女子栄養大学 教授 五 明 紀 春
「朝食は王様のように、昼食は王子のように、夕食は貧者のように」という格 言がある。朝はゼイタクに、昼はほどほどに、夜は質素に食べるのが、健康の秘 訣という。しかし、こういう格言が生きているのも、世間の人はしばしば、これ と逆のことをしているからであろう。 実際、朝食を摂らない人は、20歳代男で30.8%、女で18.2%である(平成7年国 民栄養調査成績)。平均でも朝食欠食率は男10.1%、女6.1%で年々増えている。 特に若年層で欠食が目立ち、しかも習慣化している人が増えている。このまま行 くと世代交代とともに、将来の日本人は 「 1 日 2 食」になってしまうかも…、と大胆な予測をする人さえいる。鎌倉時 代以前は「 1 日 2 食」だったというから、朝食欠食の習慣は、形の上では「先 祖返り」と言えなくもない。 しかし、一言で「先祖返り」といっても、生物学的に「 1 日 2 食」に適応す るには途方もない時間とプロセスが必要となろう。したがって、現代人の朝食欠 食には、さまざまの欠陥が露呈することになる。
「当大学出身者の中で医師国家試験の不合格者はきまって朝食欠食者である」。 今から10年以上前に発表されたある医科大学の調査結果だ。さらにこの大学で は数年かけて、全寮制で生活している学生たちの学業と朝食の関係を詳しく調べ た。その結果、朝食欠食者の全学科成績(平均点と成績順位)は朝食を食べてい る学生に比べて劣っている、という事実がわかった。 この調査結果は「朝食が知的活動に密接に関係している」ことを示唆している。 知的活動とは「脳の働き」に他ならない。朝食の脳活動に及ぼす影響についての 報告は多い。 朝食欠食学童では語彙テスト・作業記憶力テスト・問題解決能力に劣る、継続 作業テストに誤りが多い、といった結果が多い。大学生について、朝食摂食群で は新知識の想起能力が高まる、記憶力を要する問題の解決能力が向上する、など の比較研究もある。これらのことを総合すると、朝食欠食は記憶力を使う知的作 業や勉学能率に一定の影響を与えることにはまず疑いの余地はない。
まず、脳は他の器官に比べて大きなエネルギーが必要だ。ただし、脳のエネル ギー源はブドウ糖に限られる。このブドウ糖はデンプンの消化吸収の結果、血液 中に入ってくる。 ご飯、パン、めん類などのデンプン質の食物こそ脳のエネルギー源である。特 に砂糖は即効性エネルギー源である。 ご飯やパンを食べると 2 、30分もすると血液中のブドウ糖(血糖)が増えてピ ークに達する。その血糖が1日のうちで一番低くなるのが朝食前。睡眠中も脳で はブドウ糖がどんどん消費されている。眼球がクルクル動いている時には夢を見 ている(レム睡眠)。夢の中でもブドウ糖は激しく消費されている。こういうわ けで、朝食前は体内ブドウ糖は相当消耗してしまっている。したがって脳の活動 エネルギーも1日で一番低くなっている。寝起きに頭が働かないのも当然である。 健康老人と大学生について、夜欠食した後で早朝に50グラムのグルコース入り 飲料を飲ませてから、文章の一節や単語リストからの自由想起によるテストをす ると、プラセボ(偽薬)飲料を飲ませた時に比べて、同じ人でも成績は40%も高 くなった。朝のコーヒーは、やはりブラックより砂糖入りが賢明と言えそうだ。 朝食抜き、低血糖のままで、毎日学校や職場に行けばどうなるか。その結果はも う説明の要もないであろう。
脳の働きには体温も影響する。 1 日で体温の最高は午後 2 時頃、最低は午前 2 時から 3 時の夜中といわれる。その差はせいぜい 1 度くらいだが、体温の高 い方が脳の働きは円滑になる。朝型人間は夜型人間よりも体温上昇の早い人をい う。世の中の仕組みが朝型向きに出来ていることは事実である。 体温を上げる近道は、とにかく何か食べることである。食物の栄養素は摂取分 の何%かは熱に変わって体温を上げる。これを特異動的作用と呼んでいる。炭水 化物(デンプン、砂糖)では摂取エネルギーの6%、脂肪では 4 %であるのに対 して、タンパク質では30%にも上る。速く体温を上げようとすれば肉・魚・卵・ チーズなど良質タンパク質密度の高い食物が効率的だということになる。 となれば結論は大体見えてくる。 ご飯やパンと高タンパクの肉・卵・乳(乳製品)を組み合わせて、やはりキチ ンとした朝食を摂ること。これが朝から脳を活性化するためには大切だというこ とだ。ダイエット目的で、朝食を抜いている人は「朝食をヘビーにするほど痩せ る。夕食をヘビーにするほど肥る」という研究報告も是非お伝えしておきたい。 朝食欠食は、脳の働きを鈍くし、その上、肥満を誘うというのではダブルパンチ だ。冒頭の格言をもう一度噛みしめたい。
ごみょう としはる 昭和39年 東京大学農学部卒業、 44年 同大学大学院博士課程修了、農学博士、専攻は食品栄養学「食物の 栄養生理学的研究」 45年 女子栄養大学講師、55年 同大学教授、現在、栄養学部長