◎今月の話題


 

遺伝子組換え食品を考える

生物系特定産業技術研究推進機構

理事 貝沼 圭二




 最近の遺伝子組換え食品をめぐる種々の問題を考える時、以前もこんな感じの
時期があったことを思い出す。1980年代の後半に、遺伝子組換え植物の研究が進
み、これを野外試験に移す時であった。遺伝子組換え植物を野外に出すことによ
って、環境が変化しないか、周辺の生物相に影響がないか、作業する人間への影
響等が危ぐされた。

 私は、当時農林水産省バイオテクノロジー課において、遺伝子組換え植物の野
外試験のガイドライン作成を担当した。OECDのガイドラインを参考にしたわが
国のガイドラインが1989年に策定され、1992年にウイルス耐性のトマトがガイド
ラインに適合した組換え植物第1号として確認されたが、ここにいたる道筋は非
常に慎重を極めたものであった。実験室から、閉鎖系温室、開放系温室、隔離ほ
場、一般ほ場へと、ステップバイステップで周囲の環境に対する安全性を確認し
ながら進んだ。そのステップごとに報道関係者、市民運動家、その他関心のある
人々を筑波の農業環境技術研究所(農環研)の実験施設に招き、農環研での実験
を見ていただき、研究者と直接対話の時間を持った。そのステップの多さに、
「たかがトマト」のことで、こんなに何回も召集をかけるのかと苦情をいただく
ようになった。初めてのことは、やはり慎重に進めるというのが私の方針であっ
た。その後、わが国において新しく開発された組換え植物、あるいは外国産の組
換え植物の野外試験が繰り返された。野外試験は、国内各地に設置された隔離ほ
場において進められ、すでに47件(1999年12月現在)に達している。

 ほぼ10年経過した現在、輸入された大豆、トウモロコシを原料とした遺伝子組
換え食品が種々の話題と問題を提起している。


今、なぜ遺伝子組換え作物(GMO)か?

 1990年代になり、穀物生産の増加率は、人口増加率1.3%を下回るようになり、
2025−2030年にかけて食糧の絶対量の不足が危ぐされている。遺伝子組換え技術
はこの問題を解決する手段として期待されているが、現在市場に見られる遺伝子
組換え作物は、耐病性、除草剤耐性、虫害耐性などを付与したものが多い。除草
剤耐性大豆、Btトウモロコシ等は、生産者にメリットがあるが、輸入国の消費者
に直接のメリットがないこともGMOが好まれない理由の1つになっている。これ
らを第1世代のGMOと呼ぶならば、農業の限界環境に生育する作物は、耐乾燥性、
耐塩性、低温耐性などを付与したものである(第2世代のGMO)。さらにこれら
に続く第3世代のGMOを代表するものに、加工適性あるいは健康、栄養成分の改
善を目的としたものがあり、ここで初めて消費者の利益、関心に関係するものが
登場することになる。第2、第3世代のものは、時間的にはほぼ同じ時期に出現し
てくるであろう。


食品の表示問題

 安全性が確認された遺伝子組換え食品について、農林水産省は消費者に情報を
提供する目的で表示法を決め、2001年4月から食品の表示が行われることとなっ
た。表示に際しては「食品組成、栄養素、用途などが従来の食品と同等でない遺
伝子組換え農産物およびこれを原材料とする加工食品」は、米国、EU、日本とも
義務表示を行う。一方、組成などが同等の食品について、日本はEUの考え方と比
較的近く、「食品組成、栄養素、用途などが従来の食品と同じだが、組み換えら
れたDNAまたはこれによって生じたたんぱく質が存在する」ことが重要になり、
存在すれば義務表示をし、存在しなければ表示は不要である。存在に関係なく表
示を不必要とする米国、カナダとは大きく異なる。「DNAまたはこれによって生
じたたんぱく質が存在する」という点については、食品表示問題懇談会遺伝子組
換え食品部会の中で種々議論されたところであるが、組換えDNA技術が食品の組
成に与える影響を科学的に考えればこれ以外の表現は難しい。

 GMO論争に必ず出現するのは安全性の問題である。環境に対する安全性および
食品としての安全性は十分に検討して確保されなければならないのは当然のこと
である。しかし科学的視点から「絶対安全」ということはあり得ないので無限にこ
れを追求することは意味がないし、切りがない。現代科学の手法を用いて、少な
くとも現在用いられている食品と同レベルの安全性は確保しなければならない。


組換えDNA技術の理解とそれぞれのアクターに求められるもの

 現在、遺伝子組換え食品をめぐって世界的に種々の混乱が生じている。消費者
に安全な食品を提供することに関して異論を挟む余地はない。消費者、食品加工
製造業者、学識経験者、科学者、評論家、科学ジャーナリスト、専門家、非専門
家等と種々のアクターがいるが、それぞれ思うところが異なっており、組換えD
NA技術の理解においても落差は大きい。遺伝子組換え技術は、人類が手に入れ
た技術の中で最も正確に同種および種の壁を越えて遺伝子を移すことのできる技
術である。従来の育種の中でも種の壁を越えて遺伝子を移す技術が用いられてい
るが、交配を用いる方法では目的以外の遺伝子も同時に移されてしまう。利用す
る前に組換えによって変化した性質は十分に調べておかなければならないが、
「種の壁を越えるので従来育種と全く異なる」という議論は的を射ていない。  

 立花隆氏(文藝春秋 2000年3月)が指摘しているように遺伝子組換え食品は次
元の低いところの議論に終始しているのが現在である。残念なことに学、官、産、
消費者のいずれのアクターも必要な役割を十分に果たしていないのが混乱の原因
のように思われる。  

 今後、科学者、専門家は特殊用語をなるべく使わずに研究を非専門家に説明す
る努力が必要であるし、消費者も「有り得ない絶対安全」を求めるのではなく、
生物の営みの中での遺伝子組換えの位置を理解してほしい。また、科学に基づい
た安全性の評価、透明な評価プロセス、情報の提供など行政の担う役割も大きい。
三者三様の努力がなければ現在の平行線は全く近寄ることがないままに進んでい
くような気がする。

かいぬま けいじ

 昭和34(1959)年東北大学卒業。昭和43(1968)年農学博士。農林省食品総合
研究所食品工学部長、農林水産省バイオテクノロジー課長、農林水産技術会議事
務局長、国際農林水産業研究センター所長を経て、平成8(1996)年10月より現
職。

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