【要約】
酪農マージン保護プログラム(MPP)は、それまでの生乳収入損失補償契約プログラム(MILC)に代わり、2014年農業法で新設された。米国では、年単位で乳価が決定される日本とは異なり、乳製品市場に連動して月単位で乳価が変動するという特徴があることから、世界金融危機のような景気低迷時には、乳価が大幅に下落する。
MPPは、乳価と飼料価格の差を酪農家の収益(マージン)として捉え、それを保障することにより再生産を確保することを目的としている。MPPの発動は、2014年にはなかったが、2015年に入り、国際的な乳製品価格の下落に伴う米国内乳価の下落により、限定的ながら発動している。
今回の調査では、同制度に対する現場の評価と課題について聞き取りを行った結果、いくつかの課題が明らかになった。
1 はじめに
米国では、年単位で乳価が定まる日本と異なり、乳製品市場に連動して月単位で乳価が決まり、それが月ごとに大きく変動するという特徴がある。このため、米国の乳価は、2000年代に入り、人口増に伴う乳製品消費や輸出需要の増加などを背景に上昇傾向で推移してきたが、2008年に端を発した世界金融危機による世界的な景気低迷時には、再生産不可能な水準まで大幅に低下することとなった。さらに、同年に米国で発生した干ばつで飼料穀物や乾草の価格が高騰したことにより、酪農家の収益性は一層悪化する事態となった。当時の米国の酪農経営を支える所得補償制度は、生乳収入損失補償契約プログラム(MILC)が主であり、乳価が保証基準価格を下回った場合にその差額を補塡する仕組みであった。しかし、MILCでは、乳価の下落のみを補塡の指標としていたことから、飼料価格の高騰による収益性の悪化には十分に対処することができず、多くの酪農家は赤字経営を余儀なくされた。こうした状況に対応するため、2014年農業法では、補塡の指標に飼料費を加味し、乳価と飼料費の差を酪農家の収益(マージン)として捉え、それを保障することにより、再生産を確保することを目的とした酪農マージン保護プログラム(MPP:Margin Protection Program)が創設され、MILCは廃止された。
MPPの運用が始まった2014年の酪農家の収益は、高い乳価と安い飼料価格により、MPPの保障水準をはるかに上回って推移した。しかし、2015年に入り、世界的に生乳生産量が増加する一方、これまで需要を伸ばしてきた中国の乳製品輸入量が減少したことなどから乳製品の国際需給が緩和した。米国の乳製品は堅調に輸出を伸ばしていたが、この影響により米国内の乳価が下落し、酪農家のマージンが保障水準を下回ったことから、数回にわたり補塡が発動するに至っている。
今回の調査では、MPPによる補塡が実際に発動し始めた中で、乳牛飼養頭数、生乳生産量ともに全米第1位で比較的大規模経営が集中するカリフォルニア州、同じく全米第2位で中小規模の経営が集中するウィスコンシン州、また、MPPを含む2014年農業法の成立に最後まで反対していたとされるバーモント州の酪農家をそれぞれ訪問し、MPPの現状と課題に対する認識を中心に聞き取りを行った。本報告では、米国の最近の酪農概要とMPPをめぐる現地事情を中心に報告する。
なお、本文中の為替レートは、1米ドル122円(2015年1月末日TTS相場:121.87円)を使用した。
2 米国酪農の概要
(1)乳牛の飼養頭数、酪農家戸数とその分布
米国農務省農業統計局(USDA/NASS)が公表している「Milk Production」〔1〕によると、米国全体の乳牛飼養頭数(2015年12月現在)は932万2000頭(前年同月比0.2%増)と、前年をわずかに上回って推移している(図1)。州別飼養頭数を見ると、最も多いのはカリフォルニア州であり、これにウィスコンシン州、アイダホ州、ニューヨーク州などが続く(図2)。
また、USDA/NASSの2012年農業センサス〔2〕によると、全米の酪農家戸数は6万4098戸、飼養頭数は925万2272頭であることから、1戸当たりの平均飼養頭数は150頭程度と推計され、日本の全国平均(78頭〔3〕)の2倍程度の規模となる。州別に見ると、カリフォルニア州の酪農家戸数は1931戸で、平均飼養頭数は940頭と大規模である。一方、2番目に飼養頭数の多いウィスコンシン州の酪農家戸数は1万1543戸であり、平均飼養頭数は110頭と比較的中小規模の酪農家が多いと推測される。なお、バーモント州の酪農家戸数は1075戸と少なく、平均飼養頭数は125頭とウィスコンシン州とほぼ同等である。
乳牛を500頭以上の飼養している大規模酪農家の割合は、全米では全体の5.2%を占め、ウィスコンシン州(同3.4%)やバーモント州(同5.4%)も同様の傾向が見られる一方、カリフォルニア州は、同51.4%と半数以上を占めている(図3)。
(2)生乳生産量の推移
2015年の米国の生乳生産量は、9457万1000トン(前年比1.2%増)と前年を上回って推移している(図4)。米国の生乳生産量は、飼養頭数の増加と乳牛の遺伝的能力の向上や飼料給与技術の改善による1頭当たり乳量の増加などを要因に増加傾向で推移している。
州別に見ると、生乳生産量の最も多いカリフォルニア州は、2012年以降、深刻な干ばつが続いていることで、同年の生乳生産量は1855万2000トン(前年比3.4%減)と減少している(図5)。一方、ウィスコンシン州は、好天に恵まれ飼養環境が良好なことから、1315万トン(同4.3%増)と堅調に推移している。また、バーモント州は、前年並みの120万9000トンである。なお、米国では生産する乳製品に地域ごとに特色があり、バターや脱脂粉乳の生産量はカリフォルニア州が最大で、ウィスコンシン州では、生産される生乳の85%がチーズ原料に向けられ、これは、全米平均の33%と比べ著しく高くなっている〔4〕。
(3)乳価の推移
2014年の全米平均乳価は、国内外の乳製品需要の高まりを背景に高値で推移し、100ポンド当たり23.97米ドル(1キログラム当たり64円)であった(図6)。
しかし、2014年末から、乳価は下落し、2015年は低価格で推移している。これは、前述の通り、米国のみならずEUやオセアニアなど世界の主要生乳生産国での増産に加え、中国の輸入需要の激減、ウクライナ情勢を契機としたロシアの禁輸措置の影響などにより、世界的に乳製品需給が緩和したことによるものである。
コラム 乳価の決定方法
乳価の決定方法には、連邦法に基づく連邦生乳マーケティングオーダー(FMMO)、カリフォルニア州生乳マーケティングオーダー、個別契約(いずれのオーダーでもカバーされていない地域)の3つがある。現在、FMMOは10の地域で構成されており、各々の地域内で出荷された生乳は用途別にクラスT(飲用乳向け)、U(アイスクリーム・ヨーグルト向け)、V(チーズ・ホエイ向け)、W(バター・脱脂粉乳向け)の4つに分けられる。それぞれの最低取引乳価は、一定の計算式により機械的に算定され、乳業者はこの最低取引乳価を上回る価格によるプール乳価での出荷者への支払いが義務付けられている。カリフォルニア州のオーダーは、用途別に5つのクラスに分かれていることと、生産割当(クォータ)が存在している点でFMMOと異なっている。
なお、FMMOについては、本誌2010年7月号の「米国における酪農政策の今後の展開方向〜乳価下落時におけるセーフティネットの効果〜」〔6〕を参照されたい。
3 酪農マージン保護プログラム(MPP)創設の経緯
(1)MILCに対する評価
MPP創設以前のセーフティネットであったMILCは、飲用乳の農家出荷価格が保証基準価格を下回った場合に補塡金が支払われる全国規模の農場収入プログラムであった。飲用乳の農家出荷価格の指標としては、マサチューセッツ州ボストン地域のクラスT(飲用乳向け)乳価が用いられ、保証基準価格は100ポンド当たり16.94米ドル(1キログラム当たり46円)に設定されていた。また、飼料コストの上昇に対応できるよう、加重平均による飼料価格が基準(100ポンド当たり7.37米ドル(1キログラム当たり20円))を超えた場合、保証基準価格が調整係数の適用により、上昇する仕組みとなっていた。
しかし、飼料価格高騰などが酪農家の収益に及ぼす影響が十分に制度に反映されていないと評価され、また、補塡金支払の上限数量(1戸当たり2985キロリットル)が定められていたことで、大規模農家にとって、あまり魅力のないものとなっていた。
このため、米国酪農を取り巻く環境が変化していくのに合わせ、酪農家をはじめとする関係者の間では、MILCの改訂を求める機運が高まったのであった。
(2)2014年農業法による酪農政策の転換
2014年2月に成立した2014年農業法では、酪農政策について、(1)価格支持から所得支持へ、(2)大規模酪農家への支援、(3)国際市場での競争力の維持・拡大、などの方向性の転換がみられた。MILC、乳製品価格支持プログラム(DPPSP)および乳製品輸出奨励プログラム(DEIP)が廃止され、代わってMPPに加え、乳製品寄贈プログラム(DPDP)が創設された。
この背景として、(1)「価格支持から所得支持へ」については、乳価の下落のみを補塡の指標としていたMILCでは、飼料価格の高騰による収益性の悪化には十分に対処することができず、多くの酪農家は赤字経営を余儀なくされた(図7)。このため、2008年から議論が開始された2012年農業法では、こうした状況に対応するための新たな仕組みが検討され、紆余曲折を経て2012年農業法に代わって決定された2014年農業法では、補塡の指標に生産費で最大の比重を占める飼料費を加味し、乳価と飼料費の差を酪農家の収益(マージン)として捉え、それを保障することにより、再生産を確保することを目的とした酪農マージン保護プログラム(MPP)が創設され、MILCは廃止された。
また、(2)「大規模酪農家への支援」については、米国内で酪農危機といわれた2007年から2008年にかけて、経営基盤の脆弱な中小規模の酪農家の経営中止が増え、結果として大規模化が促進されることとなった(図8)。このため、大規模酪農家が生乳生産の安定に果たす役割が高まったのである。
さらに、(3)「国際市場での競争力の維持・拡大」については、2008年農業法の酪農政策では、乳製品の輸出拡大により米国酪農が国際的な乳製品需給の影響を受けやすくなることを想定しておらず、生乳生産者の収入支持と国内市場における価格支持が中心となっていた(図9)。これに対し、乳業者の間で、こうした政策は、米国の牛乳・乳製品の国際競争力を低下させ、米国の乳業者の発展を阻害するとの認識が広がり、米国の酪農乳業が国際市場に対応できるよう構造改革を進める方向に動くこととなったとされている。
(3)乳製品市場安定プログラム(DMSP)をめぐる議論
2014年農業法の審議に当たっては、乳製品市場安定プログラム(DMSP)の創設が大いに議論となった。DMSPは、最終的には2014年農業法に盛り込まれなかったが、この創設をめぐり多くの時間が費やされ、農業法の成立を遅らせる原因となったといわれている。
DMSPは、発動時に、酪農家が乳代の一部をUSDAに納め、これを高齢者や生活困窮者への食料支援を行うフードバンクなどへ寄贈する基金の財源とすることで、乳製品需要を創造する仕組みであった。
DMSPは、EUのクォータ制度のような供給管理ではないが、生産調整のタイミングを酪農家に知らせる合図として機能すると考えられていたことから、収益低下局面で最も脆弱となる小規模酪農家からの支持を多く集めた。このため、小規模酪農家を多く抱えるバーモント州選出の連邦上院議員はDMSPの創設を強く主張し、2014年農業法案の審議において、DMSPが含まれなければ法案に反対する姿勢を強く示すこととなった。
4 酪農マージン保護プログラム(MPP)の概要
MPPは、全国の平均乳価から飼料価格を差し引いた額を酪農家のマージンと捉え、100ポンド当たりのマージンを保障する制度である。米国では、年単位で乳価が決定される日本とは異なり、乳製品市場に連動して乳価が月単位で決定され、それが毎月大きく変動する。このため、乳価の大幅下落時は、再生産不可能な水準までマージンが大幅に低下するため、この回避などを目的として創設されている。
(1)加入資格および登録手続き
米国およびプエルトリコやグアムなどの自治領に居住するすべての酪農家は、MPPに加入することができる。加入を希望する酪農家は、毎年7月1日から9月末日までの間に登録を行い、登録料として飼養規模にかかわらず1戸当たり年間100米ドル(1万2200円)を支払う。一旦制度に加入すると、本制度が現時点で措置されている2018年末まで加入しなければならない。
(2)生産履歴(Production History)
MPPに加入する酪農家は、生産履歴の認定を受ける。この生産履歴は、保障の対象数量を決定する基礎数量となる。すでに酪農を営んでいる酪農家については、過去3年間のうち、最も多かった年の年間生乳出荷量が「生産履歴」として認定される。
なお、新規就農者の場合、以下のいずれかを選択することができる。
(1)生乳を生産した月の生産量から推計により年間生産量を算出
(2)飼養規模とUSDAが公表する全国平均乳量から年間生乳生産量を推計
(3)保障率および保障水準
MPPに参加する酪農家は、毎年、保障率と保障水準を設定する。保障率とは、対象とする数量の割合であり、認定を受けた生産履歴の25〜90%の範囲で5%刻みで選択する。従って、保障対象数量は、生産履歴に保障率を乗じた数量となる。
また、保障水準とは、マージンがどの程度まで低下した場合に、各経営体に補塡を発動させるかという基準であり、酪農家が生乳100ポンド当たりのマージンについて、4.0米ドル(1キログラム当たり11円)から8.0米ドル(同22円)までの範囲で0.5米ドル(同1.3円)刻みで自身の経営戦略に合わせて選択して設定する(図10)。
(4)保険料(掛け金)
保険料(掛け金)の単価は、生産履歴に保障率を乗じた保障対象数量のうち400万ポンド(約1800トン)を境に2段階に区分され、400万ポンドを超える部分に対する掛け金が高く設定されている(表1)。2016年以降、400万ポンド以下の部分に対する掛け金の単価が変更されることとなっている。なお、掛け金は掛け捨てで、無事戻しは実施されない。
掛け金の総額は以下のように算定される。また、図11に例を示す。
【保障対象数量(生産履歴×保障率)が400万ポンド以下の場合】
掛け金の総額 =生産履歴×保障率×掛け金の単価(400万ポンド以下)
【生産履歴×保障率が400万ポンドを超える場合】
掛け金の総額 =400万ポンド×掛け金単価(400万ポンド以下)+((生産履歴×保障率−400万ポンド)×掛け金単価(400万ポンド超))
(5)マージンおよび補塡金額の算定方法
補塡の発動を判断するマージンは、全国を代表すると仮定したものとして、酪農家の収入とコストのうち最大の割合を占める飼料費を勘案した以下の式により月ごとに算出される。
それぞれの価格は、以下のように定義されている。
・全国平均乳価:USDA/NASSが公表する全国平均の100ポンド当たりの価格
・トウモロコシ価格:USDA/NASSが公表する全国平均の1ブッシェル当たりの価格
・大豆かす価格:USDA/AMSが公表するイリノイ州中部の1トン当たりの価格
・アルファルファ価格:USDA/NASSが公表する全国平均の1トン当たりの価格
なお、各酪農家の実際の収益は、地域ごとの乳価、実際の飼料価格、飼料の配合割合、乳量の違いなどの要因によってさまざまなものとなる。
発動は2カ月ごと(例:1/2月期)に行われて、2カ月のマージンの平均値が、各酪農家が選択した保障水準を下回った場合に補塡金が支払われる。補塡金額は以下の式により算出される。なお、6で除するのは、2カ月(6分の1年)分の保障対象数量を求めるためである。
5 MPPの加入状況と発動状況
(1)加入状況
2015年の加入戸数は2万4748戸であり、全米の酪農家の約4割に当たる。しかし、最低保障水準である100ポンド当たり4.0米ドルで加入すれば、年間登録料のみの自己負担でマージンが危機的に低下した場合でも同4.0米ドルの収益が保障されるにもかかわらず、全戸が加入している訳ではない。これについて、西部酪農家連合(WUD:Western United Dairymen)のアクムーディ氏は、「2014年から始まった新しい制度であるためであり、登録手続きに要する手間も加入の障壁と考えられる」との見解を示しているが、後述する酪農経営収益保険(LGM−Dairy)とは重複して加入できないことも一因と考えられる。
また、加入戸数の内訳を保障水準別に見ると、最低水準の同4.0米ドルに設定している経営体が全体の44%と最大になっており、保障水準は低いものの、掛け金が無料であるためと考えられる(表2)。次いで同6.5米ドル(同26%)、同6.0米ドル(同15%)の順となっている。これに関して、ウィスコンシン・ファーム・ビューローのジマーマン氏は、保障水準を6.5米ドルから7.0米ドルへと、0.5米ドル引き上げるのに必要な掛け金の増加が他の水準間に比べて大きく、大学などで試算した結果、7.0米ドル以上を選択することは不利になるとの指摘がなされているためとしている。なお、最高水準である同8.0米ドルに設定している経営体は、加入者全体の1%にすぎない。
一方、保障率別に見ると、保障水準を同4.0米ドルに設定している場合、全ての加入者が最大の保障率の90%を選択している。これは、保障対象数量が4百万ポンドを超えるかどうかにかかわらず、掛け金が無料となるためと考えられる。各酪農家が選択する保障率は、保障水準の上昇に伴い低下する傾向にあり、保障水準6.0米ドルでは83%、8.0米ドルでは58%にまで低下する。これは、収益性の低下に備えるセーフティネットとしては一定の金額を確保しておけばよいとの考えによるものと思われるが、保障対象数量4百万ポンドを境に掛け金の単価が高くなることから、4百万ポンドを超える部分を少なくしようという酪農家の意図も働いているものと思われる。
(2)発動状況
MPPの運用が開始された2014年は、乳価が高値であったことに加え、飼料価格が安値で推移したことから、マージンは100ポンド当たり10米ドル(1キログラム当たり27円)以上の高水準で推移し、同15米ドル(同40円)を超える期もあった(表3)。このため、同年には一度も発動実績はなく、2015年も同様の傾向で推移するものとみられていた。しかし、2015年に入り、飼料価格は前年と同様に安値で推移しているものの、乳製品国際価格の急落に引きずられる形で乳価が下落したことから、7/8月期まで4期分のマージンは、それぞれ100ポンド当たり7.99米ドル(1キログラム当たり21円)、7.50米ドル(同20円)、7.99米ドル(同21円)、7.70米ドル(同21円)と、最大保障水準である同8.0米ドルを下回って推移し、4期連続で補塡が発動した。ただし、補塡金の交付対象者は、保障水準を同8.0米ドルに設定している者(加入者の1%程度)に限られており、補塡金額も限定的である。
その後、9/10月期および11/12月期のマージンは、乳価の上昇と大豆かす価格の下落を反映して、それぞれ同9.08米ドル(同24円)、9.56米ドル(同26円)に増加したことから、補塡の発動はなかった。
MPPは、2014年から運用が開始された制度であるが、参考値として全国生乳生産者連盟(NMPF)が算出している過去のマージンの推移〔8〕を見ると、2007年1月から2014年2月までの43期のうち、8.0米ドルを下回ったのは20期であり、そのうち4.0米ドルを下回ったのは6期となっている(図12)。
また、WUDによると、2016年も飼料価格安が続く見込みであることから、マージンは8.0米ドルを上回って推移すると予測されている。
(3)試算
ア 2015年
2015年の掛け金と補塡金額の収支を平均的な規模の農場で試算してみたい。
搾乳牛飼養頭数および1頭当たり年間乳量が全国平均(150頭、2万2258ポンド(1万キログラム))の農場について、保障率を90%、保障水準を8.0米ドルと設定すると、年間補塡金額の合計は4056米ドル(49万4832円)となる(表4)。一方、年間の掛け金(登録料を含む)として1万4373米ドル(175万3506円)を支払っていることから、差引で1万317米ドル(125万8674円)の損失となる。なお、保障水準を7.5米ドル以下に設定している酪農家では、補塡金が支払われることはないため、掛け金が全て損失となる。
イ 2009年
酪農危機による乳価の低迷により酪農家のマージンが最も低かった2009年の収支についても試算してみたい。農場規模や保障率、保障水準の条件は上記アと同様とする。
保障水準を8.0米ドルに設定する場合、1〜5期が補塡の対象となり、掛け金との差引で8万9055米ドル(1086万4710円)の利益となる(表5)。また、保障水準が4.0米ドルの場合においても、1〜4期が保障水準を下回り、掛け金が無料にもかかわらず、年間1万2706米ドル(155万132円)の補塡金が支払われることとなる。
6 酪農経営収益保険(LGM−Dairy)
酪農家が、MPP以外に経営のリスク管理を行う方法として、酪農経営収益保険(LGM-Dairy:Livestock Gross Margin of Dairy)がある。
LGM-Dairyは、乳価と飼料価格との差(マージン)に着目した点でMPPと類似している。米国農務省リスク管理局(USDA/RMA)の管轄で実施され、民間の作物保険代理店で購入できる保険であり、MPP創設以前から酪農家の収益保険として機能してきた。なお、MPPと重複して加入することはできない。
LGM-Dairyは、生産者が生乳、トウモロコシおよび大豆かすの先物価格から試算される将来の推定所得に対して保険を掛け、実際の所得がこの推定を下回った場合に、掛け金に応じて補塡金が支払われる仕組みである。MPPとの相違点として特徴的なのは、マージンおよび補塡金の算定に当たり、シカゴ商品取引所(CME)のクラスV(チーズ・ホエイ向け)乳価およびトウモロコシ、大豆かすの先物価格が用いられ、アルファルファは算定に含まれない点である。
毎月末に随時申込みが可能で、申込み月の翌月から11カ月間制度に加入できることから、相場の状況や農場の経済状況に応じて加入できるところが評価されている一方、算定に先物価格を使用することによりMPPよりも複雑であると否定的な意見もある。
なお、LGM-Dairyの掛け金のうち、50%は政府の補助であるが、これは、作物保険の掛け金への補助率(67%)より低く、これに対して不満を抱いている酪農家も存在する。
7 MPPに対する評価
2014年農業法で変更された新たな政策は、従前の政策よりも改善されたと酪農家から捉えられており、2014年農業法の酪農政策は全般的に支持されていると言われている。これは、MPPがマージンを保障対象としたことにより、実態に即した補塡が可能となったと評価されているものと思われる。
生産者それぞれの経営状況や意向に沿って、保障率と保障水準を選択して制度へ加入できる点が大きなメリットとされており、今回調査したカリフォルニア州(搾乳牛500頭規模)やウィスコンシン州(同170頭規模)の中規模の酪農家では、100ポンド当たり4.0米ドルの保障水準に設定して、万が一の場合のセーフティネットとして活用されていた。
また、乳業者側も、全般的に2014年農業法の方向性を支持しているとされている。乳業者の関心は、米国の乳業が国際市場で競争力を維持することに向けられており、その点で、MILCで設けられていた補塡金支払いの上限数量がMPPでは取り払われていることから、前向きな制度変更と認識されている。一方、課題としては、マージンの算定が全国一律であるため、地域差の存在が指摘されている。算定に用いられる飼料は、トウモロコシおよび大豆かす、アルファルファの3種類に限定され、その構成比率も一律に定められている。そのため、例えば、トウモロコシの主産地である中西部から遠いカリフォルニア州では、MPPの算定上よりも実際の飼料コストが高くなりがちであるなど、地域ごとの実態に即していない面がある(表6)。
また、MILCにあった補塡金支払いの上限数量を撤廃したことについては、小規模農家にとっては大規模生産者のみに有益な改正との批判がある。一方で、過去の生乳生産量をベースに生産履歴が決められることで、規模拡大などによる生乳生産量の増加に対応できないことを課題とする意見もあった。
MPPは保険としての性格を有することから、マージンが悪化して補塡が発動する時だけに加入者が集中すると財政負担が大きくなり、制度としての存続が危ぶまれる。MPPへの加入申し込みが、年1回に限られていることは、こうした行動を防止する試みの1つである。MPPが、2014年農業法に限定した措置とされたことも、今回の実施期間中に生じる問題点を改善する余地を残したものと見ることができる。
8 MPPに対する現場からの聞き取り
いくつかの酪農家を訪問し、各農家のリスク管理とMPPに対する考え方を聴取したので紹介する。なお、米国の多くの乳業者が、消費者の関心の高まりを反映し、泌乳ホルモンを投与した生乳の買い入れを停止しており、今回調査した3農場は、すべて同ホルモンを投与していなかった。
(1)自給飼料によるリスク管理:ウィスコンシン州リボウト牧場
リボウト牧場は、1963年に先代が開業して現在に至るまで、家族による共同経営として運営されている。2棟のフリーストールで170頭の搾乳牛を飼養しており、1頭1日当たり平均搾乳量は65ポンド(29.5キログラム)である。
搾乳牛を、初回搾乳、乾乳期に近いもの、乾乳期まで時間があるものの3つの牛群に分け、飼料の配合を変えている。飼料は、トウモロコシサイレージ、ヘイレージ(注)、高水分トウモロコシ穀粒、アルファルファ、たんぱく質プレミックス、DDGSなどを与えている。
所有する4200エーカー(1700ヘクタール)の畑でトウモロコシ、大豆、秋まき小麦、アルファルファを生産し、コーンサイレージやヘイレージなどの自給飼料を作る一方、大豆は収穫後に全て売却している。ウィスコンシン・ファーム・ビューローのジマーマン氏によると、同州では、自農場で収穫した大豆を売却し、大豆かすを買い戻して飼料とする酪農家が多いとのことであるが、大豆かすを買い戻さずとも十分な量の飼料を自給する能力があるため、トウモロコシの連作障害を回避するために大豆を栽培している。年に4回収穫出来るアルファルファは、1番草をヘイレージにした後、2番草以降を800ポンド(363キログラム)のベールにする。畑全体の栽培面積の約半分を占めるトウモロコシは、毎年5万ブッシェル(1270トン)を自家所有する貯蔵庫(写真3)に保管している。なお、近年、同農場はトウモロコシ生産で高い評価を受けており、2015年7月に全米トウモロコシ生産者協会が選ぶ2015年度最優秀生産者(全14戸)として、ウィスコンシン州で唯一選出された。このため、今後、酪農部門は現在の規模を維持する一方、穀物部門はより強化させる意向である。
(注)牧草などを予乾し、調製したサイレージ。
このように、飼養規模に比べて大きな畑作地と優れた穀物生産能力を有している同牧場は、飼料穀物の相場に左右されにくい酪農経営を実現している。共同経営者の1人であるダック・リボウト氏は、MPPに対して、年間100米ドルの登録料で最低限のマージンを保障する点を肯定的に評価しており、非常時のセーフティネットとして保障水準4米ドルで加入している。
(2)生産性向上によるリスク管理:カリフォルニア州デューラー農場
1978年に設立されたデューラー牧場は、現在530頭の搾乳牛を飼養しており、1頭1日当たり平均搾乳量は83〜85ポンド(37.6〜38.6キログラム)と、全米平均(61ポンド:28キログラム、2014年)を大幅に上回っている。乳量と産次の違いにより搾乳牛を5つのグループに分け、飼料の配合を変えている。
同牧場では、定期的に再利用水を放出する牛舎清掃装置の導入や、複数の耳標による個体識別など、飼養管理にさまざまな工夫が見られた。4代目の牧場主であるクリス・デューラー氏によると、今のところ規模拡大や多角化の予定はない一方、乳牛の遺伝的能力の強化に積極的に取り組んでおり、州の乳牛改良協会(Dairy Herd Improvement Association)に加入して血統登録を行うとともに、自らも人工授精師の資格を取得している。
飼料は、100エーカー(40ヘクタール)という、飼養規模に対して比較的小さい畑で栽培するトウモロコシやえん麦のサイレージに加え、DDGS、アルファルファ、モラセス(廃糖蜜)、アーモンドの副産物、綿実などを与えている。飼料の多くを他州から購入しているカリフォルニア州では、生産費に占める購入飼料の割合は他州に比べて一般的に高くなる傾向にあるが、同牧場では州平均を約10ポイント下回る40%程度である。同牧場では生産性の向上や購入飼料費を低下させる取り組みを行っており、例えば、同牧場で消化率向上のために給与している高価なスチームフレークコーンは、スチームフレークコーンを大量に使用する近隣の養鶏農家と共同購入することで、安価に調達している。ただし、すべての飼料について同様の取り組みが行われているわけではなく、特にアルファルファなどはやむを得ず必要量の多くを同州北部から、運搬コストなどで割高になったものを購入しているとのことであった。
このように、同牧場は購入飼料に依存せざるを得ないというリスクを抱えながらも、遺伝的能力や消化率の向上に積極的に取り組み、全米平均を大幅に上回る高い生産性を実現することで、ある程度の穀物価格の上昇に耐えうる経営を実現している。したがって、MPPについては、あくまで破滅的な状況が生じた際の最終的なセーフティネットという観点から加入しており、最低保障水準である4.0米ドルを選択している。
(3)キャッシュフローの確保でリスク管理:バーモント州オーデット牧場
オーデット牧場は1958年に先代が購入したもので、廃業した近隣農家の事業を継承するなどして徐々に飼養頭数を増やし、現在、1500頭の搾乳牛を飼養している。搾乳牛1頭1日当たり平均搾乳量は、全米平均(2014年)を29.5%上回る79ポンド(35.8キログラム)と多く、現経営者のユージン・オーデット氏は、高品質な飼料の給与と遺伝的能力の向上をその要因に挙げている。飼料は、約50%がトウモロコシサイレージとヘイレージから成り、これに大豆かす、菜種かす、シトラスパルプ、ホエイ、パンの残さ、近隣のコーヒー製造工場からのモラセス(廃糖蜜)などを混合することで、高たんぱくかつ高エネルギーの飼料としている。また、遺伝的能力向上のため、受精卵移植を実施しており、自農場の搾乳牛のうち特に能力の高い20頭に過排卵処理を施して未受精卵を取り出した後、性判別済みの精子を用いて体外受精を行っている。
このほか、同牧場では堆肥を用いたメタンガス発電や太陽光発電などの先進的な技術も積極的に取り入れているが、規模については現在の水準で十分とし、今後も現状を維持したいとしている。
表7、8のように、今回調査した他の2州と比較して、バーモント州は元来、トウモロコシやアルファルファの単収が少ない地域である。そうした環境の下、同農場はトウモロコシ畑を1000エーカー(405ヘクタール)、採草地を3000エーカー(1214ヘクタール)所有し、可能な限り飼料の自給に努めている。しかし、米国の酪農生産現場で一般的にたんぱく源として利用されているアルファルファについては、同地域の土壌が粘土質であることに加え、冬には厳しい寒さによる土壌凍結に伴う断根が生じ、1〜2年程度しか維持できないことから作付けせずに、他州から購入するしかない。
このような、地理的に不利な環境に身を置く酪農家の一人として、同氏の、地域差を考慮せず全米平均値で飼料コストが算定されるMPPの制度設計に対する不満は大きいように見受けられた。また、MPPは、搾乳牛頭数が5000頭以上の大規模酪農家の経営を支えるものとの認識を示したうえで、加入にかかるコストも高すぎるとの考えから加入していない。このように考える背景には同牧場が位置するバーモント州ならではの理由もあると思われる。さらに、同氏は、LGM-Dairyについても、MPP同様のギャンブルのようなものとの考えから、加入しておらず、現状としてリスク管理はキャッシュフローの管理が中心であり、具体的には銀行からの融資や、乳業者との生乳販売契約によって行っているとのことであった。
一方で、2014年農業法に含まれることのなかった供給管理制度には、調査先の中で唯一肯定的な見方であった。この背景には、同州で生産される生乳の大半が、国内市場向けであることが挙げられる。同氏によれば、酪農家が揃って自発的に減産することはあり得無いとした上で、乳価の維持、ひいては、経営リスクの軽減のためにも、供給管理制度は必要としている。
9 まとめ
MPPは、年単位で乳価が決定される日本とは異なり、乳価が月単位で変動する米国のような市場にとって、乳価の大幅な下落などにより、マージンが壊滅的な水準に低下した場合の万一に備えた保障といった位置づけとなっている。
今回の調査先では、全般的にMPPを肯定的に評価する声が多かった。それは、掛け金を支払うことなく、最低でも100ポンド当たり4.0米ドルのマージンが保障される点を評価していることが理由とみられる。しかしながら、過去の推移からマージンが4.0米ドルを下回るのは、数年間で数えるほどしかなく、発動の機会は限られていることから、万一に備えた保障といった位置づけとなっている。他方、保障水準を6.0米ドルや6.5米ドルに設定している酪農家は、2015年のマージンが7米ドル台後半で推移したことから、掛け金だけ払って補塡金は受け取っていない。
MPPに加入していない酪農家は、MPPを「ギャンブルのようなもの」と称していた。確かに、自身の経営に見合った保障水準ではなく、その先の1年間の相場見通しをもとに、補塡金額と掛け金の差が最大となるであろうポイントに山を張るという行為は、セーフティネットというよりもむしろギャンブルに近いのかもしれない。
また、MPPは、2014年農業法では恒久化されていないことから、次回の2019年農業法で継続の是非も含めて内容が検討される予定であり、制度の浸透に時間を要している中にあって、今後の見通しが不透明なことが、酪農家が将来的な不安を抱く一因となっているとみられている。
米国では、2008年からガソリンへのエタノールの混合が義務付けられたことで、トウモロコシ価格が上昇し、農地価格も上昇した。これにより、土地を保有する農家の担保能力が大幅に向上し、銀行からの融資が受けやすくなっている。米国の畜産農家は、伝統的に政府の干渉を嫌う傾向が強く、制度の導入により政府の干渉が強まることを警戒している。MPPについても、無償部分は受けるものの、本音では、銀行からの融資によるキャッシュフローの確保や作物生産、チーズ生産などによる多角化によるリスク分散をより重視している姿勢が垣間見られた。
保障水準4.0米ドルの場合の掛け金を無償とした措置は、プログラムの施行規則公表時に意外感をもって受けとめられており、国の財政状況が悪化している中で、次期農業法でも同様の措置がとられるという保証はない。ほとんどの酪農家が支払いを受けていない現状で、仮にすべてが有償となった場合、果たしてMPPが存続できるのかどうか疑問が残るところである。
謝辞
今回、ウィスコンシン・ファーム・ビューロー、イリノイ・ファーム・ビュロー、アグリマーク、Western United Dairymen、Dairy Farmers of America, カリフォルニア・デイリー、ランド・オ・レーク、リボウト農場のリボウト氏、デューラー農場のデューラー夫妻、オーデット農場のオーデット氏をはじめ、多くの方々に快く調査に応じていただき、紙面をお借りして深く感謝の意を表します。
【参考文献】
〔1〕USDA/NASS(2015年)、“Milk Production”、
http://usda.mannlib.cornell.edu/MannUsda/viewDocumentInfo.do?documentID=1103
〔2〕USDA/NASS(2014年)、“2012 Census of Agriculture”、
http://www.agcensus.usda.gov/Publications/2012/Full_Report/Volume_1,_Chapter_1_US/
〔3〕農林水産省(2015年)、“畜産統計”、
http://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/tikusan/
〔4〕Willard F. Muellerら(1996年)、“Cheese Pricing”、
http://www.aae.wisc.edu/pubs/misc/docs/cheese.pdf
〔5〕USDA/NASS(2015年)、“Agricultural Prices”、
http://usda.mannlib.cornell.edu/MannUsda/viewDocumentInfo.do?documentID=1002
〔6〕ALIC(2010年)、“米国における酪農政策の今後の展開方向〜乳価下落時におけるセーフティネットの効果〜”、
http://lin.alic.go.jp/alic/month/domefore/2010/jul/gravure01.htm
〔7〕USDA/FSA(2015年)、“Dairy Margin Protection Program”
http://www.fsa.usda.gov/programs-and-services/Dairy-MPPP/index
〔8〕NMPF(2015年)、“Margin Protection Program in 2014 Farm Bill”、
http://www.nmpf.org/content/margin-protection-program-2014-farm-bill
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