◎専門調査レポート


人と生活優先の農業を目指して 

−卯原内酪農生産組合−

日本大学 商学部 教授 梅沢 昌太郎

 


卯原内酪農生産組合になぜ注目するか

 かねてより日本の農業が農業外の人々の参入に、障壁を高くしていることが気
になっていた。本誌でも、岡田牧場のケースでそのことに触れている(1998年11
月号)。

 岡田夫妻は2人とも酪農学園で酪農を勉強した。酪農に対する思いが強かった
にもかかわらず、農業外、それも北海道外の出身であったので、就農の場を探す
のに大変に苦労した。

 農地を貸す人を知っている人に会う「偶然」が無ければ、日本の酪農は貴重な
人材を失っていたかもしれない。

 確かに、農業外の人々に新規就農の場をあっせんする、全国農業会議所などの
努力もみられる。しかし、その努力は、まだ日本農業共通の意識とはなっていな
いと思う。

 村づくりの核として畜産団地を位置付けている新潟県黒川村(これも本誌で紹
介した。1995年10月号)の伊藤村長は、「農業の人々は自分たちの子供を都会に
出しているのに、都会の人々を受け入れようとしない」と批判している。そして、
今建設中の農業団地(フルーツ・パーク)に、都会の人々を積極的に受け入れる
方針を明確にしている。この発言は、今年(2000年)のものである。農業外の人
を拒否する論理を、農村の最高責任者が問題視しているのである。農業外の人々
の参入が広く認知されているとは言い難いと思う。

 そのような問題意識を持っているとき、卯原内酪農生産組合が農業外の人々を
系統的に教育し、自己の組織内に受け入れていると聞いた。卯原内酪農生産組合
は、北海道網走市にある農事組合法人である。

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 本誌のレポートとして取り上げる価値は十分にあると考え、現地に出かけた。

 実は、この生産組合は平成6年に日本農業賞大賞、農林水産祭天皇杯を受賞し
ている有名な事業組織なのである。

 このレポートでは農業賞からの資料では不十分な、事業経営と人づくりの哲学
を主として検討し、経営者の人間観と新規参入者の思考と行動に、焦点を当てて
論を進めたい。


日本農業賞大賞、天皇杯の受賞理由

 受賞から6年が経過している。しかし、経営の大要は現在でも変わらない。経
営の特徴は以下の3点であろう。

 第1は、畑作、酪農のどちらにも片寄らない複合経営であるということ。

 第2は、労力の確保とその配分が合理的なこと。

 第3は完全な企業的感覚を持って定款や諸規程を整備し、忠実にそれを履行し
ていること、である。

 その天皇杯受賞の講評から本レポートに関連する部分を抜粋してみよう。

 近年、後継者の確保、育成の困難なことが叫ばれて久しいが、この法人は早く
から「やる気」さえあれば土地や、経験を全く有しなくとも性別、年齢は問わず
広く門戸を解放してこれを受け入れ、生活環境を整備、諸経費を負担するほか、
手当を支給して研修し、見込みのある者について法人の構成員として加入させる
体制をとっている点である。

 この点、この法人については後継者確保の憂いが全くないことは他の酪農経営
ではみられないケースであり、一子相伝のわが国農業の継承方法に一石を投ずる
システムであると言えよう。(略)

 さらに昭和49年からの定年制についても、健康で日常の作業に支障は無くとも
60歳をもって経営から離脱させ、出資金は払い戻し、退職金を支払うことにして
いる点は他では見られないシステムであろう。


複合経営の先見性と合理的経営

 卯原内酪農生産組合の代表理事組合長は矢萩信一氏である。矢萩氏は4代目の
組合長である。創業者で初代組合長の子息である。

 酪農の名を冠しているが、畑作との複合経営であり、酪農部門との販売額はほ
ぼ拮抗している(表)。

表 卯原内酪農生産組合年次別売上高
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 畑作青果部門、てん菜、馬鈴薯そして麦類の生産が主力である。

 複合経営のメリットは、まず、酪農部門からのたい肥を有効に利用できること
である。ここの土地はやせているので、たい肥の持つ効果は大きい。

 また、麦桿(むぎわら)は敷き料として貴重な資源であり、たい肥となって畑
に還元されるのである。

 麦桿は、ロールベールにして約1,200個生産される。それが敷き料となり、年
間2,500トンのたい肥が生産される。そのたい肥は1,500トンが畑作に使われ、
1,000トンが草地に使われる。

 「酪農単一経営では、草地、飼料作物等で吸収しきれないたい肥を、畑地に還
元し、土壌条件の改善を図っているのである。土を粗末にして農民は生きてきた」
と、矢萩組合長は農業のあり方を反省する。

 北海道の酪農専業地域では、畑作農家へのたい肥販売には困難がつきまとう。
畑作専業農家との輸送距離が離れすぎているのである。しかし、この網走地区で
は複合経営が多いため、たい肥の有効利用は比較的積極的に進められているとい
えよう。
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【麦桿ロールベールの前で。
矢萩組合長(右)と筆者】
 たい肥の集積場所などについて、改善の余地があるということであるが、酪農
専業地帯での苦労を考えると、その問題解決は比較的に容易であろう。たい肥を
重要資源と位置付けた、この生産組合の長期戦略の意味は非常に大きい。


農業外の人を受け入れる

 この組合の構成員は、現在4戸7名である。発足時は5戸10名であったが、定年
による退職などで、構成員は変動している。創業のときのメンバーで残っている
のは、前組合長夫人と現組合長矢萩氏夫妻だけである。

 組合に参加する前にメンバーが所有していた農地は、組合が借りるかたちを取
っている。その後、定年を迎えた場合は、組合がその土地を購入するか、引き続
いて賃借する。現在では約121ヘクタールのうち、そのような賃借の土地が40ヘ
クタールあるという。メンバーが交代することによって、農地はだんだんと組合
の所有になっていくと思われる。

 この農事組合法人の特色は、農業外の人々に、農業者としての待遇を与え、農
業者として育て上げることを設立時から目的としていることである。

 研修生は、毎年、長期(1年以上)5名と短期(2ヵ月程度)数名を受け入れて
いる。

 今では、そのような農外の人々の受け入れは、酪農の世界ではそれほど珍しい
ことではない。酪農専門誌「デーリイ・ジャパン」などの誌面でも、新規参入者
や研修生の募集広告が掲載されている。

 この組合の研修生募集の広告を見てみると、

 ・給与 月10万円以上
 ・住宅完備、光熱費負担 
 ・一定の期間を経て構成員として参入することも可能

ということを明記している。

 矢萩氏によると、「北海道では、研修生の70%には月給が渡っていない。丁稚、
あるいは技術を学ばせるという発想で逆に、金が欲しいくらいという感覚である」
という。近代的な雇用関係のなかで後継者を育てるという発想の酪農経営者は、
少ないことを強調する。そのような環境下では、研修生の不安は、「自分の預金
が日々減っていくことであり、将来への身の振り方である」という。この組合で
は、月給は手取り10万円から12万円であり、少しずつ昇給する。ボーナスも「多
少」出るそうで、10万円から30万円ぐらいが、その額である。

 住宅については、以前は家族の一員として同居していた。しかし、研修生がい
ろいろ気を使うので、4年に約2,400万円かけて宿舎を建設した。1階は事務所と
集会所で、2階が宿泊施設になっており3人分の個室がある。
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【事務所と長期研修者のための宿泊施設】
 網走市が事務所と調理場に、補助金を幾ばくか支出してくれたが、ほとんどが
自費である。その後さらに、その建物の前に、3人が寝泊まりできる宿泊施設を
建設した。合計6名の長期滞在が可能となったが、長期の滞在者は、5名を限度と
し、余った1部屋は「どうしてもという人」のために、ストックとして取ってあ
る。それ以上の人数は、男性は矢萩氏宅に、女性は永瀬氏(後述)宅に泊めると
いう。


人間性を見る5年間

 法人の構成員となる可能性をうたっているが、誰でもがそれになれるわけでは
ない。長期の研修は、研修といっても雇用契約で1年ごとに更新される。雇用条
件としては、これは厳しい。しかし、小規模な事業組織では、大企業のような
「永久就職」的な雇用関係を維持することはできない。「ただの憧れでは務まら
ない」という矢萩氏の言葉は重い。

 5年間の研修を終えて、はじめて構成員として参入する資格を得るのである。 
「5年間人間性をみる。将来酪農生産法人を背負える人かどうか」を見極めてい
るのである。研修生から構成員になったのは、後述する白石康仁氏だけである。

 いろいろな新聞で見たり、ハローワークや大学関係の人から聞いたりというよ
うに多様なルートを通じて、応募者は情報を得てくる。

 しかし、20名以上の候補者から研修者は選ばれるという。研修生といっても、
厳しい選抜を経なければならない。

 「みんなわが息子、娘と思っている」というが、面接では親子一緒に来てもら
う。酪農の厳しさと、ここで働く覚悟を確認するためである。

 高校を中退した人が、現在2名研修している。学歴は問わないのが、この法人
の主義である。

 今まで100人以上の長期研修生を受け入れたが、途中で挫折した人は1人だけだ
という。「皆それ相当の根性を持ってくる。そして人間が大きくなる」と、矢萩
氏は述べる。

 実は、組合長の矢萩氏も高校を中退している。しかし、「現場のことは先生に
負けない」という自負心は強く持っている。そして研修生が「いつ私に集中して
くるかを、見ながら講義した方が効果がある」と、その育て方を語る。

 確かに、私も大学の教師として、矢萩氏の言う通りだと思う。現在の大学では、
教師も学生も惰性に流されていて、方向を見失っている。矢萩氏流教育方式は、
私も見習うべき点が多くある。

 しかし、矢萩氏の今の若者に対する評価は、非常に厳しい。「新規就農は難し
い。今の子供は勇気が無い。度胸が無い」と嘆く。「マニュアル化されていて、
自分で決断することができない。お金を借りたらどうなるのか、返してくれない
とどうなるのか。そのことを筋道を立てて考える訓練がされていない」と画一化
された若者像を嘆く。それではこの事業組織の担い手として無理であるというこ
とになる。また、他所での新規就農も困難になってしまう。

 このような若者を相手にして、「お金が無くても学歴が無くても、何とかなる
という自信をつけてもらう」というのが、矢萩氏の「教育方針」なのである。

 「経営者としての修行、つまり、プランづくりと、プラン通りにならない時は
どうするかを、学んでもらう。挫折せずに何とか食べていける方法を教えてきた」
とその研修方針を語る。

 この方針は、矢萩氏自らの体験と、この事業法人が歩んできた道、という2つ
の実証によって裏打ちされている。


苦労から会得した研修の方法

 この農事組合法人の前身は、昭和39年に共同経営組織の方式で設立された。現
組合長の父矢萩好信氏をリーダーとする5戸の農家が、協業経営という形式で、
生産組織を作ったのである。能取(のとろ)湖の星になるという思いから、湖星
(こせい)農場と名付けられた。

 「なぜ農民が労働の枠に虐げられるのか」という疑問、「会社勤め並みの給与
が欲しい」という希望が、弱い者が協同する協同経営の発想へとつながったと、
現組合長の矢萩氏は語る。

 しかし、協同といっても、「ただの持ち寄り」にすぎなく「給与など考えても
ない」状況であった。

 当時、日本は上り坂の過程にあり、所得倍増計画が華々しく打ち上げられた。
世の中の動きに農業者たちも刺激されて、経営の合理化と農業の大型機械化を基
本とする、大型農業経営を目指したのである。

 その後、有限会社になった。しかし、農業協同組合法で規定されている農事組
合法人の方が都合がよいという農協の助言で、現在のような法人となった。41年
のことである。

 しかし、この頃が最も「辛い時」であったという。規模拡大のための土地購入
や施設投資のために借金が増え、農協から見放されるところまでいってしまった。
2年間の取引停止に追い込まれ、仕方なく商社から金を借りたという。

 現金収入を得るために、「5人の若者は土木工事に出かけ、農場は女性と年寄
りのみ」という状況が続いた。「はい上がってきた」のである。

 43年頃より「時代が上向きになってきて」給料制と週休制を導入した。もっと
も、その当時月給などという観念は矢萩氏には無く、もらえればよいという考え
だったそうだ。

 現組合長の矢萩氏は、この法人発足当時は東京の浅草で仕事をしていた。父は
「好きなら継げ」と、農業者になることを強要はしなかったという。東京時代の
話を矢萩氏はしないが、前述のように氏自身も高校中退である。しかし、「頭の
良い人、金を持っている人が、どんな行動をとるのか見てきた。(知的、技術的
側面は)図書館に行って勉強すればなんとかなる」という信条を持つに至ってい
る。

 この農場の新規参入者受け入れの哲学の形成は、農場の苦難と矢萩氏のキャリ
アと無関係ではないであろう。

 解決策を与え、その後にいろいろな話をする。頭ごなしの強制的な教え方では、
反発されてしまうことが分かっているのである。そのことは、自分の経験から会
得したものかもしれない。

 この農場は、弱者の辛さを身をもって体験した信条から、「厳しさと優しさ」
の両方を研修のプログラムに取り込んでいると言えるだろう。
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【矢萩組合長は力強く語る。】

5年間の研修を終えて

 京都大学を卒業して、5年間の研修を終えた人がいる。当然、構成員になる資
格はある(構成員になるには、5年の研修の後、男性で110万円、妻帯者で175万
円の出資が必要)。しかし、この人は、構成員になるよりも、新規就農を希望し
た。組合の農場エリアのなかで、就農したという。

 畜産を行うには1億円からの資金が必要となる。北海道の研修資金320万円、新
規就農資金300万円を借りても追いつかない金額である。その人は有機農業を始
めることにした。とりあえず2ヘクタールの農地を取得し、豚5頭といろいろな野
菜を栽培している。しかし、有機農業の経営は難しいので、組合が搾乳などの仕
事で、月10万円の給料を出している。「労働の場を与える。1日2千円あれば食え
る」と、矢萩氏は語る。

 矢萩氏は新しい試みに対して「駄目だ」とも、また、「だから言ったではない
か」とも、絶対に言わないという。ともかくも、まいたものを1つ1つ収穫するこ
とが大事だと、その試みを見つめている。

 研修生からこの組合の構成員になったのは、白石康仁氏だけである。56年のこ
とである。白石氏は52年にこの地で結婚した。東京都出身で、神奈川の工業高等
専門学校を中退した。学生運動に挫折し、給料の額で仕事を選ぶ先輩たちに失望
し、「自分の食い物を自分で作れるようにしたい、という感じになった」という。
農業への関心を高め、5年生になるときに中退した。

 また、子供のことを考えると、親の生き様を見せることが大事と考えている。
そのことはサラリーマンでは無理だと思い、家庭のためにも農業を選んだ。

 「本州の農業は閉鎖的」であると、北海道の酪農を志した。「行けばなんとか
なる」ということで、気軽に出かけたが、非常に苦労したという。紆余曲折を経
て、この農場に研修生として定着した。

 今の農業は非常に高度化されていて、経済、気象、生き物、畑など、あらゆる
面での知識を求められる。それらへの対応は個人では無理だと、白石氏は語る。

 法人化は企業経営に近づける方法である。しかし、農業は本来は違うのではな
いかとも白石氏は言う。「金勘定だけでは絶対に終わらせたくない。そう思いた
い」と、営利企業との違いを意識する。若い頃の農業へのロマンは、依然として
健在ということであろう。

 「ともかく日中1〜2時間は家のことを考える時間を絶対に持つ。単に繰り返し
ていても何とかなってしまい、発想が湧いてこない」と白石氏は語る。

 白石氏は現在の日本の酪農家の仕事ぶりについては、かなり批判的である。
「今のうしやさんはエサの順番を変えることすらできない。時間の有効な使い方
を知らない。うしやはより遅くても、仕方がないと思っている」と、鋭い批判の
眼を注いでいる。

 子供から見たら、「生活も仕事もごちゃまぜと、批判される」という。企業の
感覚を持って、仕事と生活を切り離すべきと主張する。

 「朝早いと1日を長く使える。そして夕方6時には必ず終わる。子供たちと一緒
にいられる時間を重視する。朝7時前に上がり子供たちと朝食、夕方6時には終わ
って一緒に夕食を取る」という。都会の人間には想像もできない、家庭中心の
「豊かな」生活を送っている。

 時間を節約するために、「牛舎はできるだけ仕事をしないように仕組む」とい
う。例えば、ほうきは終わったところに置いておく。そうすれば何分かの時間が
浮くという。

 白石氏は学生時代にアルバイトで、「時間研究」をした。これはIE(インダ
ストリアル・エンジニアリング)の基本的なテーマである。時間研究は生産シス
テムの設計には、不可欠なプロセスである。

 「農村の特色はただダラダラやっているだけ」と手厳しい。牛舎の労働対価は
1時間1万円とみる。時間増加に対してそれが価値を生み出したかを考える。仕事
を無くする方が合理的であり、余った時間は畑に振り向ける。現代の工業社会に
絶望しながらも、極めて合理的な工業的発想で、仕事に取り組んでいることが分
かる。

 この農場のコンピューター・システムの確立は白石氏の力が大きいという。工
業のセンスがここでも、生かされている。 

 白石氏という農業外からの参入者を構成員に迎えることによって、この組合は
独自の事業哲学と合理的思考を経営に導入したと言えるだろう。
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【フリーストール・パーラーで
白石氏(左)から説明を受ける】

グリーンヒル905

 永瀬富雄氏は、平成元年にこの組合に加入した。個人で営農していたが、応分
の出資をして、構成員となった。この永瀬氏が営業部長を勤めていて、事業に深
く関わっているのが、有限会社グリーンヒル905である。

 この企業は網走湖畔の小高い丘の上に、農産物の直売場を経営している。資本
金は1,000万円であり、出資者はこの地域の農業者25名である。永瀬氏の出資額
は多いという。
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【グリーンヒル905】
 アイスクリームと豆腐そして野菜の直売が、事業の柱となっている。昨年度は
7,000万円の売り上げを記録した。しかし、1億円を確保しないと、採算のライン
に乗らないという。

 アイスクリームの原料となる牛乳は、卯原内酪農生産組合から供給される。豆
腐は白、黒そして青の3色の製品を生産している。生産組合で収穫された、種類
の違う大豆を原料として使用している。野菜は出資者の畑で穫れたものが、各自
の責任で陳列されている。アイスクリームと豆腐は大変に評判がよく、北見の東
急グループとダイエーに納入されている。

 卯原内酪農生産組合は、生産に専念するということで、この企業とは原料供給
だけで、直接の関係はない。しかし、構成員の永瀬氏は、グリーンヒルの加工部
門を充実させることに熱心である。このように画一的でない構成員が卯原内酪農
生産組合を支えているのである。

 この直売所は国立公園のなかにあり、網走湖の眺望は見事である。それは重要
な経営資産と言える。その光景を生かしたフードサービスの事業を展開すること
も可能であろう。

 生産(酪農と畑作)と加工そしてサービスをどう融合するのか、地域としての
課題となろう。


人と生活優先の北海道農業を目指して

 この法人の生産システムの優れていることは、日本農業賞の受賞理由で明らか
であるが、私はあえて次の点を強調したい。それは研修生を労働力として活用し
ながら、コストダウンを図り、かつ、後継者を育成していくシステムがバランス
良く形成されていることである。

 重要なことは、研修生という「アマチュア」を使って、乳量のアップを図るこ
とだと矢萩組合長は言う。フリーストールで1頭10,000キログラムの乳量をあげ
るには、研修生に任せながら牛の状況を見ることが経営者に要求される。例えば、
乳房炎になった時の対応など、人と牛との関係に配慮して、研修生のレベルであ
る程度のことは行えるという高度な酪農経営が必要になってくる。

 乳量の多過ぎる牛(能力のある牛)は淘汰の対象になる。ト−タルで考えるの
であって、1頭1頭の牛の管理に振り回されたくないと矢萩氏は言う。「健康で、
ある程度乳の出る牛に集約される」ことが必要だと力説する。「今日からの研修
生でも扱える、4本の乳頭が同じに搾り終わるような」酪農経営が必要であると
言う。

 この法人の特色は弱者に対する思いやりであろう。しかし、そのことを強く意
識しながら、合理的な酪農経営を目指す経営姿勢に注目する必要がある。収益を
重視しながらも、「お金が全てではない」という、初代組合長でもあった父の信
条がこの法人に今でも受け継がれているのである。

 人と生活優先は、現在の日本の社会が真に追求すべき生活の哲学である。卯原
内酪農生産組合の事業哲学とその実践は、実は、日本的な広がりの中で位置付け
られる必要があると思う。

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