化は、 肉、 牛乳・乳製品、 油脂
の摂取の増加と、 米・塩の過剰摂取の是正である。 日本の総エネルギー摂取量 (1人
1日当たり) は100年間余り変化していないので、 増えるものがあれば減るものもあ
る。 このような事実を無視して、 肉や油脂が成人病の原因になるように思いこんでい
る一部の見識は3つの誤謬の根源をもっている。 1つには、 仏教の影響である。 仏教
の影響のない沖縄には食肉へのタブーがない。 2つには、 貝原益軒など一部のイデオ
ローグの愚民政策への加担。 そして、 戦後のアメリカの肉や油脂の過剰摂取をいまし
めるためのガイドラインの直輸入である。 
 
  このような畜産物に対する偏見が、 高齢者の健康のための食生活の組み立てにも悪
影響を与えている。 しかし、 まだ十分でないが少しずつ研究も進んできた。 
 
  筆者の研究でも、 畜産物や油脂の摂取傾向の強い高齢者では、 生活機能、 とりわけ
「知的能動性」 の低下が少ないことを実証している。 さらに、 血清コレステロールの
低い高齢者はうつ状態になりやすいことも研究で示された。 筆者たちのみでなく欧米
でも同様のデータが出されている。 
 
  うつ状態は、 高齢者の生き甲斐感を奪い、 知的能動性を低下させる元凶である。 基
礎研究では、 細胞膜から精神や行動の異常を予防する物質を取り込めなくなり、 うつ
状態になったり自殺したりしやすいと説明されている。 日本人の現在の食生活、 とり
わけ、 沖縄や都市部のものはかなり理想に近いと考えられている。 戦後の近代化と伝
統的な食文化がうまくマッチして、 世界にない独特の食パターンをつくりあげてきた。 
 しかし、 これを日本食はもともと良かったなどという発想になっては元も子もない。
一部に昭和30年代の食生活が良かったなどという見解もある。 しかし、 当時の動物性
食品と油脂はまだかなり少なく、 脳卒中は増え続けていたのである。 
畜産物の役割
  畜産物は、 もっとも優れたたんぱく質源であり、 また、 もっとも安定した脂肪の供
給源となっている。 さらに、 鉄分などの摂取は肉からがベストで、 カルシウムの摂取
は牛乳からがベストである。 その他まだ特定されていない成分も含め、 畜産物は高齢
者のバイタリティを高めるために必須の食品である。 美味しさの成分も最も多く含ん
だ食品である。 
 遺憾ながら、 わが国の高齢者はまだ肉の摂取が低めである。 筆者達は、 東京近郊で
肉の摂取がもっとも多い地域でも50グラム/日に達していないことを確認している。 

  牛乳はむしろ高齢者に摂取の努力が目覚ましいが、 日本全体では不足しいる。 若い
年代に骨粗鬆症の予備群が多いという調査結果もある。 
 
  血管や骨の老化の予防のために注目されてきたタンパク質の一種であるコラーゲン
やエラスチンの摂取を高めるために、 畜産物の内臓を食べる食文化や調理法の開発も、 
高齢者の食をめぐる新しい課題といえるかもしれない。 

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