◎今月の話題


畜産副産物業界の活性化と資源としての畜産副産物の有効利用

社団法人 日本畜産副産物協会 会長 野間 嘉愛






 平成11年6月28日、社団法人日本畜産副生物協会、社団法人全国原皮協会、日
本レンダリング工業組合連合会の3団体が統合して「社団法人日本畜産副産物協
会」を発足させた。これだけだと組織の名称が副生物協会から副産物協会へと1
文字置き換えられただけであり、しかも、世の中全体が、景気の大幅な落ち込み
のためなのか、あるいは国際化という大波に抗しきれないためなのか、その理由
はともあれ、企業合同や資本提携を進めることによって体力が減退した企業の活
性化を図り、産業界における生き残りのためのぎりぎりの選択をしている最中で
あって、我々3団体の統合も世の中の激動の一こまとしか受けとられない小さな
出来事に過ぎないのかも知れない。しかし、当事者である我々は、そんな理解は
してほしくないし、一見単純に見える今回の統合の内に秘められた真相と業界の
真意を正しく評価願いたいと思う。

 我々が生活を営むまわりには副産物と呼ばれるものが数多く存在し、その多く
が世の中が豊かで物があふれているせいもあって、産業廃棄物というレッテルを
貼られ、やっかいもの扱いされている現実をよく見聞する。

 豆腐を作る時に出てくるオカラ、澱粉を製造する工程から生ずる澱粉粕、酒や
ビールの副産物である酒粕、ビール粕、等々。我々が育ち盛りの今ほど豊かでな
かった戦中、戦後には、オカラや酒粕は、日常の食卓にはむしろ直接、間接にな
くてはならない食材であったし、澱粉粕なども家畜の飼料として有効利用されて
いたと思う。

 人口が増加して主産物である豆腐や酒やビール、澱粉などの需要が年とともに
増加傾向をたどったことに反比例して、おかずとしてのオカラや酒粕、澱粉粕の
需要は、より美味なるおかずが食卓をにぎわせたり、手間をかけずにしかも飼料
効率の良い配合飼料が供給されたり、といった需給両面の変化によって、オカラ
や酒粕、ビール粕、澱粉粕などが、そのものの品質や価値が何ら変わっていない
のに、邪魔もの扱いを受けるという数奇な運命をたどることとなった。

 我が社団法人日本畜産副産物協会が取り扱う畜産副産物とは、前述したオカラ
や酒粕、ビール粕、澱粉粕などと同じく食肉という主産物を生産する段階におい
て、副次的に産出される内臓類であり、骨であり、脂肪であり、原皮さらには羽
毛であり、血液である。

 これら畜産副産物の需給の変化をみると、昭和30年以降、食肉の急激な増加に
対し、それほど極端な遅れをとることなく、増加する需要に支えられて何とか需
給のバランスを保ってきたし、消費者からの認知度も高まって市場における市民
権を得つつあった。しかし、イギリスにおける狂牛病、腸管出血性大腸菌O157、
サルモネラ食中毒、さらにはベルギーにおけるダイオキシン事件等々、業界にと
ってはあまりにも影響力の大きい逆風が相次いで吹き荒れたことによる食用内臓
や化製々品からの消費者離れ、原皮について言えば世界的な皮革製品の需要減退
のあおりを受けた需給の不均衡等、畜産副産物業界全体が文字どおり危急存亡の
苦境にあえがざるを得ない結果となっている。

 「いくら立派な豪邸でもトイレのない生活は有り得ない。畜産業の健全な発展
のためには畜産副産物業は不可欠である。」、「畜産副産物業は、畜産業にとっ
ては静脈産業である。いくら動脈産業である食肉業界が健全にみえても静脈機能
が衰退すれば健康のバランスはやがて崩れる。」等、畜産副産物業界を応援して
いただく声も多い。畜産副産物が資源として価値の低い産物であるならば資源と
して活用することを断念し、コストをかけてでも産業廃棄物として処理する道を
選択することが環境保全上からも必要かも知れない。イギリスの30ヵ月を過ぎた
牛の末路のように(レンダリングのプラントで加熱処理し、生産した動物油脂を
燃料として、生産した動物たん白を焼却処分している。)。

 幸いにして日本は狂牛病の非汚染国であるし、サルモネラ菌や腸管出血性大腸
菌も加熱する等ガイドラインに沿った正確な処理さえ施せば、食用としても家畜
の飼料としても有用な原料として関係業界に供給できる資源である。しかも現在
のこれら畜産副産物の利用の状況をみると、まだまだ未開発の分野を限りなく残
し、かつ、益々国民生活に寄与することのできる可能性を含む有効な資源として、
その前途は洋々である。

 わが国畜産業のトイレとしてあるいは静脈産業としての社会的使命を全うする
ためには、今こそ畜産副産物を扱う関連3団体が大同団結し、お互いを補完し合
い、相携えて国際化に勝ち抜く体力を培うことが肝要である。

 行政、関連業界、学会等からのご理解とご支援を希う。

のま よしあい  昭和20年8月海軍兵学校卒業。サンベースフード株式会社、サンフィード工業 株式会社、有限会社野間商事、株式会社サンヴィゴー代表取締役。  昭和45年5月西日本化成会(現西日本化製油脂工業組合)を設立、会長に就任。 昭和63年11月日本レンダリング工業協同組合連合会設立、副理事長。平成6年同 理事長を経て、平成11年7月から現職。

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