◎調査・報告


わが国における放牧の推進について

社団法人 日本草地畜産種子協会 常務理事 安武 正秀




はじめに

 農林水産省は平成12年3月に「食料・農業・農村基本計画」でうたわれた食
料自給率の向上を図るため、「飼料増産推進計画」を策定した。この計画では自
給飼料の増産を官民一体となって推進することとされており、具体的に9つの課
題を掲げてその実行を図ることとされている。そしてこの課題の1つに地域の土
地、自然条件に適応した日本型放牧の推進を図ることが明示されている。

 放牧のメリットは大きく分けて2つある。1つは牛が自ら足を運んで自らの力
でえさを食することにより省力化が図られることであり、2つ目は土、草、牛の
自然の循環サイクルを最大限生かせる地球環境にやさしい農法だということであ
る。

 これまで放牧の重要性は指摘されながら、必ずしも順調に普及しているわけで
はない。しかし、幸いなことに、最近、省力化、地球環境問題などから山地畜産
の推進など各地で放牧の見直しの機運が高まっている。

 そこで、以下、当協会が放牧推進について行っている活動や各種事業で得られ
た全国各地の放牧事例などを紹介することとした。


第一回放牧サミットの開催

 当協会は13年10月30〜31日岩手県盛岡市葛巻町において第1回放牧サミットを
開催した。サミットは全国から放牧推進に関係のある行政、試験研究者、放牧を
実践している畜産農家など180人もの参加を得て盛大に行われた。参加者の関心
が高かったのは30日午前の基調講演に続いて午後に第1分科会で講演した放牧実
践農家の話であった。以下、3人の放牧実践農家の講演の概要を紹介する。


「放牧酪農について」

 講   演   者:三友盛行氏(北海道中標津町)
 飼養頭数:経産牛40頭、育成牛20頭
 経営面積:草地面積50ヘクタール
 出荷乳量:200〜240トン/年
 個体乳量:5,000〜6,000キログラム/年
【土・草・牛の循環型草地
(三友牧場)】
講演要旨

 昭和20年東京生まれの氏は昭和43年現在地に入植、昭和50年代前半の酪農危機
に多額の負債を負った中で、多くの人が飼養規模の拡大をしたが、氏は現状の規
模を維持しつつ、牧場内容を再検討した。その考えは自然風土を乗り越えるので
なく風土に生かされるという経営、つまり、農場の主人公は土、草、牛であり、
その循環がスムーズに回転するように手助けするのが農民の役割だとの哲学を実
践した。氏が営農をする根室原野は広大な面積に恵まれた地域でその風土を生か
すとすればその必然の結果が放牧であった。風土に生かされた経営を行うことに
より良質安全な畜産物を供給することが可能となった。放牧酪農は経済のパイは
小さいが経費、労力が軽減され、結果として牛も人も健康で経営も健全となった。
必ずしも高所得でなくても放牧経営の実践で楽しく、心豊かに暮らしている。


「牧場づくりの夢に賭けて」

 講   演   者:出田基子氏(北海道清水町)
 飼養頭数:経産牛66頭、総飼養頭数135頭
 経営面積:60ヘクタール(放牧専用地20ヘクタール、採草地等40ヘクタール)
 出荷乳量:530〜570トン/年
 個体乳量:7,700〜8,200キログラム/年
【雪の中にくつろぐ放牧牛
(出田牧場)】
講演要旨

 昭和52年、氏はご主人と自己資金なしで土地は岩だらけの離農跡地に入植し
た。無畜舎で土地に根ざした経営を進め、生産調整の酪農危機を乗り越えた。こ
この特徴は中古畜舎に設置したパーラー以外は無畜舎で厳寒の零下30度でも牛た
ちは良質のグラスサイレージを飽食し野外で過ごす。生後5カ月から昼夜放牧し
て寒さに慣らす。牛をいつも新しい雪の上に寝ることができるようにするためと
ふん尿を放牧地に分散させるために雪の時期でも牛を牧区ローテーションさせる。
雪は空気を含み0℃に保つ働きがある。牛に牛舎は要らない。牛舎は牛のためで
なく人間のために必要なのだと牛に教えられた。無畜舎で当初困ったことは乳頭
が凍傷になったことだ。その後、選抜されて凍傷に強い牛が残ったこと、初妊牛
は凍傷に弱いことから初産の分娩は5月以降にしていること、搾乳の後乳房に軟
膏を塗るようにしていることなどから現在は凍傷による事故はない。

 放牧地の管理で重要なことは牧草を短草で管理し、高たんぱく栄養の草を牛に
与えることである。スプリングフラッシュ時には余剰草を採草、貯蔵し、牛を自
然に近い状態で飼うことである。自然に順応しその能力を十分に発揮させるため
に季節分娩も実行している。個体乳量は改良の進展と大豆圧ぺんなどの濃厚飼料
の多給により、一時9,000キロを超すまでになったがその後濃厚飼料多給方式を
反省し、最近では草(短草利用)とかす類(ビートパルプ、でんぷんかす)の給
与により、可能な限り濃厚飼料に頼らない飼養方式を採用し、8,000キロ前後で
推移している。その結果、購入飼料費が乳代20%以下に抑えられて所得の向上が
図られている。最後に、放牧酪農の実行により生活にもゆとりが生まれ、現在で
は家の中に卓球台を設置し、冬でも卓球で楽しむなど家族で生活をエンジョイし
ていることを披露されて講演を笑顔で締めくくられたのが印象に残った。


「山地酪農への道」

 講   演   者:吉塚公雄(岩手県田野畑村)
 飼養頭数:経産牛10頭、育成牛7頭
 経営面積:22ヘクタール(内放牧地14ヘクタール)
 個体乳量:5,000キログラム程度/年
【牛が作った野シバ草地
(志ろがねの牧(吉塚牧場))】
講演要旨

 昭和26年千葉県生まれの氏は大学で楢原博士の唱える山地酪農の理論にひかれ、
その実践を夢見て岩手県田野畑村に52年に元手資金なしに入植した。雑木林の10
ヘクタールに牛を放牧しながら手作業で野シバの草地に変えていった。血のにじ
む長年の努力により当時の雑木林は今ではすばらしい野シバ草地(志ろがねの牧)
となり自然の恵みを生み出す宝の山となっている。楢原博士執筆の「山地酪農三
章」に「牧山に乳牛を放牧し、乳牛に草を処理させ、乳牛・牛体を生産する。」
とあり、それを実践することにより、大地に根ざした真の農業を営むことができ
ている。しかし、零細がゆえに所得確保がままならない時期、途中でギブアップ
も考えたが、マスコミや消費者の支援、協力もあって平成7年に山地酪農実践者
の熊谷先輩との2人だけのプライベートブランド「田野畑山地酪農牛乳」の営業
を開始した。この「田野畑山地酪農牛乳」についてはその生産活動に深い理解を
示された一流デザイナーの山崎文子さんのデザインでパックを作成することがで
きた。また、直接販売などにより消費者とのつながりもでき、大地に根ざした農
業への理解も深まっている。現在、田野畑山地酪農牛乳についての生産者規程
(放牧地面積1ヘクタール当たり、成牛換算2頭まで、など)を定めて生産につ
いての自己規制をして消費者の理解を深めている。氏は「自分が一節のシバとな
り、家族が大地に根付くことにより、大地も草も牛も家族も社会も、みんなに健
康的な笑顔が生まれてほしい」と締めくくった。


持続型草地畜産展示牧場の指定等について

 当協会は農畜産業振興事業団の助成を受けて「持続型草地畜産」推進の事業を
平成13年度から開始した。「持続型草地畜産」とは従来から推進していた山地畜
産(傾斜地などの山地において野シバなどでの家畜の放牧により自然循環型で行
う畜産)から対象地を山地に限定せず寒地などの条件不利地域などにまで拡大し
て家畜を自然循環型の放牧を主体にして行う畜産と定義される。

 この事業の内容は

@ 持続型草地畜産の技術取得のための研修に対する支援(研修生に対する技術
 取得資金の交付など)

A 放牧集団などが行う持続型草地畜産を行うための生産条件の整備や土地集積
 (地代など)に対する助成

B 地域において持続型草地畜産を振興しようとする場合のプログラム作成につ
 いての支援

C 各地ですでに持続型草地畜産を実践している牧場を広く一般に普及させるた
 めの展示牧場の指定

などとなっている。

 そして、当協会は上記@により下記の研修牧場を指定し、持続型草地畜産の技
術研修を開始した。

日本草地畜産種子協会指定研修牧場


 また、上記Cにより全国に25の持続型草地畜産展示牧場を指定した。

 展示牧場は全国各地に点在しており、地域においてこれから放牧を推進してい
きたいとする関係者にはその現場を見聞することにより何らかの参考になると思
って次頁以降にその一覧を示した。

 以上見てきたように、わが国における放牧についてはこれまでの行き過ぎた施
設型畜産の見直し、地球環境にやさしい自然循環型畜産の再構築気運の高まりに
よってスポットライトを浴びつつあり、また、それに対する支援策もかなり充実
してきた。今やわが国の畜産は13年秋のBSE発生の確認により未曾有の危機にひ
んしているが、このような時期にこそ畜産の原点である土、草、牛という自然の
循環サイクルを最大限生かした放牧を見直し、わが国畜産に定着させることが重
要であり、そのことがわが国における畜産再生の1つの近道であると確信してい
る。この稿が放牧の一層の推進のきっかけになることを期待したい。

平成13年度持続型草地畜産展示牧場一覧







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