◎調査・報告


酪農における乳量増加ホルモン剤(rbST)の生乳需給への影響
(14年度畜産物需給関係学術研究情報収集推進事業報告書から)

農林水産政策研究所 研究員 木下 順子
九州大学大学院農学研究院 助教授 鈴木 宣弘




1.はじめに


 rbST(recombinant bovine Somatotropin)とは、80年代半ばにモンサント社により開発・実用化された乳牛用の乳量増加ホルモン剤である。牛体内で生成されるウシ成長ホルモンの一種bSTと同等の化学物質であり、大量生産のため、遺伝子組み換え技術によって作られる。現在、米国をはじめとする20カ国以上の酪農生産で使用されている。

 rbSTの使用は、rbST投与牛に由来する牛乳(以下、rbST使用乳)の人体への安全性や、乳牛の健康への安全性が確認された上で認可されることは言うまでもないが、遺伝子組み換え技術に対する一般消費者の不安はなかなか払拭されていない。米国では、rbST認可申請が出されて以来、消費者団体や動物愛護団体の大規模な反対運動が巻き起こり、社会問題へと発展して国民の強い関心を集めてきた。結局米国では、約10年という長期の検討の末、94年に最終認可にこぎつけた。しかし、EUおよびカナダでは、暫定措置として長年堅持してきたrbST使用禁止措置を、事実上無期限(最終決定)とすることを近年発表している(注)

 一方、日本では、まだ認可申請が出されたことがないため、rbSTが使用されたことはない。しかし、現在、食の安全・安心が叫ばれる中、今後、rbSTの使用等によっては、消費者が酪農品の安全性に不安をもち、需要が大幅に落ち込む可能性も否定できない。

 そうした可能性を踏まえ、日本におけるrbST認可が酪農経営や生乳需給にもたらす影響をシミュレーション分析した先行研究として、鈴木[1991]がある。同研究では、rbSTによる乳量増加およびrbSTに対する消費者不安に伴う需要減退により、乳価が大幅に下落する影響を考慮するため、内生的価格変化を介する需給変化を包括的に捉えたモデル体系を用いた。ただし、全国一様な経営体が仮定されたモデルであり、生乳生産構造への影響を明らかにできなかった点が不十分であった。そこで、本研究では、経営規模による影響の差も詳細に分析し得る改良モデルへと発展させ、より新しいデータを使ってモデル推定を行う。さらに、2001年に日本でrbSTが認可された場合の2010年までの影響をシミュレーションする。

 (注)rbST使用乳が人体に安全であることは、EUもカナダも公式見解としては認めているが、乳牛への健康被害や動物愛護上の懸念(米国はこれは容認できると結論した)を理由として、rbSTの国内使用を禁止している


2.分析方法


 分析モデルのフレームワークを図1により説明する。

 rbSTが認可されると、rbST を使用した酪農家では、「(1)rbSTによる乳量増加」および「(2)rbST関連コスト増加」により、酪農所得が変化する。 (1)および(2)の程度と「(3)rbST普及率」(飼養頭数に占めるrbST投与牛の割合)に応じて、rbSTを使用しない酪農家も含めた「(4)平均酪農所得」が変化する。酪農所得の変化は「(5)乳牛飼養頭数」に影響を与え、「(6)生乳生産量」を変化させる。

 rbST普及率は、一般的に大規模経営層ほど高い傾向が実際に米国で見られ、その理由として、高能力牛(大規模経営層に多い)ほどrbSTの乳量増加効果が高いことや、草地酪農や放牧(小規模経営層に多い)は技術的にrbST導入に馴染まないことなどが指摘されている。この傾向は日本でrbSTが認可された場合も同様と考え、(1)および(3)の値は大規模層ほど大きいと仮定する。すると、小規模層よりも大規模層の方が所得機会において一層有利になり、規模階層間の所得格差(4)が拡大し、乳牛飼養頭数構造(生産構造)(5)が変化する。

 
図1.rbST認可の影響フロー



 一方、需要面では、rbSTに対する「(7)消費者不安」が払拭されない場合、「(8)生乳需要」が減退し、「(9)生乳価格」が低下する。価格低下の影響は、酪農所得低下→飼養頭数減少→生乳生産量減少→生乳価格上昇((4)→(5)→(6)→(9))という影響波及経路を循環して、さらなる生乳需要減退をもたらす可能性がある。

 さらに、生乳価格に影響を与える重要なファクターとして、本稿モデルでは「(10)市場競争度」を考慮する。日本の生乳価格は、指定生乳生産者団体のマーケティング・パワーに支えられた用途別乳価システムにより、飲用向け乳価が加工原料乳価よりも高く維持されている。指定団体のマーケティング・パワーが小さい(生乳市場がより競争的である)ほど用途別乳価格差は縮小し、逆にマーケティング・パワーが大きい(生乳市場がより非競争的である)ほど大きな用途別乳価格差を維持し、生産者乳価を高めることが可能である。

 また、全国牛乳普及協会等が実施している「(11)牛乳普及事業」は、日本の飲用牛乳需要を底上げしてきた重要な要因である。同事業の主な財源である生産者等からの拠出金は、生乳生産量に比例して課されているので、生産量変化に応じて事業規模が変化する関係をモデルに組み込む。

 以上の影響フローに基づいてシミュレーション・モデルを構築した。用途別生乳需要関数および乳牛飼養頭数を決める関数については、81〜2000年の年次データを用いて推定した。具体的なモデル型等、詳細についてはKinoshita et al. (forthcoming)を参照して頂きたい。



3.シミュレーション・シナリオの設定


 影響フローに示した様々な影響要因(○で囲んだ外生変数)のrbST認可後における値を、分析者がどの程度と仮定するかによって、シミュレーション結果はかなり違ってくるはずである。そこで、特に変化の幅が大きいと考えられる「需要減退率」「rbST普及率」「市場競争度」の3つの影響要因の仮定値を様々に換えて、7種類(シナリオ番号0〜6)のシナリオを設定し、シミュレーション結果を比較検討してみる。

 シナリオ0は、rbST が認可されないケース(現状シナリオ)である。その他のシナリオは、すべてrbST認可年を2001年と仮定し、先の3つの影響要因の仮定値を次のように設定した。

 シナリオ1:需要減少率は0%、rbST普及率は大規模層ほど高く(小規模層0%、中規模層10%、大規模層50%)、市場競争度は2000年水準で不変。

 シナリオ2:比較的小さな需要減退(飲用乳-5%、加工原料乳-2.5%)が生じる。Kaiser(2000)の計測例によると、米国におけるrbST認可の影響による実際の需要減退率は、認可後約5年間で3.6%であった。この数値に近い需要減退率を同シナリオに適用した。

 シナリオ3:大きな需要減退(飲用乳-10%、加工原料乳-5%)が生じる。日本では、最近の食中毒事故等で消費者が極端な購買拒否を示した事例もあるため、米国の経験より大きな需要減退が生じた場合の影響についても検討する。

 シナリオ4:rbST 普及率に規模階層間格差がない(すべて50%)。もし小規模層もrbSTを使用した場合、シミュレーション結果はどのように変化するかを検討する。

 シナリオ5:市場競争度が2000年水準よりも年々競争的となる。すなわち、用途別乳価格差が縮小する。

 シナリオ6:市場競争度が2000年水準よりも年々非競争的になる。すなわち、用途別乳価格差が拡大し、生産者乳価が高く維持される。実際には、近年の生乳市場は競争性が高まる方向に推移しており、今後も輸入増加等の影響によって、シナリオ5のように競争的になると見込む方が自然であろう。しかし、市場競争度は政策の影響を極めて受けやすく、将来予測が難しい変数であるため、傾向とは異なるシナリオも設けてシミュレーション結果を比較する。

 以上のすべてのシナリオに共通する仮説設定は次のとおりである。飼養頭数規模階層は、搾乳牛ベースで、小規模層(0-29頭)、中規模層(30-49頭)、大規模層(50頭以上)の3階層とした。rbST関連コストについては、1頭当たり年間rbST購入費用13,464 円、乳量増加1kg当たりの追加的飼料費26.5円と仮定した。これらの金額は、Hertnell[1995]の報告による米国の平均的事例を 1ドル120円で換算したものである。rbSTによる乳量増加率は、飼養管理技術や乳牛の泌乳能力によって経営ごとに大きく違ってくるが、米国農務省(USDA『Office of Management and Budget、1994』)の報告による平均12%を中規模層に適用して、小規模層9%、中規模層12%、大規模層15%と仮定した。


4.2010年のシミュレーション結果


  シミュレーション分析は2001〜2010年について行ったが、ここでは各年の結果は割愛し、2010年の結果のみ検討する。表1は、飼養頭数、酪農所得、生乳需給、乳価の2010年値を、シナリオ0の2010年値を100とする指数で示したものである。

 シナリオ1の結果を見ると、シナリオ0と比較して、生産者乳価(両用途の加重平均価格)は3.8%減少、総酪農所得は3.3%減少、総飼養頭数は1.6%減少した。しかし、頭数減少にもかかわらず、rbSTの乳量増加効果が大きいため、生乳生産量は5.2%増加した。規模階層別に見てみると、所得減少率は小規模層で最も著しいが、逆に大規模層では総所得も飼養頭数も増加している。つまり、シナリオ1の状況下では、rbSTの認可によって、酪農経営の大規模化への構造変化が加速化される。

 実際に、米国の生乳生産量は、rbST認可以来、特に南西部大規模酪農地帯においてかつてないほど急増している。その一方で、小規模層が多くrbST普及率が低い伝統的酪農地帯(ウィスコンシン、バーモント州等)では生産の停滞が続いており、経営規模別の所得格差が一層拡大しつつあることが推察される(USDA『Milk Production』)。

 シナリオ2および3の結果は、需要減退が発生すると、総酪農所得および飼養頭数の減少率が一層高まることを示唆している。シナリオ2のように比較的小さな需要減退であれば、総酪農所得は8.3%減少、総飼養頭数は5.9%減少しているが、rbSTの乳量増加効果によって、生乳生産量についてはまだわずかに増加している。しかし、シナリオ3のように大きな需要減退が生じると、大規模層の総所得も減少へと転じ、rbSTの乳量増加効果よりも飼養頭数減少の影響が大きくなるため、生乳生産量が減少に転じる。すなわち、rbSTによって1頭当たり乳量が増加しても、rbSTに対する消費者不安が深刻な需要減退を招いた場合には、乳価が大幅に下落し、生乳生産基盤が縮小する可能性がある。

 
表1.シミュレーション結果(2010年、シナリオ0の2010年値を100とする指数)

注:a 搾乳牛総飼養頭数に占める割合。  b rbST使用者及び非使用者を含めた全体平均。



 シナリオ4の結果は、もし小規模層がrbSTを使用すれば、rbST認可に伴う所得減少をある程度緩和できることを示唆している。先ほどのシナリオ1(小規模層がrbSTを全く使用しない場合)の結果では、小規模層の総所得減少率は30.7%であったが、シナリオ4ではそれが19.3%に緩和されている。したがって、ひとたびrbSTが認可されれば、小規模層もrbST を使用した方が所得減少を緩和できる。ただし、小・中規模層の総所得は、どのシナリオでも100を大幅に下回っている(シナリオ0の所得より低い)。つまり、小・中規模層にとって最も高い所得が得られるのは、rbSTが認可されない場合である。

 シナリオ5および6の結果を見ると、市場競争度の仮定値に応じてシミュレーション結果が著しく変化することがわかる。より競争的になる(用途別乳価格差が縮小する)と仮定したシナリオ5では、総酪農所得が9.5%減少し、シナリオ1の場合(3.3%減少)よりも大幅に減少している。一方、より非競争的になる(飲用向け乳価が高く維持される)と仮定したシナリオ6では、総酪農所得は3.6%の増加へと転じている。つまり、指定生乳生産者団体がマーケティング・パワーを強化し、より大きな用途別乳価格差を維持することができれば、rbST認可後も酪農所得の減少圧力を緩和できる可能性がある。


5.rbSTの普及と収益率


  表2は、1頭当たり酪農所得の2010年のシミュレーション値を使って計算した、rbST使用の収益率(=シナリオ0と比較した酪農所得増分/rbST使用によるコスト増分)である。この収益率が1を下回っている場合、所得増分よりもコスト増分が多く、rbSTを使っても採算がとれないことを意味する。逆に、収益率が1を上回っている場合、もっとrbST投与牛の割合を増やす(rbST普及率が高くなる)ことが合理的行動であることを意味する。表2を見ると、小規模層の収益率は、シナリオ6を除いてすべて1を下回っているが、中規模層と大規模層では、すべてのシナリオにおいて1を上回っている。したがって、中・大規模層のrbST普及率は、本稿のシミュレーション分析における仮定値よりも高くなる可能性がある。


表2.rbST平均収益率及び採算乳価(2010年)

注:a rbST使用に係るコスト増分に対する、シナリオ0と比較した酪農所得増分の比率。


 ここで、もしrbST普及率が上昇すれば、生乳生産量の増加に伴って乳価が低下し、rbST収益率も低下していく。したがって、rbST普及率がどの程度上昇すれば、中・大規模層のrbST収益率が1を下回るのかを調べることによって、rbSTが最大どの程度普及するのかをある程度予測することができるだろう。ただし、本稿では、分析モデルが複雑であるため、次のような試算によってこの予測を行った。すなわち、rbST普及率以外の外生変数の値をシナリオ1における2010年水準で一定と仮定し、中・大規模層のrbST普及率を様々に変化させた場合(小規模層のrbST普及率は0%で固定)の乳価水準におけるrbST収益率を試算した。例えば、表3に示しているように、小・中・大規模層のrbST普及率がそれぞれ0、10、50%であるとき、収益率はそれぞれ1.159、1.495、1.726と試算された。rbST普及率がそれぞれ0、25、65%に上昇すると、収益率の試算値は0.547、0.952、1.238となり、小規模層と中規模層の収益率が1を下回っている。さらに普及率が0、30、70%に上昇すると、収益率は大規模層も含めてすべて1を下回った。この時点で、どの規模階層もこれ以上rbSTの使用量を増やす経済合理性を失う。つまり、収益率をベースとすると、rbST普及率の上限は、大規模層では搾乳牛の7割程度、総搾乳牛頭数に対しては5割程度と予測された。


表3.rbSTの普及率及び平均収益率との関係(2010年)

注:rbST普及率以外の仮定値はすべてシナリオ1における2010年値で一定と仮定した。小規模層のrbST普及率は常に0%だが、仮に使用した場合のrbST平均収益率を計算した。


 参考として、米国における実際のrbST普及率と比較してみよう。全米レベルのデータがないため、米国内のrbST販売を独占しているモンサント社の販売成績から推計すると、2002年には米国内の総搾乳牛頭数の約35%にrbSTが投与されている。日本の酪農経営は、米国と比べて極めて規模が小さいが、小規模であっても飼養管理技術水準が一般的に高いため、rbSTの導入に適した経営が多いと考えられる。したがって、日本におけるrbST普及率は、技術面から見れば、米国に劣らない高い水準になると考えられる。


6.おわりに


 遺伝子組み換え食品等のように、消費者不安を伴う可能性がある食品関連バイオテクノロジー導入の影響を事前評価する場合、価格の内生的変化を介した需給相互の関係を包括的に捉えた分析が重要である。そこで、本研究では、その一つの具体例として、経営規模による影響の差も詳細に把握できる生乳需給モデルを開発し、日本におけるrbST認可が酪農経営、生産構造および生乳需給に与える影響を分析した。

 分析の結果、日本におけるrbST認可は、大規模層の所得機会をより有利にし、大規模化への生乳生産構造の変化を加速することが示唆された。さらに、消費者不安が非常に強く、深刻な需要減退が生じた場合には、小規模層はもとより、大規模層も所得低下に見舞われ、生乳生産基盤が縮小する可能性が示唆された。

 実際に、米国におけるrbST認可以来、特に南西部酪農地帯の大規模経営と、小規模層が多い伝統的経営(ウィスコンシン、バーモント州等)との所得格差は一層拡大しつつあると推察される。ただし、生産急増にもかかわらず、米国内の乳価水準は近年ほとんど変化していない(USDA『Agricultural Prices』)。その主な要因は、大幅に増加した生乳供給を輸出拡大によって消化できたためと考えられる。

 米国のように大きな輸出市場を持たない日本では、生乳増産は大幅な乳価下落を引き起こす。また、日本酪農は一般的に飼養管理技術水準が高く、rbSTが認可されれば急速に普及し、大きな乳量増加効果を発揮すると考えられる。さらに、日本の消費者は食の安全性に対して非常に敏感になる場合があるため、潜在的にかなりの乳価下落要因が揃っていると言えよう。

[参考文献]
Hertnell, G.F. (1995) Bovine Somatotropin: Production, Management, and United States Experience. M.Ivan (ed.). Animal Science Research and Development: Moving Toward a New Century. Centre for Food and Animal Research, Agriculture and Agri-Food, Canada. pp189-203.

Kaiser, H.M. (2000) Impact of generic fluid milk and cheese advertising on dairy markets 1984-99. NICPRE00-01, R.B. 2000-02, Dep. Agric. Res. Manag. Econ., Cornell Univ. USA.

Office of Management and Budget (1994) Use of Bovine Somatotropin (bST) in the United States: Its Potential Effects. USA.

鈴木宣弘 (1991)「乳量増加新技術の急速な普及が我が国酪農に与える影響」農林水産政策研究所『農総研季報』第10号、pp1-22.

Kinoshita, J., S. Suzuki, and H.M. Kaiser. (forthcoming) An Economic Evaluation of rbST in Japan. Journal of Dairy Science.


元のページに戻る