2004〜2005年の国産牛肉に対するわが国のBSE対策
既にわが国では、2001年9月の国内における初のBSE(牛海綿状脳症)発生以来、全頭検査の導入を柱とする消費者の安全確保のための対策が実施されてきた。
ただし、BSEは通常若齢牛に発生する事例はほとんどないことから、食品安全委員会において、BSEの全頭検査に関する見直しが実施され、2005年3月28日、プリオン専門調査会において、BSE対策の全頭検査から生後20カ月以下の牛を除外する新基準を容認するとの結論を出した。
食品安全委員会は、厚生労働省などから国内安全基準の見直しについて諮問を受け、2004年10月から議論を続けていた。同日の調査会は全頭検査を緩和しても牛肉がBSEに汚染されるリスクは、特定危険部位(SRM)の除去などの対策がとられている限り「非常に低い」または「無視できる」と結論づけた。
ただ、厚生労働省などへの答申案には一部委員から出た慎重論も考慮し、「BSEは科学的に不明確な点が多く、今後(BSE検査などの)技術革新があった場合にはリスク評価の見直しを行う必要がある」などの意見が盛り込まれた。
食品安全委員会は2005年5月6日、BSEの国内安全基準の見直しを農林水産省、厚生労働省の両省に答申した。その内容は、若い牛を検査対象から外しても牛肉の危険性は低いとして、出荷するすべての食用牛を検査する「全頭検査」から、生後20カ月以下の若い牛を外すというものであった。
同日の食品安全委員会では、プリオン専門調査会がまとめたBSEの安全基準を見直す答申案について、一般から1,250件の意見が寄せられたことが報告された。そのうち約7割が全頭検査の見直しに反対する意見だった。
本委員会では、委員から消費者の不安に理解を示す指摘もあったが、検査の緩和を科学的に覆すような反対意見はないとし、答申案を了承した。答申は全頭検査の見直しに加え、脳などのSRMの除去や飼料規制の強化を求めた。農林水産省などは答申を受け、BSEの安全基準を定める省令を改め、BSE検査の対象から20カ月以下の若い牛を外すこととした。
2005年8月1日、出荷するすべての食用牛にBSE検査を義務づける「全頭検査」を緩和し、検査対象を生後21カ月以上に限る厚生労働省の改正省令が施行になり、生後20カ月以下の若い牛は検査しなくても、市場に出荷できるようになった。
ただ厚生労働省は検査の継続を望む消費者に配慮し、検査の主体となる地方自治体に検査費用を最長で3年間補助するため、国産牛肉の全頭検査は、自治体が望む場合、事実上続くことになった。
2004〜2005年の米国およびカナダにおけるBSE発生に伴うわが国の対応状況
2003年5月21日、カナダにおいて初のBSE感染牛が確認され、わが国は直ちに同国産牛肉および加工品などの輸入禁止措置をとった。また12月24日には米国において初のBSE感染牛が確認され、カナダ同様、わが国は直ちに同国産牛肉および加工品などの輸入禁止措置をとった。
2004年10月23日、日米局長級会合において、双方において国内手続きが承認される事を条件として、科学的知見に基づいて、双方向の牛肉貿易を再開するとの認識を共有した。
2005年5月13〜20日、全国9カ所において、米国産およびカナダ産牛肉のリスク管理措置に関する意見交換会が実施された。
5月24日、農林水産省と厚生労働省は、食品安全委員会に米国産とカナダ産の牛肉について輸入再開の条件を諮問した。諮問は生後20カ月以下の若い牛の肉に限りBSE検査をせずに輸入することについて、国産牛肉と安全性が同等かどうかの判断を求める内容である。諮問は若い牛の肉を輸入する条件として、(1)脳などのSRMを取り除く、(2)若い牛の月齢は出生証明書や枝肉の色などによって見分ける、(3)米国政府が牛肉輸出の手続きを整える、などを挙げ、最終的な判断を食品安全委員会に求めた。同委員会は諮問を受け、26日に開く親委員会を経て、プリオン専門調査会で審議を開始した。
その後、6月24日、米国において2例目のBSE感染牛が確認されたが、わが国では、食品安全委員会における10回余りの審議を経て、12月8日、食品安全委員会から出された答申を踏まえ、厚生労働省および農林水産省は、輸入条件について両国と協議の結果、12日の農林水産省BSE対策本部で、この条件(全頭からのSRMの除去、20カ月齢以下と証明される牛由来の牛肉)などの順守について合意することとし、一定の条件で管理された米国およびカナダ産牛肉の輸入再開を決定した。
併せて、厚生労働省と連名で米国およびカナダに輸入の再開を通知し、以下の事項について要請を行うとともに、関係団体あてに輸出プログラムの順守について通知した。
(1)せき髄除去の監視の強化を図ることが必要であること。
(2)米国およびカナダにおけるBSEの汚染状況を正確に把握し、適切な管理対応を行うため、十分なサーベイランス(監視)の継続が必要であること。
(3)米国およびカナダにおけるBSEの増幅を止めるためには、SRMの利用の禁止が必須であり、牛飼料への禁止のみならず、交差汚染の可能性のあるほかの動物の飼料への利用も禁止する必要があること。
(4)なお、ビーフジャーキーなどの加工牛肉などについては、引き続き輸入禁止となり、旅行者が持ち帰る携帯品としても輸入できない事に留意する必要があること。
この輸入再開に当たり、米国およびカナダにおける輸出プログラムの順守状況の確認のため、12月13日から24日まで(カナダに関しては23日まで)、厚生労働省および農林水産省の担当者を両国に派遣し、日本向け輸出食肉処理施設の査察を行った。
以上により、約2年間、中断していた米国およびカナダ産牛肉の輸入の再開が可能となった。
2004〜2005年の米国およびカナダにおけるBSE発生後のわが国の牛肉市場の動き
日本にとっての牛肉の主要供給国である米国で2003年12月に初のBSEの発生が確認され、直ちに輸入禁止措置がとられて以来、輸入量の絶対的不足に加え、心理的な効果も相まって、日本における牛肉の供給量(国内生産量+輸入量)は2004年に減少した(図1)。減少の第一の原因は、BSE発生以前まで、日本の牛肉総供給量の約4分の1を占めていた米国産牛肉の輸入が急に不可能になり、代わりに豪州産牛肉の輸入を増加したが、米国産牛肉の減少を埋め合わせるような十分な輸入ができなかったからである。国産牛肉は、2003、2004年度ともに35万トン程度の生産量であり、その水準はほとんど変わらなかった。
図1 国内への原産地別牛肉供給量
豪州産牛肉の輸入の増加は、2003年度の30万トンから2004年度の41万トンへと、大幅に増加した。しかし、2003年度の米国産牛肉の輸入量が20万トンから2004年にはゼロとなったため、日本の牛肉の供給量は、2003年度の87万トンから2004年度の81万トンへと、大幅に減少した。
もう少し長期的視点で牛肉の供給量をみると、1990年代後半は、牛肉の供給量は漸次増加を続けたが、2001年9月に、わが国において初のBSEの発生が確認され、消費者の不安が高まった結果、2001年度の牛肉の供給量は、2000年度と比較して、17万トン減の91万トン(16%減)と大幅に減少した(図2)。その後、国内においてBSE全頭検査の導入などの抜本的な対策がとられた結果、国内産牛肉に対する消費者心理も回復に転じていたが、2003年には、5月にカナダで、12月に米国で初のBSEが確認され、直ちにこれらの国々からの牛肉の輸入が禁止されたため、上記のように、2004年度の牛肉の供給量は、再び減少することとなった。
図2 牛肉の生産量および輸入量の推移
豚肉の供給量は、2000年度は153万トンであったが、その後、毎年4〜5万トンずつの増加を続け、特に、米国でBSEの発生が確認された2004年度は、前年度と比較して、8万トン増加の175万トン(5%増)となった(図3)。この背景には、BSEによる牛肉の代替需要として豚肉の需要が増加したことが考えられる。ちなみに、2000年以降、豚肉の国内生産量は88万トン程度で安定しており、供給量の増加は、そのほとんどが輸入量の増加によるものである。
図3 豚肉の生産量および輸入量の推移
一方、鶏肉の供給量は、2000年度以降は徐々に減少傾向にあり、豚肉にみられるようなBSEによる牛肉の代替需要の定着はみられない(図4)。
図4 鶏肉の生産量および輸入量の推移
牛肉の価格の動きを見ると、まず、去勢和牛の枝肉卸売価格(A4、東京市場)は、2004、2005年の両年とも、2003年を大幅に上回って推移している(図5)。また、2005年の水準は2004年を上回っており、BSEの発生と米国産牛肉の輸入禁止以来、段々と国産和牛に対する需要が増加していることがうかがえる。次に、品質では輸入牛肉により近いとみられる乳用種去勢牛の枝肉卸売価格(B2、東京市場)も、2003年12月の米国でのBSE発生を境に大幅に価格が上昇し、2004年および2005年は、2003年を大幅に上回った水準で価格が推移している(図6)。
図5 去勢和牛の枝肉卸売価格(A4、東京市場)
図6 乳用種去勢牛の牛肉卸売価格(B2、東京市場)
輸入牛肉についても、同様の上昇傾向がみられる。豪州産牛肉の対日輸出価格(グラスフェッド、フルセット、C&F)は、2003年12月の米国におけるBSE発生、およびそれに続く日本の禁輸措置の実施により、2004年1月には対前年同月約100セント/ポンド増の251セント/ポンド(64%増)に高騰した(図7)。その後は、このような瞬間的な高騰は収まったものの、2004、2005年を通じ、輸出価格は2003年の水準を上回った。ただし、2005年の後半になると、その価格水準は下落し、2003年の水準に近づいてきている。
図7 豪州の対日牛肉輸出価格
(グラスフェッド、フルセット C&F)
豚肉価格については、牛肉の価格ほど顕著ではないが、2003年の価格に比較して、2004および2005年の国内の豚肉の枝肉卸売価格はやや高水準で推移しており、ここにも、供給量でみたように、BSEの影響による牛肉の代替効果の発現が推察される(図8)。一方、鶏肉の価格については、2004、2005年の価格水準は2003年のそれと大差なく、鶏肉の供給量でみたように、BSEの影響による牛肉の代替効果は明確ではない(図9)。2004年前半の価格の低迷は、2004年1月にわが国で発生した鳥インフルエンザの風評による影響が考えられる。
図8 豚肉の枝肉卸売価格(規格「上」、東京市場)
図9 鶏肉の卸売価格(もも肉、東京市場)
2005年末の輸入再開と2006年1月の再度の輸入禁止
既に述べたように、昨年(2005年)12月12日に、わが国は米国産およびカナダ産牛肉の輸入再開を決定した。ただし、それは全面的な輸入再開ではなく、両国は、月齢制限(20カ月齢以下)やSRMの除去などの日本が課したBSE対策の条件を順守することが必要不可欠である。
米国産牛肉の輸入再開第一便は、航空便で昨年12月16日に到着した。2006年には、船便での本格的な輸入が再開される予定であった。
しかし、2006年1月20日、せき柱を含む米国産子牛肉が発見され、日本政府は、直ちに、再び米国産牛肉の輸入禁止を決定した。今後については不透明であるが、米国が、安全・安心を担保する仕組みを日本側に提示することが、輸入再開に当たっての必要不可欠な条件であると考えられる。
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