◎調査・報告


農畜産物表示・成熟化する食マーケットとブランド化の新しい可能性

(株)日本総合研究所 研究事業本部 ニュービジネスクラスター クラスター長 大澤 信一


 昨年以来、農畜産物の表示に関する問題が多発している。 

 周知の通りこの問題には、わが国農畜産業界を代表する企業、団体が関与して
いる。 

 こと、ここに至ると、農畜産業界全体の食品表示に関する認識問題といっても
よい状況である。何ゆえかくも著名企業が、同じ過ちを繰り返してしまったのか。
 
 ここでは特にマーケットの基調変化という視点から、農畜産物表示の新しい時
代が始まりつつあること、またそれが今後の農畜産業に非常に大きな可能性を提
供し始めている点について、3つの視点から考えてみる。 


90年代初めに始まるマーケット基調の大変化

 第1は、農畜産物に関するマーケットの認識が根本的に変化しているという点で
ある。これは市場成熟化であり、極めて大きな基調変化である。多くの著名企業
が、繰り返し同じ過ちに陥ったのは、この根本的なマーケットの変化に、組織と
しての意識変革が追いつかなかったためではないだろうか。今回の、一連の食品
表示にまつわる問題を考える時に、まず第1に確認すべきはこの大変化の内容であ
ろう。 

 筆者の個人的な考え方なのだが、20世紀後半の日本の経済社会は90年代初めを
境に大きな構造変化を遂げつつあると思う。一言でいえば、それ以前の「キャッ
チアップ型社会」から「先端(先進国)型社会」(以下「先端型社会」と略称す
る)への移行である。 

 前者は、発展途上国や、中進国、あるいは先進国といっても第2グループに位置
している国々の社会のことである。その先には経済的により豊かで、社会的によ
り成熟している国々が存在している。これに対して後者はその逆で、経済的に最
も豊かであり、社会的にも最も成熟している社会や国のことをイメージしている。
 
 本稿の論脈でいえば、日本の経済社会は、90年代始めを境に前者の「キャッチ
アップ型社会」から後者の「先端型社会」への移行に差し掛かったのだが、その
基調の変化があまりに大きく、企業や、個人、あるいは行政府や立法府を含めて
その大変化に頭の切り替えが追いついていないのではないかというのが、筆者の
問題認識である。 

 今回、農畜産物の表示に関しても、業界を代表する企業群が揃って、あるべき
対処ができなかったのは、この大変化に企業のトップ、あるいはそれら企業の組
織文化が意識の切り替えをできなかったことに大きな原因があるように思われる。
 
 筆者が特に注目しているのは、先端型社会では、消費者の関心が身近な生活、
つまり衣・食・住・遊等へ強く集中するようになるという点である。食の問題で
あれば、毎日の食の充実や、そもそも食の大前提である、安全性や安心感につい
て一般消費者から従来とは比較にならない強い関心が示されるようになる。 

 ちなみに、図表1は筆者がよく利用する図だが、1955年から最近までの実質経済
成長と、経済社会の大きな動き、食や農水産業分野の動きをまとめたものである。 

図表1:地域と食・農の構造変化〜新時代の構造を読む

  資料:内閣府編「日本の経済構造」から筆者作成、※5年間の平均実質経済成長率 

 この図によれば、太い両矢印で示すように日本の20世紀後半は3つに時代区分さ
れることになる。第1期は、1955年から70年ごろまでのおよそ15年間で、経済成長
率10%近い高度成長期である。第2期は70年から90年ごろまでの約20年間で、経済
成長でいえば3〜4%の安定成長期である。そして最後の第3期は、バブル経済がは
じけ、「失われた10年」と称されている90年以降の期間で、これは現在も続いて
いると見てよいだろう。第1期と第2期の間には石油ショック(73年)があり、第
2期と第3期を分けるポイントはバブル崩壊(91年頃)ということになるから、70
年、90年という数字は正確な境目とは言えないが、大きな時代の流れを把握する
区分としては十分意味のある見方ではないかと思う。 

 さて、このように大きいくくりで見ると、わが国の経済、社会は80年代後半か
ら90年初めにかけ、欧米先進諸国に追いつき追い越せの時代を終え、いわば世界
の最先進国、先端社会に突入し始めたと考えることが出来る。 

 この新しい社会の消費者は、食の安全性等について、従来の消費者とは比較に
ならない強い関心を示す。今回の食品表示の問題に関しては、このマーケットの
基調の大変化を食品企業や農畜産関係者が読み違えた側面が大きいのではないだ
ろうか。 

 このような見方を裏付ける状況証拠はさまざま指摘できる。例えば、わが国で
減農薬農産物等、食の安全や安心感を強調したビジネス(例えば宅配事業など)
がニュービジネスとして大きく成立し、確立し始めたのは90年ごろからである。
大手の宅配企業の中には90年ごろに20億円そこそこの売上げであったものを95年
ごろには100億円まで急成長させた事例がある。 

 また食の安全性などが問い直される事件が頻発するようになるのは90年代半ば
からであることも注目されてよいだろう。例えば、96年のO−157事件から最近の
日本ハムの食肉偽装事件までの一連の事件がイメージ出来る。 

 昨年以来の諸事件は、食品企業や農畜産業関係者にこのマーケット変化の徹底
認知を迫るものである。今回の事件を是非「他山の石」としていただきたいもの
である。 


新しい消費者は真のこだわり商品ブランド品)を求めている 

 第2には、このマーケットの基調変化を受けて、従来、わが国では大きく成長す
ることの無かった農畜産物分野における本格的ブランド化が進行する可能性が生
まれ始めているという見方である。また、これから始まるであろう農畜産物の国
際的大競争時代には、このブランド化こそ生き残りのかぎになるであろう。 


農畜産物ブランド化の時代

 はじめに、ここで述べる農畜産物のブランド化について、少し説明しておきた
い。筆者は、日本ではまだ、真の意味でブランド化された農畜産物は生まれてい
ないのではないかと考えている。今まで、一見ブランド化されたように見える農
畜産物の例もないわけではなかった。例えば、著名な銘柄牛や、米では「南魚沼
産コシヒカリ」などの場合である。 

 しかし、これらの商品を少し詳細に見るとそれはとてもブランド化していると
はいえない状況が明らかとなってくる。著名な銘柄牛については、今回の食肉偽
装事件の中で、その表示が厳格でないことが明確になってきたし、「南魚沼産コ
シヒカリ」の場合も、当地で収穫されるコシヒカリの数倍の「南魚沼産コシヒカ
リ」が全国で流通している実態がある。もし、これらの商品においてその表示が
厳格に管理されていれば、従来以上の高い評価と安定した価格が維持出来ていた
のではないだろうか。 

 その意味でこれまで農畜産物では本格的なブランド化商品は存在しなかったの
ではないかと考えるわけである。今後は、より厳しい消費者の目を前提に本格的
な農畜産物のブランド化の可能性が高まるものと思われる。 

 ここで指摘しようとする農畜産物の本格的ブランド化の可能性もさまざまな事
例から読み取ることができる。 

 例えば、最近は日本のテレビ界でもエンターテイメントとして大きな成功を収
める料理番組が多数出てきている。それらを見ていると2〜3年前までは、関心は
もっぱら料理人の腕に集中していた。和食、洋食、中華の「鉄人」といわれる料
理人のスターを生み出したり、これらの料理人の冠をつけた弁当やインスタント
商品が、コンビニエンスストアの売場に登場したりして、話題を呼んだ。 

 しかし、最近では料理に使われる食材そのものについて詳細なレポートを加え
て、それぞれの料理のすばらしさの所以に迫ろうという番組が出てきて人気であ
る。 
 例えば、この餃子に使われる豚肉はどこの生産者のどんな品種であり、その生
産方法や、飼料にはどんな特徴があるか、また飼育に当たって抗生物質やホルモ
ン剤がどう使われているかなどが詳しく紹介される。番組に出演する芸能人はそ
のレポートに感心したり、食欲を刺激されたりするわけである。 

 番組を見ている一般消費者は、その様子をみて楽しむわけだが、こういう番組
がわが国の茶の間に定着し、大きな影響を与えるということは、前の時代認識か
らいえば、わが国が完全な成熟社会を迎えたということであろう。またこれを農
畜産業界側から言えば、従来見られなかったような本格的な「ブランド農畜産物
の時代」の成立条件が消費の側から整ってきたということであろう。これは、90
年以降の新しい消費の基調が高付加価値の農畜産物に対して新しい可能性を示し
始めているということの証拠である。 


大競争時代の生き筋(生き残る道)「ブランド化」

 さらに、最近2〜3年の農畜産業を取り巻く厳しい経営環境から言えば、このブ
ランド化の可能性は、わが国の農畜産業が生き残っていく上で、決定的な生き筋
(生き残る道筋)を示してくれていると思われる。 

 図表2は、わが国のねぎの輸入と、そこに占める中国産の割合を示したものであ
る。 

 中国産の生鮮ねぎについては、昨年WTOのセーフガードの暫定発動がなされ、大
きな話題となったが、この図表による集中豪雨的な輸入の高まりを見れば、その
間の事情は明らかだろう。 

 いうまでも無いことだが、わが国の農畜産業にとって問題なのは、これが生鮮
ねぎにとどまらない一般的な図式であるということだ。 

 現在、中国の人件費は日本の20分の1から30分の1と言われている。また、これ
らの安価な人件費を基に、わが国からの技術指導で生産され、輸入される農産物
価格は国産品の8分の1から10分の1である。 

図表2:中国産の輸入ネギの輸入量の動向 

資料:農林水産省「野菜生産出荷統計」および
     「植物防疫統計」により筆者作成 

 筆者も何度か中国の農産物売場や、冷凍食品工場の現場、農業現場などを見せ
てもらったことがあるが、そこで働いている人々の多くが若く、作業のスピード
が速いことに強い印象を持った。また、これらの労働者は中国の内陸部から出て
きている人が多く、中国国内でも、沿岸部の経済発展が進んでいる地域と、内陸
部(中国では「西部」と言っている)の経済が発展していない地域では、人件費
で、また1:10くらいの格差がある。 

 つまり今後も、中国国内では内陸部から安く、質の高い労働力はいくらでも供
給可能なわけである。急速な経済成長を遂げていながら中国の人件費が上昇しな
い理由はここにあると考えられ、この構造は今後もしばらくは継続しそうである。
 
 結局、わが国の農畜産業が中国と同じ(あるいは消費者から見て中国産と区別
できない)商品の生産、供給を継続していくことは、まったく意味が無いという
ことになる。今後のわが国農畜産物の基本的な方向性は、消費者の目から見て、
中国を始めとして海外から輸入される農産物とはまったく異なる商品と認識され
るだけの差別化、ブランド化ということになるだろう。 

 例えば、ある国産農畜産物が先に紹介した料理番組の食材コーナーで取り上げ
られたとして、その視聴者が十分得心するレベルの生産、流通上の基準と工夫が
なされていることが必要である。 

 中国という、巨大な農畜産産地がWTOに加盟し、わが国の食材基地としての可能
性を明確にしている現在、今後のわが国農畜産物の生き残り戦略としてブランド
化は第一義的な重要性を持ち始めている。 


トレーサビリティーの確立、厳格な商品表示は本格的ブランド化への追い風 

 そして第3は今回の食品表示に関する大騒動が、結果として生み出すであろう、
新しいトレーサビリティーシステムや厳格な食品表示システムは、農畜産物の本
格的なブランド化について重要な社会的なインフラとなり得るという認識である。
 
 従来、農畜産物のブランド化の重要性が指摘されてきたにもかかわらず、それ
が十分進まなかったのは、差別化された生産方法で生産された農畜産物が、正確
に消費者の手元まで届くシステムが確立されていなかったことが大きな原因であ
る。 

 手間ひまとコストがかかる生産方法で、生産されたブランド商品は当然一般の
商品より高価格で販売されなければ、差別化に要した増し分コストの回収ができ
ず、ビジネスとして成立しないことになる。 

 しかし、従来の農畜産物の生産、流通の仕組みでは、商品表示の問題などを始
めとして、消費者が手元の農畜産物を見て、それが間違いなく特定の生産者が、
特定の生産方法で生産し、それが間違いなく自分の手元まで届けられたという確
信を得られないことが極めて多かった。 

 つまり、商品のトレーサビリティーが欠けていたわけである。このような状況
では、ブランド化、差別化といっても、そこに付けられる一般商品との価格差と
いうのはおのずと限界があった。 

 例えば、先に見たように、中国産と国産の農畜産物の価格差である1:8とか1:
10という価格差を消費者に納得させるには、消費者が、例え外見上はあまり明確
な差が認められなくとも生産方法、流通方法で明確に区別できる商品が手元に届
けられているという確信が必要である。 

 現在、進められているトレーサビリティーの確立や厳格な商品表示の仕組みは、
これらの本格的なブランド農畜産物の流通に対する消費者の信頼を飛躍的に高め
てくれる可能性がある。 

 牛肉のトレーサビリティーについては、枝肉までの追跡は可能であるが、スラ
イスされたテーブルミートまでの追跡の実現には多くの課題が残されているとい
う指摘がある。しかし、それでも枝肉まででも追跡が可能となると消費者は商品
の生産、流通ルートに大きな信頼を寄せるのではなかろうか。 

 なぜなら、高度に差別化された農畜産物というのはもともと、販売ルートに一
定の枠がはめられている。最川下の販売窓口では、現在でも売り手と買い手の間
では一定の追跡可能性が確保されていることがほとんどだからである。これは、
こだわり農畜産物の宅配事業などを見てみるとよく理解できるだろう。通常、宅
配企業は生産者である一定の生産者グループと顧客である消費者グループを組織
化することでビジネスが成り立っている。 

 従って、畜産物において枝肉までの個体識別ができれば、従来からの差別化商
品販売チャネルを通すことで、消費者は十分納得して差別化商品を購入すること
が出来るわけである。 

 図表3は国が進めているトレーサビリティー確立の取り組みの一例であるが、こ
のような取り組みを進めることは、農畜産物の本格的なブランド化を推進するイ
ンフラとなり得るものであろう。 

 さて、このように昨年からの商品表示を巡る問題を見てくると、そこには大き
な消費の構造変化に対して根本的な意識の切り替えを完了させなければならない
という大きな問題点、課題も確認できるが、逆に新しい可能性、つまりわが国農
畜産物に関して、本格的なブランド化の時代が始まるという明るい見通しも指摘
できる。 

 「災い転じて福となす」ということわざがあるが、今回の食品表示問題はまさ
に、今後のわが国農畜産物の大きな生き筋を見せてくれていると思う。 

図表3:農林水産省「安全・安心情報提供高度化事業(牛肉)」の流れ 

資料:農林水産省




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