★ 事業団から


「農業を食業に変える」 農村の活性化を目指す(有)伊豆沼農産 伊藤秀雄さんの取り組み

企画情報部情報第一課  滝本 静男




迫町の概要

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 伊豆沼は、宮城県北部の登米郡迫町にある周囲約15kmの沼である。白鳥、マガ
ン、ヒシクイ等の渡り鳥の飛来地として有名であり、昭和60年に伊豆沼と内沼
(伊豆沼に隣接)は、釧路湿原に次いで日本で2番目に、ラムサール条約のサン
クチュアリ(渡り鳥の保護区)に指定されている。

 (有)伊豆沼農産は、JR東北本線の仙台と一ノ関の間にある新田駅から歩いて
5分のところ、迫町の新田地区にある。迫町は、藩政時代には津田氏、亘理氏の
城下町として、また東西交易の要として栄えた。昭和30年に、佐沼町、北方村、
新田村が合併し、昭和32年には中田町の一部森地区を編入した。新田地区は丘陵
地帯にあり、町の中でも畜産の盛んな地域である。新田駅までの車窓には、水田
が広がり、駅に降り立つといかにも静かな田舎町という印象を受けるが、役場の
ある佐沼地区は、平地が広がり大手スーパー、飲食街もあり、都会に近い雰囲気
を持つ。

 町の人口は、約2万3千人(平成11年8月現在)。町の基幹産業は農業で、次い
で商工業である。

 農業は、水稲と畜産、園芸(ハウス)を組み合わせた経営が多い。農家戸数は、
1,963戸であり、町全体の世帯に占める割合は29.6%となっている(平成7年)。
このうち専業農家は、7%程度に減少している。畜産は、肉牛肥育農家が460戸、
飼養頭数は2,292頭、肉牛繁殖農家が319戸、飼養頭数は1,654頭。酪農家は10戸、
搾乳牛の飼養頭数は226頭。養豚農家は、27戸、母豚飼養頭数は1,463頭である
(表)。 

表 畜産農家戸数、飼養頭数
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 町の農業粗生産額は、合計で4,224百万円。内訳をみると、水稲が46.3%、野菜
が5.8%、畜産は41.3%、うち、肉用牛は18.4%、乳牛が3.6%、豚は18.6%となっ
ている。


(有)伊豆沼農産の概要

稲作から養豚、そして創業

 伊藤  秀雄さん(42歳)は、昭和32年に農家の長男として生まれた。昭和50年、
秀雄さんが18歳の時に仙台の予備校に通っていたが、お父さんが急に亡くなられ、
一家の柱として生計を立てるために進学を断念し農業に就いた。その後、豚養を
始め、昭和63年にハム、ソーセージの加工等を行う伊豆沼農産を設立。その後、
養豚はやめている。
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【伊藤秀雄さん(左)と奥さんのみち子さん】
 経営は、初めは水稲だけで4ha程度であった。母豚10頭から養豚を始め、昭和
56年には、母豚30頭、常時300頭飼養の一貫経営にまで拡大していった。水稲部
門では昭和56年に農家3戸で大形生産組合を設立し受託を含めて30ha規模の低コ
スト稲作を始めた。

 一方、減反政策が進み、他に収入を得るために畜産の規模拡大を考えるように
なった。昭和63年に、農家7戸で大形上生産組合を設立し、転作作業を請け負い、
飼料作物等の生産を始めた。養豚部門では、母豚100頭の一貫経営に規模拡大を
しようと考えたが移転地が見つからず断念した。そして、規模拡大をせずに豚肉
に付加価値をつけて売ることを考えるようになった。

 伊藤さんは、同じ昭和63年に伊豆沼農産を設立し、今でいう手作りハム・ソー
セージの製造販売を開始した。翌、平成元年に法人化した。しかし「百姓が商売
に手を出しても失敗するだけだ」と、多くの人に反対されての創業であった。

 創業の背景には、収入の確保という面だけではなく、規模の拡大や薬剤の投与
量の増加等、生産性の向上のみを追求する農業のあり方に対する伊藤さん自身の
疑問もあった。当時は、生産された豚は全頭と場に出荷して、自分で引き取るこ
とはなかった。米や野菜は別であるが、農家が自分で育てた豚の肉を自分で食べ
るという時代ではなかった。農家は、自分で生産した豚肉が人の口に入るのに、
自分ではおいしいかまずいかもわからなかった。

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ハム、ソーセージの製造

 昭和63年に伊豆沼農産を創業する以前にも、ハムやソーセージは、一ノ関ミー
トの指導を受けて、自分の食べる分は作っていたし、精肉の試食も行っていた。
ハム作りをやってみたらどうかというアドバイスはあったが、ふんぎりがつかな
いでいた。しかし、農業収入の限界感や農業に対する疑問が伊藤さんにハム・ソ
ーセージの製造販売を行うことを踏み切らせたのだ。

 創業に当たっては、一ノ関ミートと相談を重ねた。また、東京でドイツのマイ
スターの資格を持った人から数週間研修を受けた。ハム、ソーセージを作る行程
は、理屈では簡単なものだが、商品化するのは難しい。

 伊藤さんは(有)伊豆沼農産のハム、ソーセージのおいしさの秘訣について、

1 指定生産農場で安全な飼料と十二分な肥育期間をかけ真心込めて育てた豚肉
 を使 用していること

2 ドイツの製造技術をベースに日本人にあった味付けをし、熟成に時間をかけ
 ていること。

3 職人の目が届く範囲で生産された限定品であること

の3つをあげている。

 原料の豚は、初めは自分で育てていた。しかし、平成6年に、祖父が病気にな
り、付き添いに2人が必要であった。祖母、母、妻が交代で付き添いをしなけれ
ばならず、養豚に人を雇えるだけの余力がなかったため、養豚をやめざるを得な
かった。その後は、同じはさまポーク生産協議会会長の佐々木さんの生産した豚
を仕入れている。

 はさまポークは、豚の飼養期間を6カ月半と通常より半月程長くしている。大
麦を多く含んだ低たんぱくの飼料を与えることで、増体は悪くなるがきめの細か
い肉ができる。加工原料として、背脂肪が厚い、中規格の枝肉を仕入れる。この
ような豚肉が一番おいしいからである。

 仕入れる頭数は、多い時で1週間に20頭程度、少ない時で1週間に7頭程度、年
間では約700頭になる。

 塩漬けには、ハムで10日間、ソーセージは1週間かけている。肉に同じ味付け
をしても薫煙の仕方が違うと味も違ってくるため、桜の原木を使って薫煙をして
いる。

 ハム、ソーセージ製造に携わる職人は現在2人いるが、その人たちがしっかり
した管理ができる量だけにとどめて製造している。


「くんぺる」で販売

 ハム、ソーセージの加工場の隣にレストラン(直売所も兼ねる)も同時期に建
てた。レストランの名前は「くんぺる」。ドイツ語で「仲間」の意味である。レ
ストランは、仲間が手伝って建てた手作りのログハウスである。

 自分の作ったハムを食べた人の反応を知りたい。また、加工場だけでは人はこ
の町に寄ってくれないので、地元にお客様を招くためにレストランを作った。

  しかし、ハム、ソーセージの加工販売とレストランが軌道に乗るまでは苦労が
多かった。初めの3年間は自分の給料はなく、貯金を食いつぶしていった。当時
の1日のスケジュールをみると、農繁期には特に忙しく、早朝に豚の世話、午前
中に田植えをする。昼時は、レストランの厨房を手伝いながら立ったまま昼食を
とる。午後は、また、田植えをし、夕方は豚の世話をした。その後、ハム、ソー
セージの加工所で段取り、レストランの仕込みをし、夕食も立ったままとった。
帰宅するのはいつも11時、12時であった。奥さんもレストランのウエイトレスと
して働いた。

 ハム・ソーセージは、原料の豚の飼養管理から製法に至るまでこだわり、味や
品質に自信のあるものであったが、思うようには売れなかった。その理由は、
「自分はいいものを作っているのだから売れてあたりまえ」という自負があった
からだと振り返る。

 3年目にしてお客様に買っていただくためには、お客様のニーズに合ったもの
も作らなければならないことにようやく気づいた。ただし、お客様のニーズに合
わせて価格を安くしたり味を変えていくうちに自分の商品をいじり過ぎ、自分が
どんな商品を作りたいのかがわからなって失敗していった業者もいることから、
2通りの商品を作ることにした。

 1つは、伊豆沼ハムのブランドとして今までどおり自分の製法にこだわった商
品である。2つめは、お客様のニーズに合わせたオーダーメイドによる商品であ
る。

 4年目になって、ようやくハム、ソーセージの販売が軌道に乗り経営が黒字に
なった。「この時の苦労を思えば世の中恐くない。事業は体力」と伊藤さんは言
う。
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【(有)伊豆沼農産のレストランくんぺる】


百貨店に出店し、今では体験実習も

 伊藤さんの努力のかいがあり、現在、(有)伊豆沼農産では、17名の従業員
(正社員7名、パート10名、その他臨時のアルバイトは人数に含めていない。)
が働くほどになった。年商は、平成11年2月決算で200,260千円である。
 製品は、ハムが約15種類、ソーセージは約50種類、ベーコンは1種類を作って
いる。
 販売価格は、商品の値ごろ感から設定し、創業以来12年間、価格を変えていな
い。
 伊藤さんは経営について、

1 手作りハムの仲間同志で競合せずにお互いにないものを補てんしていくべき
 である。

2 大手と同じような商品の製造や商売の方法はとらない。

 と考えている。

 販売先は、レストランくんぺるでの直売、仙台の三越百貨店、地元のスーパー
等である。その他、業務用等のPB(プライベートブランド)商品の受託加工も行
い、その売上げは半分を占めている。

 仙台には、藤崎という百貨店もあるが、既に仲間のハム屋が入っていたので、
三越に売り込みにいき、テナントとして入ることができた。三越に直接交渉に行
ったことは、今考えると常識知らずだったと伊藤さんは述懐する。

 その他、消費者との交流のために、ハム、ソーセージ作りの体験も受け入れて
いる。食文化に触れてもらいたい、また、自分のオリジナルの味を作ってほしい
と考え、その過程をここで教えることができればいいという。体験は随時受け付
けているが、おおよそ2カ月に1回程度の割合で行われ、1年間に180人程度のお客
様が訪れる。

 大規模な宣伝はできないが、お客様に他のお客様を紹介していただけるように
なり、ネットワークも少しずつ広がっている。(有)伊豆沼農産を知らない人は
たくさんいるので、時間はかかるが、お客様を増やしていきたいという。

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伊藤さんの経営理念

農業を食業に変える 「売りに行く」から「買いに来ていただく」へ

 伊藤さんは、「農業を食業に変える」を基本に、農村に住む農家にしかできな
いこと、また、やらねばならないことを行っていこうと考えている。

 「お客様に足を運んでいただきたい。」と言うと、生意気なことを言うと思う
人も多いだろう。商品を町のスーパーに並べてしまうと、どんなところでどんな
人が作ったかとか、自然も何も関係なくなる。町の鉄筋コンクリートの建物の中
で売られている商品と自然の中の工房で作ったハムや朝取りたての野菜との差を
考えてみてほしい。

 (有)伊豆沼農産の名前を、「伊豆沼ハム」ではなく「農産」としたのは、豚
肉加工の他にも地元の農産物の加工販売も行い、農業から「食」全般の事業展開
を行っていきたいという考えがあったからである。 

 地域の農家が丹精込めて作った野菜や農産加工品を、どんなところでどんなふ
うに作られたかがわかるように農家の人とお客様がコミュニケーションを取りな
がら販売する場を作りたい。地域の文化や歴史を紹介しながら伝統料理や地域の
農産物を使った創作料理の提案等を行う場を作りたい。来年3月には、この物産
販売とレストランを組み合わせた店舗をオープンする予定である。

 また、農家で1番足りないことは、消費者が何を求めているかを探ろうとする
ことだと伊藤さんは考えている。そこで、自分でも加工をするとともにレストラ
ンを建設して、お客様に足を運んでいただいている。

 新しい店舗では、農家が自分で作ったものを自分で売ることで、どんなものを
作ればお客様が喜ぶか、人の役に立つかを農家の人が気づくように働きかけてい
きたいという。同時に都市に住む人たちにわざわざ買い物にきてもらうのにふさ
わしい農家との交流ができる「買い場」を提案していきたいという。

 もちろん、地域の素材を生かした野菜や加工品を製造販売し、農家の収入源を
確保していきたいという考えもある。

 伊藤さんの経営の基本は、利益を上げることである。その利益のバロメーター
は、金銭のみではなく、世の中にどれだけ役に立っているかということである。


農村へ足を運んでいただく

 さらに、伊藤さんは、都会の人に農村に長期滞在してもらい、のんびり過ごし
たり農作業を体験しながら、農業・農村や自然の良さを堪能してもらう安らぎの
場を提供したいと考えている。その中で、農村や沼や水田の役割について考えて
もらおうと、平成5年に、5人の株主によりグリーンツーリズムを行う(株)アー
スウォーカーを設立した。  

 (株)アースウォーカーは、地域の農家を宿泊場所としている。長期滞在しや
すいように1泊(朝食のみついているB&B方式)で3千円程度に料金を設定したい
と考えている。現在は、田植えや刈り取り等の体験しか受け入れができないため
時期限定としているが、将来は体験項目を増やし、年間を通じて宿泊者を受け入
れていきたいという。

   伊藤さんの事業の基本は地域である。人と自然をセールスポイントに都会の人
を招き、地域の人と交流をする過程で、農村に住む人が気づかなかった農村や農
業の良さを発見してもらう。それが、農村に住む人たちの自信や誇りにつながっ
てほしいと願っている。自分の住んでいる地域の歴史や文化、環境そして人を徹
底的に分析してみる。すると、他の地域に住む人たちに誇れることがいっぱいあ
ることに気づく。そして、地域を誇れる人がいる場所は、他の人から見ても良く
見える。すると、その地域に、人が集まり、お金が落ちる。また、後継者や新規
就農者等の仲間も増え、農村が活性化してくる。農村は宝の山なのである。

 迫町は、宮城県の中でも開発が遅れている地域と思われる。それは、逆にいう
と、自然がいっぱい残っている地域でもある。特に、伊豆沼はラムサール条約の
指定も受け、風光明媚な地域である。この素晴らしい自然を背景に、農村にしか
できないことを行って農村の活性化を図っていきたいと、伊藤さんは言う。

 伊藤さんは「30にして立つ(起業)、40にして惑わず(安定)」ということわ
ざを実践していきたいと言う。

伊藤さんの考えるグリーンツーリズムによる農村の活性化は以下のとおりである。

1.都会の人を田舎へ連れてくる。

2.都会の人が、宿泊したり、買い物をして、田舎にお金を落としてくれる。
  また、地元の人が気づかないでいる、農業・農村の長所を発見してくれる。

3.農業・農村が素晴らしいものだと農民自身が気づく。

4.農民が、農業・農村に対して誇り(プライドを)持つ。

5.そんな人々をみて育つ子供は、親や農業・農村に対して誇りを持つ。

6.自然に後継者は増え、農業・農村に活力がでる。


(有)伊豆沼農産 伊藤さんを取り巻く人々

はさまポーク

 迫町には、農協のブランドとして「宮城野はさまポーク」と「はさま牛」のブ
ランドがある。

 宮城野はさまポークの生産者の集まりである宮城野はさまポーク銘柄推進協議
会は、現在、8戸の組合員からなっている。昭和56年に、はさまブランド豚研究
会としてグループが発足したのが始まりである。以前は、はさまポークという独
自のブランドを持っていたが、20年も過ぎると、系統造成を維持することが難し
くなった。そのため、平成7年に、宮城県の系統豚「ミヤギノ」を利用した銘柄
豚「宮城野豚(ミヤギノポーク)」の生産が開始されたことに伴い、「ミヤギノ」
を使って銘柄化を確立した。飼料は、はさまポーク基準により、低タンパクなも
のを使い天然有機成分を添加することで肉質の向上を図っている。伊藤さんが仕
入れる豚の生産者である佐々木さんはこの協議会の会長を務めている。

 協議会の皆さんは、毎月1回集まって勉強会を開いている。勉強会の内容は、
飼養管理、衛生問題とさまざまである。お客様が何を求めているかを考えながら、
豚肉を作っている。原価が高いからといって豚肉も高く売れるわけでもないので、
コスト削減にも取り組んでいる。
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【迫町の生産者の皆さん
前列左より但木さん(養豚)、佐々木さん(養豚)、伊藤さん
後列左より三塚慶文さん(肉牛繁殖)、佐竹さん(養豚)、三塚芳剛さん(肉牛肥育)】
はさま牛

 はさま牛は、農家数は65戸、飼養頭数は約2,200頭で、年間出荷頭数は約1,100
頭である。出荷月齢は、32カ月から34カ月齢。東京芝浦の東京食肉市場へ出荷し
ている。肥育素牛は、地元産が8割、その他は、主に岩手県産である。飼養管理
の特徴としては、乾草、稲わらの不断給与、肥育後期に大麦の給与を増やしてい
ることである。「さし」がももまで十分に入り、柔らかく、風味が高いことが特
徴である。はさま牛は、A4、B4規格以上の高級牛肉ということもあり、地元で
は販売されていない。また、はさま牛として食べさせるレストランも地元にはな
い。   

 このため、伊藤さんは、来年にオープンする予定の地域の農産物の販売所とレ
ストランで、はさまポーク、はさま牛を食材にした郷土料理を提供し、精肉も販
売していく計画を持っている。


狩野会長

 宮城県農業法人会会長 狩野  茂さんは、伊藤さんが養豚についていろいろと
学んだ恩師の1人である。狩野さんは、20年程前に、伊藤さん達養豚に携わる青
年を集め、簿記などの勉強会を開いた。農家にも経営感覚が必要だという先見性
があったのである。

 宮城県は、もとは子豚の生産地であり、茨城県や神奈川県へ出荷していた。狩
野さんは、まわりに先駆けて、肥育も手がけるようになった。その頃は、一貫経
営という言葉もなかった時代で、周囲の人はできるわけないという見方をしてい
たが狩野さんは成功させた。現在、母豚250頭で経営をしている。将来は、豚舎
をもう1棟建設し、母豚300頭まで増やしたいという意向があるが、今は豚価がど
うなるか読めないので様子を見ている。

 また、いち早く、国の環境対策事業を利用して、肉牛農家2戸、養豚農家3戸で
中田たい肥生産組合を作り、固液を分離したふん尿処理施設を建設した。3,000
頭分の処理能力がある。15kgの袋詰めで、1袋300円で販売している。米の生産農
家からの需要が多く、とても良い米ができると評判が良い。
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【狩野さん(左)と伊藤さん】


これから

 迫町の畜産が本格的に始まるきっかけは、昭和45年から始まった米の減反政策
にあった。平地で土壌が良いところでは野菜を作り始めたが、新田地区は丘陵地
帯であったため畜産等しかできず、牛や豚の飼養頭数を増やし、徐々に規模を拡
大していった。

 豚価が高騰し儲かった時期もあったが、牛肉、豚肉等の価格の低下が農家の経
営を圧迫している。

 今回、(有)伊豆沼農産を訪問し、生産者の皆様のお話を伺い、現場の厳しい
状況を改めて認識した。

 環境問題も大きくなってきている。狩野会長はたい肥生産組合を作り、いち早
く対応したが、他の地域でも養豚場近くの住民も敏感になってきている。養豚経
営を円滑に行うためには、周辺の住民の理解が必要である。

 また、しっかりとしたふん尿処理対策を行っていく必要がある。また、と畜場
の衛生管理の規制が厳しくなってきている。HACCPに対応した飼養管理も大きな
問題となっている。

 我が国の農業は、大きな変革期を迎えている。昨年12月に農政改革大綱が決定
され、食料・農業・農村基本法が本年7月に公布・施行された。また、WTOの交
渉も控えている。これまでの間の様々な議論は、農業政策に加え、食糧政策のあ
り方、農村政策のあり方を国民に問うものであった。

 しかし、 伊藤さんの経営の根幹にあるものは、食料生産である。伊藤さんの
ハム、ソーセージの原料となる豚は1年間で700頭程であり、量としては少ないも
のである。しかし、地域で生産された家畜を、丘陵地帯であったがゆえに始まっ
た畜産の生産物を原料とし、食べ物を作っていくことの意義は大きい。伊藤さん
は、単に輸入飼料で生産した豚肉を原料としたハム・ソーセージを販売している
のではないということよく考えてみたい。伊藤さんは、安全な食物の生産と供給、
食文化の提案、環境保持、自然循環システムの確立、都会に住む人への安らぎの
場の提供、農村の高齢者の生きがい対策等を含めた総合的な農村の活性化を目標
に、方法を模索しながら徐々に実行していく考えだ。

 このような、加工、販売、情報、サービスを含めた総合農村作りの取り組みは、
地域の人々との一体感がこれを可能としている。

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