◎専門調査レポート


中山間農業を支える肉用牛繁殖部門 

−粗放型繁殖経営と集約型繁殖経営−

岡山大学 農学部 教授 横溝 功

 




はじめに

 わが国の肉用牛部門をめぐる環境は極めて厳しい。平成13年9月10日に千葉県
下で牛海綿状脳症(BSE)に感染した乳牛が発見されて以来、国産牛肉の消費が
減退している。これに対して、10月18日にと畜場において、食肉処理を行うすべ
ての牛について、BSE検査を実施し、安全な牛の食肉だけが出回るシステムが確
立されたことは周知の通りである。このような行政と牛肉関係業界が一体となっ
たねばり強い対応が、消費者の国産牛肉に対する信頼回復につながることは言う
までもない。現状の牛肉の消費減退に伴う牛肉価格の下落を、是非、乗り越えて
頂きたいと、筆者は願っている。

 さて、わが国の中山間地域の農業は、周知の通り、多くの地域で衰退局面に入
っている。農業の担い手の減少が、集落の崩壊にまでつながる地域も出てきてい
る。このような状況下で、中山間地域の農業をいかに展開または維持させるかが、
極めて重要な課題である。本稿では、大分県・熊本県・宮崎県の県境に位置する、
典型的な中山間地域において、肉用牛繁殖部門が地域農業のけん引役となってい
る事例を調査した。このような条件不利地域で展開している肉用牛繁殖部門が持
つ意義や、成功のメカニズムを明らかにしたいと考えている。

 本稿では、3つのタイプを紹介したい。第1のタイプは、60歳代前半の肉用牛
繁殖農家が集落営農の中心となって粗放型繁殖経営を展開している事例である。
第2のタイプは、50歳代前半の肉用牛繁殖農家が地域の耕作放棄となった水田や
畑を活用して飼料作を行い、集約型繁殖経営を展開している事例である。第3の
タイプは、40歳代前半の肉用牛繁殖農家が、大規模な集約型繁殖経営を展開して
いる一方、大規模に稲作や、ファームサービスまでも行っている事例である。

 以上の3つの事例は、それぞれが置かれた集落の環境下で、最善の経営努力を
行い、現在の経営タイプを確立している。これら経営努力の本質を明らかにする
ことによって、筆者は、他の中山間地域においても、多くの教訓が得られるもの
と確信している。

  

【竹田直入地域の農業の概要】

    
【竹田直入地域の農業・農村の振興方向】

粗放型繁殖経営の事例

地域の概要

 第1の事例は、大分県の中南西部の竹田市九重野地区の百木集落にある。北西
に久住連山、西に阿蘇山、南に祖母・傾山がそびえている。九重野地区は、祖母
山麓の標高400〜550メートルに7集落が点在している。竹田市の中心部からは、
車で約30分の距離である。
【「谷ごと農場」の全景」】
 2000年センサスによれば、7集落の耕地面積は118ヘクタールであるが、水田
が93ヘクタールと約8割を占めている。

 農家戸数は111戸で、その内訳は専業農家が40戸、第1種兼業農家が23戸、第
2種兼業農家が48戸と、専業農家の割合が高いことが分かる。しかし、農家人口
344人のうち、60歳代83人、70歳以上95人と、60歳以上が5割を超えている。

 しかし、表1からも分かるように、95年と比較して2000年には、生産調整の影
響で水稲作面積は減少しているが、大豆・そば・小麦・菜の花が新たに導入され、
水田利用率が177%にもなっている。高齢化している中山間の水田がみごとに活
用されているのである。この背景には、集落営農の展開がある。竹田市九重野地
区の集落営農は余りにも有名であるが、以下では、その概略を簡単にまとめてお
く。

表1 九重野地区の主要農作物の作付概況



集落営農の展開

 集落営農展開のキーは、ハード面の整備である。5年度に、県営ほ場整備事業
(担い手育成基盤整備事業)が採択され、ほ場整備の受益面積は91ヘクタールに
も上った。これは、前述の水田約93ヘクタールのほぼ全域をカバーしていること
が分かる。このようなほ場整備ができた背景には、@集落のまとまり、A高齢化
にともなう集落崩壊への危機意識、B後藤生也氏というリーダーの存在がある。
その結果、積極的な換地が行われたことは、大いに評価される。

 ソフト面では、6年度に「九重野地区担い手育成推進委員会」が設立され、8
年2月に「九重野地区担い手育成推進協議会」に組織変更された。当該組織の役
割は下記の3項目である。

 @地域の合意に基づく地域営農の計画策定・運営
 A担い手への土地の集積
 B土地利用率の向上による安定した水田農業の確立

 そして、9年9月には、担い手農家8名からなる「九重野受託組合」が結成さ
れた。その役割は下記の通りである。

 @基幹農作業受託による地域営農の推進支援
 A水田農業の低コスト化・効率化の推進

 また、その12年の実績は下記の通りである。

 水稲 20ヘクタール   ・・・・ 収穫作業
 大豆 22.5ヘクタール
 そば 4ヘクタール   ・・・・ 機械作業
 小麦 6ヘクタール
          飼料作物の一部の作業

 以上のことから、「九重野受託組合」が表1でみた水田転作を牽引しているこ
とが分かる。なお、8名の担い手農家のうちの一部のタバコ作と、大豆の播種作
業が労働競合するので、定年帰農オペレーター3名、建設会社勤務1名を新たに
オペレーターに加えている。

 さらに、地域でできた農産物の付加価値を付けるためと、地産地消を推進する
ために、10年5月に、女性協議会の「若葉会」が結成された。そして、@地元産
の材料を使った商品開発、A当該商品を使った都市住民との交流に取り組んでい
る。また、11年2月には、「九重野担い手そば生産組合」が結成され、@そばを
利用した地域営農の推進、Aそばを使った商品の開発・販売が行われている。

 12年7月には、全国の他の集落に先駆け、九重野地区の「集落協定」が竹田市
によって認定され、「中山間地域等直接支払制度」によって、年間2,100万円の
交付金が5年間支払われることになった。この毎年の交付金の利用方法は、700
万円が、耕作者・所有者に直接配分されるが、1,400万円が集落の下記のような
共益費に当てられることになっている。

 @農道の補修事業
 A農業機械の償還
 B農産加工所の建設
 Cグリーンツーリズムの研究

 今後の集落営農の展開において、極めて積極的に投資しようとしていることが
うかがえる。


百木集落の現状

 竹田市九重野地区は、前述のように7集落からなるが、祖母山麓の谷間に離れ
て展開している。そして、それぞれが独自の農業生産を目指して頑張っている。
本稿の第1の経営事例が属するのは、7集落の1つ百木集落である。百木集落は
7集落の中では、肉用牛の繁殖が盛んな地域でもある。しかし、高齢化が進み、
10年には16戸あった繁殖農家が、12年には12戸にまで減少している。そこで、
本稿では、この12戸の繁殖農家に行ったアンケート調査の結果を基に、現状と今
後の動向を明らかにする。ちなみに、アンケートの回収結果は9戸であった。
【結束力の強い百木集落の肉用牛部会】
◇図1:経営主の年齢◇

◇図2:農業後継者の有無◇

◇図3:農業後継者の無い理由◇

◇図4:繁殖牛飼養頭数◇

◇図5:年間子牛出荷頭数◇

◇図6:飼料作経営面積◇

◇図7:水稲作経営面積◇

◇図8:今後5年間の飼養頭数◇

◇図9:今後5年間の経営の方向(1位)◇

 図1のように、アンケートに回答した9戸の繁殖農家の経営主の年齢は、60歳
代が6戸、70歳以上が3戸であった。このことからも、百木集落の繁殖農家は、
かなり高齢化していることが分かる。

 図2の農業後継者の有無については「決まっていない」と回答した農家が8戸、
「決まっている」と回答した農家が1戸であった。

 図3の農業後継者がいない理由については、8戸のうち7戸が「現在、他産業
に従事しているから」と回答していた。

 図4の繁殖牛飼養頭数については2頭と回答したものが3戸、3頭と回答した
ものが1戸、4頭と回答したものが4戸、5頭以上は1戸であった。少頭数の飼
養であることが分かる。図5の年間子牛出荷頭数(12年)から、9戸で1年間の
出荷頭数が27頭であることが分かる。

 図6と図7は、飼料作と水稲作の経営面積別の繁殖農家戸数について見たもの
である。飼料作経営面積が0(なし)と回答した農家は、粗飼料の調達として、
稲わらを挙げていた。

 図8は、今後5年間における繁殖牛の飼養頭数についてあるが、経営主が高齢
化しているにも関わらず、「廃業する」と回答したものは1戸だけであった。ま
た、増頭希望農家が2戸も見られた。従って、百木集落では、当分の間、産地の
維持が期待される。

 図9は、図8での増頭希望農家2戸と現状維持農家5戸に、今後5年間におけ
る経営の方向について調べたものである。5戸の回答が得られたが、「牛舎を増
改築したい」が3戸、「水田放牧の取り入れたい」が2戸と、積極的な姿勢がう
かがえる。


百木集落の「谷ごと農場」

 百木集落では、以上のように、60歳以上の高齢農家が繁殖牛を飼養していた。
百木集落の大きな特徴に、繁殖農家の間だけではなく、農家間のつながりや相互
扶助が強いことが挙げられる。このような良好な人間関係を生かし、2戸の繁殖
農家が、12年5月1日から、百木集落の谷間を利用した「谷ごと農場」を開場し
たのである。この「谷ごと農場」は、水田1.1ヘクタール、畑1.0ヘクタール、山
林等2.0ヘクタールの合計4.1ヘクタールに、2戸の繁殖農家が繁殖牛11頭、育成
牛2頭を放牧している。ただし、2戸の農家は、4.1ヘクタールに共同で放牧す
るのではなく、完全に個別に放牧している。2戸の放牧はほぼ同じ面積である。
この2戸の繁殖農家のうち1戸の河野達雄氏の場合には、牧区を八つに分割して、
輪換放牧している。その地目は、水田が3つ、畑が1つ、山林等が4つである。
河野氏自身が所有しているのは、水田の1つだけである(15アール)。このこと
から、「谷ごと農場」を開場するに当たって、河野氏と地主との間での強い信頼
関係の存在がうかがえる。
【河野氏の「谷ごと農場」で、左から
河野氏、筆者、吉田主任普及員】
 河野氏が「谷ごと農場」を開場するに当たっては、ほ場整備された水田での放
牧という前代未聞の営農方式に対する抵抗、ならびに放牧による河川汚染の懸念
があった。しかし、河野氏の集落に繁殖経営を持続させたいという強い希望、農
業改良普及センターの技術的な支援があって、「谷ごと農場」が構築されたので
ある。
【「谷ごと農場」における放牧風景】
 集落の中で、新たな取り組みをする場合、特に農地の流動化を伴う場合、集落
内での信頼が極めて重要である。河野氏の場合、@60歳代ではあるが、繁殖農家
の経営主の中では若い世代になること(図1参照)、A他の繁殖農家だけではな
く、耕種農家からも幅広く信頼されていること、B地主サイドに、高齢化に伴っ
て、農地を貸したいという希望があったことが、農地の流動化につながったので
ある。

 ちなみに、放牧場における飼料の作付体系は、春作にイタリアンライグラス、
冬作に青葉ミレットであり、農地を高度に利用して、周年放牧の構築を目指して
いる。また、施設としては、幹線道路沿いの山林等の部分では有刺鉄線の牧柵を
設置し、水田の周囲には交流電流による電気牧柵を設置している。なお、夜間は
放牧している牛を牛舎に戻している。
【「谷ごと農場」に咲くゲンノショウコ】

「谷ごと農場」の経済効果

 表2は、放牧する前後の農業改良普及センターのデータを基に飼料費の比較を
行ったものである。繁殖牛1頭当たりで約3万円ものコストダウンができている
ことが分かる。河野氏の場合、繁殖牛5頭、育成牛1頭、子牛4頭の飼養状況で
あるが、育成牛の飼料費が繁殖牛の飼料費と変わらないとすれば、18万円のコス
トダウンができていることになる。

表2 繁殖牛の飼料費の比較

 注1)大分県竹田直入地方振興局農業改良普及センターの資料を参照。
  2)原データは、5〜12月の8ヶ月のデータであるが、
    12ヶ月分に換算。

 労働面では、@毎日、朝夕2時間要していた飼料給与が20分に短縮されたり、
A水田の畦畔の除草が不要になったり、B粗飼料の確保に1ヘクタールのわらを
集草していたものが、30アールの集草で済み、5日間の労働が1.5日間に短縮さ
れている(河野氏の場合、1日の集草が約20アールとのことであった)。また、
Cふん尿処理に関わる労働が、3分の1程度に削減されている。

 さらに、放牧することによって、牛が健康になり、診療衛生費を低減できたり、
分娩間隔の短縮化に成功している。河野氏は、牛が放牧によって健康になる理由
として、@適度の運動、A日光浴、Bストレスの解消を挙げていた。

 このような「谷ごと農場」の確立によって、河野氏は繁殖牛を10頭規模まで拡
大する予定である。さらに、他の経営への波及効果として、図9にもあったよう
に、新たに2戸の繁殖農家が放牧に取り組もうとしている。なお、アンケートに
回答していない1戸の農家も放牧に取り組もうとしており、14年の春に、5〜7
ヘクタールの畑や山林等へ3戸の農家が10頭の経産牛を放牧する予定である。

 以上のように、「谷ごと農場」の確立、いわゆる粗放型繁殖経営の確立を基軸
として、高齢化し、低迷していた肉用牛繁殖部門が、新たに展開しようとしてい
るのである。

 なお、「谷ごと農場」の水田は、「水田農業経営確立対策」における水田高度
利用等が加算され、10アール当たり最高額の7万3,000円を享受していることを
付記しておく。


集約型繁殖経営の事例

地域の概要

 ここでは、第2と第3の事例を合わせて紹介する。第2の事例は竹田市の大字
平田に立地する嶺田経営、第3の事例は、同じく竹田市の大字中に立地する古澤
経営である。前者は、竹田市の中心部から車で約10分程度、後者は、車で約15分
程度である。両者ともに比較的市街地の近くに立地している。

 さて、竹田市は、「荒城の月」で有名な岡城址がある。岡城は、天然の丘を利
用して構築されたのであるが、竹田市の市街地周辺は、このような丘が極めて多
い。従って、竹田市の道路はトンネルが多いのが特徴である。

 2事例とも、幹線道路から牧場へ向かう道路の途中に、丘の中のトンネルを通
っている箇所があり、極めて狭くなっている。従って、4トントラックが通るの
が精いっぱいである。また、どちらも、牧場周辺の水田は、ほ場整備がされてい
ない。さらに、後者の場合には、飼料作における鳥獣の被害が大きな問題となっ
ている。

 以上のように、立地的には決して恵まれたといえない状況下で、集約型繁殖経
営が、繁殖牛の飼養頭数の多頭化に成功し、持続的な展開を遂げているのである。


経営の概要と特徴

 嶺田経営と古澤経営の概要は、表3の通りである。繁殖牛の飼養頭数は、大規
模で、今後も増頭意欲がおう盛である。技術指標も優れている。前述のように、
両経営の周囲の水田等のほ場条件は必ずしも良くはないが、飼料作にも積極的に
取り組み、かなりの面積のたい肥と稲わらの交換も行っている。

表3 集約型繁殖経営の概況

 注1)生産子牛の仕向けは、繁殖牛の飼養頭数と技術指標から計算。
  2)平成13年9月時点での数値。

 嶺田経営の特徴は、地域の耕作放棄となった水田や畑を活用して飼料作を行い、
地域資源の有効活用に大いに貢献している点である。この点は、古澤経営も同様
である。そして、前述の「谷ごと農場」の水田と同様、「水田農業経営確立対策」
における水田高度利用等が加算され、10アール当たり最高額の7万3,000円を享
受している。ちなみに、飼料作のための農地は、すべて借入地である。地主は、
5戸の耕種農家である。このことからも、嶺田氏が地域の中で信頼されているこ
と、また、地域のリーダーであることが分かる。
【裏山が広がる「嶺田牧場」で、左から
吉田主任普及員、嶺田氏、筆者】
 嶺田経営の飼料作の特徴としては、草種・作付時期を変えるなどの工夫で、収
穫労働のピークを回避している。例えば、イタリアンライグラスでは、2.5ヘク
タールのうち、1.9ヘクタールを60キログラムのロールベールやタイトベールの
乾草にして収穫しているが、残り、0.6ヘクタールは、青刈りで給与している。
青刈りの期間は、12月10日から翌年の6月30日までである。そして、とうもろこ
しはすべて青刈りであり、7月20日から11月30日まで収穫して給与している。青
刈りの労働時間は、夫婦2人で1日1時間とのことであった。青草給与の背景に
は、第1に、嶺田氏が1年間できるだけ青草を絶やさず給与するというポリシー、
第2に、両親が健在で経営に参画しており、労働力にゆとりがあることが挙げら
れる。

 それに対して、古澤経営の特徴は、繁殖牛頭数が嶺田経営の2倍近い大規模経
営であること、水稲作も3ヘクタールを行う複合経営であることである。さらに、
表では示していないが、稲刈りの部分作業受託を4.0ヘクタールと、近隣の2戸
の農家と共同でライスセンターを昭和56年頃から経営している。このライスセン
ターでは、乾燥機6台を駆使し、10月初旬から11月中旬までの1ヶ月半に、玄米
換算約1万袋の脱穀・籾摺・乾燥・調製を行っている。受益面積は、約63ヘクタ
ールにも上る。このことから、古澤経営は地域の稲作経営に収穫以降のファーム
サービスを提供し、高齢化に伴う耕作放棄を阻止しているのである。
【経営意欲旺盛な古澤夫妻と筆者】

    
【間伐材を活用した合理的な牛舎】
 飼料作は、夏作のソルゴー・とうもろこしの混播と冬作のイタリアンライグラ
スで、それぞれ2.0ヘクタールを行っている。この飼料作面積2.0ヘクタールのう
ち、自作地は0.5ヘクタール、借入地は1.5ヘクタールである。表3からも分かる
ように、たい肥と稲わら交換は、4.0ヘクタールであるが、これは前述の稲刈り
の部分作業受託の農地である。当然、自作地の稲作の稲わらも自給飼料に用いて
いる。

 以上のように、古澤経営のたい肥の利用は、飼料作面積4.0ヘクタールと、稲
作面積7.0ヘクタールと大きな面積ではあるが、肉用牛の飼養頭数が多いために、
余剰が生じている。その余剰分は、竹田市から東方に位置する大野町の園芸農家
へ無償で、古澤氏自らが運搬している。年間に2トントラックで40台とのことで
あった。運搬に要する時間は片道15分程度である。大野町は、平坦部が多く、た
ばこを中心とする畑作地帯である。古澤氏は、その中でも大規模なスイトピーの
園芸農家4戸へたい肥を提供している。それぞれの農家は、自らたい肥舎を持ち、
古澤氏の持ち込むたい肥をベースにさまざまな工夫を行って畑に投入しているの
である。先導的な肉用牛繁殖経営と園芸経営が行政区を越えて、たい肥を通じて
連携していることが分かる。


飼料作の位置付け

 嶺田経営の飼料作の総TDN給与量を計算したものが、表4である。合計では、
約26トンになることが分かる。ちなみに、繁殖牛の飼養頭数が27頭であった。社
団法人岡山県畜産会『自給飼料マニュアル』(12年3月)によれば、繁殖牛1頭
が年間に必要なTDN量は、約1.7トンである(p.30参照)。従って、繁殖牛だ
けでも年間に約46トンのTDN量が必要になる。従って、嶺田経営の場合、繁殖牛
だけに限定したTDN自給率は、約57%であることが分かる。

表4 嶺田経営の飼料作

 (一部筆者による推定)

 このTDNの不足分は、輸入乾草と久住高原の永年牧草の乾草に依存している。
後者の乾草は、嶺田氏が現在の肉用牛繁殖経営を継ぐ前に、10年間酪農ヘルパー
を経験したが、その時のつながりを生かして利用しているのである。

 同様に、古澤経営の飼料作の総TDN給与量を計算したものが、表5である。合
計では、約38トンになることが分かる。ちなみに、繁殖牛の飼養頭数が50頭であ
ったので、繁殖牛だけでも年間に約85トンのTDN量が必要になる。従って、古澤
経営の場合、繁殖牛だけに限定したTDN自給率は、約45%であることが分かる。

表5 古沢経営の飼料作

 (一部筆者による推定)

 古澤経営の場合、このTDNの不足分は、輸入乾草に依存している。

 輸入乾草に関しては、嶺田経営がイタリアンライグラスの乾草を利用し、古澤
経営がイタリアンライグラスとスーダングラスの乾草を利用している。


今後の経営展開

 嶺田経営および古澤経営ともに、繁殖牛の飼養頭数規模の拡大を目指している。
具体的には、嶺田経営が繁殖牛50頭規模を、古澤経営が100頭規模を目指してい
る。前述のように、飼料作が現状のまま推移した場合、古澤経営ではさらに輸入
乾草に対する依存が高くなる。両経営とも、現状の零細で分散した飼料作基盤の
下では、飼料作面積を増やすことは、極めて難しい。

 このような状況下で、嶺田経営は、牧場の背後にある裏山を放牧場として活用
する予定である。前述の「谷ごと農場」の事例が、ここでも嶺田経営に影響を与
えているのである。また、古澤経営では、13年6月に超早期母子分離技術を導入
し、高床式カーフケージを設けている。これによって、多頭化した場合に生じる
観察の不徹底を是正し、子牛の下痢の回避に努めようとしている。

 いずれにしても、両経営は、限られた地域資源を有効に活用し、畜舎や農機具
への機械投資をできるだけ削減して、所得率を上げ、持続的な経営を構築してき
た。しかし、さらなる繁殖牛の飼養頭数規模を拡大し、農業所得の拡大を目指し
ている。


おわりに

 条件不利地である中山間において、集落における他の農家の信頼を獲得し、地
域資源を有効に活用している3つのタイプについて、本稿では紹介した。第1の
タイプは、集落における農業の担い手が高齢化し、農地の維持管理が難しくなる
中で、繁殖牛の放牧という粗放技術の確立によって、集落の農場を守ろうとして
いた。しかも、その放牧がほ場整備された水田で行われるという発想の転換を伴
っていた。また、先導的農家である河野氏がそれを見事に達成することによって、
他の繁殖農家が、その技術を模倣しようとしていた。すなわち、放牧によって繁
殖牛の潜在能力を引き出し、@飼料費の低減、A労働時間の軽減、B診療衛生費
の低減につなげていたのである。このような経済的なメリットのおかげで、河野
氏は繁殖牛のさらなる頭数拡大を目指していた。河野氏は、放牧地のほとんどを
借入地で賄っていた。60歳代ではあるが、河野氏が集落内で比較的若いというこ
と、今までに培った人徳、貸し手の高齢化が、農地の流動化を可能にしたといえ
る。

 また、第2のタイプと第3のタイプは、働き盛りの経営主が、集約型の繁殖経
営を展開していた。前者は、単一経営で展開している事例であり、後者は複合経
営で展開している事例である。いずれも、地域のリーダーとしての機能と役割を
発揮していた。すなわち、ほ場整備されていない零細な農地を、個別経営が有効
に活用し、耕作放棄を阻止していた。そして、両経営ともに、さらなる繁殖牛の
頭数規模拡大を目指していた。さて、本文では記さなかったが、両経営は、建物
施設の建築に、間伐材を利用したり、手作りで行ったりと投資をできるだけ抑制
し、農機具への投資も必要最小限に抑えていた。このことが、固定資産の減価償
却費や維持修繕費という固定費を低くおさえ、弾力的な経営の展開を可能にして
いる。今後の課題は、頭数拡大に伴って、飼料自給率が低下する中、いかに地域
の特色を生かした繁殖牛の飼養が可能か、再度原点に戻って検討する必要がある。
第2のタイプの嶺田経営の場合、繁殖牛の放牧を検討していた。

 以上のように、集落の先導的農家、または大規模な個別の繁殖経営が持続的に
展開することが、当該地域の農地の保全にもつながるのである。また、地域との
つながりを大切にしてきた各経営の蓄積が、それぞれ独自の経営展開を容易にし
たと言える。


附記:本稿を執筆するに当たって、ヒアリング調査やアンケート調査に、快く応
  じてくださった肉用牛農家の方々に心よりお礼申し上げます。また、ヒアリ
  ング調査やアンケート調査にご協力ご指導下さった大分県竹田直入地方振興
  局農業改良普及センターの吉田能久様に厚くお礼申し上げます。

元のページに戻る