話 題 畜産の情報 2016年5月号

10年後の和牛生産を見据えて
〜今、畜産技術者に求められるもの〜

独立行政法人家畜改良センター 理事長 佐藤 英明


家畜改良センターは、平成28年4月に5年間の新たな中期目標期間を迎えた。10年後とは、2度の中期目標を達成した後であり、真価が問われることになるため、緊張感を持って見据えて行かなければならない近未来である。

そこで、10年後の和牛生産を見据えて、今、畜産技術者に求められていることについて考えを述べたい。

10年後を見据えた課題

今、私たちが目にする和牛は世界的にみても優れた特徴を有している。優良な外国種にもそんしょくなく、かつ、特徴的な風味や脂肪交雑を持つ。ここに至った和牛の造成・増殖には、さまざまな分野の技術者の貢献が大きい。また、開発された技術は、畜産のみならず広く学術の発展に貢献したものも多い。畜産技術者は誇りを持って畜産の領域を語るべきである。

そして今、和牛生産の現実を見ると、その基盤がやや弱体化しているように感じる。和牛を中心とした肉用牛の生産者数は減少傾向に歯止めがかからず、飼養頭数も減少傾向で推移している。和牛生産の危機である。この要因は、人口減少や高齢化の進行とも考えられる。ただ、マクロ的な要因とは別に現場の視点で、解決の糸口を見いだし、実践することが畜産技術者に求められるのではないか。今後、自由貿易交渉の進展が予想されるが、生産基盤の強化を進め、消費者が認める付加価値のある牛肉作りに向けた取り組みを進めるべきだと考える。

具体的には、肉用牛のきっきんの課題である生産基盤強化では、受胎率の向上、分娩間隔の短縮、哺乳期・育成期の事故率低下に真正面から向き合い解決に向けて取り組む優先課題とすべきである。加えて、飼料用イネを含む自給飼料生産や耕作放棄地利用も含めた放牧の推進も、同様である。また、特色ある牛肉作りでは、脂肪交雑の他、外国産牛肉にはない優位性を見いだす努力も、必ず求められてくる。家畜改良センターでも、これらの課題を中期目標に位置付け、和牛生産拡大に向けた繁殖技術の講習会の開催、個別研修の受け入れなど技術の定着、普及などに取り組むこととしている。畜産技術者として、このような取り組みに貢献できるのかは、10年後の畜産のあり方を左右すると言っても過言ではない。

ICTの活用に向けて

わが国では、今後10年間で人口減少と高齢化がさらに進み、労働力の量・質の低下への対応が課題となる。この課題に対しては、情報通信技術(以下「ICT」という)と畜産技術のリンクが求められる。すなわち、スマート畜産による省力化である。電波通信式歩数計を牛の脚に装着し、発情が近づくと歩数が増えるという特徴を活用した発情発見技術もその一つであり、生産者が発情発見する手間が省け、適期授精が行えることで、現在普及が進んでいる。受胎率の向上にも、ICT開発が進んでいる。遠隔操作できるカメラで分娩間際の牛を監視し、その様子をリアルタイムでスマートフォンなどに転送する技術も実用化されている。生産者が夜通し牛舎にいる必要がなくなる。牛の膣内にセンサーを入れ、膣内温度を定期的にパソコンに送信する技術もある。カメラによる分娩監視と組み合わせることにより、より正確な分娩時期を確認することができる。

しかし、このような取り組みは、IT企業のみでは成立しない。つまり、既存のICTを畜産に転用するという発想ではなく、畜産現場が主導的に実態に即した形でICTを取り込んでいくという発想であるべきである。その際、畜産技術者がする専門的な知識と技術が必ず必要となる。従って、畜産技術者は、日頃から異分野の技術をいかに畜産現場に取り込めるかを考えておくことが重要であると考える。

個体識別情報の有効利用

肉用牛生産振興のために、肉用牛の個体識別情報の有効利用を図ることも重要である。家畜改良センターでは牛トレーサビリティ法に対応して、牛の出生からと畜までの履歴情報について、届出の受理、牛個体識別台帳への記録、記録情報の保存・公表を行なっている。この情報検索により、市町村レベルでの生産者数や飼養頭数などの経年的動態が把握できる。施策の普及や定着程度を知ることができるなど畜産振興施策の基礎データとして、あるいは畜産経営の高度化に役立つと考える。畜産技術者においても、肉用牛生産強化に向けて個体識別情報を、より一層有効に利用していただきたく思っている。

消費者の視点重視

わが国はこれまで、BSE発生など食の安全を揺るがしかねない大きな経験をしてきた。その経験は教訓となった。農林水産省は、消費者にも軸足を置き、消費者の信頼を確保するための施策を講じてきている。畜産は食品を生産する産業であり、消費者の視点が欠如した畜産技術は成立しない。技術者故に新たな科学的知見を追求しがちになるが、常に消費者の視点を忘れてはいけない。なぜならば、消費者に信頼されない技術は、いかに優れていても社会に定着することはないからである。

優れた畜産文化の発信

現在進められている畜産クラスターは、今後の畜産に大きく寄与することになるであろう。さらに、牛肉の輸出拡大も和牛生産の追い風になろう。これらは、将来の畜産のあり方を変えるかもしれない。新たな畜産文化の創生期ではないかと考える。わが国特有の風土に適した飼養管理技術や農耕文化の中に組み込まれた日本独自の生産手法に加えて、ICTを活用した技術の高度化他、消費者視点を取り込んだ技術への考え方が、わが国で進展することにより、新たな畜産文化が誕生する期待がある。狭い国土、人口減少、高齢化など難しい課題を乗り越えた新しい畜産の姿を作ろうではないか。わが国にはコメ文化があるように、10年後に我々の手で新たな畜産文化を開花させ、この優れた文化を世界に発信していこうではないか。

(プロフィール)

佐藤 英明(さとう えいめい)

平成20年4月 東北大学ディスティングイッシュトプロフェッサー

平成21年4月 紫綬褒章受章

平成21年10月 日本学術会議会員

平成23年1月 スウェーデン王立農学アカデミー外国人会員

平成25年4月 家畜改良センター理事長、東北大学名誉教授

平成25年6月 日本学士院賞受賞

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