◎今月の話題


鶏卵の魅力を科学する

食糧問題研究所 所長 井土 貴司








コリンが注目を浴びている

 昨年 4 月 8 日付け日本経済新聞夕刊に「卵やレバーに多く含まれているコリ
ンという栄養素を多量に与えた母親から生まれる子ネズミは刺激に反応しやすい、
つまり明せきな頭脳を持つことが分かった」とアメリカの学者グループの研究論
文の要約が掲載されていた。脳の記憶に関する部分は、ネズミと人間は非常によ
く似ていることから、コリンは人間にも同じ効果を持つ可能性がある、と付け加
えている。

 実はこれと似た論文が、1982年にアメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)
のR・J・ワートマン博士によってすでに発表されている。それによると@老齢
による記憶障害、つまり老人ボケの治療にはコリンを毎日の食事に補うことが必
要、Aコリンの供給は、老人ばかりでなく一般の成人や児童の脳に良い働きをも
たらし、脳の学習能力、記憶力などの強化改善に役立つ、という内容である。

 また日本においても、1997年に、「アルツハイマー型痴呆患者に対して、卵黄
から分離したコリンとビタミンB12を臨床的に併用投与したところ、有意な改善
が見られた」と高知医科大学の研究者が発表している。アルツハイマー病の痴呆
患者の脳内はコリンが不足状態にあり、神経機能障害が起きているので、コリン
を大量に供給することによって脳の働きが改善されたというのである。内外にお
けるこうした研究発表により、にわかに卵黄に含まれているコリンが注目を浴び
るようになった。


なぜ卵黄のコリンか

 なぜ卵黄のコリンかというと、自然界においては卵黄にコリンが最も多く含ま
れているということと、人間の脳には余計な物質が脳内に送り込まれないように、
脳関門があると考えられているが、そこをスムースに通過することができるのは
コリンの中でも卵黄のコリンだからだ。高知医科大学のグループが、最初に大豆
から抽出したコリンを実験に使用したところ、成功しなかったが、卵黄から抽出
したコリンではうまくいくことが分かったという。

 参考までに卵黄と大豆に含まれているリン脂質の量とコリン(ホスファチジル
コリン)の含有量を比較すると表のとおりである。リン脂質の中のコリンの割合
は、卵黄では86.2%であるのに対して、大豆では33.9%しかない。しかし大豆の
中に含まれているイノシトールが健康維持に大切な役割を持っていることも分か
っているので、大豆が悪いということではない。

表 卵黄と大豆のコリン含有量
kolin.gif (1717 バイト)
 *コリン:ホスファチジルコリン

 コリンが人間のからだの中でどんな有用な働きをするか。脳内で記憶や学習に
大きく関係している神経伝達物質「アセチルコリン」の原料になるだけでなく、
脂質代謝改善作用、つまり高脂血症や動脈硬化症を防ぎ、血中コレステロールの
低下作用があることが知られている。また肝炎や脂肪肝などの肝臓脂質代謝障害
に効用があるとして臨床的に用いられてきた。現在、主として慢性肝疾患におけ
る肝機能の改善、脂肪肝、高脂血症などの治療に用いられている。


卵はカラザまで栄養

 ところで卵のことをよく完全食品と言っているが、その理由は卵からヒヨコが
生まれるために生体に必要な栄養素をすべて含んでいると考えられるからだ。た
だし、人間、猿、モルモット以外の動物は自らビタミンCを合成しているので、
それだけは鶏卵には含まれていない。また、繊維質も含んでいないので、卵に野
菜をたっぷり添えて食べれば、それこそ本当の完全食品になるわけだ。

 1個の卵の平均的な重さは60グラム。このうち、卵殻10グラム、卵白33グラム、
卵黄17グラムであるが、たんぱく質は、卵白と卵黄に含まれており、合計して6.2
グラム。つまり卵重の約 1 割である。

 卵のたんぱく質は最も良質で、しかも消化率が100%なので病人や老人の栄養補
給にとって大切な食料である。卵黄の左右にはひものようなカラザがついている。
これをはしでつまんでとり出し食べない人をよく見かけるが、まことにもったい
ない話である。カラザは卵白と同じたんぱく質で、しかもシアル酸を約1%含ん
でいる。シアル酸は中華料理に使用される海燕の巣に10%ぐらい含まれており、
ウィルスと結合してウィルスの働きを阻止する働きがあると言われている。シア
ル酸の機能については、まだ十分解明されておらず、これからの研究結果に待た
なければならないが、抗ガン作用があるとも言われている。卵の中にはまだ解明
されていない物質がいろいろあるものと思われ、これからの研究成果を楽しみに
したい。なにしろ卵からヒヨコが生まれるという事実から、生体の誕生に必要な
成分が科学の進歩に伴って発見され、またその機能が解明されていくに違いない
と思うからだ。その一例が最近にわかに注目されているコリンの働きである。

いど たかし

 昭和26年3月水産講習所(現東京水産大学)卒業。同年、キューピー株式会社
入社。生産本部長を経て59年常務取締役。昭和62年に食糧問題研究所設立、現在
に至る。

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