★論 壇


米国の農業戦略とウルグァイ・ラウンド

時事通信社 外国経済部 次長 児玉 伸昭


米国の農業戦略とウルグアイ・ラウンド

米欧農業戦争の開戦

 毎年、暑いこの時期になると決まって思い出すことがある。1985年6月1日、
米欧農業戦争の“開戦記念日”である。当時レーガン第二次政権下のワシントンに
常駐していて、開戦を目の当たりにした。6月のワシントンはもう本格的な夏、う
だるような暑さの中、子供たちはプールに興じる。戦火の拡大はいやが応でも熱暑
の度合いを高めざるを得ない。

 その2週間前の5月15日、ブロック農務長官(当時)は内外記者を集めて特別
会見を開き、「6月1日を期して輸出振興計画を実施に移す」と発表。これが欧州
共同体(EC)に対する農業戦争の“宣戦布告”を意味するものであることはだれ
の目にも明らかだった。

 「輸出振興計画」。Export Enhancement Programの頭文字をとって「EEP」と
通称されるこの制度は、輸出成約した業者に対し、農務省の市場介入期間である商
品金融公社(CCC)が抱える政府保有の農産物をボーナス(報償)として無償で
現物支給し、結果としてその分だけ低い価格で輸出できるように助成するやり方だ。
米国はEEPに基づき本格的な輸出補助を開始した。片やECの制度では輸出払戻
金(Export refund or Export restitution)と称されているが、ともに輸出補助
金であることに相違はない。

 85年という年は、2期目に入ったレーガン政権が貿易収支の不均等是正を目指
し、「新貿易政策」という総合的な輸出促進政策を打ち出した年である。第1に、
それまでのドル高政策からドル安政策へと180度の為替政策転換を図った。そし
て、「不公正貿易」の概念を確立し、74年通商法301条の対日発動など、強硬
路線を歩み始めたのだった。スーパー301条で知られる88包括通商法の審議を
議会が開始したのもこの年だった。

 このような米国の新貿易政策展開の中で、レーガン政権が農業分野で特に「不公
正」と断じ、対応策を打ち出す必要を痛感したのが、CAPと呼ばれるECの共通
農業政策、とりわけ輸出補助金だったのである。

 米国のEEPは、ECの輸出補助金に真っ向から対抗し、ECの補助金政策を力
づくで打破することを狙うミサイル弾にも例えられる。

 「他の国が輸出補助によって米国の伝統的な農産物輸出市場を略奪するのを座視
するわけにはいかない」(ブロック長官)

 「米国の新政策によってECはまじめに交渉のテーブルにつくだろう」(ヤイヤ
ー通称代表部代表=当時、農務長官を経て現在共和党全国委員長)


国際穀物市場におけるダンピング競争

 米国の戦略は軍備管理に例えると分かりやすいかもしれない。実際、米国の新聞
のなかには、EEPの持つ意味をレーガン政権の“強いアメリカ”を志向した軍備
増強に例え、同じ共和党のブッシュ政権がこれをそのまま踏襲しているのだと説く
社説もあった。レーガンはケネディ民主党政権下の政策で劣勢になった米国の軍備
を増強、力での対決路線を進めた。結局、ソ連はこれについて行けず、無理がたた
って経済もがたがたになり、ペレストロイカ(再編)による改革路線に転換した。
ソ連の力を弱体化させた要因は、米国の「目には目を」という強硬な対決姿勢であ
り、レーガン氏からブッシュ氏へと続く共和党政権はECとの農業戦争にこれをそ
のまま応用しているのだという。

 「EC側が譲歩(輸出補助を後退させる)しないのなら、米国は輸出補助を徹底
的に増強する」「米国は一方的な武装解除はしない。」ブッシュ大統領の宣言通り、
米国は武装解除どころか、補助金を一段と手厚くして、ECとの市場争奪戦の“ウ
ォー・チェスト”(軍資金)確保に努めている。ECが財政負担を音に上げて、白
旗を掲げて降参するまで容赦しないぞ、という決意であり、補助金輸出合戦は、ま
さに財政力の耐久レースでもある。

 米議会は今年3月に、現91会計年度(90年10月−91年9月)にEEP予
算について、当初の4億2,500万ドルの枠を外すことに決めた。補助金消化ベ
ースが異常に速く、当初枠を使い切ってしまったためで、政府は9億ドル程度が必
要とみている。その背景にあるのは、小麦を中心とする世界的な穀物豊作。国際的
な買い手市場の中、ソ連向けなど輸出国の売り込み競争が激化、いきおい輸出国政
府はより手厚い助成を打ち出さざるを得なくなっている。

 ロイターとかAP、ナイトリッダー(KRF)といった通信社電は連日のように、
米国のEEP輸出成約の報を伝え、補助金輸出合戦の激しさを浮かび上がらせてい
る。EEPは当初、「ECの不公正な貿易に対抗する」ため、北アフリカの小麦市
場をECから奪回する狙いでスタートしたものだった。しかし、いまでは、対象国
の品目はなし崩し的に拡大され、そのような錦の御旗はすっかり色あせてしまって
いる。対象地域は、中東、アジア、アフリカ、中南米、ソ連、東欧にまで拡大され、
品目も小麦のほか、小麦粉、大麦、コメ、鶏肉、鶏卵などに至るまで広範囲で、な
りふり構わぬ米国の農産物輸出攻勢を浮き彫りにしている。

 例えば、畜産品では次ようなのもある。

 「米農務省は7月1日、輸出振興計画EEP」に基づき、業者から申請のあった
香港向け鶏卵11万8,500ダースの補助金(ボーナス)付き輸出を認可した。
補助金は1ダース当たり27セントで、補助金総額3万1,995ドル。補助金は
商品金融公社(CCC)の在庫と引き換え可能な包括商品証券で支払われる。出荷
は7月15−26日。(ワシントン1日KRF)

 こうなると、ECとしても手をこまねいているわけにはいかない。米国のミサイ
ル発射を脅威に受け止めたECは「ECの伝統的市場を守る」政略として米国の攻
勢に輸出補助金を積み増し、逆襲。こうして85年から現在に至るまで、米・EC
の輸出補助合戦はエスカレートの一途をたどり、国際殻物市場における「ダンピン
グ競争」を一層激化させている。


なくなった米国の大義名分

 米国にとって輸出補助金は、80年代に入って不振に陥り、85年から86年に
かけて最悪の状況に直面した農業不況の打開を最大の眼目とする「85年食料安全
保障法」(85年農業法、同年未成立)の重要施策の一環に位置付けられた。同法
では一足先に打ち出していたEEPの法制化、販売計画など民間の輸出努力を支援
する特定輸出助成制度(TEAP)、コメと綿花に適用する輸出補助金の一形態で
あるマーケティングローン、支持価格の政策的な抑制による輸出価格の引き下げ。

 こうした輸出増強戦略は、CAPが奏功して輸出「国」への転進が著しいECに
奪われた陣地(市場)の奪回を主眼に、米国の農産物輸出をめぐる状況の打開を図
るためのものだった。そのような戦略は90年11月に成立した「90年食料・農
業・保全・貿易法」(90年農業法)で踏襲された(TEAPの名称を販売促進計
画=MPP=に改称)が、マーケティングローンが大豆にも適用されるなど、助成
強化を打ち出している。

 米国の巻き返し戦略の両論の一方を農業法とすると、もう一つの柱はウルグアイ
・ラウンド(多角的貿易交渉)である。ラウンドでの米国の一貫した戦略が「農業
保護の全廃−関税化」であることは周知のことである。

 ところで「補助金撤廃を主張する米国がEEPなどの措置を続行、あまっさえ増
強路線を突っ走ること自体矛盾しているではないか」との評判は当然、米国内外か
ら強い。87年にソ連へのEEP適用に踏み切った時には、「敵対国のソ連の国民
に(補助金によって)米国民より安い小麦を提供するとはなにごとか!」という批
判がわきあがったものだ。背に腹は変えられない、という米国の切羽詰まった姿を
よく物語る話ではあった。

 農業輸出国14カ国で構成するケアンズ・グループは、ウルグアイ・ラウンド農
業交渉では、米国に歩調を合わせる傾向が強かった。そのケアンズ・グループすら、
今では「米国はEC批判に名を借りてわれわれの市場を奪おうとしている。公正な
やり方ではない」と非難の矛先を米国に向け始めているのが実情だ。最近の例では、
米国がブラジルに補助金付き小麦の輸出を開始したことはアルゼンチンを怒らせた。
「ECによるブラジルへの小麦売却の可能性は小さいにもかかわらず、輸出補助金
政策を無差別に拡大して、市場を奪おうとしている」とアルゼンチンは米国を非難
している。こうなると米国にもはや、補助金を正統化する大義名分はない。だが、
米国はそのような批判をいっこうに意に介していない。


友好の範囲を超えた対日市場開放圧力

 ここで米国のいう「公正」について若干考えてみたい。先に書いたように、米国
が外国の「不公正貿易慣行」を問題にし、対外圧力をかけ始めたのは、第2期レー
ガン政権下の85年からである。ブッシュ政権に引き継がれたこのスローガンを米
国が呼号すればするほど、米国の不公正度、少なくともその主張において不公正な
考え方が強まっていないだろうか。

 こんな話もあった。

 中国の天安門事件後、日本のある銀行が対日融資を行うと発表した。「人権を無
視した国への制裁がまだ続いているのに融資するとはけしからん」というのが米政
府当局者の最初の反応だった。このあとすぐ、この融資は中国による米国製航空機
購入を支援するためのものであることが分かった。「それならよろしい。日本はよ
くやっている」に米側の反応はひょう変した。

 人道主義外交の基本理念が真正なものならば、こうした露骨な自己利益中心的な
考えにはなるまい。

 米政府はかねて、日本や欧州諸国の開発途上国に対するヒモ付き援助を批判して
やまなかった。しかし、いまでは「日欧に対抗して米国もヒモ付き援助政策を強力
に進めるべし」という主張が議会で強くなっている。農産物輸出補助金と同様、
「目には目を」のやり方である。

 対ガット政策でも米国の矛盾は多い。極めつけはなんといっても、米国ガットの
正式加盟国とはいえないという点であろう。条約批准権を持つ米上院はガット条約
を批准していない。ということはガットを正式に認知してはいないことを意味する。
だから議会が定期的に法律で大統領にガット交渉権限を付与するという面倒な手続
きが必要になってくるわけだが、それにもかかわらず米国がガットを金科玉条とす
る根拠がどうもよくわからない。

 米国は農業の特殊性を無視して、ECの農業政策を痛烈に非難する。そして、現
在の世界農業戦争の中では、戦闘は米・ECという輸出国間相互の戦いの激化にと
どまらない。余剰農産物のはけ口として、世界最大の農産物買い付け国“優等生の
日本”に対しても、友好の範囲を超えた一方的な農産物市場開放の圧力がかかって
いる。


米国の“聖域”、酪農などのウェーバー品目

 翻って米国の農政はどうであろうか。その実態たるや、超多重助成構造の農業で
ある。「自由な農業」という漠然としたイメージは全くの虚像である。価格支持、
目標価格の設定、マーケティングローン、EEP、MPPと幾重にも支持と保護の
網がかぶせられている。米政府は、国内支持、国境措置、輸出補助の3分野で個別
に保護を削減するよう迫っているが、米国の制度自体、互いに深くかかわり合って
いて、3分野を明確に区分けするのは少なくとも日本やECの目からは困難である。
第一、ウルグアイ・ラウンド農業交渉では、輸出補助金一つとってもその定義すら
固まっていないではないか。

 その一方で米国は、保護削減はおろか、むしろ増強姿勢を強めている。90年度
農業法での大豆へのマーケティングローン拡大がそうなら、輸出補助金の大幅増強
もそうだ。ソ連への大規模の輸出信用保証供与についても、ECは実質的な輸出補
助金だと批判。保護水準を現状以上に強化しないとのラウンド中間レビューに違反
するとECは非難してやまない。

 ウェーバー(自由化義務免除)という既得権益によって、外国製品をシャットア
ウトしている聖域も多いし、食肉輸入法による輸入制限もある。

 ウェーバー14品目は酪農品が中心だ。酪農は米国農業の基礎である。ファミリ
ーファーム(家族経営)が多く、他の農業分野と異なり、全米に広がっている。家
族経営に基づく酪農は民主主義の基盤という理念が深く浸透しているといわれ、い
わば“聖域”として手厚く保護されている。米国が酪農品のウェーバーをいじくる
のは、政治・経済・社会的に極めてデリケートな問題だ。いまの米国にウェーバー
を改革する国内的条件が整っているとは考えにくい。


農業保護全廃に抜け道を用意

 最後に、それでは米国の「農業保護全廃」主張は、どうとらえたらいいのであろ
うか。「保護全廃」は対外戦略として重要な意味を持っている。「自らの農業保護
をすべてやめる」と公言、保護全廃という“崇高な”立場に身を置いて、ECや日
本を徹底的に非難するという戦略である。これは、ガットという国際舞台において
も、二国間交渉においても極めて有効な戦略として機能する。

 実際、ウルグアイ・ラウンド農業交渉をめぐる報道では、まず米国の農業改革論
が前面に押し出され、ECについては米国案に抵抗、改革に消極的というイメージ
を浮かび上がらせてしまっている。日本の問題についても、米国の農業改革論が、
コメ開放にストレートにつながり、先進国の中で食料の対外依存度が異常に高いと
いう、極めて特異な日本の農業事情について考えるゆとりをわれわれから奪ってい
る。

 米国の戦略が二国間交渉おいて非常に効果的に機能した最たる例は、日米牛肉・
かんきつ協定の改定交渉ではなかったろうか。「米国は保護全廃を既に提案してい
る。輸入制限を維持するのはウルグアイ・ラウンドの精神に反する」。このような
米国の主張は日本から大きな譲歩を勝ち取るのに絶大な力を発揮した。米国は今後
も同様の戦略をコメだけでなく、酪農・乳製品など、現在輸入制限されている品目
にも展開してくるだろう。

 実は米国は農業保護全廃に抜け道を用意している。ブッシュ大統領にしろ他の政
府高官にしろ、「一方的な武装解除はしない」とよく口にする。つまり米国以外の
諸国とも全廃することを前提に「保護全廃」を言っているわけで、他の国がそうし
ないことを予想した上でのことだから、米国としては自国農政の改革についてどん
な非現実的なことでも公言できる立場に身を置いている。

 別に米国は、農業において自由貿易主義に身をささげる殉教者たらんと決意して
いるわけでもなんでもないことを銘記すべきである。わが国ではウルグアイ・ラウ
ンドを成功させる国際的責任があるからとか、米国の要求を呑まなければ日米友好
関係が維持できないという奇妙な「国際感覚」が幅をきかしている反面、いま考え
てきたような「国際感覚」が披瀝される機会が少ないのはいかにもいびつな社会現
象というほかない


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