★ 専門調査員レポート


飛騨牛繁殖センターと受精卵移植事業

岐阜大学農学部助教授 小栗 克之


飛騨牛の主産地、清見村の悩み

飛騨牛と野菜の里、清見村

 調査に同行した苅草氏が要領よく概要を当誌('93.10)に紹介されましたが、こ
こではその中の飛騨牛繁殖センターの意義に焦点をあてて報告することにします。
清見村は飛騨地域の市町村の中で肉用牛飼養がひときわ盛んなところです。図1に
示したように、清見村の農産物販売額全体の過半を肉用牛部門が占めています。つ
いで、野菜部門が30%近くを占め、肉用牛部門を合わせると80%に達する。清見村
は、いわば肉用牛と野菜の里といえるでしょう。



肥育牛の伸びと飛騨の和子牛の不足

 清見村の肉用牛飼養頭数の動向を表1に示しましたが、1965年以降1985年までの
20年間に肥育牛飼養頭数が283頭から2,285頭へと大きく伸び、繁殖牛飼養頭数が逆
に446頭から365頭へと減少していることがわかります。その期間の肥育牛の著しい
伸びは主に乳用種によるものであり、和牛の肥育牛は徐々に伸びている程度です。
1965年当時は繁殖牛(446頭)が和牛の肥育牛(270頭)よりも多かったのですが、
1985年には逆転し、和牛の肥育牛(598頭)が繁殖牛(365頭)よりも多くなってい
ます。このことは、飛騨牛の肥育素牛が村内では不足し、村外から調達しているこ
とを意味します。

表1 肉用牛飼養頭数の動向(清見村)
               単位:頭
年 次
(西暦)
肥育牛 繁殖牛
   乳用牛 和牛
1965 283 13 270 446
1975 1,718 1,401 317 390
1985 2,285 1,687 598 365
1993 2,325 1,221 1,104 403
資料:清見村役場



乳用種肥育から和牛肥育へ、飛騨の和子牛の確保が重要な課題

 1985年から1993年までの動きをみますと、牛肉の輸入自由化(1991年)を挟んで
様子が若干変わってきていることが、表1からうかがえます。すなわち、乳用種の
肥育牛飼養頭数が減少し(1,687頭から1,221頭へ)、代わりに和牛の肥育牛が急増
している(598頭から1,104頭へ)ことです。また繁殖牛も365頭から403頭になり若
干増えています。しかし、村内の和牛肥育1,104頭を支える子牛生産には遠く及び
ません。そのうえ飛騨大野農協管内の和子牛の自給率は33.2%(1992年度)にすぎ
ず、飛騨で生産された和子牛の大部分は他の地域へ買い取られています。したがっ
て、清見村の肥育牛農家にとって、飛騨の和子牛の確保が重要な課題になってきま
した。

 乳用種の肥育牛飼養頭数の減少は、牛肉の輸入自由化に伴い、肉質的に競合する
乳用種の肥育牛の販売価格が著しく低下したことによります(図2参照)。肉質的
に競合しない和牛の肥育牛の価格低下はほとんどみられなかったため、乳用種から
和牛への肥育牛の転化が進んだわけです。もっとも一時期はF1(乳用種×黒毛和
種)への転化も進みましたが、F1肥育牛の販売価格もそれほどよくなかったため、
結局、価格のよい和牛肥育へ傾斜することになりました。しかし、飛騨で生産され
る子牛は少ないうえに、子牛価格が高いため(図3参照)、なかなか入手できず、
大半が他の地域に買い取られている現状です。また、繁殖牛飼養農家は高齢者によ
る1〜2頭飼いが多く、後継者がほとんどいないため減少の一途をたどり(図4参
照)、飛騨の和子牛は高品質、高価格にもかかわらず、その将来に不安がもたれて
います。


繁殖センターの設立

肥育牛農家を中心とした諸法人組織

 そのような不安を少しでも解消していくため、1989年(平成元年)に村内の肥育
牛農家が中心となって農事組合法人・飛騨牛繁殖センター(以下「繁殖センター」
という)を設立し、村内での飛騨牛の一貫生産を目指すことになりました。図5に
示したように繁殖センターは肥育牛農家14戸と繁殖牛農家2戸によって構成されて
います。肥育牛農家はそのほかに多様な法人組織に加入しています。代表的なもの
に三ツ谷パイロット有限会社(肥育牛組合)、農事組合法人清見コンポストセンタ
ーがあり、肥育牛農家は自己の経営の肥育牛の飼養管理だけではなく、組合所有の
肥育牛の世話やコンポストセンター、繁殖センターにも出役しています。

 例えば、それらの組織に関与している三田さんの場合、1993年9月現在、労働力
は経営主及びその妻と長男の3人ですが、自己の経営の肉牛(肥育牛が186頭、繁
殖牛が19頭)の世話を3人でするとともに、経営主は繁殖センターやコンポストセ
ンターに月の半分(15日)出役、長男はコンポストセンターやパイロット(肥育牛
組合)に1カ月のうち22〜23日出役、妻は餅センターに1カ月のうち10日出役して
います。このように肥育牛農家は出役を通して関連諸組織を支えるとともに、労賃
を稼ぐことにもなるわけです。



繁殖センターの設立と運営

 繁殖センターは平成元年度から総事業費164百万円で、繁殖牛100頭規模の牛舎を
中心に施設整備を行い(肉用牛等施設整備事業による補助を受ける)、現在牛舎は
ほぼ満杯です。設立当初の目的は肥育牛農家が繁殖牛を共同で飼養し、優良な肥育
素牛を安定的にかつ効率的に生産することでしたが、近年ではそれに加えて受精卵
移植技術による肥育素牛生産も行っています。

 繁殖センターは図6に示しましたように、岐阜県肉用牛試験場、飛騨家畜保健衛
生所の指導のもとで村内の酪農家や繁殖牛農家の協力を得て受精卵移植事業を進め
ています。実際の受精卵移植は清見村畜産課の職員(獣医師の有資格者)が行なっ
ているとのこと。生産した肥育素牛は構成員の肥育牛農家に譲渡し、譲渡した肥育
牛は枝肉出荷してその成績を収集し、今後の生産に活用していくというシステムを
とっています。

 繁殖センターの運営費は構成員の肥育牛農家が平等に負担し、繁殖牛の飼養管理
は3名の常雇で行い、飼料の生産・調達は構成員の肥育牛農家が行っています。繁
殖センターの飼料作付面積は現在14.5ha(借地を含む)あり、混播牧草をつくり、
ロールサイレージにして活用しています。

 生産された子牛は希望する構成員がクジで順番を決めて購入します。その際の子
牛の評価額は、構成員、農協職員、清見村役場職員(獣医師)等で、高山市場の子
牛価格相場を参考にしながら、決めているとのことです。


新たな展開 ― 受精卵移植事業

 当地の受精卵移植事業の組織については、苅草氏が当誌で前回詳しく述べました
ので、ここでは現段階の実績と今後の展望について触れたいと思います。

表2 子牛分娩および導入(飛騨牛繁殖センター)
                   単位:頭
   平成2年度 平成3年度 平成4年度
和牛(人工) 9 41 60
和牛(ET) 3 34 45
F1 0 2 8
乳牛 0 0 15
合計 12 77 128
資料:清見村役場


 実績は表2に示しましたが、平成2年度(1990年)に開始された受精卵移植(ET)
による和牛生産は、その後急速に増え、平成4年には45頭になり、繁殖センターの
子牛生産頭数の約4割に達しています。しかし、まだ受精卵の移植率は約40%と低
く、ロスが多いため、今後その点を改善すれば、さらに伸びるでしょう。移植率を
倍に高めることができれば、コストは半減します。現在、清見村受精卵移植推進分
会はドナー(供卵牛)借上料として1回の採卵に15万円(1回に9個採卵できるが、
正常卵は6個という)を繁殖牛農家に支払っています。そして、受精卵を乳牛やF
1の雌牛に移植し、生まれた子牛を繁殖牛農家や繁殖センターが引き取ることにな
ります。その際、清見村受精卵移植推進分会は移植料や受精卵代金として1個5万
円を子牛引取者から受け取っています。

 繁殖センターとタイアップした清見村受精卵移植推進分会の活動は、今後移植率
の向上とともに急速に拡大し、飛騨地域の繁殖牛飼養農家の減少による飛騨牛の子
牛生産頭数の減少を大いにカバーしていくことになると思われます。飛騨牛を支え
た「安福」がつい先頃亡くなりましたが、繁殖センターをバネに清見村受精卵移植
推進分会が生まれた今、高品質の飛騨牛をより効率的に、安定的に生産する新しい
展開が期待されます。


元のページに戻る