◎調査・報告


血液型検査からDNA型検査へ 

―牛の個体識別・親子判定技術の進展―

社団法人家畜改良事業団 家畜改良技術研究所 遺伝検査部長 印牧 美佐生(かねまき)




はじめに

 ある個体を他の個体と区別して認識し管理する個体識別(ID:identificat
ion)は、畜産の最も基本的な技術である。個体識別の重要性は、これがあいま
いになり混乱した状況を想像すれば、容易に認識することができる。牛や馬のよ
うな1個体の価値が大きい家畜ではそれぞれの個体の識別が特に重要であるが、
養鶏や養豚などでは、IDは必ずしも個体レベルだけのものではなく、集団(品
種、系統、家系など)でも行われる。交配、妊娠、分娩などの繁殖におけるさま
ざまな状況の把握、成長、飼料給与、衛生管理、そして家畜の販売など、畜産経
営のあらゆる場面で個体の管理がキーになって経営が進められている。さらに、
今や国内だけでなく国際的な売買・貿易の対象となっている牛の凍結精液の取引
では、精液を採取した種雄牛の個体の証明が必要である。

 一歩進めて、家畜の改良のためには、親の世代と子の世代を比較して、その差
を計測して評価するが、この場合には、個体の識別だけでなく、親子関係の確認
(識別)が重要である。


さまざまな個体識別法

 通常、人々は家畜の個体をその体型や顔つき、または外見上の特徴で区別して
いる。しかし、これらは客観的に表示することができず、それらを用いて動物を
正確に管理することが困難である。そこで、多くの場合、個体の特徴を客観的に
表す手段として、登録証明書に記載される斑紋(ホルスタイン種など)や鼻紋
(肉用牛)などの、個体に特徴的な外貌形質が用いられる。外貌形質としては、
これらの他、旋毛(つむじ)、毛色、角の有無のような自然の標識も用いられる。
しかし、これらの外貌的な個体識別のための形質の多くは、利用が簡便であると
いう長所とともに、遺伝様式が不明なため遺伝関係を調査する標識としては適切
でなかったり、同一品種内の個体変異がほとんどないため、個体識別に利用でき
ないという問題がある。

 一方、人為的な個体識別法として、耳刻、入れ墨、焼き印、色素や凍傷による
マーキングのような動物個体に直接標識する方法も用いられている。その他、耳
標、翼帯、さらにはトランスポンダーやICチップなどの個体識別器具が考案さ
れ利用されている。これらは、人が計画的に考案した個体識別の方式を用いるた
め、そのシステムによっては世界中の全個体が識別できるような特有の番号をも
たせることさえ可能である。その反面、これらの個体識別は、動物の体から外れ
た場合には役に立たなくなり、またその標識だけでは親子関係などの血縁関係を
調査することができない。

 これに対し、血液型やDNA型などの生化学的あるいは分子生物学的な特徴が、
遺伝的な個体識別のための標識として利用されている。これらは個体特有の形質
であり、体から離れることがなく、さらにそれらの遺伝様式が明確であること、
型の分類が客観的かつ詳細にできるなどの特徴をもっているため、家畜の個体識
別と親子関係の証明の手段として広く利用されている。しかし、これには特別の
検査技術や検査体制が必要であるため、一定の経費を要し、これを適切に利用す
るためには独自の研究に裏打ちされた検査、そして利用のための体制が整備され
る必要がある。


個体識別や親子判定は複数のマーカーを組み合わせて行う

 個体を区別する道具として、さまざまな標識を用いるが、それらのうち遺伝学
的な標識は、遺伝的マーカー、あるいは遺伝子マーカーと呼ばれる。もちろんこ
れらの標識は、個体を区別できるいくつかの異なる型をもつ必要がある。このよ
うに、個体によって異なる型を持つような形質を、多型形質という。

 一般には、それぞれの個体に特有な標識があるように考えられているようだ。

 すなわち、「紋次郎」という名前の種雄牛には紋次郎独自の血液型があり、こ
れによって他と区別でき、あるいは父牛判定ができると考える人がいたりする。
しかし、人為的な個体識別システムとは異なり、遺伝的標識ではそのようなもの
はあり得ない。その理由の1つは、ある個体のもっている遺伝子とこれによって
決定される遺伝形質は、すべてがその両親に由来するからである。子どもは親の
もっていない独自の遺伝形質をもつことはないことから、子どもに特有な遺伝子
の存在などは考えられない。もう1つの理由は、1つの形質だけで全個体(例え
ばわが国のすべての牛)を区別できるような遺伝形質はないからである。

 そのため、実際の個体識別や親子判定の検査では、いくつかの多型を示す形質、
すなわちさまざまなマーカーを組み合わせることによってすべての個体の区別が
でき、親子判定を行っている。このことは、逆から考えてみると、検査項目が少
なければ個体識別は十分に行えず、検査成績(マーカーの型)が同一であるため
複数の動物が区別できないという状況が出てしまうことを意味している。従って、
不十分な検査項目しか提供できない場合には、「同一の型をもっているので同じ
個体だ」、あるいは「血液型に矛盾がないので親子関係が正しい」との結論が出
されても、その検査成績は信用できない。

 個体識別の実際を、牛の血液型を例にとって表1に示す。これは、従来当事業
団の実施していた血液型検査項目の有効性を、「型の組み合わせの数」という指
標で示したものである。赤血球抗原型と血液たんぱく型の検査のうち最も検査精
度が高いのはBシステムである。このほか、C、F、S、そしてTfの各システムが比
較的個体識別に有効で、他の項目は有効性が低い。しかし、これらを組み合わせ
た場合には、数10兆もの型の組み合わせがあり得ることになり、世界中の牛の区
別ができるという計算になる。実際には、すべての型が均等に発現するのではな
いため、この数字は単なる計算上のものであるが、1つ1つの形質では個体識別
への有効性が低くても、それを多数組み合わせれば、十分な有効性が得られると
いうことを示している。ちょうど人為的な個体識別システムで、ケタ数を1つず
つ増やすように、新たなシステムを加えることで全体として個体識別の有効性が
高まってくる。

表1 牛の血液型による個体識別(計算上の組み合わせの数)



親子判定とその原理

 上で述べた個体識別が単に任意の個体を他の個体と区別し識別するのに対し、
親子判定はある個体の遺伝的な由来、すなわち両親との遺伝学的な関係を明らか
にしてその個体識別を行うという点で、より複雑な方法となっている。

 血液型検査による親子判定の原理は、以下の2つである。@子の血液型は、両
親の各システムの血液型遺伝子を各1つ(1コピー)ずつ遺伝されて決定される。
Aこの法則に反する型をもつ場合には、その親子関係を否定する。この第2番目
の法則を「否定の原理」と呼んでいる。すなわち、否定される証拠があった場合
には否定する(できる)が、否定されない場合でも肯定はしない(できない)、
というのが親子判定の法則である。このような考え方は、血液型検査を行う上で
発展した理論であるが、以下に述べるDNA型であっても、今後いかなる遺伝形質
の検査が可能となっても、「否定の原理」から逃れることはできない。それは、
遺伝形質を用いた親子判定に不可避的な原理・原則だからである。

 それでは、血液型検査などの遺伝マーカーを用いた検査が親子判定に実際的に
使えるのは、なぜだろうか。それは、上で述べたのと同じように、できるだけ多
型性の高いマーカーを、多くの項目について検査することで、正しくない親子関
係をほとんど完全に見出せるようにしているからである。理解を容易にするため、
人のABO式血液型の検査による父親判定の例を表2に示した。ここでは、A型は遺
伝子型としてA/AとA/O、B型はB/BとB/Oのそれぞれ2型を想定している。また、
母子関係は正しいことを前提としている。

表2 人の血液型による親子判定(例)

(簡単な検査では間違った親子関係を見出せないことを示す)

 ここで、A型あるいはAB型の母とA型の子の組み合わせの場合、すべての(型の)
父は否定されない。すなわち、この血液型だけで判定した場合には、すべての男
がこの子どもの父親として名乗りでても否定できなくなってしまう。このことか
ら考えても、ABO式血液型だけでは不正な父親を否定できる可能性(父権否定の
確率という)が低く、正確な親子判定を行おうとすれば、より多くの検査項目を
必要とすることを示している。従って、人でも牛でも親子判定を行う場合には、
多くの種類のマーカーを検査して、全項目で完全に矛盾がなければ親子関係が正
しいとみなしうるような検査体制を整備する必要がある。そのため、当事業団が
行っている血液型検査で「上記の親子関係に矛盾は認められなかった」と記載さ
れている場合、「親子関係が正しい」と考えても差し支えないような検査体制を
整備している。


牛の血液型検査の実際

 それでは、牛の血液型検査は実際にはどのように行っているのだろうか。血液
型検査を実施する場合に不可欠なものは、抗血清である。当事業団で日常の検査
は、表3に示す62種類の抗血清を用いている。これらの抗血清は、ある牛の赤血
球を他の牛に連続して免疫し(普通は皮下または筋肉内注射)、免疫された牛か
ら得た多価抗血清(何種類もの同種赤血球抗原に対する抗体を含む血清)から、
単一の血液型とのみ反応する抗体を分離したものである。検査への利用に先立ち、
これらの抗血清は2年に1回実施される牛血液型検査に関する国際比較試験でそ
の反応性を外国のものとの比較でチェックしている。わが国の抗血清のレベルは、
世界的に見ても高い水準にあることが過去の比較試験で繰り返し確認されている。

表3 当団が用いている牛の国際標準抗血清


 検査のため送付された血液は、検査番号が付され、赤血球浮遊液とされ(写真
1)、マイクロプレート上で抗血清に混合され、さらに補体が加えられ、その反
応が検査される。この反応は溶血反応(写真2)で、各個体の赤血球と表3に示
したすべての抗血清との反応が検査され、各個体の血液型が決定される。この過
程はほとんど自動化され、また反応の読み取りや親子関係の調査も自動的に行う
ようシステム化されている(写真3)。
【写真1 送付された
血液サンプルの処理】

    
【写真2 赤血球抗原型検査
(溶血反応)】

    
【写真3 画像解析装置による
溶血反応読み取り】
 実際の血液型検査では、検査牛の血液型が決定され、次いでこれが書類上の父
母牛の血液型とともに判定用紙(あるいは画面)に表示され、親子関係が調査さ
れる。上に示した条件に合致すれば、その親子関係は矛盾なし、そして不一致で
あれば矛盾と判定される。2頭以上の父牛が関与する父牛判定では、矛盾がなか
った父牛を真の父とみなす(表4)。

表4 赤血球抗原型検査による親子判定例(黒毛和種)

 *:A、B、Cの各システムで、父2の父権は否定された。
   父1は全てのシステムで矛盾がなかった。
   実際の親子判定では、関係牛のDNA型も検査され、
   それらを総合して真の父牛の認定が行われる。

 なお、過去30年以上にわたり、赤血球抗原型とともに親子判定のために利用さ
れてきた血液たんぱく型の検査は、DNA型検査の利用によってその役割を終えた。

 赤血球抗原型検査による、親子判定の例を表4に示した。ここで、AからR'ま
での9つは血液型システムであり、それぞれを支配する遺伝子は染色体の異なる
位置にあり、システム内の“/”の左右の型は、親から子へと1単位として遺伝
する対立遺伝子を意味している。

 血液型検査は1940年代にその技術が開発され、歴史が古く現在もなお有効な技
術で、世界的にも広く行きわたっている方法である。そのため、国際標準の個体
の証明、あるいは親子判定のための技術として現在もなお利用されている。しか
し、近年発展してきたDNA型検査は、以下に述べるようなさまざまな利点をもつ
ため、これからはDNA型検査を加味した検査技術へ、そして将来的にはDNA型によ
る個体識別、親子判定へと年々検査技術が進化している。


DNA型検査

 1980年代後半に、動物遺伝の分野に遺伝子解析技術が応用され始め、ゲノム解
析といわれる研究分野が大きく発展した。その中で、牛の個体識別、親子判定に
もDNA型検査技術が導入されている。

 現在用いられているDNA型は、2塩基の繰り返し配列をもつマイクロサテライ
トとよばれるDNAマーカーである(写真4、5)。これらは牛の染色体に数多く
分布し、2002年1月6日現在、3,881種類ものマイクロサテライトが国際データ
ベース(BovMap)に登録されている。これらのうち、個体識別や親子判定に都合
の良い条件をもつもの、すなわち検査が容易で、多型性があり、染色体上の位置
が明らか、かつ、その型の利用が特許で制約されていない、などの条件を満たす
ものから、世界の検査機関が国際標準マーカーとして選定し、これを国際的な証
明手段として利用するための準備が進められている(表5)。当事業団も、この
国際機関(ISAG:International Society forAnimal Genetics)に加盟し、
検査の国際標準化のための協定試験、共同研究に参加している。
【写真4 PCR装置による
特異的DNA配列の増幅】

    
【写真5 DNAシークェンサーによる
マイクロサテライトDNA型の検査】
表5 検査項目拡充の過程


 DNA型検査には、次のような利点があり、今まで不可能であったこと、あるい
はこれから新たに生ずるであろうさまざまな需要に適合した利用性をもっている。


検査精度の向上が容易

 多くの多型マーカーが開発されているため、検査精度を限りなく高めることが
可能である。もちろん、実際の検査ではコストの面からの制約も考慮する必要が
ある。


マーカーの遺伝様式が単純である

 親子関係の調査が簡単であるため、検査・判定が明確かつ容易である。しかし、
まだ明らかにされていない特異な遺伝現象があり得ることを念頭において、多く
の事例についての調査データの蓄積が必要である。


検査材料の選択が広がる

 すべての有核細胞で同じ検査結果を得ることができる。従って、血液細胞(白
血球)、皮膚、筋肉、臓器、毛根細胞、精子、胚など、あらゆる細胞で検査がで
きる。また、生体ばかりでなく、死体、培養細胞や組織、さらに食肉など流通過
程の食品でも検査が可能である。検査に必要なサンプル量も比較的少量で済む。


検査の自動化

 検査手法が自動化されているため、多数の検査を比較的短時間に実施できる。
また、検査用試薬は市販され、あるいは外注すれば容易に入手できる。

 ただし、血液型検査からDNA型検査に移行するためには、次のような問題があ
るため、その困難さを克服するための努力が必要となる。

・過去に調査された血液型データは利用できなくなる。
・種雄牛や供卵牛などのDNA型データベースを新たに整備しなければ、親子関係
 の調査が不可能である。
・検査施設などに多くの経費を要する。
・機材、技術、薬品などに特許権が設定されているため、そのための経費が必要
 になる。

 家畜改良事業団では、このような問題を1つ1つ解決しながら、近い将来にD
NA型検査を実用化するための準備を行っている。

 牛の血液型検査は、牛の改良・繁殖技術、そして公正な取引を担保する手段と
して広範に利用されている。表6は、昨年度における検査件数とその内訳を示し
たものである。全体で約30,000件で、これらの内受精卵移植関連の検査が70%を
占めている。また、全体の約85%が肉用牛の検査となっている。

表6 平成12年度における血液型検査件数


 表5には、家畜改良事業団が実施してきた血液型検査、DNA型検査の項目の推
移を示した。このように、当団は一貫して検査技術の向上に務めてきた。今後と
も、科学の進展に対応し、また申し込み者の要望に応えるべく技術革新とコスト
の低減を図って行きたい。


これからの展望

 クローン技術の進展、ゲノム解析とDNA型診断技術の発展、わが国における
全牛の個体識別の義務化、家畜衛生条件の国際標準化など、畜産を取り巻く情勢
は刻々変化している。そのような中で、個体識別や親子判定の検査に対する要求
も一段と高度なものへと進化してくることが予測される。

 これからの遺伝的個体識別・親子判定技術の応用分野としては、生体の個体識
別、肉の個体識別、クローンの遺伝学的証明などが考えられる。生体の個体識別
では、問題牛の由来を親子関係の調査により明らかにする場合や、事前にDNA
試料を確保された牛と問題とされている牛との照合などがあり得るであろう。肉
の個体識別については、生体から枝肉、そして食肉店で販売されるスライス肉の
追跡技術としての利用が考えられる。例えば、特定の地域で生産される銘柄牛の
全個体からDNAサンプルを採取して保存しておき、市場に出まわっている食肉
からサンプリングを行って、それがどの個体のものであるかを証明することで銘
柄の担保を行う、などといった利用が図られる可能性がある。

 当事業団では個体識別・親子判定とともに、牛のゲノム解析技術を利用したい
くつかの遺伝子型検査を実施している。遺伝性疾患のDNA型検査では、すでに
乳牛で2項目、和牛で5項目、豚で1項目の検査を行っている。今後は経営にと
ってのマイナス要因を減少させるという意味での検査ばかりでなく、プラス要因
を追加できるような、経済形質と関連した遺伝子型検査も視野において検査体制
を充実させ、社会の負託に応える必要があると考えている。

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