★ 農林水産省から
畜産環境問題の現状と今後の対応方向
畜産局畜産経営課畜産環境対策室
課長補佐 川島 俊郎
はじめに
平成11年3月5日の閣議決定を経て第145回国会に提出されていた家畜排せつ物
の管理の適正化及び利用の促進に関する法律(以下「家畜排せつ物法」という。)
案が、4月16日に参議院、7月22日に衆議院をそれぞれ原案どおり全会一致で可決、
成立し、7月28日公布された。同法案は、持続性の高い農業生産方式の導入の促
進に関する法律案及び肥料取締法の一部を改正する法律案と併せて「農業環境3
法」として審議がなされたものである。
本稿では、家畜排せつ物法案が提出されるに至った畜産環境問題をめぐる情勢
の変化、国会審議の概要、本法律の概要、今後の畜産環境対策の推進方向等につ
いて述べることとしたい。
畜産環境問題をめぐる情勢の変化
我が国の畜産は、国民の食生活の多様化等を背景に急速な発展を遂げ、我が国
農業の基幹的部門に成長している。しかしながら一方において、1戸当たりの飼
養規模が拡大したこと、地域の混住化が進展したこと、国民の環境問題に関する
意識が高まってきたこと等を背景として、畜産環境問題が深刻化するに至ってい
る。
畜産経営に対する苦情の発生状況
畜産関係の苦情件数の推移をみると、平成10年(1998年)の全国の苦情件数は
2,588件であり、ピークであった昭和48年(1973年)の11,676件に比べて減少して
いるが、一方この間に畜産農家戸数も減少していることから、苦情発生率(苦情
件数÷畜産農家戸数)でみると、逆に0.6%から1.3%へと増加している。その内
訳は、悪臭関係が最も多く61%、次いで水質汚濁関係が38%などとなっている
(表1)。また、畜種別にみると、酪農が最も多く34%、次いで養豚が32%、養
鶏が20%、肉用牛が12%となっている。
家畜排せつ物の適正な管理のためには施設整備が必要であるが、飼養規模の拡
大に見合った施設整備が伴わなかったこと等から、依然として、家畜排せつ物の
野積み、素堀り等が行われている状況にあり、酪農においては野積みが36%、養
豚においては素掘りが10%等となっており、こうした不適切な管理を解消するこ
とが緊要な課題となっている。
表1 畜産経営に起因する苦情発生件数(平成10年)
資料:畜産局調べ
注1:発生件数は、苦情内容が重複している場合を含む。
2:その他は、騒音等が主体である。
家畜排せつ物に係る新たな環境問題
最近では、さらに硝酸性窒素による地下水汚染やクリプトスポリジウム(原虫)
による水道水源の汚染が新たな問題として発生している。
硝酸性窒素による地下水汚染については、環境庁が実施した調査によると、指
針値である10mg/リットルを超過している地点(井戸)が4.7%となっている(参
考1)。環境庁においては、中央環境審議会での議論を踏まえ、平成11年2月に硝
酸性窒素等を環境基本法に基づく環境基準健康項目に追加するとともに、現在、
水質汚濁防止法に基づく排水規制の対象とすることについて検討を行っている。
また、クリプトスポリジウムによる水道水源の汚染問題については、我が国では
平成8年に埼玉県下ではじめて集団感染事例が発生したことを契機として、全国
各地で調査が行われており、多くの河川から本原虫が検出されている(参考2)。
これらはいずれも人の健康に直接影響する問題であり、その汚染原因等は複雑
多岐にわたっているものの、家畜排せつ物も原因の1つと考えられており、これ
まで以上にその管理の適正化を図ることが必要になっている。
(参考1)硝酸性窒素
○硝酸性窒素に汚染された水を飲むと、赤血球のヘモグロビンと結合することに
よって、酸素運搬機能が低下し、呼吸困難となる。特に、乳幼児では死亡する
危険がある。
硝酸性窒素による地下水汚染状況
注:超過井戸は、硝酸性窒素濃度が10mg/ili以上のもの
(参考2)クリプトスポリジウム
○胞子虫類の原虫(人のトキソプラズマと同じ種類)
・クリプトスポリジウムはオーシスト(硬い殻で覆われる)を形成するため、塩
素消毒しても死なない。
・熱処理で感染力がなくなるとの報告があり、たい肥化(60〜80度の発酵熱が出
る)は有効な処理方法。
家畜排せつ物の資源としての有効利用の重要性
家畜排せつ物は、窒素等の肥料成分、有機物を多く含む資源として、従来から
肥料として農作物や飼料作物の生産に利用されてきた。
しかしながら、畜産と耕種農業の立地が必ずしも一致しなくなり、南九州のよ
うに耕地面積当たりの家畜排せつ物発生量が過剰になっている地域があるなど、
たい肥の需給に地域的なアンバランスが生じるようになっている。また、耕種農
家における高齢化の進展等によるたい肥散布労力の不足等を背景にたい肥の施用
量が年々低下する傾向にあり、例えば、稲作での施用量をみると、昭和40年(19
65年)に10a当たり545kgであったものが平成9年(1997年)には125kgに減少し
ている。
このような中で、最近における消費者の有機農産物へのニーズの高まりなどを
背景に、化学肥料や農薬の使用を合理化し、たい肥を中心とした土づくりの推進
に対する関心が高まっており、家畜排せつ物を貴重な有機質資源として一層有効
に利用していくことが求められている。
欧米における畜産環境対策の動向
EUにおいては、地下水の硝酸塩問題が深刻になっていること等から、EU委員会
が1991年に規則を定めた。この規則に基づき、各加盟国は、硝酸塩脆弱地域を指
定するとともに、この地域に対して、@ふん尿の散布時期の制限、Aふん尿処理
施設の設置義務付け、Bふん尿の散布上限量の設定(当初の4年間210kg窒素換算
/ha・年間、その後170kg窒素換算/ha・年間)からなる行動計画を策定し、199
9年12月までに実行することとされている。なお、デンマークにおいてはさらに、
経営農地面積に応じた飼養頭数制限が行われている。
また、アメリカでは、連邦政府レベルにおいて水質保全法に基づき、原則とし
て1,000家畜単位以上の畜産経営体については許可制とする等の規制を設けてい
る。しかしながら、実際に許可を受けているのは許可対象となる畜産経営体の10
%程度にすぎず、1999年3月5日公表された畜産経営体のための統一全国戦略にお
いては、許可対象となっている経営体に経営許可取得を求めるとともに、許可対
象外の経営体についても包括的栄養分管理計画(ふん尿生産量・利用量の記録保
持等)の策定を求めることとされている。
このように畜産に起因する環境問題は、畜産先進国である欧米においても重要
な課題となっており、家畜排せつ物の適正な管理のための対策が講じられている。
国会審議の概要
今回の法律案は、畜産環境問題への適切な対応を図ることが、今後の我が国畜
産の健全な発展を図る上において極めて重要な課題となっていることを踏まえて
提出されたたものであり、衆議院及び参議院の農林水産委員会での審議は、多岐
にわたるものであった。
主な論点としては、総論としては、本法律を制定する必要性、各論としては、
@管理基準の具体的内容、A管理基準適用に当たっての経過措置の考え方、B国
の基本方針及び都道府県計画の具体的内容、Cたい肥の流通利用の促進対策、D
畜産業を営む者に対する支援措置の内容等であった。
家畜排せつ物法の概要
家畜排せつ物法は、以上のような諸情勢の変化を踏まえ、家畜排せつ物の管理
の適正化と利用の促進を図ることにより、今後の我が国畜産の健全な発展を図っ
ていくことを目的として制定されたものである。
本法律の概要は、以下のとおりである(図1)。
|
|
家畜排せつ物の管理の適正化のための措置
ア 農林水産大臣による家畜排せつ物の処理・保管施設の構造設備等を内容とす
る管理基準の策定
イ 畜産業を営む者による管理基準に即した家畜排せつ物の管理
ウ 都道府県知事による必要な指導・助言、勧告・命令の実施
たい肥舎等の施設の構造設備及び家畜排せつ物の管理の方法に関する基準を定
め、家畜排せつ物の管理の適正化を図ろうとするものである。管理基準の具体的
な内容は、農林水産省令で定められるが、現時点においては、以下のような内容
とする方向で検討を行っているところである。
ア 構造設備に関する基準
@ふんの処理又は保管の用に供する施設は、床をコンクリート等の不浸透性材
料で作り、適当な覆い及び側壁を有するものとすること
A尿やスラリーの処理又は保管の用に供する施設は、コンクリート等の不浸透
性材料で作られた貯留槽とすること 等
イ 管理の方法に関する基準
@家畜排せつ物は、構造設備の基準を満たしている施設において管理すること
A送風装置、攪拌装置等を設置している場合には、その維持管理を適切におこ
なうこと
B施設に破損があるときは、速やかに補修を行うこと 等
このように管理基準は、野積み、素掘り等の不適切な管理を解消するため、家
畜排せつ物の適正な管理が確保されるよう必要最小限の基準を定めようとするも
ので、特に高度で複雑なものを求めようとするものではない。
また、管理基準については、適正な管理が将来にわたって確保されるよう畜産
業を営む者の理解を得ながらその自発的な対応を促すことが重要であることから、
管理の改善が必要な場合においては、まずは指導、助言といったソフトな措置を
行うこととしている。これにより改善が図られない場合に勧告を行い、さらに強
く自発的な管理基準の遵守を促し、それでもなお改善が図られない場合に命令を
行うことができるものである。
さらに、管理基準の適用については、野積み、素掘り等の現状、施設整備には
一定の期間が必要と考えられること等を踏まえ、畜産業を営む者の負担の軽減を
図ることとし、例えば構造設備の基準については、5年間程度の経過期間を置く
など、各事項ごとに必要な経過期間を設ける方向で検討を行っているところであ
る。
家畜排せつ物の利用の促進のための措置
(1)農林水産大臣による家畜排せつ物の利用の促進に関する基本方針の策定
(2)都道府県による地域の実情に即応した施設整備の目標等を内容とした計画
の策定
(3)畜産業を営む者の作成する施設整備計画の認定(都道府県知事)と認定を
受けた者に対する農林漁業金融公庫の融資
家畜排せつ物の利用の促進を図るためには、畜産業を営む者、農業関係団体、
地方公共団体、国等の関係者、関係機関が一体となって取り組むことが重要であ
る。
こうしたことから、国が今後における家畜排せつ物の利用促進を図るに当たっ
ての基本的な事項を基本方針として定めようとするものであり、具体的には、@
家畜排せつ物の利用の促進に関する基本的方向、A処理高度化施設(送風装置を
備えたたい肥舎その他の家畜排せつ物の処理の高度化を図るための施設)の整備
に関する目標の設定に関する事項、B家畜排せつ物の利用の促進に関する技術の
向上に関する事項等を定めることとしている。
都道府県は、基本方針に即し、地域における家畜排せつ物の発生量、施設整備
状況等を踏まえて当該都道府県における計画を定めようとするものである。具体
的には、@家畜排せつ物の利用の目標、A整備を行う処理高度化施設の内容その
他の処理高度化施設の整備に関する目標、B家畜排せつ物の利用の促進に関する
技術の研修の実施その他の技術の向上に関する事項等が定められることとなる。
本計画制度に基づく施設整備支援措置の一環として、畜産業を営む者が作成す
る施設整備計画が都道府県計画に照らし適切なものである場合に、農林漁業金融
公庫が施設の取得等に必要な資金のほか、施設・機械の賃借料の全額一括支払い
等に必要な資金が融通されるものである。
なお、基本方針については、現在その具体的な内容を検討中であるが、低コス
トな家畜排せつ物処理施設の整備等畜産業を営む者の多様な取り組みが可能とな
るように検討を進めているところである。
今後の取り組み方向と国の支援措置
家畜排せつ物処理施設の計画的整備の促進
野積み、素掘り等の家畜排せつ物の不適切な管理を解消し、その利用促進を図
るためには、家畜排せつ物処理施設の整備は必要不可欠の課題である。
このため、国の支援対策においては、従来から、共同処理施設の整備に対して
は補助事業、個人処理施設の整備に対しては融資やリース事業を実施しているが
(図2)、今後、これを一層計画的に推進する観点から、今回の法律の制定に伴
い、新たな支援措置として、前述のとおり農林漁業金融公庫の長期・低利の融資
を行うとともに、平成11年度において、補助事業、リース事業の拡充を図ったと
ころである。
さらに、税制上の支援措置として、畜産業を営む者が新たにたい肥化施設等を
整備する場合に、法人税・所得税の特別償却(16%)、固定資産税の軽減(平成
16年3月31日までの間に取得されたたい肥化施設等について、5年間課税標準1
/2)の措置を講じることとしている。
今後は、こうした施策の活用を図りつつ、都道府県計画に即して家畜排せつ物
処理施設の計画的整備を促進していくことが重要である。
たい肥の流通・利用の促進
家畜排せつ物の利用の促進のためには、これまで以上に、畜産と耕種の連携を
強化し、たい肥の流通・利用を進めていく必要がある。このため、国においては、
たい肥センターにおけるたい肥の成分分析、耕種農家に対するたい肥の散布に対
して助成等を行うほか、平成11年度からは新たに、たい肥需給マップの作成、た
い肥投入効果の実証展示等により、たい肥の広域流通を促進する対策を講じてい
る。
たい肥の流通・利用を促進するため、今後、各地域において、関係機関、関係
者が一体となった組織的な取り組みを推進していく必要がある。
畜産環境アドバイザーの養成等
家畜排せつ物の処理・利用については、畜産業を営む者の経営条件等を踏まえ
つつ、低コストで効率的な方法がとられるよう的確な指導を行う必要がある。こ
のため、現在、(財)畜産環境整備機構において、たい肥舎の設計計算等の専門
的知識を備えた畜産環境アドバイザーの養成を図っている。また、たい肥舎等に
ついて一層の低コスト化を図る観点から、たい肥舎等に係る建築基準の緩和に向
けた検討を開始した。
|
|
注1:金利は平成11年8月3日現在。
2:予算額は平成11年度。
|
おわりに
ダイオキシン問題の発生等に伴い、社会全体について、大量生産、大量消費、
大量廃棄型から資源循環型の社会への移行が求められており、畜産についても、
地域において健全、安定的に発展していくためには、環境に対する負荷の軽減を
図り、地域と調和した畜産を確立していくことが必要不可欠となっている。
家畜排せつ物法の成立により、今後における畜産環境対策のための制度的枠組
みができたといえるが、その着実な推進のためには、今後一層、国、都道府県、
市町村、農業関係団体、畜産業を営む者等関係機関や関係者の一体となった取り
組みの強化を図る必要があろう。
元のページに戻る