社団法人家畜改良事業団 理事長 浅野 九郎治
我が国の酪農は世界でも類を見ない急速な発展を遂げてきたが、近年規模拡 大のテンポが減速し、成熟段階に入りつつある。もとより規模拡大は今後も必 要であるが、従前のような高いペースは望めないと考えられる。 先般の(社)中央酪農会議のアンケート調査によれば約 8 割の農家が、「牛 舎は満杯となり増頭は困難」と答えており、「これからは 1 頭当たり乳量の増 加、そして改良」という答がトップを占めている。乳量増加要因の 1 つとして 濃厚飼料の多給があげられるが、これは今や乳牛の生理の面から限界に近づい ており、中・長期の酪農経済を考えて農家所得の向上、生産コストを低減させ るためには改良に勝るものはないという声が拡がりつつある。 また、国際化時代を迎え資源小国の我が国が国際舞台に伍していくためにも、 改良分野における技術力が大きく問われている。
我が国の経産牛 1 頭当たりの乳量は年々増加傾向にあり、過去20年間に 3,000kgの増加となっている。昭和50年から牛群検定事業が実施されたが、当 時4,500kgであった平均乳量が、平成 9 年には7,200kgと増加し、牛群検定参 加牛に限れば、5,000kgから8,500kgに増加した。 乳量増加要因としては、遺伝的改良と飼養管理が考えられる。飼養管理要因 には濃厚飼料多給も含まれ、事実、それが大きな要因となって乳量が増加した 時期もあったが、最近の10年間は飼養管理効果による増加はわずかとなり、乳 量増の 8 割は遺伝的改良によることが実証されている。 遺伝的改良は雌牛サイドと雄牛サイドの相乗作用による。昭和50年から実施 された牛群検定事業に加え、平成元年から実施された全国的に統一された種雄 牛評価による優良種雄牛の選抜・広域利用により、元年を境に乳牛の年間当た りの改良量は10年前の57kgから126kgへと 2 倍に増大するところとなって いる。
牛群検定は雌牛群の改良を基本としているが、検定参加牛と非検定牛との乳 量を比較してみると、昭和50年の検定開始時には941kgの差であったが、現 在では2,000kgと約 2 倍に開いている(非検定牛 1 頭当たりの乳量6,500kg に対し、検定牛は8,500kg)。これを乳価(80円/kg)で換算すると 1 頭当 たり粗収入で16万円、所得で 18 万 6 千円の差となる。また、生乳生産コス トではkg当たり 7 円の違いとなり、仮に経産牛50頭経営だと、粗収入で800 万円、所得で430万円の開きとなる。現在、検定加入率(頭数)は44%である が、非検定牛全頭が加入し、乳量が増加するとすれば毎年160億円の経済効果 を生じ、検定費用を差し引いても130億円の増加となる。 牛群検定情報は雌牛群の改良情報のみではなく、飼養管理、繁殖や衛生管理 さらには生乳生産の動向からF1 生産まで、個別経営の診断・改善ばかりか地 域酪農の展望にも役立ち、まさに情報の宝の山であり、その多面的な活用が望 まれるところである。従って、現在の加入率を、せめて60〜70%の水準まで引 き上げたいものである。
ホルスタイン種は今や世界に広く普及し、その遺伝資源はグローバル化が進 み、自由取引の下で国際競争が激化している。現在、国際機関として「インタ ーブル」があり、ここで各国の種雄牛の遺伝的能力を評価し、 1 つの物差しに よって各国の種雄牛の能力比較が行われている。この国際比較において、最近 オランダが他国を抜いて先端を走り始めている。 オランダは九州と同程度の国土でホルスタイン種の頭数は日本と同じ規模。 15〜20年前は乳肉兼用種のダッチフリージアンが主体で、 1 頭当たりの平均 乳量は5,000kgに過ぎなかった。しかし、いち早く乳肉兼用種から乳専用種に 切り替え、今日では8,000kg弱に増加している。年当たりの乳牛の改良量を国 別に比較してみると、乳量はオランダの142kgが最高で、日本126kg、アメリ カ124kgとなっており、乳タンパク質においてもオランダが4.5kgと他を抜い ている。 1998年のアメリカの種雄牛能力評価ランキングにおいてもオランダ産の種 雄牛がトップの座を占めるにいたっている。これまでは乳牛の飼養頭数が多く、 育種基盤の大きいアメリカが世界の乳牛改良のリーダーシップをとってきたが、 最近ではオランダが躍進、頭角を現してきているのが大きな特徴といえる。
資源小国のオランダは、先進的な育種改良プログラムと効率的な改良推進体 制によって躍進を遂げた。 まずオランダは牛群検定加入頭数が極めて多い。経産牛107万頭のうち80% が牛群検定に加入している。日本では120万頭のうち44%、アメリカは910 万頭のうち49%、カナダは115万頭のうち60%が加入している。 牛群検定は雌牛の改良はもとより種雄牛づくりの土台であり、雌牛の検定加 入頭数が多ければ多いほど効率的な種雄牛づくりが可能となる。オランダでは 年間300頭を超える候補種雄牛(日本では185頭)を検定にかけて、この中か ら20分の 1 の選抜を行ない、少数精鋭の優良種雄牛の広域利用、計画的交配 によって改良の実績を上げている。 また、酪農家はもとより改良関係機関、団体など、取り組む人たちの改良意 識が極めて高い。オランダの酪農は300年の歴史があるが、14〜15年前に260 近い団体・関係機関があったのが徐々に再編統合が行われ、昨年の 9 月には 「CRデルタ」という名称の 1 つの組織となった。牛群検定、後代検定、登録 業務、情報サービス、人工授精事業が一元化され、計画的かつ効率的な改良事 業が推進可能となった。20年前には平均乳量が5,000kgとどん底にあえいでい たオランダは現在世界の53カ国に精液等遺伝資源を輸出する国に発展し、酪農 先進国のアメリカ、カナダにも市場を広げ、最近ではブラジルの人工授精セン ターを買収し、世界制覇に乗り出す勢いとなっている。
我が国の家畜の個体識別は、登録、牛群検定、家畜共済、子牛不足払い等そ れぞれの業務ごとに行われており、手間も経費も多大となっている。オランダ やデンマークなどEU諸国では個体識別がかなり普及し、衛生・防疫面からも 法制化され、2,000年までにEU全加盟国がその実施を義務づけられている。こ の個体識別システムは、家畜に関する各種の情報を 1 つのコードに統合管理す ることによって、改良はもとより経営管理面でも効率化が図られコストが軽減 されるとともに防疫面でも極めて有効とされている。 我が国でも平成 9 年度より事業に着手、13年までに日本に適した個体識別 システムを構築することを目指して、現在、関係団体間での合意形成等具体的 な取り組みがなされている。 個体識別は、今や世界の潮流となっており、日本もその流れに乗り遅れない よう早期に実現したいものである。 また、最近の世界の動きの特徴は、国際競争に打ち勝つために改良コストの 低減を図るため、先進諸国において改良組織の再編統合が急ピッチで進められ ていることである。オランダについては先述したが、カナダでも 4 つの人工授 精事業体が昨夏にはシーメックスカナダに統合された。企業体の多いアメリカ においても、最近 8 グループに再編され、さらに 6 グループに統合される気 運にある。
乳牛遺伝資源のグローバル化の進展とともに、国内で改良するよりも海外か ら乳牛精液を輸入すれば良いという意見もある。しかし、遺伝資源を移入する ばかりではその国より上を行くことはできず落ち穂拾いになるだけである。現 に輸入種雄牛精液によって生産された娘牛の能力と日本で後代検定によって選 抜された種雄牛の娘牛能力比較(国の家畜改良センターで昨年の 9 月より公表 開始)では、国産牛が総じて優位であることが実証されている。 加えて諸外国と日本の気候・風土は決定的に異なるため、日本に合った種雄 牛づくりが必要である。国際的視点、舞台を視野に入れたオランダのような気 構え、態勢で対応すべきではないかと考える。これまで日本は北米をターゲッ トに改良を進めてきた。日本は土地条件が欧米に比べて不利であり、だから乳 価を高くしなければいけないといういわば宿命ともいえる考えが根強くあった。 しかし乳牛改良で世界の最先端を行くオランダも資源小国である。オランダに 比べ日本はまだ土地は広く、南北の開きはあるもののオランダにできて日本に できないはずはない。特に改良は高度集約的な技術が要求され、まさに日本が 取り組み易い分野といえる。 また、日本と気候、風土が類似しているアジア各国が日本からの遺伝資源の 供給を期待していることを忘れてはならない。 改良の最終ターゲットは酪農家・畜産農家のコスト低減と所得の向上の 2 点 につきる。厳しい時代に生き残り、国際舞台で打ち勝つためには、資源小国だ からこそ関係者は家畜改良の果たす役割に一層の関心を払っていただきたい。
あさの くろうじ 昭和34年東京大学農学部卒業。同年農林省入省、平成元年近畿農政局長。 2 年畜産振興事業団理事、同副理事長。 7 年社団法人家畜改良事業団副理事長を 経て、平成 9 年から現職。