大臣官房参事官
原田 英男
著者が家畜衛生の担当をするようになって4カ月が過ぎるが、マスコミや一般の国民に「家畜衛生」の説明をすることの難しさに嘆息する毎日である。一般の国民にとっては、家畜といえばペットであり、牛肉や卵を毎日購入していても、それらを生産する牛や鶏は縁遠いものになってしまっている。しかしながら、BSEや鳥インフルエンザの例を引くまでもなく、今日では、人間の健康と家畜の衛生管理が結び付けられて論じることがますます重要となっている。 今回の報告では、「畜産の情報」の読者の中でも消費者や畜産の専門家ではない方々を意識して報告し、最近の人と家畜をめぐる話題の理解に役立てて頂ければ幸いである。 家畜衛生対策は、緊張の毎日である。これには2つの意味があり、一つは、グローバル化が著しい今日、世界のどこかで毎日のように発生している家畜の伝染病が、いつわが国に侵入するか分からない、という緊張である。もう一つは、従来、どちらかというと「地道」な役割を担っていた家畜衛生対策が、米国産牛肉の輸入停止問題で見られるように日米貿易などというありがたくない「舞台」に引きずり出される機会が増えているためである。 家畜の伝染病として恐ろしいのは、口蹄疫と高病原性鳥インフルエンザである。どちらも感染力が強く、家畜にとっての病原性も高い。どちらも最近、わが国でも発生して、家畜のみならず経営者にも大きな被害をもたらしたが、現在では清浄化されている。一方で、消費者の関心が高いBSEは、牛の病気としては、ほとんど脅威とならない。なぜなら、13年10月以降の感染源の遮断(肉骨粉の飼料利用の禁止)により、過去に感染した牛がBSE検査により見つかることはあっても、新たな発生はまず、無い、といえるからである。 高病原性鳥インフルエンザは人畜共通の感染症として、直接、人間にとっての脅威ともなっている。最近でも、お隣の韓国で高病原性鳥インフルエンザが発生し、わが国の関係者にも緊張感が走った。幸い、この原稿を書いている12月11日現在では3例にとどまっている。2例目までの益山市から3例目が隣の金堤市発生地域が広がっていることに危惧を感じるが、このまま、3例目が終息に向かうことを切に祈っている。(韓国での鳥インフルエンザの発生やその対応策については後述する) このように、油断できない状況が続いてはいるものの、口蹄疫、高病原性鳥インフルエンザ、BSEなどの発生に対して、わが国はその再発の防止あるいは清浄化を進めている。そこで、今後はそのような大事件が起こる前に、あるいは食の安全に対する不安を引き起こす前に、生産者や関係者がもう一度、原点に立って、家畜の衛生と食の安全の基本となる取り組みを進める必要があると考える。それはすなわち、家畜の健康を守ることが、安全な畜産物を安定的に供給するために必要不可欠なものであるということである。(図1)
図1 農場から食卓までの安全確保の徹底
何だ、当たり前のことではないか、とお叱りを受けるかもしれないが、従来は、家畜の伝染病の発生とまん延を防止することが家畜衛生対策のすべてと整理されていたきらいがある。BSE、鳥インフルエンザなどの人畜共通感染症への備えというだけでなく、消費者にとって、よく理解できない畜産の生産現場における衛生対策を理解していただくことが大変重要な課題になっているのだ。 また、最近、慢性型の疾病により生産効率が低下している事例を耳にするが、それも、家畜を健康に飼う、ということが家畜にとっても生産者にとっても、もちろん、消費者にとっても基本であることを、失念している結果ではないか、と考えてしまうのである。 現在は、人間でも「予防医学」の確立が重要視されている。メタボリックシンドロームについての大キャンペーンを見て、憂うつになるご同慶は多いと察するが、家畜の伝染病が発生した場合の影響を考えれば、予防措置にお金と労力と気を使うことがいかに大切で、安上がりかということは自明のことである。自明と言ってしまうと原稿が進まないので、書かせていただくと、経済的な影響は、家畜の死亡、廃用といった甚大なものから、衛生費などのコストの増加、家畜の生産性の低下など、じわじわーっと経営に響いてくるものまで様々であろう。優秀な生産者は、健康な家畜を飼養することで、日々の利益を確保しつつ、万が一のときの被害の発生を回避するのである。 さらに重要なことは、人への健康危害に影響が及びかねないことである。安全な畜産物は健康な家畜から得られるものであり、人畜共通感染症は、直接、人の健康危害の要因となりえることを考慮すれば、家畜の伝染病を発生させない予防的な措置の徹底を図る必要がある。 家畜の伝染病は、感染源があり、感受性動物がいて、それを結ぶ感染経路が成立すれば発生することになる。従って、伝染病を防ぐためには、感染源をなくし、感染経路を断つことが重要である。感染性動物すなわち家畜がいなければ経営は成り立たない。言い換えれば、感受性動物をいかに感染源から守るかという、これも当たり前の結論にたどり着く。 私見だが、日々、出来ることとしては、家畜のストレスを減らし、健全な身体を保つころが最も重要であると思う。このためには、飼い方そのものがいかに、家畜にとって健康的か、ということだ。別にアニマルウェルフェアを引き合いに出す気は無いが、現在の生産現場における家畜の飼い方は、丈夫な・健全な家畜を育てる、という視点に欠ける農家も多いのではないか。 なお、家畜の健康を維持することは、経営者たる飼養者の責任である。例えば、ワクチネーションによる予防についても、本来、生産者の責任で実施すべきものを(例えば、アカバネ病などのワクチンをしないで子牛を流産するなんて経営者の責任ですよね)、国などの助成頼みにしている傾向もうかがえるが、これなども家畜の健康を守ることについて、自覚に欠けているためではないか。 感染経路の遮断についても、日ごろの飼養管理が重要である。鳥インフルエンザでは、野鳥との接触を断つためにウィンドレス鶏舎や防鳥ネットの設置などが有効であるし、ダニや蚊などの吸血性昆虫の駆除や、細菌で汚染された飲水や飼料を与えない、といった当然のことを実行するということである。清潔で換気性の高い畜舎で、適正な飼養密度を保てば、そう簡単には家畜は病気にはならない、人間でもそうですけどね。 もちろん、それでも病原菌は侵入するものであり、また、感染力、病原性が強いものであることを考えれば十分な消毒や適切なサーベイランスによる感染源対策が必要である。特に、サーベイランスは、戦争で言えば「索敵活動」であり、これをごまかすのは結果的に敵兵をかばう行為となり、味方に甚大な被害をもたらすこととなる。鳥インフルエンザでの京都や茨城の事例では、そういった心無い行為がまん延を招いた上、一般国民の信頼を失ったことをも銘記すべきであろう。 このように衛生管理を徹底することで家畜の疾病を予防する手法を整理したものが「飼養衛生管理基準」である。(図2)
図2 飼養衛生管理基準
家畜防疫の基本単位は個々の経営であるが、地域にあっては、地域内での生産者の自衛防疫組織の活動、都道府県の家畜保健衛生所との連携が重要である。さらに、都道府県同士、都道府県と国、動物衛生研究所との機動的な連携を図ることが、決定的に重要である。口蹄疫、鳥インフルエンザなど、直ちに全国的・広域的な対応を取らないと防圧が困難となるからである。(図3)
図3 家畜防疫の相互連携
一方、わが国全体への侵入防止という観点で動物検疫を強化している。動物検疫所は、海外からの悪性伝染病を防ぐための防波堤として力を尽くしているし、最近では米国産牛肉の水際検査にも大きな役割を果たしている。(図4)
図4 水際における動物検疫
韓国の鳥インフルエンザ発生に際しては、11月23日に一報を確認すると、直ちに韓国からの家きん肉などの輸入を一時停止するとともに、韓国からの旅行者などの靴底消毒の徹底を図るよう、動物検疫所に指示したところである。その後、図5にあるように3例の発生が確認されている。このような「事件もの」に対しては、正確な情報をタイムリーに発出することが重要となる。このため、韓国大使館の情報を主体に韓国での新聞報道などを含めてまとめたものを、「日報」として毎日、定時に報告することとし、都道府県などにも情報提供に努めた。もっとも、インターネット時代では、役所の公的なプレスリリースの以前に情報がネットに流出することになるため、当方からの情報が最速とは限らないが、チェックを入れているので、正確なものではある。更に都道府県に対しては、農家や団体への情報提供と飼養管理の徹底を指導するようお願いしたところである。都道府県も迅速に対応していただいて、12月4日には、各県からの対応状況を確認し、取りまとめることができた。
図5 韓国における高病原性鳥インフルエンザの発生場所
鳥インフルエンザについては、この冬の国内での万が一の発生に備え、強化サーベイランスの継続、マニュアルの点検・防疫演習の実施、広域応援体制の点検を行った。 また、新型インフルエンザの発生に備え、本年9月に関係19省庁が参加して机上訓練を実施しており、今後も適宜実施する予定であると聞いている。 なお、茨城県での弱毒タイプの発生を踏まえ、鳥インフルエンザの防疫指針の見直しを進めてきたが、11月27日に開催された「食料・農業・農村政策審議会消費・安全分科会家畜衛生部会」において、一定の条件の下で「農場監視プログラム」を適用できるようにする見直しの方針が決められたところである。 こうした作業の一環として、わが国の牛の防疫状況、特にBSEのリスク管理の状況について、資料提供をはじめ、実際に国内施設の調査などが行われることがある。その際、海外の防疫担当官に驚かれるのは、わが国でのBSE検査(死亡牛を含め)や飼料規制の徹底振りである。さらに、牛の個体識別番号から携帯電話でもトレースバックが出来ることをデモンストレーションすると、わが国のシステムの完成度に感心することしきりである。こうしたシステムの構築には、生産者、流通関係者、都道府県や市町村、農協などの関係者のそれぞれの立場における努力があったわけだが、国内の消費者に対して、安全性を担保する仕組みとして機能しているだけではなく、海外の消費者にもわが国の牛肉の安全性を訴える手段として価値があり、かつ、モデル的なシステムとして導入を検討している国もある、ということを紹介して、関係者のご苦労をねぎらいたい。 |
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