★ 専門調査員レポート


明宝村を支える畜産加工品

 

高千穂商科大学教授 教授
  梅 沢 昌 太 郎


サルサが歌う明宝ハム
   
  岐阜県明宝 (めいほう) 村が全国に誇れるイベントに 「明宝高原音楽祭 (サマ
ージャズ・メイホウ) 」 がある。 これはスキー場の駐車場を利用したジャズ・フ
ェスティバルであり、 今年で6回を数える。
 
 世界的なトランペット奏者である日野皓正は第1回目からの出演者であり、 そ
の熱演はこのフェスティバルの頂点であった。 1927年生まれのジョージ川口は、 
年齢を感じさせないドラムの音色を堪能させてくれた。
 
 いま世界的に活躍しているサルサバンド 「オルケスタ・デ・ラ・ルス」 は、 こ
のフェスティバルにトリで出演した。 ボーカルの女性歌手が舞台一杯に踊り回り
、 「明宝ハム美味しい。 美味しい」 と歌う。 すると、 明宝ハムの名前を染め抜い
たノボリとともに、 男性が舞台に上がり、 一緒に踊り出し、 日野皓正とそのグル
ープもステージの裏手から出てきて、 トランペットを吹き鳴らす。 会場は一層盛
り上がり、 そしてフィナーレを迎える。 「オルケスタ・デ・ラ・ルス」 はこのフ
ェスティバルに出演してから、 日本で有名になったのだという。 

 入場者は1万5千人になるという。 テレビでも、 2時間番組として、 中部・北
陸地方に放映された。 明宝ハムの名前もサルサの音楽とともに、 人々の耳に残っ
たことであろう。 明宝ハムは明宝村のシンボリックな存在として、 村の住民だけ
でなく、 日本の消費者に印象づけられているのである。 
昭和28年創業以来、山紫水明の地「明宝村」で
畜産加工品を製造する明宝特産物加工梶i岐阜県 郡山郡 明宝村)

1 明宝ハムを中核とした村づくり
村民の健康のためのハム加工

 明宝村は岐阜県美濃の山中にある。 役場は海抜434メートルのところにあり、 
見渡す限り山である。 この地に来るには、 郡上おどりで有名な郡上八幡駅からタ
クシーで30分ほどかかる。 交通の要所である岐阜駅に出るには、 この郡上八幡か
らバスに乗って2時間ほどかけなければならない。
 
 人口は平成2年の国勢調査で2,171人であり、 平成元年と比べると、 152人ほど
減少している。 しかし、 村には 「過疎化しているという意識はない」 という。 村
を元気にさせるいろいろな事業があって、 雇用の場を提供しているからである。 
近隣の町や村からも、 この村に働きに来る人が多くなったという。
 
 デ・ラ・ルスに歌われた明宝ハムは、 畜産加工の業界にあって先駆的な存在で
ある。
 
 かつて、 この村の産業は、 養蚕と薪炭が主要なものであり、 役場と農協と森林
組合そして郵便局くらいしか働き口が無かったという。 この村に新しい産業を起
こすことは、 絶対的に必要なことであった。 さらに、 村の食生活は大変に貧しか
った。 タンパク質の摂取が非常に少なく、 その供給源として保存性の高いハム・
ソーセージの加工が考えられたという。 

 昭和28年には、 ハム・ソーセージの加工場が建設された。 しかし、 製造は容易
ではなく、 つなぎの材料や加工の仕方で大変な苦労をし、 東京から指導者を呼ん
で加工技術を習得した。 

 昭和30年には千葉で行われたハム・ソーセージの講習会に年1回1週間づつ、 
2年にわたって担当者を派遣し作り方を学んできた。 「この講習には他の地域の
農協も参加しましたが、 30年たった今日、 この講習が役に立っているのは明方(
みょうがた) 村 (いまの明宝村)だけ」といわれるように、 明宝ハムの製造が軌
道に乗るまでには大変な苦労があったが、 その辛抱強さが今日の事業に実を結ん
でいるのである。
 
 また、 販売にも大変な苦労があったと言われている。 「そのころはハムを買う
人は、 村外が主で、 村の衆の中には、 生煮えで食えんてて、 焼いて食わした人
もあったぞな」 「なにしろ、 ハムといった食品を食い馴れた人の少なかった時代
ですで、 売り捌くには、 ずい分苦労したぞな」 (村史) というような時代での販
売であった。 まだ時代はハム・ソーセージを日常的に食べるには早かったので
ある。 
 
 しかし、 食生活がだんだんに洋風化し、 明方ハム (明宝ハムの以前の商品名) 
の評判も 「純粋やし、 防腐剤が入っていないので安心や」 と需要も増加するよ
うになった。 

 劇的な変化は、 昭和55年に来た。 折からの自然食ブームを反映して、 NHKが「
明るい農村」 でこのハムを紹介したのである。 これは大きな反響を呼び、 各地
からの注文が相次いだ。 注文殺到によって、 地元民も食べられない状況となり、 
「幻のハム」 といわれるほどに売上は急上昇し、 明方ハムは全国的な有名ブラン
ドになったのである。


村独自の工場建設と明宝ブランドの誕生

 この急速な販売高の伸びが、 この村独自のハム工場建設に結びついている。 
村は農協とは別個にハムの生産と販売を始めたのである。 

 年間20万本の生産能力を40万本に増設することが問題の発端であった。 昭和
62年農協はハム工場を隣の八幡町に移転して、 そこに新しい設備を作るという
決定を行った。 農協は昭和48年に広域合併していた。 それにともないこの村に
あった奥明方 (おくみようがた) 農協は解散することとなり、 本所は八幡町に
移転し、 この村には支所が置かれることとなった。 

 農協は増設の要求になかなか応じてくれずに、 その結果工場を移転するとい
うのである。 その決定に村長は激怒した。 「明方ハムは村民のためにある」。 村
の激しい反発にもかかわらず、 隣町に工場建設をするという決定は覆せなかっ
た。 

 当時の村長は村の独自の予算で工場を建設するという決断を行い、 63年に加
工工場が作られた。 新しい工場には、 結局、 従来の工場の従業者の90%が帰っ
てきた。 従業員のほとんどがこの村の人々だったからである。 独自の工場建設
にともない 「明方特産物加工株式会社」 が設立され、 ハム・ソーセージの加工、 
販売を事業とすることになった。 

 村が独自にハム事業を行うことにより、 農協と村のそれぞれが作る二種類の
 「明方ハム」 が誕生することとなった。 そして、 また、 NHKの登場である。 「昼
のプレゼント」 の特産品紹介の際に、 「明方のハム」 として紹介された。 その結
果、 農協の 「明方ハム」 が売れることになったのである。 

 村はブランドの変更を決意した。 既に、 めいほうスキー場の建設計画が樹立
されていて、 「めいほう」 という名前は村民に親しまれており、 また、 明方村
の宝ということで、 「明宝ハム」 というブランドを使用することになった。 そ
して、 平成4年には村の名前まで、 「明方 (みようがた) 村」 から 「明宝 (め
いほう) 村」 に変えてしまったのである。 
 
 ハムはこの村の象徴であり、 食肉加工が無くなればこの村のアイデンティテ
ィは無いと村長は考え、 村民がそれに支持を与えたのである。 


自分で価格を決められる農業と観光立村

 前村長の高田三郎氏を抜きにして、 この村の開発を語ることは出来ない。 高田
氏は大正元年に生まれ、 この村の議員を努め、 10年前に村長となった。 昨年11月
にガンで死去したが、 音楽祭 (ジャズフェスティバル) が終わるまで執務をし、 
その後入院した。 3期目の任期半ばでの死であった。 

 今年のフェスティバルで日野皓正が、 「今日は村長への追悼の日」 と悲痛な声
を上げて演奏していた。 村づくりの業半ばでの死は、 自身はもとより、 村人たち
にとっても、 そして村外の人にとっても、 残念なことなのである。 

 高田村長は農家出身であったが、 商売が大好きという人であった。 「農業では
食べては行けない。 農産物は相手が価格をつける。 売る方が価格をつけるには、 
加工所と販売所を持つほかない」 という信条で、 この村のいろいろな事業を積極
的に開発してきた。 

 この村は既に述べたように、 夏は養蚕、 冬は炭焼きが生業であり、 他に働き口
は無かった。 大正末には、 4,500人いた村の人口も2,000人を切る状況にまでなり
、 高田氏の前の村長も 「これではダメ」 と新しい方向を模索していた。 その意向
を受け継いだのが高田氏ということになる。
 
 高田前村長の信条は 「観光立村」 であった。 昭和60年に第二次総合計画がスタ
ートし、 「産業基盤づくりから産業起こしへ」 と、 その方向が明確に示された。 

 開発の角を観光開発に求め、 その波及効果を利用する形で、 特産物づくりが考
えられ、 特産品販売施設が建設されるという戦略がたてられた。 

 その開発にあたって 「地元民間企業の活力不足」 が指摘され、 「統一されたイ
メージの開発とともに乱開発防止と地域波及効果」 を達成するには、 「行政の資
金不足とノウハウの不足」 は覆い難いという認識も同時に示された。 そこで第三
セクター方式が採用され、 昭和63年名鉄グループとの第三セクターによる 「めい
ほう高原開発株式会社」 となって具体化した。 この会社は資本金2億円であり、 
名鉄グループが株の56%を持っている。 経営の主導権は名鉄グループにあるが、 
10年後に事業を見直し、 必要があれば、 村が株を買い戻す条項が契約に盛られて
いるという。 

 この株式会社によって、 明宝スキー場が運営されている。 常勤の職員18名が雇
用され、 冬季には延べ12,000人、 一日あたり120人が季節雇用されている。 この
スキー場へは平成4年度34万人、 5年度には38万人のスキーヤーが訪れている。
 
 めいほう高原開発 (株) と同時に、 明宝ハムとソーセージを製造する 「明宝特
産物加工株式会社」 が設立されている。 資本金は三千万円であり、 明宝村が94%
を所有し、 各地区の消費組合と畜産組合が3%、 森林組合が3%の株を所有して
いる。 村長が社長に就任し、 常勤は専務1名、 職員67名、 そしてパート職員6名
が勤務している。 特産品づくりによって、 恒常的な雇用の場が大きな規模で提供
されているのである。 


 「明宝ハム」 は地域づくりの担い手
 
 この二つの会社が同時期に設立されたことは、 観光というサービス事業と畜産
物加工と、 村の事業プランニングに統合化されたということを意味する。 観光立
村のコンセプトのなかで、 付加価値の高い畜産加工品を生産し、 販売するという
戦略である。 

 その地元での販売拠点が、 「(株)明宝マスターズ」 である。 この企業は平成2
年に 「磨墨 (するすみ) の里公園」 計画で、 特産物の販売と外食サービスの大規
模な施設が出来たのを契機に、 売店と飲食店の経営を目的として設立された。 明
宝マスターズの資本金は1千万円。 明宝村54%、 第三セクター (めいほう高原開
発) 40%、 地元団体6%の資本構成となっている。 常勤職員は専務を入れて12名
、 パート職員7名から構成されている。 

 平成4年度の売上高は4億1千万円である。 重要なことは、 明宝ハム・ソーセ
ージの売上が約2億円あるということである。 明宝マスターズの売上の、 実に、 
半分近くを占め、 重要な商材となっているのである。 このハム・ソーセージは、 
地元で加工されたものであり、 安心できる製品である。 この特産館を他の地域の
ものと差別化できる重要商品として、 さらに、 この村のイメージを高めるのに、 
明宝ハムは貢献しているのである。 

 明宝特産物加工 (株) にとっても、 地元の物産館で2割の製品が販売されてい
ることは、 重要な意味を持っている。 安定した、 そしてコストのかからないチャ
ネルを持つことことが出来るからである。 また、 このような直接経営の販売拠点
は、 製品開発にも大いに貢献する。 消費者の反応を、 直接見たり聞いたりするこ
とが出来るからである。 重要なアンテナショップを、 この企業は有していること
になる。
 
 物産館は郡上八幡と高山に通ずる重要な街道に位置する。 冬のスキー場に来る
顧客だけでなく、 この街道の利用者を顧客とすることが可能となるのである。 
 
 喫茶部門の利用度も大変に高い。 現在、 ハンバーグがこの村の手作りのメニュ
ーとして人気がある。 ハムとソーセージを調理したメニューが開発されると、 利
益の高い食材が開発されるとともに、 需要の開発にも役立つであろう。
 
 このように、 明宝ハムは地域づくりの重要な担い手としての役割をもち具体的
な商品として位置づけられ、 サービスの事業を支える中核としての機能を果たし
ているのである。 抽象的で拡散し易い村のサービスのビジネスを、 具体的なモノ
の形で、 他の地域との違いを見せる役割を果たしているのである。 


大きい村への貢献度 

 明宝特産物加工株式会社の平成6年度 (平成6年4月1日-平成7年3月31日)
の損益は下記の通りである。 

1) 営業損益

@ 売上高         992, 919, 382円
A 売上原価        412, 347, 338
B 売上総利益       580, 572, 044
C 販売費および一般管理費 609, 796, 974
D 営業損失         29, 224, 930

2) 営業外損益

@ 営業外収益       117, 056, 045
A 営業外費用        23, 946, 045
B 経常利益         63, 884, 611

4) 特別損益

@ 特別利益         8, 540, 000
A 特別損失         27, 575, 311

5) 税引前当期利益      4, 849, 300

6) 法人税および住民税    26, 534, 300

7) 当期利益         18, 315, 000

8) 前期繰越利益          1, 311, 562

9) 当期末処分利益          19, 626, 562

10) 利益処分 (案) 

@ 未処分利益               19, 626, 562
A 利益処分額            16, 625, 000
                   (内配当金4, 500, 000) 
B 次期繰越利益           3, 001, 562

 この損益計算書では、 当期の営業利益は約3千万円の赤字となっている。 
 営業損益計算で赤字になった最大の理由は、 寄付金の約6千万円であるが、 こ
の寄付金がなければ、 営業利益は約4千万円となり、 通常の営業活動での黒字が
計上が可能であった。 寄付の先は村である。 村は今期配当金以外の特別な恩恵を
、 この企業から得たことになる。 決算の上からみて、 非常に上手な会計処理を行
ったということが出来よう。 

 この会社は従業者がパートを入れて70名を越す、 この村最大の企業である。 家
族を入れれば、 この企業に依存している人々は300人近くになるであろう。 また、
資材や工場の建設や維持に従事したり、 促進活動に携わる企業や人々などへの波
及効果は非常に大きい。 村の人々の健康を維持するための食肉加工事業が、 村を
活性化させる中心的な存在に成長したのである。 
2 明宝村の畜産業
ハム・ソーセージ加工完結の畜産事業

 明宝村の畜産加工事業はこの地域の畜産事業とは切り離され、 生産プロセスと
は別個のシステムとして、 自己完結している。
 
 原料となる豚肉は、 関市と岐阜市にあると場でと畜、 解体処理されたものを、 
食肉問屋を通して部分肉で仕入れている。 「明宝ハムが買参権を取れば一番よい
のだが」 と村の大坪課長は語る。 しかし、 枝肉全部を買うわけでなく、 部分肉で
の購入であれば、 自分で競りに参加するよりも、 問屋に任せて、 競争原理によっ
て良い商品を購入した方が効率的である。 

 部分肉での購入は、 この明宝ハムがプレスハムとソーセージだけを製造してい
るためである。 ロースハムなどの単一部位の使用が必要となる製品の製造はせず、 
創業からのプレスハム一本に専念してきた。 その戦略の方が大手の食肉加工メー
カーに対抗できると信じてきた。 そして、 その方針が正しいことを現状は証明し
ている。 

 もっとも、 当初は 「地域の養豚農家を育成する」 という目的も、 加工事業にあ
ったという。 しかし、 解体所が要るとか、 ロスの発生の問題が生じたため、 現在
の形に落ちついている。 

 地域の生産物の付加価値を上げるという目的から見ると、 矛盾しているという
こともできる。 しかし、 多くの場合、 その地域の生産物を加工品の原料とするこ
とには困難さがつきまとう。 それは畜産物ばかりでなく、 青果物の場合でも同様
である。 生食の需要が強く、 その方が高く売れる場合には、 それを市場に出荷し
、 別に加工用の素材を購入している加工事業が多いのである。 もちろん、 その地
域の生産物が加工にまで回されて、 付加価値をつけて販売されることの方が望ま
しいことは事実である。 

 しかし、 この村のように、 加工事業として自己完結させて利益を生み、 地元の
住民の雇用の効果を最大に発揮できれば良いというのも、 地域での特産品開発の
一つの見識である。 そのことにより、 村が活性化しているのであるから、 加工事
業だけの自己完結型の事業に対する認識を深めることが必要となるだろう。

丹念に育成した良質な豚肉を原料とした
明宝ハム・ソーセージ
養豚、 肉用牛経営

 現在明宝村の養豚農家は2軒であり、 約5, 000頭が飼育されている。 年間出荷
頭数は9,500頭になる。
 
 その1軒の養豚農家鈴木忠造さんを訪問した。 繁殖用母豚 (LW) 37頭、 肥育用
400頭の規模で、 子供達が成人したため夫婦二人で行える範囲での事業を行って
いた。 

 この地域の豚は 「美濃ヘルシーポーク」 という銘柄で、 農協・経済連を通して
流通している。 生肉としての価値が高い。 

 また、 この村は肉用牛の産地としても知られている。 有名な 「安福」 を種とす
る和牛の産地である。 平成4年度のデータでは繁殖農家の戸数は39、 繁殖牛248
頭、 肥育農家18戸肥育牛735頭となっている。 このなかには、 一貫生産の畜産家
が12戸含まれている。
   
  親子で一貫生産をしている山田勲さん、 義正さんを訪ねた。 繁殖18頭、 肥育80
頭の規模である。 子息の義正さんは人工授精師の資格を持っている。 24〜26ヵ月
令で出荷し、 A-5の比率は70〜80%と非常に高い。 60年から自家配合飼料の研
究を積極的に行っている。 この飼料によりA-5の出現率が非常に良くなったと
いう。
 
 もう一軒の畜産農家和田愛敬さんを訪問した。 息子さん夫婦はトマトのハウス
栽培を成功させているという。 この方は高齢にもかかわらず、 かくしゃくとして
和牛の一貫生産を行っている。 繁殖23頭、 肥育30頭の規模である。 出荷した和牛
の平均枝肉価格は100万円を超えるとという。 

 このように明宝村は養豚と和牛の産地としても、 技術力のある生産者を有して
いるのである。 しかし、 それらの生産物は加工原料としてではなく銘柄牛や銘柄
豚として、 農協・経済連を通して市場に出荷されている。 
3 女性の企業家たち
明宝レディーズの設立

 この村は、 今まで考察してきた企業の他に、 あと2つの株式会社を有している。 
そのうちの一つが加工事業を行う (株) 明宝レディースである。 

 明宝村の事業開発の特色は、 第三セクターの方式を積極的に採用していること
である。 村の人々には無いノウハウを求めて、 外部の組織の知恵を積極的に活用
しようとする事業哲学がそこにみられる。 名鉄の資本力と地域開発のノウハウを
活用して会社を設立したのが、 明宝村の地域開発事業哲学の典型である。 

 その理由は、 株式会社形式にすれば、 甘えが無くなって厳しい経営をすること
が出来るという考え方による。 国の補助金も付きにくいから、 資本金の範囲で事
業を運営する事が大事になり、 借入も普通の金融機関からすることになり、 客観
的な目での評価が行われる。 また、 株主の目も絶えず意識しなければならず、 厳
しい経営姿勢が求められる。 

 明宝レディーズは、 そのような村の事業哲学が典型的に表れたもので、 平成4
年に設立され、 パートは27名、 資本金は1千万円で村が30%、 第三セクター2社
45%、 そして婦人クラブ3団体25%の株主構成となっている。 村の生産物を加工
して販売すること、 物産館における青空市場の開催、 温泉場とスキー場における
外食サービスを事業としている。 

 加工品はケチャップが主要製品で、 原料となるトマトはこの村の農家と契約栽
培をしている。 中間加工品を冷蔵庫に入れて保存し、 周年で加工できる体制をと
っている。 キャラブキなどは注文生産の形式をとっている。 材料が少なく注文に
応じられないのである。 

 この会社の特徴は、 社長を初めとする役員もパートタイマーも全て女性である
ことである。 これは非常に珍しいケースである。 多くの加工施設の組織では、 経
営陣に女性が参加することはあまり無いからである。 

 現在の社長の本川栄子さんは二代目で、 農家の主婦である。 自らも資本金をグ
ループに出資している。 主人の理解があって、 資本金の調達に問題なかったとい
う。 これもまた、 好運なケースであったと言えよう。 


将来への期待−明宝ハムとの結合

 明宝レディーズと、 畜産加工とは現在のところは関係ない。 しかし、 ゆうパッ
クや宅配便を活用した、 特産品販売の事業として、 近い将来統合することが必要
となろう。 

 現在、 明宝レディーズの宅配便による販売は800件ほどだという。 明宝レディ
ーズの製品と明宝ハム・ソーセージをセットにして、 両方の無店舗販売の顧客に
販売する機会が、 将来発生するであろう。 また、 両方の製品を活用した料理など
の需要開発も考えられる。 

 明宝ハムと女性の起業家たちとは、 いずれは地域開発という一本の糸で統合化
された事業展開をすることになろう。 明宝村が、 明宝ハムという商品を中心とし
て地域開発をしてきた当然の結論とも言えるのである。 

元のページに戻る