話題  畜産の情報 2013年11月号

日本に牛がいる、ということ

公益財団法人 日本乳業技術協会 栗本 まさ子


 いま日本に、牛は何頭ぐらいいるのでしょうか?

 今年の2月1日現在、406万5000頭です。ずいぶん減ってしまったとお感じの方も、思いのほか多いとお感じの方もおられると思います。この3分の1強、142万3000頭が乳用牛です。戦後、昭和22年の15万頭程度から食生活の洋風化、多様化に伴って増加し、昭和60年に211万1000頭とピークを迎えますが、その後は減少が続いて3分の2となり、特に都府県では半減しました。そして酪農家の数は、最も多かった昭和38年に41万8000戸でしたが、平成25年には1万9000戸、22分の1となりました。かつては多くの農家にいた牛たち。今は、容易に会うことはできなくなっています。

 今年、国際酪農連盟ワールドデイリーサミットが22年ぶりに日本で開催されることを機に、改めて、日本に牛がいる、ということについて、釈迦に説法!とのお叱りを覚悟の上、話題提供させていただきたいと思います。

牛の一生…

 母牛から、つるりと自然に生まれる子牛、足に付けた縄をひっぱってもらってやっとの思いで生まれる子牛、一頭一頭さまざまです。子牛たちはその性別、品種などに応じてそれぞれの一生を送ることになります。ホルスタインの雌牛だとしましょう。産まれてすぐに母牛から離されますが、一週間ほど母牛の初乳を飲み、病気の予防のためのワクチン接種を受けたりもしながら大切に育てられ、生後15カ月頃に種付けされ10カ月後には母牛となります。そして子牛のために乳を出し搾乳牛となります。私たち人間と同じように妊娠、出産しなければ乳は出ません。泌乳能力が高いがゆえに乳房炎に悩まされる牛も少なくはなく、順調に妊娠できず治療を受けることもあります。そうして、妊娠、出産を繰り返し一生を終えることになります。当然のことですが、妊娠・出産の回数が多ければ、それだけ牛は長く生きることができます。

牛と土と人と

 農林水産省生産局制作のパンフレットに、大地の上で牛と人が肩を組んでいるイラストがありました。牛は大地に養分を、大地は牛に飼料を供給し、人はその手助けを担い食料を得るという3者は、環境にやさしい持続可能な関係、という絵です。牛たちは草が好き。トウモロコシや麦も美味しそうに食べますが、野外で草を食む表情は本当に幸せそうです。大好きな草を腹いっぱい食べてそれに見合った成分の乳を出す、という本来の能力をもっと尊重してあげられれば、とも思います。この夏、有数の米どころで美しい水田風景を目にしました。耕作放棄地のない良く管理された水田の一角で、若者たちが稲を刈りホールクロップサイレージを作っていました。牛は喜んで食べるとのことです。コメは人の食べ物だという稲作農家の思いやコストなど課題は多いと思われますが、日本の牛は日本の稲が好き、ということは事実のようです。

牛と人と

 砂漠の旅人の水筒(羊の胃袋)の中でチーズができたという有名な話は紀元前2000年頃の民話、更にその前の古代エジプトの壁画にもチーズの製造法が描かれていたとのことです。日本には、飛鳥時代に百済から伝わったとされるなど、牛乳・乳製品は、優れた栄養源として、おいしい食品として、私たち人類の歴史に大変古くから登場します。そして今もなお、ラクトフェリンなど含まれる成分の優れた機能の解明のための研究は続けられ、新たな成果が得られています。

 一方で、さまざまな理由で“体に良くない”とされることもありますが、科学的な評価や情報提供も行われています。そして、その多くは、バランスの良い食生活が大切、と結論されています。

牛と子どもたちと

 酪農団体が長年続けておられる取り組みに「酪農教育ファーム」があります。発表会は感動に満ちています。1つだけ、ある小学校の取り組みをご紹介します。まず生徒たちが酪農家で、牛舎の清掃、餌やり、哺乳などの作業を体験し、牛たちのことをひととおり勉強した後に、JR名古屋駅にほど近い小学校に牛の親子を招いた、というもの。発表者は小学校の女性校長、理科の先生でした。若い頃からやりたかったことが校長になってやっとできた、と。駅へ向かう通勤途中の人々が足を止め、携帯で撮影し、「小学校に牛がおる!!」と電話する姿も紹介され、その好影響が小学生だけにとどまらなかったことがうかがえます。

 こうした取り組みは、伝染性の病気を持ち込む、乳量が落ちるといった懸念が大きく、実施には相当のご苦労があると思われますが、乳牛の末永い理解者、応援団を増やすということが期待される以上に、未来を担う子どもたちを、やさしく、たくましく育てるために必要だ、と女性校長はおっしゃいました。

ふたたび、牛と人と

 あるアンケートで、「牛はお好きですか?」との問いに「嫌い」と答えた人はわずか4パーセントでした。畜産のイベント会場での結果ではありますが、うれしい数字です。でも、「どちらとも言えない」と答えた方が最も多かったこともお伝えしなければなりません。「なぜですか?」への回答では、身近にいないから、良く知らないから、が目立ちました。かつて、国民の多くは身内や友人に牛飼いがいて牛好きで牛飼いの苦労も良く知っている、だから英国でのBSEによる風評被害は早く終息した、と聞いたことが強く印象に残っています。

 畜産のイベント会場では搾乳体験や哺乳体験に長蛇の列ができ、体験中の方々は、どなたも牛がお好きなように見えました。ひとたび牛のぬくもりに触れてしまうと牛が好きになる、とはいえないでしょうか?

私たちの国には牛がいる

 このことは、私たちにとって何が素晴らしいのか、飼っている方々は何に苦労しておられるのか…。いま一度、牛にまつわることをいろいろ思い起こし、身近な方々にお伝えし、お一人でも多くの方に私は牛が好き!と感じていただければ、と思っています。
「酪農及び肉用牛生産の近代化を図るための基本方針のポイント」
(平成17年5月 農林水産省生産局作成)より抜粋          
イラスト:一般社団法人中央酪農会議 提供              

(プロフィール)
栗本 まさ子(くりもと まさこ)

 昭和52年東京農工大学獣医学科卒業、農林省(当時)入省。福島種畜牧場(現家畜改良センター)、牛乳・乳製品課、消費・安全局衛生管理課、東海農政局、内閣府食品安全委員会事務局等に勤務し、平成24年9月退職。平成25年7月より現職。獣医師。

元のページに戻る